第24話 無限への対抗策/363話 敗色
夜空から降り注ぐ無数の炎塊。
それらに赤く色付けられた月が空の頂点を目指して進んでいる。
ゆっくりと将斗が顔を上げた。
炎が晴れた先、向かい合ってこちらを見る雄矢は、その驚きに満ちた顔を隠せていない。
先ほど将斗を包み込んだ炎。雄矢は加減なしに放っていたはずだった。
普通なら生きているはずがない。だが、目の前の将斗は平然とした様子で飛んでいるのだ。そういう顔にもなる。
それを横目に将斗は腕を上げたりしながら自分の体のあちこちを確認。先程の火球による怪我は一つもなかった。
強いて言えば、服が黒く焦げてボロボロになっているくらいだった。
ジーパンは形を保っているが、あちこち黒く焦げて変色している。
「お前……なんだ? どういうことだよ。今当たったよな確実に!」
自分の状態を確認している将斗に、震えた声で雄矢が声を掛ける。
その眼は驚愕の色に染まっている。
「ああ〜、そうだな、当たったよ。めちゃくちゃ熱かったわ」
「あ?! ふざけんっ……――!」
雄矢は半ばふざけた態度で話す将斗に怒りを覚え、再び魔法を放とうとした。
今度は火力を上げて、特大のものをぶつけるつもりで。
確実に殺す、そういうつもりで。
しかし――
「っ!」
彼は火球を将斗に向けて放つことはせず、慌てた様子でその右手を頭上に向けた。火球が放たれる直前だったのか、彼の右手が上を向くのとほぼ同時に業火が生成される。
障害物のない空を火球は一直線に昇っていった。
「クソがよ……」そう呟きながら雄矢は続けて天に火球を放ち続けた。
間髪入れずに何発も。
――
国民に己が力を見せつけるために雄矢が思いついたもので、今はグレンとレヴィを足止めするために使われている。
その攻撃に必要となる『上空に火球を放つ行為』を雄矢は、将斗が現れてからの数十秒間忘れていたのだった。
上空にはまだ落ちてきていない火球がいくつも残っている。数十秒忘れた程度ならなんの問題もない。しかし雄矢は最後まで気づけなかった時のことを考え、血の気が引く。
グレンとレヴィが上空に来れないのはあくまで隕石の対処をしているからであって、その供給を断てばどうなるかは簡単に想像がつく。
雄矢は一対二の状況でも窮地に陥ってしまった自分が一対三の状況を突破できないことは自覚していた。
だから絶対に隕石の供給を絶ってはならないと、彼は心に決めていた。
はずだった。それを忘れた。
些細なミスだったが、雄矢は目を細めた。
一方、向かい合う将斗は雄矢と向かい合ったまま、
上下左右にフラフラ揺れているあたり遊んでいるように見えるが、将斗は真剣そのものだった。
「っし……」
確認を終えると将斗はそう呟き、拳を握り、また開くのを繰り返しながら雄矢を睨みつける。
――こっからは俺の根気にかかってる……けど
目を瞑ってそう自分に言い聞かせる。
その後、数回深呼吸をして心を落ち着かせる。
将斗の最後の作戦はここからだった。
――できるのか、俺が
手が震える。
恐怖なのか、あるいは武者振るいなのか、それは彼でさえ理解しえない。
――今まで頑張ってこなかったくせに。どうせいつもみたいにすぐに諦めるんじゃないか? 今になって頑張れるのか?
彼は目を瞑った。
――いや……
将斗の脳裏に浮かぶ光の中へ去っていく銀髪の少女。
そして、今も戦う王子と魔法使い、その二人の姿。
――できるできないじゃなくて。やるんだよ。それ以外ない。やらなかったら、俺はまた失うんだ。……あんな思い、二度もするもんじゃない
胸のあたりで握り拳を作る。
あの時感じた胸の痛みを思い出す。
――俺が頑張らなきゃ人が死ぬんだよ。やれよ、俺!
