第23話 アリス/362話 脅威
「久しぶり」
そう言うとアリスは優しく微笑んだ。
将斗はそんな彼女から目をそらしていた。
――無理無理無理、可愛すぎるだろ。直視できん。
理由は単純明快。彼に女性経験がないことにある。
それに加え、将斗の今まで会ってきた女性の中でダントツの可愛さをしていたため、まともに目を合わせられるはずもなかった。
同じ女性であるレヴィの時はこうはならなかった。あれは、彼女があのような荒い性格だったおかげであった。
将斗は頑張って彼女の方をちらちらと見ながら、思っていたことを口にした。
「……はじめましてな気がするんだけど」
久しぶりと言われる関係ではなかったはずだと、将斗は疑問を抱いた。
一応、覚えてないかと記憶を巡らすが、やはり全く覚えがなかった。
「ごめん、全然思い出せん……」
覚えていないことを正直に言うが、もしかしたら怒らせるかもしれないと思い、将斗はおそるおそる相手の顔を見る。
彼女は将斗の言葉を聞いて一瞬固まったが、その可憐な笑顔を崩さずに
「ごめん、間違えちゃった」
頭にこつんと手を当てながらそう言った。
「え?」
「私ずっとここにいるの。こーんななんにもない場所だから、たぶん時間感覚がおかしくなっちゃったんだと思う。昨日ぶりの間違いだったね」
「あ、ああ、そう。そういう事……」
要は会ったことはないということだ。単なる言い間違いであったようで、将斗は安心した。納得はしてないが。
こんな何にもない場所、というので将斗は辺りを見回した。木々が生え揃っているが、陽が差し込んできていて、ジメジメとした感じがなく居心地が良い。
ただここは一体どこなのかと、ようやく自分の置かれている状況がおかしいことに気づいた将斗はアリスに説明を求めた。
「あのー………ここは何? 俺さっきまで」
そこまで言いかけて、彼は思い出したくもないあの地獄を思い出し、右腕を抑えた。
あの痛みは強烈に将斗の記憶に焼き付いていて、簡単に思い出せてしまう。
抑えた右腕は綺麗な状態を保っていた。火傷などどこにもなかった。
「大丈夫?」
アリスがしゃがみこんで将斗の顔を覗き込んできた。
「あ、いや、ちょっと色々あって……」
「そっか……」
そういうとアリスはゆっくりと将斗の右腕に触れ
「さっきは大変だったもんね」
と言った。
「さっきって……え? 見てたってこと?」
「うん、ぜーんぶ」
「ぜーんぶって……どっから?」
「あなたがこの国の近くに急に現れてから」
「へ、へぇ……ん? ちょっと待った」
将斗はそこで目の前にいるこの女の子がどういう存在かを思い出した。
死んでいるのだ。
彼女が触れている右腕から温もりが伝わってきているから信じられないのだが、レヴィの話では死んでいるはずだった。
――死んでるはずだよな、この子。だけど今こうして会話している。ちなみに俺はさっき大火傷で気を失って、気づいたらここに……彼女がいるこの場所に……ってことは!
