第16話 戦う理由


「うそ?! クリス久しぶり~元気してた?」


 隣のレヴィが懐かしの同級生にでも会ったかのようなはしゃぎ方をしだした。

 しかし、声に明るさが足りない。


「ひどい有様だな、レヴィ」

「そりゃどーも。いつ以来?」

「ユウヤが城で暴れた以来だ」

「あーね。にしても生きててよかった」

「あの時、気づいたらちょうどお前たちが飛び立つところだったのでな。それに便乗して近くの窓から飛び降りて逃げた」

「そっか……生きてたならよかった……それで、何? そんな殺し屋みたいな恰好しちゃって。どういった風の吹き回し? もしかして助けに来てくれたの?」


 殺し屋と言う発言に将斗は驚いていた。

 物騒極まりない。

 しかし、彼女らは元仲間同士。まさか殺しにきたわけではないだろう。


「それなんだが、どっちがいい?」


 クリスは右手にナイフを、左手に鍵を持っていた。


「……そりゃ当然、左手のやつが欲しいわ」

「お前たちを逃がすのであれば、妹の仇であるユウヤを倒してもらう。だが、お前たちの首には賞金がかけられている。元王国最強の魔法使いレヴィ、元王子グレン・ファング。お前たちの首を隣国にでも持っていけば高値で売れる」

「本当に殺し屋になっちゃってるみたいね……元仲間なのに酷いなぁ。で、どう選ぶの?」

「私が選ぶ」


 クリスが持っていたナイフをレヴィに向けているのが見えた。

 将斗は焦った。マズいことが起きそうになっていると思った。


「どっちがいいとか聞いてきたくせに、結局自分で選ぶんだ」

「適当なことを言って逃げられたら困るからな。さあ、王を倒すのであれば、私を納得させてみろ」

「言うだけなら簡単だよね……」


 レヴィの答えは沈黙だった。

 グレンは相変わらず横になったままだった。

 将斗は鉄格子に両手をかけていたが、何も言えなかった。

 その一方、心臓の鼓動が早くなっていた。


「決まりだな」

「やるなら痛くないように頼むね……」


 隣の鉄格子に何かが当たる音がした。

 レヴィが体を寄せたようだった。

 クリスが持っていたナイフを振り上げる。

 そして――


「待って!」


 誰かが、そう言った。

 将斗は口を抑えた。

 たった今喋った感覚が残っていた。

 つまり、止めたのは将斗本人だった。

 彼は無意識のうちに、叫んでいたのだった。

 自分でも驚いていた。

 

「ほう、止めるのか。ならば奴を倒すと言うのだな」

「そ、それは……」


 クリスがこちらを向いた。

 しかし、将斗ははっきり倒すとは言えなかった。

 なぜなら今も将斗は雄矢に勝てるとは思えていないからだった。

 いくら魔法を無効化する力があっても、攻撃ができないんじゃこっちの体力が尽きて負けるだけだと。


「……………」

「フン……とんだ腰抜けのようだ」


 そう言ってクリスはもう一度ナイフを振り上げた。

 

――ダメだ!