将斗は一気に目を開く。
そして大きく空気を吸い込んで
「聞け! 鈴木雄矢!!」そう大きく叫んだ。
雄矢は少し体を震わせるが、驚いてないようにみせたいのか顎を少し上げて、負けじと将斗を睨みつけてくる。
「俺は! 今から! お前のそのふざけたスキルを奪うからな! 行くぞ!? いいな!?」
わざとだ。
将斗はわざとらしく大声で言いきった。自分の手の内を曝け出すという行為に雄矢が驚いている。
その反応など目もくれず、将斗は――
――雄也に向かって一直線に突進した。
ただまっすぐ。ただ一直線に向かう。考えなしの特攻。
突然の行動に雄矢は後方へ身を捩りつつ、左手を将斗に向ける。
瞬く間にその手から火炎が生成され、将斗に襲いかかる。
進んでいる分速く接近する火球。
熱が、近づくにつれ大きくなってくる。
だが将斗は一切方向を変えずに一直線を保って突進し続ける。
「っ……!」あと少しで火球にぶつかる直前、熱が顔を焼く感覚に、将斗は顔をしかめる。
――そして直撃した。
無惨にも身体が灼かれていく。
同時に体の真正面からかかる火球の重み、衝撃。彼は
だがその思考を邪魔するように、全身から激痛の信号が脳に送られてくる。
顔が。眼球が。口が。喉が。手が。指が。爪が。脚が。
焼ける。焼けていく。熱から逃れようと反射的に体が反る。しかし逃れられない。
黒くなり、身体中のあちこちで爆ぜる音を立てる。
「ぐっっぅ……」
黒く焦げた口の端から声が漏れる。
そんな声は焼ける自身の肉の音でかき消される。
無駄になった声。それに使った分の空気を吸おうとして肺が焼かれる。
針を無数に飲み込んだような痛みが喉に走る。
いや、その表現では足りない。
視界が黒く染まる。
何も見えない。
眼球が完全に燃え尽きた。
痛み以外何も感じられない。
痛み。痛み。痛み。痛み。
しかし
――止まるな
将斗はそれでも、前に進むことだけはやめなかった。
火球から、人なのか判別できないほどに黒く染まった生物が飛び出る。
黒の中に唯一見える白色。歯だ。
食いしばられたその歯がその周辺を顔と認識できる目印になっていた。
雄矢は、醜いそれを見て後方へ飛び退く
しかし、見るからに生気を感じさせないそれを見て
「……ハッ……死んだか……」そう言って安心したように口角を上げた。
雄也は後方への回避をするつもりだったが、黒く焦げたその物体が自分に影響を与えるものではないと思い、やめた。
――だが直後目の前で起きたそれに目を見張った。
黒い部分が薄くなっていく。
将斗の黒く染まった肌が、次第に健康的な色に戻っていく。
焼き尽くされた髪も目も爪も綺麗に元通りになっていく。
「……それは……っ!?」
完全に元の姿を取り戻した将斗の目が開かれ、雄矢を捉える。
すぐさま雄矢は猛スピードで後方へ回避。
だが将斗は彼に狙いを定め、一直線に向かってくる。
「お前っ! なんで!?」
雄矢は叫びながら、また火球を将斗に向け放つ。
しかし、結果は同じだった。
酷い火傷を負いながら火球から抜け出した将斗が再びその肉体を再生させていく。火球など当たっていなかった。そういう風に、全て元通りにして雄矢にひたすら迫っていく。
「あああああああああああああ!!!!!」雄矢が叫ぶ。
何度も何度も雄矢は火球を放つ。避けることなく直撃し、重傷を負う将斗。だが彼はその肉体を再生させ雄矢の元へ向かう。
「クソッ! クソが! なんだ! なんなんだお前!」
雄矢は今、後ろ向きに飛び続け、円を描くように国の上空を旋回しながら、右手で天へ、左手で将斗へ火球を放っている。だが距離が離せない。
交互に火球を放っているあたり、同時に両手から火球を放てないのが見て取れる。焦っているためか、火球を放つリズムが悪い。
さらに彼は自分で生成した隕石が落ちてきて逃走経路を制限されてしまい、思うように飛べていない。
「なんでお前! それ! ルナのだよな! なんでルナのスキルを持ってる!」
追い詰められているような感覚を覚え、雄矢が叫ぶ。
重傷が治るこの現象。
この世界のこの国においてはルナのスキル一つしかなかった。
「テメェが使えるはずがねぇ! あり得ねえ! あれは二つだ! 二つのスキルがなきゃ使えねぇだろうが!」
「使えんだよ!」
そう言い返した将斗は火球に突っ込み。
再び体を再生させながら火球から飛び出て雄矢の元へ向かう。
余裕だというように笑う。
「持ってるからな! 二つとも!」