将斗は顔をガバッと上げてアリスを見た。
「俺死んじゃった?!」
「え?」
アリスはキョトンとした顔をしていた。
「いや俺死んだよね? だって君も死んでるし。そもそもなんだかよくわかんない場所に来ちゃってるし! ってこれ死後の世界なんじゃ? 終わった。いや終わってた。うそだろマジかよ。うわぁぁ」
将斗は急に早口で捲し立て始めた。
それもそのはず。彼からすれば、特に何もなせないまま二度目の人生が終わっていたのだ。
せっかくの異世界を全く楽しめなかったことを彼は悔やんだ。
頭を抱えて暴れる将斗。
そこでアリスが彼の肩を掴んで落ち着かせようとしてきた。
「待って待って。落ち着いて」
「無理無理これが落ち着いていられるかってやつだ。死んだんだぞ俺。いやまあもうすでに一回死んでるらしいんだけどって、やばい神様に消される。終わった完全に終わった」
「まだだから、まだあなた死んでないから!」
「え?! まじ?」
将斗は簡単に落ち着きを取り戻した。
「うん。あなたはまだ、もう少しで死んじゃうってところで踏み止まってる。まだ向こうのあなたは眠っている状態なの」
「眠ってる……えっと、魂だけこっちにきてる的なアレ?」
「アレっていうのはよくわからないけど、多分それ」
つまり将斗は、というか将斗の体はまだ生きている。
彼は胸を撫で下ろした。
「そ、そうなんだ。よかった……よかったのか? というか、じゃあここは結局なんなんだ?」
「ここは死後の世界みたいなものだと思ってくれていいよ。私が会いたい人を待ってた場所なんだけど、多分迷い込んじゃったんじゃない?」
彼女はどこか遠くを見ていた。
「なるほど、よくわかんないけど。半分死んだような状態だったから入れた、みたいな感じ?」
「多分そう。私もよくはわからないんだけどね」
聞いた限りでは、将斗は生と死の境にいるということだ。
――だとしてもなんで森? 三途の川があったほうがわかりやすいんだけど
そんなことを考えつつ、将斗は自分の体を見回した。
特に右半分。火傷した部分を。
「全然ギリギリって感じがしないけどな……まあいいや。寝てるんなら、どうやったら起きられるんだ?」
彼は自分の体に痛みや傷がないかを確認しながら聞いた。
「起きようと思えば起きられるはずだけど」
「え、ああ、そう」
将斗は言われた通り、起きようと思った。
グレン達もまだ戦っているのだ。戻れるのなら戻ったほうがいい。
将斗は目を瞑った
――起きろ起きろ。違うか。起きる起きる起きる
「待って」
アリスが、念じ始めた将斗に声をかけてきた。
「あなたに教えておかないといけないことがあるの」
「な、何?」
アリスは地面に座ったまま真剣な目で見てきていた。
「今から起きても、あの火傷は治ってない」
「え……いやそれもそうか。あ、でもクリスがたしか
「ううん、残念だけど
そんなまさかと将斗が思うが、目の前のアリスは悲しそうな顔をしていた。
その顔が不可能だということを知らしめてくる。
「お、大きな傷は治せないとか? でもナイフの傷は治ったよな」
「
――だから俺の肩に指突っ込んでたのか……
嫌な感触を思い出して将斗は肩をさすった。
「――今のあなたを治すには、あの火傷だと表面の細胞が死んでいるから……」
そこで言葉が止まった。
アリスは言うのをためらっているようだった。
「死んでるから?」
「……その、表面を焦げてる部分を削ぎ落として生きてる部分を」
「あ、も、もう大丈夫」
想像したくもない光景が頭に浮かんで将斗はそこでやめてもらった。
聞くべきだったのかもしれないが、それをされるのは自分だと考えると恐怖でしかない。
「でも今なんでそれを?」
「あなたが起きたらあの痛みは続くから、それを知っていて言わないのは、その」
「あぁ、なるほどね、わかった。ありがとう」
痛みに対して覚悟できているのとできていないのでは結構違うだろう。
彼女なりの優しさだと将斗は思った。
だがそれを聞いたせいか、将斗は起きる気がなくなった。
起きるのを恐れたのだった。
あの嫌な感触と、激痛は将斗の脳にこびり付いている。
忘れられるはずもなかった。
それが待っているというのは、それこそ火の中に飛び込むようなものだ。
その勇気が将斗にはない。
「怖がらせちゃった?」
アリスが将斗の顔を覗き込んできていた。
