第22話 退場

 将斗はゆっくり目を開いた。

 まず見えたのは、火球が降ってきてレヴィの障壁で消える様子だった。

 背中に硬いものが当たっている。

 自分が降りて下に来ていることはわかった。

 

「……ぁ……?」


 声が出せなかった。

 それに頭が朦朧としている。

 体も上手く動かせない。

 なんとか首だけを動かすと、ぼやけた視界の端に黒いものが映った。

 真っ黒に塗りたくられた謎の物体。

 最初、将斗にはそれが何か分からなかった。


 それが焼け焦げた自分の右半身だと理解するのに、時間はかからなかった。


「将斗! 起きたか!? しっかりしろ! 将斗!」


 隣で将斗を呼ぶものがいた。

 グレンだった。

 彼は口を震わせていた。

 未だはっきりしない将斗の視界ではまるで泣いているようにも見えた。

 

「……俺……そっか……」


 将斗はそこで、記憶を蘇らせた。


  

 国民の洗脳が解除された後、油断していた将斗の両側に隕石を落とし、回避の判断を遅れたこと。

 おそらく雄矢は狙ってそこに落としたのだろう。

 将斗はその策にまんまと引っ掛かり、止まってしまった。その隙を突かれ火球に飲まれた。


 火球に飲まれた直後、耐えがたい激痛が襲ってきて、将斗は浮遊フロートを維持できず落下した。

 明滅する視界の中、グレンが飛んできて体を抱えてくれた感覚をなんとなく覚えていた。


 半身の感覚がない。ただし痛みだけは脈打つようにジンジンと伝わってくる


 今自分は重度のやけどを負って倒れていることを、将斗は理解した。



「ま、まだ喋るな。今、クリスが来てくれるって言ってて……それで…………」


 グレンの声が震えている。

 将斗にとって狼狽えるグレンを見るのは初めてだった。

 演説の時の凛とした声とは真逆の印象を受ける。

 将斗は左手を無理矢理動かして、彼の腕を掴んだ。


「行って……くれ……」

「将斗……?」

「……行……けっ……!!」


 グレンが片手で耳を抑えていた。

 声を聞いているのだろう。

 将斗の声は、出ているかどうか判別できないくらい小さいものだったが、レヴィの魔法が適用されているのか、グレンの耳に直接届いているようだった。


「俺の……不注意だ……気……抜きすぎてた……」


 将斗はグレンの腕を向こうへ行けという風に、投げる。

 

「行けよ。おれ……に構って……負け……たら……嫌……なんだよ」


 話すたびに電撃が駆け抜けるかのような痛みが脳へ送られてくる。

 それでも将斗は、死に物狂いでグレンに伝える。


 自分に構っていると、グレンが任されている東側の隕石もレヴィが対処しなければならなくなる。

 レヴィ一人では防ぎきれないことはもうわかっている。

 先程、演説の後、グレンの魔力が回復した話を聞いた。空から見たグレンの動きは、確かに浮遊フロートを使ったものであったから、あの話は本当だった。

 

 今、動きとして理想なのはグレンが回復した魔力を存分に振るって隕石の対処に当たること。

 レヴィの対処しきれない分を、グレンが斬り、その数をどんどん減らして徐々にユウヤに近づくこと。

 その理想を実現させるためにも、そして誰一人犠牲者を出さないためにも、彼をここにいさせるわけにはいかないと、将斗は思った。


 それに、気を抜いて攻撃を受けた自分に構っていていいわけがない。


 将斗の言葉を聞いたグレンは目を見開いて、手を震わせていた。


「だけどっ………」


 グレンのその先の言葉がない。

 彼も、ここを離れることが一番良いということをわかっているのだろう。


 ――その時、爆発音が響いてきた。

 障壁を隕石がすり抜け、街に落ちた音だった。

 

 それを理解した将斗は、激痛の中叫ぶ。


「行け!……いげぇっ…………!!……いってぐれ……!!」


 何もしてない自分が敗因になることだけはどうしても避けたい。

 彼らの足を引っ張ることだけはできない。

 その一心で将斗は叫んだ。

 