「んだと……ルナから奪ったってのか? だったら!」気づきを得た雄矢は笑い返す。
同時に、彼は魔力に物を言わせ後方へ飛ぶスピードを上げる。
将斗を置いていき、距離を離していく。
「もう『奪う』スキルは使えねぇよなァ! あれは二回までなんだろ使えんのがさ! なぁ!? そうだろ? だったら俺が逃げる必要なんざ――」
「ハズレだ! そっちは使ってねぇよ! 俺が使ったのは『入れ替えるスキル』の方だ!」
「ぁあ?」
将斗は雄矢に置いていかれないように浮遊による移動速度を上げながら、指を振ってステータスウィンドウを開く。
速度を上げたことで、魔力を示している青色のゲージがみるみる減っているのが目に入る。
雄矢との距離を保つためだとはいえ、この速度を維持するとなると長くは持たない。
それを悟られないように、雄矢に叫ぶ。
「俺の入れ替えのスキル『
「まさかテメェ……」
「察し良くて助かるよ。お前が思ってる通り、俺はここに表示されてたスキルに触れて、彼女のウィンドウにあるスキルを入れ替えたんだよ!」
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時は少し遡る。
将斗がアリスと別れ、再び目覚めた後。
瀕死の状態の将斗を見ていたルナ。その手元にステータスウィンドウが開かれていた。彼女は不死になって助かれと言いたかったのだろう。
しかし、激痛で思考がままならない将斗は彼女の意図を理解することができなかった。ステータスウィンドウを開いていることを理解できたのは奇跡に近かった。
将斗は、何かできないかと、ルナを真似てステータスウィンドウを開いた。
ウィンドウの一番最初の画面。そこに映る青色のバーを見て将斗は違和感を覚えた。
何度も飛んでいたはずなのに、将斗の魔力ゲージは満タンのままだったからだ。
不思議に思い、次に開いたスキルの画面。そこに映る『逆境』という知らないスキル。
どこで手に入れたかは少し考えれば見当がついた。
昨夜の襲撃。失敗に終わったあの戦いの中、雄矢のスキルを奪うつもりだった将斗が、割って入ったルナに触れてしまったことで奪っていたスキルだった。
そこで将斗は雄矢が言っていたことを思い出した。
『ダメージを受けると魔力が回復する』スキルと『魔力がある場合、傷が回復し続ける』スキルによってルナが不死を得ていると言っていたことを。
魔力のゲージが満タンになっているのは、将斗が大火傷を負っているから。
ならば『逆境』が持つ能力は『ダメージを受けると魔力が回復する』に該当する。
――だったら、もう片方の『魔力がある場合、傷が回復し続ける』スキルがあれば。あの子が持ってるそのスキルを奪えれば……!
と、彼は激痛に苛まれながら思いつく。
だが問題はスキルを貰う方法だった。
スキルを奪うことのできる
全身を焼かれているような感覚を受け続け、限界を超え次第に薄れゆく意識の中、閃く。
『ランダム』のスキルを使う際、ウィンドウに触れていたことを。
触れることができるのなら『
できるかはわからないが、やるしかなかった。
理由は二つ。ルナが奇跡的にウィンドウを開いてくれていること。
そしてもう一つは、片腕を動かすことさえ、もう限界だったからだ。
これは賭け。
最後の力で伸ばした指でウィンドウに触れる。
焼き尽くされた喉で、放った「チェンジ」の言葉。
掠れてとても言葉になっていなかった。
何度も叫んだ。
命の灯火が潰える直前の、最後の足掻き。
その一か八かの賭けに将斗は勝ったのだ。
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雄矢は火球を放ちながら将斗の言葉を否定する。
「ふざけんな! そんな都合よく行くはずがねぇ!」
だが事実だと告げるように肉体を何度も再生させながら将斗が向かっていく。
不死の力を彼が持っているのは明らかだった。
「見えねぇのか? 現に今不死の力を使ってるよな!」
「……ありえねぇ! ハッタリだ! 『奪う』スキルを使ったに決まってる!」
「だったら止まってろよそこで。もう俺が奪うスキルを使えないって分かったんだろ?! 逃げる必要ねぇよな!」
「っ……テメェ……!」
雄矢は止まらない。いや止まれない。
将斗の話が本当『かもしれない』以上、危険を犯すことはできない。
「クソが……だがどっちにしろ、痛みはあるはずだ! テメェが