それほど怯えた顔をしていたのだろうか。と将斗は表情を直す。
「聞いておいて良かった。まあ、起きる気がなくなっちゃったんだけど」
「本当にごめんね」
「謝んなくていいよ。……それに、このままこっちにいてもいいし」
「え……どうしてなのか聞いてもいい?」
アリスが不思議そうにしている。
彼女は見ていたと言っていた。将斗が何度も雄矢に立ち向かっていく姿も見ていたはずだった。
だからこそ、彼のその言葉には疑問を抱いたのだろう。
将斗は一息ついてから、思っていたことを口にした。
「いやさ、なんか雄矢が許せないとか色々言ってたけど。俺死ぬ直前にさ、戦わなきゃ良かったとか思っちゃったんだよ。この世界に来なきゃ良かったーとかも」
将斗は自嘲気味に笑った。
「俺が戦ってた理由なんて、めちゃくちゃ薄っぺらかったんだよ。他人がどうとか言いつつ、結局自分が危なくなったらそれだ」
伏目がちに、自分の両の手の指同士を何度も絡ませて将斗は続けた。
「誰かのため。国のため。そういうちゃんとした理由でグレン達が羨ましいよ。ヒーローみたいだ。俺にはそんな気、全然ない。誰かのためにあの痛みを味わいに行くなんて勇気、でないよ」
彼の心は限界に近かった。
今まで何もしてこなかった将斗にしては結構頑張った方な二日間であった。
それでもまだ頑張らなければいけないというのは彼の心を折る要因となっていた。
頑張っても、雄矢に勝てるかどうかは別の話。
その上頑張ろうにも、戦う理由が足りなかった。
「でも、ここ何にもないよ? それに私、もうそろそろ行かないとだから」
「ここにいるのは……否定しないんだな」
「だってあなたが選ぶことだから……それに苦しくて死ぬことがどれほど辛いかは知ってる。あなたの苦しみは私以上だっただろうし、それをもう一度なんて私からは言えないよ」
そう言いつつも彼女は心配そうな目で将斗を見つめていた。
起きなくていいの?と言われているように感じて、将斗は逃れるように横になった。
「とりあえず俺はここでのんびりしてる。やっぱ俺は無駄に時間を浪費してるほうが似合ってるよ」
不思議なことだが、課題があるのに寝る時の感覚と同じだった。
やることがあるのに、他の楽なものへ逃げる時のあの感覚。
物事の重大さも、何もかもが課題なんかのそれを遥かに超えているのだが。
「……じゃあ私も少しだけ一緒に」
そう言ってアリスは将斗の隣に寝ころんだ。
手のひらを枕のように頭の下に置き、将斗の方を向いて横になった彼女。
少し頭の位置が彼女の方が下で、自然と上目遣いになっている。
将斗は少し赤くなりながら、彼女と、少し前あれほど嫌っていた無駄な時間を過ごし始めた。
***************************
「この奥ってどうなってんの?」
「不思議なんだけど、ずっと進んでいくとここの反対側から戻ってこれるの」
「無限ループってことか。こわ」
「ループ?」
「ああ、ループっていうのは――」
何十分、それとも何時間経ったのか、将斗とアリスはずっと無駄話をしながら過ごしていた。
女子との会話は数年ぶりだが、アリスとは自然に話せていた。
話す内容は、無駄話というだけあって一貫性なくバラバラだった。
違う世界から来た話や、好きな食べ物の話や、昔のレヴィの話など色々。
しかしその中で、彼女がここには二年間いることを聞いた時だけ、将斗の胸がざわついた。
それほど会いたい相手がいたのだろう。
なんと健気なことかと将斗は彼女の思い女を少し羨ましく思った。
「そういやこういう話は失礼だけど、もしかして年下だったりする?」
というのも将斗からみて彼女は少し幼く見えていたからだった。
年齢の話を切り出したからか彼女の目が少し細くなった。
世界は変わっても、女性の年齢の話はタブーだったようだ。
「絶対私の方が年上だよ。将斗くん今何歳?」
「俺は二十一歳だけど。嘘だろ? 本当に年上か?」
「私、君の五倍は超えてるよ」
「え? 五? 五倍? いや流石にそれは」
「本当だよ」
そう言って彼女は自身の尖った耳を指さした
「私はエルフ。聞いたことない? エルフは長生きなの。ってあなたの世界にはいないんだっけ」
「いないけど、ってそれがマジなら、五倍超え……今百歳超?!」
「ちょっと、超ってつけないで。百二十三歳なんだから」
「超じゃん」