「っ……! 僕はまだ君に何も……………」


 グレンは言い終わる前に、何かを堪えるように唸った後、ためらいながらもゆっくりと立ち上がり、最後まで名残惜しそうにして、それから走り出した。



**************************************



 将斗は仰向けの状態で一人残された。

 彼は、今自分が国のどこにいるのか分からなかった。

 空からは無数の隕石が未だ降り注いでいる。


 ――その時


「……んぐっ…………??」


 そんな彼の肉体に痛みが蘇ってきた。


「……ぁぐ…………っ!!」


 想像を超える痛みが、休むことなく押し寄せる。

 逃げようと体をよじるほど、痛みが逃さないというように将斗を襲う。

 痛みに焼かれる肉体に耐えられず、転がり、動く左腕で地面を掻きむしる。

 体の右側からじゅぐじゅぐといやな感触がして痛みへと変わる。


「はっ! ……ぁ……っ…………!!」


 声が出ない。


 ――いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい

 

 全身が今も焼かれている。腕が燃えている。足が焦がされている。顔が炙られている。血が蒸発させられて。表皮が弾けている。

 

 そう感じる。

 

 錯覚なのか現実なのか想像なのか本物なのか判別つかない痛み。

 探ろうにも思考がまとまらない。

 理解できるのは死ぬということ。

 今まで以上にはっきりと、死ぬということだけが理解できる。

 

――死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ


 気を抜くんじゃなかった。

 周りを見ていればよかった。  

 もう降りていればよかった。


 戦わなければよかった。


 挑まなければよかった。 


 もう戻すことのできない今までの行動を、将斗は呪う。


 こんな世界にこなければよかった。


 どうして自分がこんなことになっているのかと呪い続ける。


 願わなきゃよかった。


 牢屋でらしくもないセリフを言っていた自分が憎い。


 自分をこんな世界に送った神が憎い。


 心の中で何かに責任をなすりつける。

 しかしそんなモノでは痛みは和らがない。


「だっ……っゃづぁ……いやだ……!!」

 

 死を拒もうと将斗は足掻く。

 何かに縋ろうと周りを見渡す。 

 痛みがその動きを許さない。

 目玉だけでも必死に動かして、痛みを逃れる方法を、本能的に探した。


 レヴィが遠くで空を見上げて立っている。


 グレンが視界のもっと奥で走っている。


 クリスがレヴィの方向から向かってきている。


 ルナが城の前の広場からこちらを見ている。


 人々は空に向かって、口々に何かを叫んでいる。


 祭りの飾りが揺れている。


 火球が落ちてくる。


 なにもない。

 なにも。

 なにもなかった。

 逃れる方法が何もない。


 将斗に残された道は死ぬことだけだった。



*************************************



 数分後、将斗は動かなくなった。


「………………」


 痛みに足掻いて足掻いて、足掻いてその果てで、やがて、将斗は諦めることを選んだ。


 もういいと。

 自分は、もう十分やったと。

 考えてみれば、今までの行動を総合すれば少しくらいは何か貢献できていたはずだと。

 抗う必要もない。

 これ以上動いて苦しむくらいなら、諦めて死のうと。


 リタイアでいい。降参。

 もう頑張らなくていいと。


 しかし、少しだけ。そんな彼の心の端に少しだけ、まだ、諦めたくないという気持ちが湧いていた。

 それを、否定して

 

 ――もういい……こんな……

 

 自分の中のまだ動こうとする何かを必死に抑え込んで、将斗は目を閉じた。



**************************************



 ――



**************************************



 ――

 


**************************************



 ――



**************************************



 ――て


 暗闇の中で、女性の声が聞こえた。

 不快な感じはしない。


「おきて」


 綺麗な声だ。

 それに、どこかで聞いたことがある。

 

「起きて」

「…………起きてる」


 将斗は、草むらの上に寝ていた。

 森の中に彼はいた。

 温かい木漏れ日が差し込んできている。

 

 将斗が腕を上げるとさっきまでついていた体の傷がない。

 右半身も健康的な色づきをしている。


 そんな将斗の隣に誰かが立っている。

 さっきまでの声の主は彼女だった。


「牢屋で起こしてくれたのも、君だよね?」

 

 将斗は身体を起こして彼女に語りかけた。

 こちらを見る彼女の髪は銀色で、尖った耳の先がその間から見える。

  

 顔を見る前から、将斗にはそれが誰なのか、何故かわかっていた。


「アリス」


 クリスの双子で、あの男によって殺されたはずのエルフの少女――アリスがそこにいた。


「そう。私だよ」


 彼女は頷いた後、そして微笑んだ。

 触れることが許されない、純粋さが残る綺麗な笑顔を向けられ、女性経験の浅い将斗はつい目を逸らす。


 彼女はその笑顔のまま言う


「久しぶり」

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