――しかし
「そんなに付き合ってられるか。『
雄矢の視界から将斗が消える。
将斗がいたはずの場所に火球が現れる。
その火球はまっすぐ雄矢に向かって来た。
「くっ、邪魔だ!」
突き出した手から火球を放ち相殺させる。
火球同士がぶつかり合い爆発したことで、膨張し吹き付けてくる熱が雄矢の肌をジリジリと焦がしていく。
「っ熱ぃ!! ふざけんなよ。火球と入れ替われんのか? だからさっき急に近くに出やがったのか。気づけねぇわけだ…………クソが、どこ行きやがった」
あたりを見回すが将斗の姿はどこにもない。
「上だよ」
声がしたのは雄矢の頭上。
将斗が右手で拳を作り、狙いを定めていた。
振りかぶった拳が振り下ろされる。
その距離5メートル。
だが彼の速度では一瞬で詰まる距離。
「ぅああああっらっ
雄也が情けない声と共に魔法を放つ。
瞬間、夜空一面を白い光が照らす。
やがて光が収束していき、再び夜空の黒と、隕石の赤の二色が混じり合う空が戻ってきた時、雄矢だけがそこに佇んでいた。
彼は自分の光に少しやられたのか目を必死に擦り、薄目を開けて下を見た。
彼の目には落下していく将斗が映っていた。
「……クソ……クソがっ! きめぇんだよ!! 死ね!! いい加減に死ね! ゴミが!」
幼い子供のように言葉を並べ、眼下の男に吐き捨てる。
もう二度と上がってくるなと必死に願っていた。
一方、両手で目を押さえた状態で将斗は落下していた。
光によって目の奥に突き刺さるような痛みが生じ、瞼を開けることができない。
視界を奪われたことで、平衡感覚が狂い、まともに浮遊を保っていられない。
「………………」
落下していることを察知した将斗は、何も言わずに、あるものを取るために自分の腰に腕を伸ばした。
方向感覚が狂っていても自分の体のどの部分に、何があるかくらいはわかる。
――ここら辺に……あった
将斗にとって光による目潰しを喰らうことは想定内だった。
だからそのための準備をしておいた。
腰につけていたそれを外し、手探りで向きを確認し、掴む。
右手で持ったそれを顔の左側に持っていった。
「…………は?」その様子を見て、気の抜けた声を出したのは雄矢だった。
その声は将斗には届いていない。
将斗は顔の横に持っていったそれを横一直線に引き抜いた。
――ジュッ
一気に肉を裂引き裂く音がした。
「ぅっぐああああああああああああああああああああああ!!!!!」
叫んでいるのは将斗。
彼は両手で顔を抑えていた。
その片方の手には真っ赤に染まったナイフが握られていた。
クリスが持っていたあのナイフだ。
それは上空に来る直前に半ば強引に借りたものだった。
「な……にしてんだ……あいつ……」
雄矢は手先の力が抜けていくような感覚を覚えながらそう呟く。
狂人めいたその行いに思考が追いつかず困惑していた。
「ぐうぅうぅうううううんんんんん!!!」
将斗は唇を噛みちぎらんというくらいに歯を食いしばり、唸る。
目の辺りを抑えた彼の指の間から真っ赤な血が染み出し流れていく。
――――痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛
将斗の脳内を埋め尽くす痛み。
火傷とは種類の違う冷たい鋭い痛み。
流れた血口の端から滑り込んできて、鉄の味が口いっぱいに広がっている。
「ぐんんんんっ!!! んんあぁああぁあぁあああ!!!」
叫びながら、目を押さえていたその指が開かれる。
指の間から光が入ってくる。
「ああぁぁ……はぁ……っしゃぁ! 見える! 見える!」
将斗の視界に広がる夜の街並み。
つまりそちらは下。
痛みが消え、鮮明となった思考で浮遊のコントロールを再開する。
落下が止まった。
感覚を取り戻した将斗は高度を上げる。
さらに彼の頭が上を見る。
その双眸は雄矢へと向けられていた。
「ひっ……!」
雄矢から出たのは純粋な恐怖からなる声。
その声とともに雄矢は逃げ出した。
彼の頭にはもう将斗を倒すことなどなく、彼から逃げ切る方法だけを考え始めていた。
なぜなら――
真下の男が目の周りを真っ赤に染め、大きく口を開けていたからだ。
上下に半分に割かれた瞳が、隙間を埋めるようにゆっくり繋がっていく。
大きく開かれた彼の口は、笑っているようにも見えた。
雄矢にはもう将斗が自分と同じ人間には見えていない。
あいつは狂っている。雄矢の頭にはその言葉しか浮かばない。