「超じゃないって、もう!」
彼女は少し頬を膨らませつつ、起き上がった。
「あ、ごめん。怒らせた? 言っていいことと悪いことがあったわ。ごめん」
将斗は慌てて同じように起き上がった。
振り返るアリスは怒ってなどいなかった。
「え? 違うよ、そんなんで怒らないよ……もうそろそろ時間なの……だから行かないと」
「あ、そっか。さっきそう言ってたもんな」
「うん」
そう言った彼女が向いた方向は木々がなくなり道ができていた。
なんとなく将斗にはそれが、行ったら戻ってこれない道だとわかった。
雰囲気が違ったのだ。
彼女が少し振り返って言う
「じゃあね。久しぶりに人と話せて楽しかった。本当はもっと話したかったけどそういうわけにもいかないみたいだから」
「ああ、俺もありがとう。いろいろ説明してもらえたし」
「ふふっ……どういたしましてっ」
何度見ても、慣れることのできない眩しい笑顔でそう言って、彼女は歩き出した。
彼女は振り返る時、少し寂しそうな顔をしていた。
「……」
将斗はその背中を黙って見つめていた。
将斗にとってアリスはほんの少しの間会話しただけの仲だが、もう会えないと思うと込み上げてくるものがあった。
――そりゃほんの少しの間でもこんだけ楽しく話せた相手だもんな。……泣けてくる。あ、やば、マジで泣きそう
視界が潤んできて将斗は早めに目を擦った。
涙など見せては情けないと。
「やばいな。めっちゃ泣けてくる……いや泣きすぎだろ。止まれ止まれ」
小声で、ふざけた言い方で将斗は涙を拭いた。
しかし、涙は止まらない。
「いや出過ぎ…………っ?」
一瞬、ほんの一瞬、アリスを見た瞬間、胸が痛んだ。
彼女が步を進めるたびに痛みが増していく。
何かを失うときの、喪失感。あのなんとも言えない感覚が胸を締め付けていた。
「――っ?! んだこれ、別にそんな」
理由のわからない痛みに将斗はうずくまりそうになる。
――一目惚れでもしたか? いやだからってこんなに……
胸の痛みがどんどん酷くなっていく。
ここまで痛む理由とは何かと、思考を巡らした。
――別に少し話しただけの中だろ。そんなんで苦しんでたらキリないだろ。卒業式とかあったら死ぬのか俺は
痛みは止まらない。
もう彼女を呼び止めるしかなかった。
「待って!」
彼女が振り返る。と、同時に将斗は思いついた言葉を口にした。
「君は、誰かを待ってたんじゃなかったのか?」
アリスは歩くのをやめ、ゆっくりと振り返った。
「……待ってたよ?」
「でも、行くんだよな、会えたのか? その人に」
「会えたよ」
「いつ会ったんだ? なんでその時に、行かなかった?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「今までのやり取りで……おかしいとこがあったんだよ」
気づきは最大級の違和感となって将斗を襲っていた。
それは――
「俺が女子とこんなに話せるわけない」
将斗の女性経験のなさは他の追随を許さないレベルだ。
コンビニ店員であってもかなり緊張してしまう。
なのにアリスとは、照れはするものの、なぜか会話ができていた。
「だいたい最初からおかしかった。俺は他人を『
アリスは黙っていた。
「それに、最初のあれだ。久しぶりって台詞間違えて言うわけない。まあ、他にも色々あるけど。何よりおかしいのは、俺が君の顔を見る前に、君がアリスだってわかったことだ」
「……それは、レヴィから聞いてたからじゃないの?」
「それじゃ声で判別できる理由にならない。多分、俺は君を知ってたんだ。いや話したこともあるのか。だからこんなに自然に話せるんだ」
沈黙が訪れた。
どこからか吹いてきた風が木々を揺らす。葉の擦れる音が耳に入る。
やがてアリスは、ゆっくりと口を開いた。
「だから? も、もう行くね。時間ないから。じゃあ――」
彼女が再度振り返って奥へ進む。
将斗はその背中に向けて言った。
「君が待ってたのは、俺なのか?」
言い切ると同時に彼女が立ち止まった。
「自意識過剰すぎか? 違うならそう言ってくれ」
アリスはまた少し黙ってから言った。
「違うよ」
こちらを見ずに彼女はそう言った。
「じゃあ、誰を待ってたんだ?」
「……違う。違うから。気にしないで。あなたは知らなくていいから」
踏み入るのを拒むように、アリスが首を横に振りながら言った。