「たっ、倒す! 俺はあいつを倒す!」

「……。」


 焦って宣言する将斗をクリスは一瞥し、ため息をついた。

 そして彼女は将斗の近くに寄ってきて、すぐさま将斗の胸ぐらをつかみ、引っ張り、彼を鉄格子にたたきつけた。


「ぐっ……」


 将斗の額に硬く冷たい鉄が当たり、熱い痛みを植え付けてくる。


「命を懸けるようなことのない世界でのうのうと生きてきた人間がよく言えたものだ」

「いつつ……本当だ。絶対に俺が倒して見せる。だからレヴィは」


 クリスは将斗の喉元にナイフを向けた。

 一目で危険とわかるが喉の近くにあるせいか、息がしづらくなっていく。

 逃げようともがくが、圧倒的な力で掴まれており、『超強化』された将斗の力でも振りほどくことができない。


「それはレヴィを助けたい一心で言ってるだけなんだろ。じゃあこういうのはどうだ。お前が代わりに死ね。そしたらレヴィは助けてやる」

「待てクリス! やめろ! 将斗は関係ない!」

「黙っていろ! さぁ、どうする? お前の命でレヴィが助かるんだぞ」

「……何が悪いんだよ」


 将斗は静かに言った。


「何?」

「何が悪いんだよ! 目の前でさっきまで仲間だったレヴィが殺されるのを、黙って見過ごせるわけがないだろ!」

「ちっ」


 舌打ちをし、クリスは首に向けていたナイフを持ち直すと――



 ――躊躇なく将斗の左肩に突き刺した。


 肉を切り開いて、さらにその奥の硬い骨を押し分けて、冷たい何かが左肩に入ってくる感覚を将斗は覚えた。

 左側で起きている信じられない光景に将斗の理解が遅れた。

 そして直後、耐えがたい痛みが押し寄せてきた。


「はぁっ?! ぁっあ……んぐっ……ああああああああああああ!!!!!!!」


――熱い熱いあついあついあついあついあつい、血が血が次々にどんどん、出て、流れてく!!


 将斗の白いシャツが、左上から赤く染まっていく。


「綺麗事を言うのは本当に簡単だな。言っておくが私は、お前が命をかけられないような人間だってことは知ってるんだぞ。間一髪、奴の攻撃を回避した後に、お前は動けずにいたな。あんなに震えて」


 クリスは嘲笑しながら、ナイフを少し捻った。 

 血が流れ出ていき、濡れた服が張り付く不快感が痛みとともに将斗を襲う。


「ああああああっああっ!!!!」

「死ぬのが怖いんだろう? そんな奴がいたところであのユウヤに勝てるはずがない!それに――」


 クリスが何か言うたびにナイフが動く。

 ナイフが動くたびに、慣れるはずもない痛みが、何度も、何度も脈打つように将斗に流れ込んでくる。


「仲間が殺されるのを黙って見ていられない? お前は味わったことがあるか? 最愛の人が目の前で殺されるのに、体の自由が奪われ全く動くこともできない時に感じたあの苦しみを! あの無力さを!」


 クリスがさらにナイフを押し込む。

 終わることのない痛みの勢いがさらに増す。


「ぐああああああああああああああっ!!!!!」

「あんな理不尽を詰め込んだような怪物に私たちが勝てるはずがない! あまつさえこんなにも無力なお前が勝とうなどと! 笑わせるなよ! 死を恐れているお前なんかが!」


 将斗は動く右腕でクリスの手を掴んでいたが、彼女の手は一向に離れない。

 将斗の力ではふりほどけない。

 今も体験したことのないくらいの血が流れ出ていて、死の恐怖が迫ってくる。

 呼吸は乱れ、左腕にはもう感覚がなかった。


――いたいいたいいたいいたいイタいいたいいたいイタい


 どうしようもない痛みに、涙まで出ている。

 足をばたつかせても鉄格子に当たるだけ。

 激痛の走る絶望的な状況の中、しだいに将斗の頭の中に、自宅のベッドの上でのんびりスマホを見ている自分が映った。

 ただ手元を眺めていて、時々笑ったりしている。

 これは過去の自分。色のない、つまらない自分だ。

 その頃に戻りたい、帰りたいと考え、やがてどうして自分が、と行き場のない怒りさえ生まれていた。


「はぁ…………はぁ…………………」

「将斗! 大丈夫?!」


 叫ばなくなった将斗を心配するレヴィ。

 しかし、構造上、隣の部屋の様子は見ることができない。


「どうした? この程度でくたばるなら、最初から奴になんて勝てるわけがない。おとなしく――」


 将斗はもう聞いていなかった。

 聞き取る体力がないのかもしれない。

 