そもそも、光による目潰しに対して、再生するとはいえ自ら目を物理的に潰して回復させるなど普通の人間のすることではない。
化け物じみている。
雄矢には理解ができない。
そこまでして自分のことを止めたいのかと。
不死身の化け物に狙われている現実に雄矢の心は折れかける。
そして化け物は今まさに姿勢を整え迫ってくる。
雄矢の恐怖は加速する。
「く、くるな……」
雄矢は両手を下に向ける。
そして持ちうる魔力をありったけ込めた。
「こっちにくるんじゃねえええええええええええええええ!!!!!!」
***********************************
国の上空で何度も爆発が起きる。
何かから火球が放たれ、何かにぶつかる。
その火炎の中から何かが飛び出し、火球を出す者に迫る。
その繰り返し。
下からでは何が起きているのか判断できない。
――彼らを知る者たち以外は。
「あれが将斗なのか? あんな戦い方……」
グレンが民家の屋根の上で足を止め、上空を見ていた。
「どうしてそこまでできる……」
将斗の作戦は誰にでもわかる簡単なもの。
不死の利点を最大限に活かした、狂気の持久戦。
耐えられなくなった方の負け。
グレンはそんな作戦をさせてしまっている自分に対して不甲斐なさを感じていた。
一番死に物狂いで頑張るべきなのは自分だとそう思っていた。
だから今すぐにでも飛び立って加勢したい気持ちでいっぱいだった。
『グレン気を抜かない!』
「……っわかってる!」
耳元でレヴィの怒号が響く。
グレンはすぐさま飛び上がり、空中を縦横無尽に駆け抜け隕石を切り裂いていく。
「だが……」
これ以上任せっきりにするわけにはいかない、とグレンは言おうとするが、口をつむいだ。
隕石から国を守るという使命が自分にあるからだ。
しかしながら、将斗を一人で戦わせていい理由にはならない。
グレンは友人と国民の命を天秤にかけなければならないこの状況に、歯痒い思いをしていた。
『グレン、言いたいことも、考えてることもなんとなくわかる。でも、今は耐えなさい』
「……」
『あと少しだから』
「わかってい………あと少し?」
『うん。あと少し、本当にあと少しの辛抱だから、今は耐えて』
そう言われグレンは上を見る。
そして――気が付いた。
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女性は空を見上げていた。
じっとして、見ていた。
動くのは風に揺れる彼女の金色の髪のみ。
「私は……どうすればいいんだ」見上げたままクリスはそう呟いた。
「大丈夫ですか」
「……ルナ」
隣にルナがきた。
クリスは今、城の真下の広場にきていた。
周りの人々と一緒に空を見上げている。
先ほど、大火傷を負った将斗の元へ駆けつけた。しかし、将斗が必死にもがき苦しんでいると思えば、その傷が治り、そして彼女のナイフをぶんどったと思えば、火球が突然現れ彼の姿が消えた。
クリスは何もできなかった。
だから、何かを求めて彼女はここにきていた。
「大丈夫……ではないな」
クリスは震えている自分の手を見つめる。
「本来なら……私が奴と戦うべきなんだ」
その手が何かを摘むような形になる。
それはいつかの、矢を握っていた頃の、あの形。
「あの時。いや、あの夜。私が矢から指を離すことさえできていれば妹は助かっていたんだ。本来ならあそこで全ては終わっていたんだ……」
ルナは黙って彼女の話を聞いている。
「だから、私には奴を止める責任がある。殺しの技術を学び、まともに戦っても勝てない奴を気づかれないうちに殺す方法を数百通りも考えた。実行に移したことも何回もある。なのに、全て無駄だった。どうしてだと思う?」
クリスは自然に、牢屋で将斗に語ったものと同じ話をルナにしていた。
そう何度もする話ではないと彼女自身わかっている。
それでも話してしまう。彼女の心の弱さがそうさせた。
「奴を見るだけで、身体が動かなくなるんだ」
彼女は泣いていた。
「クリス……」
「あの時。あの夜。私が矢から指を離すことができれば妹は助かっていたんだ。そのせいだ。そのせいで、あの子の……顔が、奴を殺そうとするたびに出てくる。『今、できるならどうしてあの時はできなかったの』って」
クリスは自分を抱きしめるように手を回し、震える。
「弓なんてあれ以来まともに握ることができない。笑えるだろう?