その雰囲気から、将斗は自分の予想が合っていることをなんとなく感じた。
「俺なんだよな?」
「…………」
「教えてくれ」
「――っ……ひどいよ……こっちが……せっかく我慢したのに。全部言いたかったのに、あなたが何も覚えてないからっ……こんなの聞かせたら悪いって我慢……したのに」
彼女は肩を震わせ、背中越しのまま言った。
まるで話すべきじゃないと言っている彼女だが、将斗は引かなかった。
「ごめん。でも、聞かせてくれないかな」
彼女は少し考えるような素振りを見せてから
「……わかった」
そう言って振り返った彼女。その目の端から、涙が落ちて行くのが見えた。
将斗は自分の胸を押さえた。
痛みは少し和らいでいた。
**************************************************
アリスには幼馴染の男の子がいた。
その少年とアリスは同い年で、親同士の付き合いがあったからかよく一緒に遊んでいた。
少年は魔法が得意だった。
そして、人一倍他人に優しかった。
いろんな魔法でよく人助けをしていた。
アリスはそんな彼が好きだった。
彼も同じ気持ちでいるように感じて、2人はずっと一緒にいるのだとアリスは思っていた。
ちょうどアリスが二十歳の年。
その頃、エルフと人間の間で戦争が起きていた。
少年は人間だったが、アリスのいたエルフの村の住民たちとは仲がよく、虐げられることはなかった。
しかし人間であり、エルフと仲が良い彼はその戦争をよく思っていなかった。
ある日、彼は戦争を止めに行くと言い出した。
もう戻ってこないとも言った。
命懸けの一手を打つつもりだった。
アリスは無理だと彼を止めようとした。
しかし、彼の意思は固かった。
どうしても行って欲しくないとアリスは必死に彼を止め続けた。
彼はみんなのためだと言って聞かなかった。
しかし、あまりにもアリスが粘ったことで根負けしたのか、
「もう一度必ず君に会いにくる。約束だ。死んでも戻ってきてみせるから待っててくれ」
そう言った。
それでもアリスは最初は納得しなかった。
しかし、やがて彼が行くことを止められないのを理解したアリスは、その約束を信じて送り出した。
――その年に戦争は終結する。
人間とエルフの勝敗は引き分けで終わった。
というより、戦いがなかったことになった。
というのも人間とエルフ両方を敵に回す第三の勢力が現れたためであった。
ただし、勢力といってもたった一人の人間だった。
しかし、その人間の魔法が凄まじく、両種族を簡単に相手取ってみせた。
人間とエルフはやがて互いに手を取り合い、協力の末その人間を倒した。
その戦いのおかげか、エルフと人間は友好を結ぶこととなった。
第三勢力の人間というのは、アリスの幼馴染その人だった。
彼は自らが双方の敵となることで、共闘を促し、戦争を終わらせてみせたのだった。
世界中から悪魔だのと罵られることとなったが、真実を知るアリスにとっては一人の英雄だった。
数年経つと法整備などが行われ、エルフは人間の土地へ出入りが可能となった。
アリスはやがてファング王国に移り住んだ。
そこは一番大きい国だったからだ。
その国を選んだ理由は特にはない。
ただなんとなくアリスは、そこなら彼と会える気がしてそこを選んだ。
アリスは
**************************************************
アリスと、アリスの幼馴染の話を、将斗は黙って聞いていた。
話が終わると、彼は閉ざしていた口を開いた。
「それが、俺……」
「そうだよ。顔も声も、話し方も全部一緒。違うのは私との記憶がないことくらい」
アリスは目を閉じていた。
待ち続けていた長い年月を思い出しているようだった。
「ありがとね。来てくれて」
「……」
「生きてた時は、今日かな? 今日来るのかなって毎日思ってた。褒めてもらえるように
彼女は一瞬口をキュッと結んだ。
「勇者が召喚された」
言い終わるとき、アリスはため息のようなものを吐き出した。
涙を流し始めていた。
「私あの時ね。それがあなただって思ったの。すごい魔法が使えるっていうから、きっとそうだと思った」
両手で涙を擦りながら彼女は話し続ける。
「でも違った。全然あなたじゃなかった。気づいた時には、もう……遅かった」