「……さ……」


 だが、口を開いた。


「……なんだ?」

「勝つさ……って……言ってんだ」


 将斗は口元を震わせながらクリスを睨みつけた。

 左肩の痛みが増し、勝手に口から息が漏れる。

 全身が痺れたように感じるほどの鋭い痛みを受けながら、将斗はなんとか動く右腕を持ち上げ、クリスの手を強く握りしめた。


「……ハッ、そんな状態で何を言うかと思えば……冗談もたいがいにしておけ、お前に何ができるんだ?」

「知ら……ねぇよ」


 将斗は痛みに耐えながら話し続ける。


「方法はない。ないけど、あいつを倒したいって思う気持ちだけはある」

「だから口先だけなら――っ?」


 将斗は失いかける意識を手放さないように、右手を強く握る。

 その行動にクリスは言葉を遮られた。


「死ぬのってさ……」

「……何?」

「死ぬのって怖いんだよ」


 流れ出ている血の量が多いからか、将斗の息が乱れ始める。


「あの……時。天井のシャンデリアが見えなかったら、俺は死んでた。そう思うと、すげぇ……怖い」

「だからなんだと言うんだ」

「他の人も皆、そうなんだろうなって思ってな……アンタの妹も多分」

「っ?! 貴様があの子の話をするな!」


 妹と聞いた途端に彼女の目の鋭さが増し、ナイフを握る手に力が入る。

 将斗は慣れ始めていた痛みを再び与えられ、苦痛に顔を歪めた。

 それでも、話し続ける。


「ぐっあ……あいつ……ユウヤは平気で……ルナを殺したよな。死なないけど、殺した。平気な顔してさ」


 限界が近いのか、将斗の右手の力が緩んでいく。


「これからもあいつは……そういうことをし続けるんだろうよ。そんなの、許せるわけない」


 しかし持ち直して、ほんの少しだけ握る力が強くなる。

 

「許せなかったらなんだ。許せなかったら倒せるとでも? そんなことで倒せるなら私はもう何回もあいつを殺している。それほど私はあいつが憎い!」


 クリスが、掴んでいる胸ぐらごと将斗を揺さぶる。


「でもできないんだ……あと一歩のところで体が動かなくなる。洗脳魔法にかけられているかのように。弓を引くたびにあの子の顔がよぎるんだ……!」


 彼女は悔しげに目を細める。


「私ではあいつに勝てない。それほどあいつは……これだけ憎く思っている私が、全く動けなくなるくらい理不尽な強さなんだ」

「知ってる……じゃなきゃこんなとこに三人でこねぇよ」

「だったらなぜ勝つと言える!? 勝てないことなど分かり切っているというのに!」

「わかり切ってはないだろ……アンタだって何か方法があると思って来てるんだろ? じゃなきゃとっくにそこの二人の首を持ち帰ってる」

「それは……」

「何かあって欲しくて、期待して、来たんだろ?」


 彼女の目が揺らぐ。


「悪いな。方法はない。思いついてない。だけど、一回失敗したくらいで諦められるはずがない。少なくとも……俺はな――」

「なぜだ……貴様、転生者だろ……? この世界には、守りたいものも何もないはずだ。なぜ諦めない。なぜ立ち上がろうとする?!」

 

 将斗は倒れているグレンを見た。

 そして、壁があるがレヴィの方を見た。


「そこの二人はさ、二年だ。二年耐えて、頑張ってきた。なのに、急に現れた俺を信じて、鍛えて、仲間にしてくれて、励ましてくれた。……すげぇ嬉しかったんだよ。頼りにされたのがな。だから恩返しをしたい」


 声は今にも消えてしまいそうだった。


「そんなちっぽけなことで……」

「ちっぽけじゃない。……他人と関わらなさ過ぎる俺にとっては全然ちっぽけじゃない」


 力のない右手で将斗はクリスの襟元を掴み返して引き寄せた。

 そして彼女の目を、虚ろになりかけている目に力を籠めると真っ直ぐ見つめた。 


「だからっ……俺は、この二人のために戦う。この二人のために、諦めない。……まあ、そもそも明日の昼までに解決しないと結局死ぬからな……」


 三日目の昼までにスキルを持ち帰らなければ死ぬ。

 将斗はユウヤに挑んで死んだ方がまだ格好がつくと割り切っていた。


「無理だ……お前程度に何ができる……」

「何度も言わせんな……俺はあいつに勝つ。それだけだよ。だから……」


 将斗はもう目を閉じていた。瞼を開く力がない。

 震える右手だけ動かし、彼女の頭の上まで持ち上げ――

 そしてゆっくりとおろした。

 それはまるで、撫でるかのような具合で。

 クリスはその行動に目を見開いた。


「だから、頼りないかもしれないけど……俺を信じろ」


 将斗は何も考えずにそう言った。

 そして笑った。

 あまりにも格好つけた台詞に、馬鹿馬鹿しくて自分で笑ったのだった。

 なぜそう言ったのかは、彼自身わかっていない。無意識だった。


 その言葉にクリスは震えながら返す。


「なぜお前が……これを。でも、でも仮に……お前が……そうだというのなら……なぜ今なんだ。」


 震えた彼女の言葉は将斗には届くことはなかった。

 なぜなら、彼はもう力尽きていた。

 彼の右腕がゆっくりと、落ちて行った。


「どうして……あの時来てくれなかったんだ……」

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