俯いた彼女の表情は見えない。雫が落ちていくのが見えるだけ。
腰を折って今にも倒れそうな具合だ。
それを見て、黙って聞いていたルナが口を開いた。
「責任感に囚われているのですね……でしたら、共に戦いましょう?」
「……聞いていたのか? 私は――」
「ええ。それでも、怖くても戦いましょう。私も戦いますから」
クリスは赤くなった目でルナ見上げた。
「怖いのは私も一緒です。私なんて、何度も彼に殺されてましたから」
クリスは息を呑んだ。
「私は生き返ることができていました。でも今、不死身であるためのスキルは二つともあの方に貸し出しています。だから、次殺されたらいつも通りには行かない。だから、彼に立ち向かうのはすごく怖い」
ルナは上を見てそう言った。
クリスは何も言えなかった。
それはクリスが何度も殺されるという体験をしたことがない。できるわけがないからルナの気持ちが理解できなかったからだ。
「でも逃げられない。逃げてはいけないんです」
ルナは毅然とした態度のまま話し続ける。
「先ほどこの戦いの責任は私にあるとおっしゃいましたよね。……でも、その責任は私にもあるんですよ」
青色の髪が揺れる。
「私は昨日。グレン達がユウヤさんを襲撃した時、その邪魔をしました。そのせいでみんなは捕まってしまった」
ルナは少し目を閉じた。
「私がユウヤさんの元にいたのは彼の機嫌をとって国民の犠牲を減らすため。でも彼を襲撃した人々の命までは救えなかった。彼は容赦がなかった。昨日のグレン達も例外でないと思いました。だから私はグレンを失いたくない一心で、彼らの作戦の邪魔をした。ユウヤさんへの被害が減ればなんとか許してもらうことができるんじゃないかと思って」
ルナは上空で飛び回る男を見つめた。
何度も火球にぶつかりながらも、ユウヤに向かっていくあの男を。
「でも、あの不思議なお方がユウヤさんを倒す方法を持っていた。スキルを奪えるだなんて私はそんなものがあるなんて思ってもいなかった。……だから本来だったら昨日戦いは終わっていたんです。そして昨日終わっていれば国民がこうして被害に遭うこともなかったでしょうね」
「それは……」
違う、と言おうとするクリス。
だがそれを言えば、さっきの自分の言葉を否定することになる。
「きっと、私がグレン達を信じていなかったからこうなったんです。私がグレンを一番に信じてあげなきゃいけないのに」
ルナはクリスの方を見た。
まっすぐに。
「だから、私にも責任はありますよね?」
「……」
「クリス。私たちにはきっとまだやれることがあるはずです」
「やれること……」
「共に責任を果たしましょう。グレン達もついています。きっと勝てます」
ルナがクリスの震えた手を、両手でそっと包み込む。
震えが次第に弱まっていくのを感じた。
「あなたは勇気があるのだな」
「この国の王様のお嫁さんになるんですもの。このくらいでなければ隣に立てませんよ」
ルナが微笑む。
その笑顔を見たクリスは目を閉じ、ゆっくりと空を見上げた。
降り注ぐ隕石の中、二人の男が戦っている。
奴を捉える。妹の仇を。
もう二度と、逸らすことのないように、力強く見続けた。
***********************************
月は頂点に到着し終わり、遠くの空に沈もうと動き始める。
月はその間ずっと、空中で戦い続ける二人の姿を見守っていた。
「クソっ! くそっ! 消えろ! 消えろよ!」
掛け声とともに放たれる火球。
もう何度目になるだろうか。
後方に飛び続ける雄也が火球を放ち、将斗がそれを受け止め、回復しながら黒煙の中から飛び出す。
代わり映えのしない戦い。
だが将斗は戦い方を少しずつ変えていた。少しでも距離を詰めるために、放たれた火球のうち、ある程度は器用に旋回することで回避し、残りは全く避けずに突っ込み受け止める。
まともに食らっていては精神的にも効率的にも悪い。
だからそうやって地道に距離を詰め始めていた。
将斗はただただ必死だった。
いくらやっても慣れることのない身体を灼かれる痛み。それに顔を顰めながらも、ただひたすらに前に進み続けた。
どうしてそこまで頑張れるのか、自分でも不思議なくらいに。
この長くにわたる持久戦。
雄矢は恐怖に。
将斗は激痛に。
それぞれ耐え抜いていた。
続けようと思えばいくらでも続くこの戦い。
「………くっ」
しかし、やがて雄矢が痺れを切らした。
「俺が負けるわけねぇんだ……この
雄矢は将斗を思いっきり睨みつける
――そして彼は突然移動をやめた。
急停止した彼は振り向き両手を前に突き出す。
「……!」
将斗は好気と思い、速度を上げ雄矢に一気に接近する。
10メートル以上あった両者の距離がどんどん縮まっていく。
将斗は一瞬、なぜ止まったかを考えた。
だがそんな理由など簡単に考えられる。
――きっと尋常じゃないくらい特大の火球が来る。もしくはなんかすごいやつ。
特大の火球か違う魔法か。
あれほど魔法を打つのに集中を要しているあたり、考えられる可能性はその二つ。
――耐えろ。耐えろよ俺。
将斗は心の中で自分を捲し立てて、雄矢に迫る。
雄矢が止まった分、二人の距離は先ほどまでと違いすぐに縮まる。
手を伸ばせば届くくらいまで縮まったその時、雄矢が叫んだ。
「
雄矢が魔法名を叫ぶ。
火球ではない。
「……?」
その時、将斗の体を何かが駆け抜ける感覚がした。
何度も何度も。
それらが通った先の感覚が消え失せる。
指の先、足首、肘、膝……
「ぁ……ぇ」
何かが頭を通過した。
直前にその魔法がどういう魔法かを思いだす。
――何dぁ、iぃぇuぁあ
その瞬間、将斗の思考が乱れる。
直後、見えるもの全てが黒く染まった。
理由は簡単だった。
将斗の体は、高速で駆け巡る風の刃によって粉々に切り裂かれていた。
思考するための脳も頭蓋骨ごとバッサリと切り捨てられたのだった。
無造作に切り裂かれた彼の体がバラバラに落ちていく。
「どうだ……」雄矢は額から落ちる汗を拭くこともせず、その肉片を見つめる
大量の血とともに、人だった肉塊が重力に引かれ落下していく。
それを見て、雄矢は安心――していなかった。
雄也は知っている。
何度もルナを使って試したから知っている。
不死のスキルは確実に身体を再生させることを。
何があっても確実に再生する。
――ただ落ちていくはずの肉塊が一点に集まりだした。
それらがパズルを組み立てるように次第に人の形を形成していく。
徐々に元の形を取り戻す。
「んっ……? はっ?!」将斗が目を覚ました。
その表情には先程まであった余裕がない。
――今の……!