彼女は胸に手を当て、将斗に向かって頭を下げた。
「……ごめんね。私が間違えなければ。今ならあなたがあなただってわかるのに。あの時の私、どうかしてた」
「……謝るのは、俺の方なんじゃないのか?」
その発言に彼女が頭を上げた。
彼女の目に映る将斗は、絶望。そういう顔をしていた。
「今、百二十三歳だって言ったよな。ってことは、雄矢が来たのは三年前だよな?」
「……うん」
「じゃあ勇者が召喚されたのは、約束してからちょうど百年後ってことだよな?」
声が震えていた。
将斗は気づきだしていた。
自分の犯した罪に。
「俺をこの世界に送り込んだのは神様だ。その神様が勇者の儀式とかいうのに合わせて雄矢をこっちの世界に送り込んだんだよ」
アリスをまっすぐ見ることができない。
将斗の視線は下に下がっていく。
「神は、俺をこの世界に来させる前に、俺を死んだことにしたんだ。雄矢もトラックに轢かれて死んだ。多分、別の世界に行くには一旦死ぬ必要があったんだよ」
呼吸が荒くなり、息苦しい。
何かに押しつぶされるような感覚がしていた。
「俺が自堕落な生活してるから、死ぬチャンスが巡ってこなかったんだ。だからこの世界に来れなかった。きっとそうだ。俺のクソみたいな生き方のせいで、俺の代わりに雄矢がこの世界に来た! それで君が雄矢に巡り会ってしまった。俺が……俺の生き方が君を殺してしまったんだ」
「待って、違うよ。全然違う。そんなのあなたが悪い理由には――」
「なるんだよ! 百年ぴったりだぞ? 前世かなんか知らないけど、異世界の幼馴染との約束からちょうど百年が経つっていうその年に、勇者として召喚されて、生きている君と会って、約束を果たすのが正解なんだよ! こんな約束の果たし方で許されるわけない! 礼を言われる立場じゃない!」
将斗は地に膝をついていた。
いつの間にか泣いていた。
この悲しみは自分のものなのか、他の誰かのものなかなか将斗にはわからない。
「ごめん……ごめん……っ」
「謝らないで。あなたは知らなかったんだから、何も悪くないよ。待っててって言われてたのに自分から動いた私が悪いの」
「違う! 俺が悪いんだ! 何にもしなかった俺が一番悪いに決まってる……」
将斗は約束のことを何も覚えていない。
それでも溢れてくる涙は本物で、その気持ちは前の自分のものらしい。
彼女の待っていたのは、今まさに涙を流している自分の方。
しかしその『自分』を将斗は未だ思い出せない。
約束を交わした百年後、転生して約束を果たす。それが正しく綺麗な物語のはずだった。
今懺悔したように、将斗のあの怠惰な生き方がそれを壊した。
将斗は罪悪感で押しつぶされそうだった。
死して尚待ち続けた彼女のことを考えれば、その感情はより一層
「じゃあ――」
頭を下げ続ける将斗にアリスはこう言った。
「――お互い……悪いってことにしない?」
「……え?」
何を言っているのか、将斗は理解できなかった。
顔を上げた先で、アリスは少し泣きつつも笑っていた。
「あなたを信じて待ち続けられずに死んじゃった私も悪くて、約束を忘れちゃったあなたも悪い。これでおあいこ。いいでしょ?」
将斗は目を見開いた。
悪いのは将斗の方なのに、目の前の彼女はお互いが悪いことにして終わりにしようというのだ。将斗には彼女の優しさがわからない。
「……は? なんで許せる? だって君は」
俺のせいで死んでしまったじゃないか。と言おうとした。
「許せるよ。だって何度も言ってるよ? あなたは会いに来てくれた。私はそれだけで十分だもん」
「なんでっ……許せないだろ! 俺が明らかに悪いんだよ! 今だって、俺は何にも覚えてなくて、思い出せなくて! 死にかけて、たまたま君に会って、結果的に約束を果たしただけだ」
将斗は卑屈気味にそう言った。
アリスはそれに対して
「ふぅん、なんか許して欲しくないみたいだから――」
そう言って将斗に近づいてくると、人差し指をクロスさせて
「許さない! これでどう?」
と言った。
「……ぇ」
彼女が唐突に意見を変えたことで将斗は頭が真っ白になった。
確かに心のどこかで将斗は許して欲しくないと思っていた。
しかしいざそうされると、どうすればいいかはわからない。
「どうって……償う。償うよ。俺はどうすればいい? どうしたら許してくれる」
彼女は少し考えて一言