「うっ……!」将斗は口に手を当て嘔吐した。
出たのは胃液のみ。まともに食事をしていなかったことを今更ながらに思い出す。
喉に絡む何かに咳き込み、目を潤ませるが、決して視界から雄矢を逃さない。
――死んでたな……今
将斗は脳も切り裂かれたのか、完全に身体が再生するまでの間、何も感じなかった。考えることもできなかった。
火傷と違い痛みすら感じない。感じないということも気づかない。何もない。完全なる無。
――最悪だ。気分悪い。自分が切られて死んだってことすら考えられなかった。今のは本物だった。2回目あったらきつい。
酸っぱいものが口の中に残っている。
一つに集めて吐き捨てた。
――アリスと会った時は死後の世界って理解できる分、救いがあったな
そう思いながら、燃えついて、もう形を留めていない袖で口元を拭う。
すすの苦い味が口に広がる。焦げた服の一部が口に入ってきたらしい。
その味が生きていることを実感させてくれて、将斗は少し安心感を覚えた。
「もっ……げほっ、っぐ」
声が出しづらい。
喉に何かが絡んでいる。
それだけじゃない。
彼の意思に反して体が強張っているのだ。
今の死は彼には堪えるものだった。
だが――
――今更ビビんな
将斗は頭を振って死の恐怖から逃れようとした。
ここで精神的に負けてはならない。そう思ったから。
しかし、そう簡単に振り切ることはできない。
だからもう、ヤケになるしかなかった。
「あ゛ぁあ゛あぁあ゛!!!」
大声で叫んだ。
雄矢はその声に驚き、一瞬体を震わせる。
そんな雄矢へ、
「んだよ来いよ!! きかねぇよ!!! 終わりか?!! なぁ!!!」
濁った声のまま叫ぶ。
今更止まれないから。
叫んででも迫らねばならないから。
将斗はこの際狂ってでも雄矢を追い続けようと決心を固めた。
「もっと撃って来いよ!!!!」
そう言って将斗は頭上に立つ雄矢に向かって、一直線に特攻を仕掛けた。
「っく……!」
くるのはわかっていたが、できれば来てほしくなかった。
そういう苦い表情を雄矢は浮かべる。
額に汗を浮かべ、もう一度同じ魔法を打つ準備をする。
「
雄矢が魔法名を叫ぶ。
将斗もそれを聞き、身構える。
2度目の死の感触が来る。
しかし――
「なに……!?」
呟いたのは雄矢。
二人の間には何も起きなかった。
魔法が不発に終わったのだ。
雄矢は自分の手のひらを返し、見つめる。
何が起きたのかわかっていない。
――そう、彼は気づけるはずもなかった。
彼自身の焦りを。
だが将斗は戻ってくる。諦めるまで確実に戻ってくる。
だから少なくとも雄矢は確実に魔法を当てなければいけない。
それに対して怖気付いたのだ。
その恐れが感覚を鈍らせ、ただでさえ得意でない魔法を発動することへの足枷となった。
「なんっ…でこのタイミングで!!」
そして発動しなかったという状況はその焦りを肥大化させる。
「クソっ、くそっ!」
将斗が雄矢に、簡単に近づいていく。
拳を振り上げ、衝突の瞬間、殴れるように。
「うわあああっ!」
情けない声をあげ、間一髪雄矢が攻撃を回避した。
将斗の拳は空を切る。
「………」
将斗は雄矢の横を通り抜け、その先で止まり、急旋回。
彼はもう一度雄矢に迫ろうと、奴を見下ろす。
その時、将斗は気づいた。
「……なぁ、鈴木雄矢。魔力暴発って知ってるか?」
雄矢は何を聞かれているのか理解できず怪訝な顔をする。
「魔法に魔力を込めすぎると起きるんだってさ。それをやった人間と、周りの人間は魔法が使えなくなるんだと。昨日玉座の間でお前がやったやつだ」
将斗はゆっくり降りてきて、雄矢と高度を合わせる。
雄矢は違和感を覚えた。
将斗の様子があまりにも、余裕がありすぎるからだ。
返事もしないで雄矢は将斗を睨む。
そんな彼に将斗は話続けた。