「生きて」
彼女の願いはたったそれだけだった。
その一言だけだった。
「それ……だけ?」
「うん、簡単じゃないかもしれないけど、頑張って。苦しいかもだけど、諦めないで」
「なんで……だってさっきその辺は自分が選ぶことだって言ってたじゃないか」
「私はあなたが好きだから。それで好きな人には生きてて欲しいって思うから。だから生きて欲しい」
「っ!」
顔が熱くなる感覚を覚えた。
自分の心臓の鼓動が早まるのも感じていた。
「なんで……俺のどこがそんな。俺にいいところなんて――」
言い終わる前に彼女が言う
「ごめん、もう限界みたい」
そう言った彼女の手が透けていた。
手だけではない。体全体が透けていっている。
光が彼女を包み込んでいく。
彼女は少し寂しそうな顔になった。
「本当はとっくの昔に消えてなきゃいけないんだから仕方ないよね」
「そんな! 待ってくれよ、まだ! ――っ!」
そこで口をつぐんだ。
無理だ。
将斗はもう止められないことを悟った。
彼女が消えることは変えようのない運命だということを漠然と理解した。
ならば自分のするべきことは何かと、将斗は自分に問う。
「……」
答えは分かりきっている。
彼女がどんどん消えていく。
輪郭がだんだんとおぼろげになっていく中、彼女は言う。
「生きてくれる?」
やはり将斗の答えはひとつしかなかった。
「生きるよ」
加えて一言
「約束だ」
「約束……。うん、約束ね」彼女はどこか寂しげな目をした後、笑顔で頷いた。
彼女は頷くと、光って、白くなっていった。
彼女の特徴的な耳も、あの綺麗な髪も見えなくなっていく。
もう何も見えなくなる、その前に将斗はもう一つ言わなければならなかった事を口にした。
会うはずだった、誰かさんの代わりに。
「アリス!!」
「なに?」
「ありがとう。待っててくれて、ありがとう!」
見えないはずの彼女の顔。それが笑顔になった気がした。
胸の痛みはとっくに軽くなっていた。
「うん……うん…………また、どこかで」
その一言を聞くと同時に将斗は目を閉じ、念じた。
生きる。と
**************************************************
**************************************************
**************************************************
「っ?! ぐあっ、あああああああ……っ!!!」
将斗は目を覚ました。
それ共に、あの痛みが、本物の痛みが将斗を襲った。
少しでも動けばその痛みは容赦無く際限なく彼を飲み込む。
痛みに耐えようと欠けるほど歯を食いしばった。
想像を絶している。
灼熱に焦がされている。
この痛みは無理だ。自分の体がもう長くないことを悟った。
「目が、覚めたのか。その状態で……」
将斗の真横から声がした。
視界の端に捉えたその声の主は、クリスだった。
将斗は彼女に構わずあたりを見回した。
動く左半身だけでもがく。
生きるために必要な何かを探し続けた。
彼女の約束を果たすため、ただそれだけのために、少しの動きで焼け焦げるような痛みを発する体を無理矢理動かし続ける。
「ぐぅううううううううううううううう!!!!!」
もがき、のたうち回る。その動きは、もはや獣だった。
血走った目で、必死に周りを見渡していた。
「う、動くな、辛いだけだぞ。落ち着いてくれ」
クリスがそう言って将斗の肩に触れる。
それを振り払って彼は探す。
――見つけろ、なんかあるんだろなんかあるはずだ見つけるんだ。生きるために必要なんだ。生きなきゃ。生きなきゃダメなんだ!
明滅し歪む視界。
左腕を駆使し上半身を起こし、膂力だけで体を支え、焦点を合わせ探る。
民衆の王子を応援する歓声が止んでいない。それ以外何も聞こえないため、聴覚には頼れない。
頼れるのはもう視界だけだった。
――あるんだよ! どっかに! 探せ!!
「うぐっ……!!」
左腕の感覚が消え去り、崩れ落ち、頭を床にぶつけた。
それでも首の力だけで頭を動かして、生きるための糸口を探す。
だんだんと将斗の体はもう終わりを迎えようとしていた。
ここが最後のチャンスだった。
――生きてって言ってくれたんだ。それに応じるくらいの、価値のあることしてみろよ俺!!