「今それをやったらお前、落ちて死ぬからな。だからそれに充分注意して――」
将斗は雄矢の後ろを指差して、
「後ろ見てみろよ」
そう言った。
雄矢は警戒しながら、首だけを回し後ろに目をやる。
その目が、見開かれる。
「――ありがとう、将斗。おかげで落ちずに済みそうだ」
――そこにいたのは
「グレン・ファングっ……!?」
雄矢の後ろにいたのは、赤髪の青年。正真正銘のグレン、その人だった。
「なんで……お前は今、下で……あっ?!」
雄矢は顔を青白くして、ものすごい勢いであたりを見渡す。
その後上を見た。
その様子を見て将斗が声を掛ける。
「気づいたか? お前、隕石作んの忘れてたぞ。俺なんかに気を取られたせいでな」
そう言う通り、落ちてくる火球はおろか、上空にも一つも火球がなかった。
雄矢は将斗に気を取られ、いつしか火球を打つことをやめていた。
「気を……取られてた……?」
雄矢は背中を丸め、震えた頭で将斗を睨む。
「ありえねぇ……俺は、最強の……だって俺は選ばれた存在で」
「そういうのいいから、もう終わりにしようぜ。クソ王」
将斗は現実逃避させないように話す。
将斗の狙い通りだった。
不死身の力を持って、根気強く雄矢に迫る。
火だるまになっても、自ら目を切ってでも迫り続ける。
そうすれば、いつしか雄矢が将斗の排除に集中し始め、隕石の生成ペースが落ちるか、忘れるかの二択になるはず。と、将斗はそのどちらかを狙って粘り続けていた。
「終わり……だと……?」
雄矢が俯く。
「その通りだ。観念した方がいい、鈴木雄矢。君の負けだ」
グレンが持っている黒い剣を雄矢に差し向ける。
「負け……?」
二体一。
不死と魔法無効化の剣を持つ敵。
魔法操作を誤れば暴発し共倒れ。
挑んだとしても、対応しきれない猛攻に遭う。
最強であるはずの力を持つ男は、これ以上ないくらいの不利な状況に立たされている。
あとは負けを認めるのみだった。
普通であれば。
「負け…………」
しかし、雄矢は違った。
「……ない……」
「は? なんだって?」将斗が聞き返す。
「俺は、負けてない!」
雄矢が叫ぶ。
「ありえねぇんだよ! 俺が最強なんだ。このスキルがあるから最強なんだ! 負けるはずがねえ!」
「いやお前は負けたんだよ、現に――」
「まだ負けてねぇ! 俺は! 俺は!!!」
雄矢が両手を、将斗とグレンにそれぞれ向ける。
二人は身構えた。
「俺は選ばれた存在なんだ!!!」
その時、将斗は何かが波のように体を通り抜ける、そんな感覚を覚えた。
この違和感に将斗が気づいた。
「これ……」
覚えがあった。
つい最近、覚えた感覚。
将斗は息を呑んだ。
「お前っ嘘だろ……暴発させる気か?! ここで?!」
「っ?!」
グレンもその異常事態に気づく。
雄矢が手に力を込めていく。
将斗は、目の前の彼に異常なほどの魔力量を感じた。
一般人の将斗でも感じられるほどの量をだ。
「グレン逃げろ!」
将斗が叫ぶ。
しかしもう遅かった。
「俺が!! 勝つんだああぁああ!!!!」
その叫びに呼応するように、雄矢を中心に何かが広がる。
無色透明の見えない何か。
それが津波のように押し寄せてくる。
見えなくても、わかる。
押し寄せてくることだけが理解できる。
――俺はいい、グレンがまずい!
この波を受ければ魔法が使えなくなる。
気も失う。
浮遊の魔法は確実に切れ、そうなれば命はない。
だが対抗する術はない。時間がない。
足掻くことも諦めることも選ぶ余裕もない。
間に合わない。
――そこへ、目で見えないその波が将斗のもとに到達する直前、目の前に紫色のドレスを纏った女性が現れた。
「レヴィ……?!」
なんとか出せた言葉は一瞬で掻き消され、無色透明の波が全てを飲み込んだ。
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