次はもう二度と目覚めないことくらい将斗は分かっている。
「ぐぅぅぅッ……!!」
探している。だが、それでも見つからない。
必死に、痛みと立ち向かいながらも、現実は残酷で何も見つからない。
やがて、視界がスローになっていく。
力が抜けて、体の先端から何かが失われていく。
「っぁ………?」
やがて将斗は手を伸ばした。
何かに縋ろうと、その左手を伸ばす。
しかしその手は何も掴めなかった。
将斗の指は空中を掻くだけだった。
**************************************************
「あのクソ王子本当に動きが早くなってやがる。どうやって魔力を回復しやがった。クソッ」
雄矢はそう吐き捨てた。
眼下の国で赤髪の青年が縦横無尽に駆け抜け隕石を切り裂いていく。
雄矢は隕石を作り出しながらそれを見ていた。
「だがまあ、あの転生者がいないだけマシか」
雄矢は先刻の状況を思い返した。
体の半分を、火球で黒焦げにされ落下していく転生者の姿を。
「流石に死んだだろ。スキルを奪われないだけでも十分……だ……?」
雄矢は足元を見て、驚き――
――笑った。
「勝った」
足元、国の王城前の広場のすぐ近く。
そこに建っている建造物が燃えていた。
「アハハッ! レヴィがしくじった! もう限界が来てんだ! 今まで一発もこぼさなかったあのレヴィが!」
王子は一ヶ所を重点的に守っている。
王城前の範囲は、レヴィの管轄だったはずだ。
燃えているということは、防ぎきれなかったということ。
長き消耗戦に終わりが見えてきた事を、彼は確信した。
「ようやく勝った! やっぱ無限には勝てねぇんだよ! アハハハハ!!!」
雄矢は笑いが止まらなかった。
無謀にも挑み、敗れる彼らへの嘲笑と、自身の強さに対しての歓喜の笑いだった。
「帰ったら魔法使い集めて中級魔法の訓練でもするか。流石に今回のは危なかったしな。今度こんなことがあっても、完璧にねじ伏せられるくらいになってやろうか……いや明日からでいい。今日は酒でも飲んで――」
雄矢は勝利を確信していた。
その彼の脳裏に青髪の少女の姿が浮かぶ。
「そうだ、ルナはどうしてやろうか。今までよりキツめの魔法の練習台になってもらうか……」
そこで雄矢は言葉を止めた。
背中をぞくりとした感覚が走る。
「っ……」
背後に何かがいた。
ここは上空。
生物がいるはずがない。
いやいる。
鳥系の魔物とか。竜とか。
それと、浮遊の魔法が使える者――とか。
「まさか……」
咄嗟に振り返り、それを目にした。
「……お前はっ!?」
「はろー」
――目の前にあの転生者がいた。
火球を直撃させ、黒焦げになって、もはや生きているはずもなかったあの男がいた。
火傷の跡一つない無傷の状態で。
ふざけてるのか、手を振っている。
雄矢はめまいのような感覚を覚えたのか、その手を頭に押し付ける。
「お前なんで……どうして生きてやがる!! 意味がわからねぇ! なんなんだてめぇは!」
雄矢は激昂し指を差してくる。
将斗は数秒考えた後
「テメェは一体何者なんだ!!」
将斗は少し口角を上げると
「通りすがりの転生者だ」
「は?」
「覚えなくていい」
どこかで聞いたことのあるフレーズ。
半笑いでそれを披露し終わると、将斗は表情を変え、その拳を雄矢に突きつけた。
「別世界から来たよしみだ。引導、渡してやるよ」
彼のその目は力強く雄矢を捉えていた。
雄矢は、将斗の雰囲気がさっきまでとは違うことを感じ肩を震わせた。
「なっ、なんの力もねぇカスが、威張ってんじゃねぇ!!」
雄矢が火球を放つ。
「……」
――将斗はそれを避けずに真正面から受け止めた。
軽い爆発音が起きる。
爆炎が将斗を包み込んだ。
「ほら……ほら! ホラァ! 確実に当たった。当たったはずだ! 当たったよな! 死ねよ! 死んでくれよ! 今度こそ!」
蘇った彼に対して雄矢が抱いたのは恐怖。
それを雄矢は、叫ぶことでそれを跳ね除けようとした。
数秒経ち、炎が晴れていく。
「なんっ……?!」
雄矢の目の前、炎が晴れた場所には将斗が何事もなかったかのように佇んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます