第14話 二年研いだ牙/356話 異分子

「暗いな……」


 計画通りに将斗たちは王城の隠し通路を通っていた。

 日が当たらないせいか、この石造りの通路にはところどころに苔が生えていて、少々臭う。

 レヴィが明かりとして魔法の『光球ライト』を使っている。

 しかし、彼女の掌の上で光る球は、あまり光が強くなく三人の足元を照らせる程度しかなかった。

 将斗たちの周り以外、来た道もこれから進む道も全部真っ黒で何も見えない。

 静まり切った空間には、彼らの靴が地面をこする音だけが響いていた。

 

「………………」

「将斗? どうかしたのかい?」

「な、何でもない……何でもない」


 将斗は後ろを振り返ったり、また前を見たりしていた。

 猫背にして体を縮こませてもいる。

 

 なぜなら、彼は暗いところが苦手だからだ。


「あの……レヴィ、もっと光強くしてもらってもいいか?」

「えぇ? まさか怖いの?」

「べつに怖いとかじゃなく――」


 その瞬間、明かりが消えた。


「あああああ!? やばい?! なに?? 何?! 怖い、お前らどこ? は? グレンさん?! すいません?! いない?! ヤバイ終わった!! あーあーあーーあーあーーーー」


 将斗はひたすら叫んだ。

 叫ぶと暗闇の恐怖を幾分か軽減できるからだ。

 中腰になって手探りで辺りを調べるが、手には何も当たらない。

 前にいたレヴィも真後ろにいたはずのグレンもいない。

 

「ああああーーーマジでなんも見えないこっわこっっわ無理無理無理」


 黙らないように何かを言い続ける。

 パニックになっていると明かりがついた。


「うわっ何ィ?!」

「あはははははははははははアンタ最高!!!」

「フ、フフッ……ごめん」


 前方に二人が並んで立っていた。

 レヴィは大きく、グレンは少し笑っている。


――ありえねぇこいつら。マジで


 将斗は羞恥と怒りが入り混じった表情をしていた。


「けっ、決戦前に何してんだよあんたらは!」

「アハハハ! ごめんごめん違うのちょっと驚かそうと、グフフフフ……あー無理無理ハハハハハ!!」

「もっとなんかこう……緊張感とかないのか?!」

「フフフッ……ま、まぁ確かに、僕らはこれからあの男と戦う。でも」


 グレンはそう言うと、笑いを抑えるために一呼吸整えてから将斗の方を見た。


「でも確かに、あいつは絶対に許せない存在だよ。だけど復讐心に取りつかれすぎるのはよくないと思ってるんだ。なんだかどす黒いものに心を持っていかれるようでね。だから、こういう息抜きは必要なんだよ」

「……そういうことか」


 グレンが爽やかイケメンスマイルで、ウインクを混じえて言った。


 自分を見失わないように、緊張感をあえてなくしている。

 もしかしたら今、無理して笑ってるのかもしれない。

 そう思って将斗は、彼らの行動は仕方のないものだと考え――


「クククッ……」

「アハハハハ!! ヒィー無理無理アハハハハ!」

「いや納得できねぇ!」



************************************



 将斗たちは隠し通路を抜けた。

 いくつか階段があった。ここまで外が見えなかったが、高いところまで来たことはわかる。

 小さな扉から抜け出すと開けた空間に出た。

 

「ここが城の中か……」


 石造りの、いかにもお城という雰囲気。

 天井は脚立を持ってきたとしても届かないくらい高い。

 フロアでこの高さとなると、全体はやっぱ相当でかくなるだろうと将斗は思った。


 赤い絨毯が廊下の中央に敷かれている。

 そんな廊下の窓から月明かりが差し込んできていた。

 それによって幻想的な雰囲気を感じさせる。

 

 窓の外の空は、都会と違って光源が少ないため、星がよく見える。

 下を見ると、将斗が走り回った町が簡単に一望できる高さに来ていたことに気づく。

 おそらく反対側にある城壁が、最初に自分が登ったところだろう。

 

 その中で将斗はふと思った。


「あれだな、待ち伏せとかされないんだな」


 人の気配がない。

 将斗は歩いてくる衛兵たちの視線をかいくぐって進んでいくものだと思っていた。

 例えるのならスパイアクションゲームの様なものだ。


 しかし今は堂々と三人で廊下の真ん中を歩いている。

 なぜここまで余裕で歩いていられるのか。


「僕が衛兵のふりして色々調べてたからね。この時間、ここから玉座の間までの廊下に見回りに来る兵はいない」

「抜かりないな……その玉座の間はどこに?」

「この角を左次の角を右に行けばもう玉座の間だよ」

「早っ……」


 思ったよりも手際が良い。

 二年も牙を研いでいたんだそのくらいして当然か。

 そう思ったとき将斗は急に歩きづらくなった。


――やっば……


 話を聞いた限りでは、まだあの男がどれぐらい恐ろしい強さを持ってるのかわからない。

 そんな自分に任された仕事。玉座の間に入って、防御魔法を展開し続けるネックレスを偽物と入れ替え、ユウヤ付近の俺と同じくらいの大きさのものを探し、いい感じのものがあったらそれと入れ替わって、最短距離で王に近づき、回収コレクトで奴のスキルを奪う。

 奪ってしまえば魔法の威力は弱まるだろうから、その時点で将斗たちの勝ちだ。

 しかし、これを全て雄矢に見つからないように行わないといけない。

 

 加えて、本番一発かつ練習無しの、やり直しも効かない仕事。


「……っ」


 将斗はここまでの道のりの中、自分に重要な役割を任されているということをあえて考えないようにしていたが、やはり直前となると嫌でも思い出してしまう。

 手に汗が滲みだした。そこでやっと気付く。将斗は緊張していた。


「……将斗、ちょっといいかな」


 将斗の様子に気づいたグレンが声をかけてきた。


「えっ?! ああ、何?」

「この戦いは、君にかかってる」

「っ!」


 そう言われた瞬間、胃のあたりを握りつぶされる感覚を覚えた。

 言葉が出てこない。

 少し口角を上げて笑ってみせる。

 彼らを不安にさせないようにするためだ。だが、乾いた笑い声以外、何も出てこない。安心させられる言葉も出てこない。

 キーパーソンである自分が、動けないなんてことになったら二人がどう思うか。失望の眼差しで見られたくなくて、将斗は必死に考えた。

 だがいい言葉は思いつかない。急によって胸の締め付けが強くなり、普通の息ができているかどうかもわからなくなってきた。


「けど、安心してくれ。僕たちがついてる」

「え?」


 グレンの言葉に、将斗は追い打ちをかけられると思っていたため驚いた。

 さらにレヴィが手をぶらぶらさせて、力を抜けとでもいうように将斗へ語り掛ける。


「まあ気楽にやんなさいよ。失敗したらしたらで首根っこ掴んで逃げてあげるわよ、死にゃしないわ。私が生きてたらだけど」

「え……ああ……そ、そうか」


 二人その台詞を笑顔で言ってくれた。

 その瞬間、胸を締め付けていたものがスッと消えていく感覚がした。



 将斗はつい数時間前まで大学生だった。

 どう過ごせばいいかわからないため、そこでは変な奴と思われないようにと全てに気を遣って振舞っていたせいか、どんどん人との関わりが少なくなっていった。

 そうなってくると、学校でもバイトでも、そういう日陰者には重要なポジションなんてそうそう与えられない。

 しかし、正直彼はそういうポジションに甘えていた部分があった。

 気楽でいいと。

 だから今回のような状況で緊張に押しつぶされるような人間になってしまった。失敗の経験がないから、失敗することに恐怖心があるのだ。


 しかし、そんな彼に、二人は、安心していい、失敗していいと言ってくれた。


 ――簡単すぎだろ、俺。


 笑えてくる。

 将斗はその言葉だけで安心していた。


「さ、行こうか」

「あ……あのさ」

「?」

 

 将斗は咄嗟に二人を呼び止めた。二人は振り返ってじっと見つめてきた。

 何だか照れ臭くて頭を掻く。 


「あ、ありがとう。いろいろ」


 頬が赤くなっていく。

 将斗がお礼をちゃんと言うのはいつぶりになるだろうか。

 言う相手がいなかったこともあり、ずいぶんと久しぶりだった。

 将斗は照れて顔を逸らし頬を掻いた。


 するとグレン達は微笑んで


「……やっぱり君は良い人だよ」

「そうね」


 優しい声色で声をかけてくれる二人に将斗は泣きそうになるが、我慢した。


「さあ、気を引き締めていこう」

「ああ!」



***********************************



「オラァ!!!」


 レヴィが玉座の間の扉を勢いよく開け放つ。

 扉を支えていた金具は破壊され、周辺に扉だったものが散らばる。

 

 不思議なことに彼女は明らかに魔法を使っていなかった。

 つまり扉を破壊したのは彼女の脚力な訳で……深いことは考えないことにした。

 

 扉があまりにも大きかったため、開けただけで内部が一望できた。

 大きめの体育館くらいのサイズがあり、天井にはシャンデリアがあった。

 広い部屋だが十分明るく照らされていた。

 その奥で肘をついて座っている男がいた。


「あ? 誰だよ、無断で入っていいって誰が……」


 ふてぶてしい態度で男が言う。


「久しぶりね、ユウヤ」

「は? ……おいおい! おいおいおいおいマジかよ! 誰かと思えば負け犬二匹のご登場かよ! 今更何の用だ?」


 上半身だけ身を乗り出して男が声色を変える。

 その姿はまるで久々に仲の良かった旧友に出会った人間のようだった。

 

――あれが鈴木雄矢か。

 

 将斗はレヴィに隠れて彼を見た。


 背は将斗より少し小さいようだ。

 体形は少々小太り程度。神の言った通りの黒髪黒目だった。

 

「何の用? あんたをそこから引きずり下ろしに来たに決まってんでしょ!」


 そう言うとレヴィは扉に向かって手を向けた。

 その瞬間に吹き荒れる冷気。

 すると扉があった部分に瞬く間に氷の壁が出来上がり、塞いだ。

 これで外からの侵入ができなくなった。


 その光景にユウヤは拍手をしていた。


「氷の魔法かぁ。また新しい魔法を作ったのかよ。さすが師匠、俺にも教えてくれよ」

「こんなの火と水の魔法の合わせ技よ? あんたくらいの魔力があれば余裕……あっ、あんた二つ同時に魔法使えないか。不器用だもんね? ごめんね」

「ああ?」


 レヴィが煽る。

 ユウヤが目に見えて機嫌を悪くした。


 これは作戦通りの展開。

 会話で時間を稼ぎ、将斗がその間に状況の確認をする。

 将斗はおそるおそるレヴィの後ろからユウヤの方を見た。

 レヴィのマントは十分なまでに大きく、将斗を隠すことができている。

 

 ――あった、赤い宝石のネックレス。

 

 まずあれをさっき貰ったダミーと入れ替える。

 将斗はレヴィの足を二回小突く。これは合図だ。

 彼女は了解の合図としてヒールで床を踏み鳴らした。


「合わせろよ、俺」


 将斗は小声で自分を奮い立たせた。


「行くわよユウヤ! 挨拶代わりに、氷弾アイスバレット!」「交換チェンジ


 レヴィのあえて言い放った魔法の詠唱に合わせて、将斗は交換チェンジを発動した。

 ユウヤは彼女の周りに現れた巨大な氷の塊を見ている。

 将斗の声には気づいてない。

 レヴィの詠唱に被せたからだ。

 

 これも作戦通りだった。

 レヴィによると『氷弾アイスバレット』程度なら詠唱は必要ないそうだ。

 しかし将斗の声が聞こえてしまっても良くないと考え、被せるためにわざわざ詠唱を言ってくれたのだ。


 将斗が自分の手元を見ると、ユウヤが着けていたネックレスが握られていた。

 ダミーの宝石と輝きが少し違う。

 つまり、作戦通りうまく入れ替えることに成功していた。


「ハッ! あのあんたが詠唱しなきゃ発動できない魔法で、この程度かよ。んなもん消し飛ばしてやる」

「どうかしら! くらえっ!」


 部屋にぎりぎり収まるサイズの巨大な氷塊がユウヤに向かって飛んでいく。

 移動時に発生するその音で、とんでもない質量があると将斗に感じさせた。

 

 ユウヤはそれに手を向けた。

 彼の手から放たれたのは火球。

 オレンジ色に光り輝くそれは正面から氷塊にぶつかった。

 衝突の瞬間、部屋中を覆い隠すような蒸気が発生し、あたりを埋め尽くす。

 

 「一発で溶かすのかよあれを……」


 将斗は目を見開いて素直な感想を漏らす。

 氷が完全に溶かされていた。

 このたった一回の攻防でこの戦いのスケールが自身の想像を軽く超えていることを感じ、手を震わせる。


「新しい魔法なのにこの程度か。つまんねぇ」


 そう言うとユウヤはまた炎の球を放ってきた。

 さっきよりは小さいが、それでも人一人は余裕で飲み込めるくらいの火球を、次々に連発してきた。

 大きさよりも連射速度を優先しているのだろう。


 徐々に熱が伝わってくる。

 その時、レヴィが指を振り空中に薄い膜のようなものを張った。

 それがバリアのように見えて、あんな薄い壁で防げるのか? と将斗は怯え彼女のマントにしがみついた。


「安心しなさい」


 したり顔でレヴィが声をかけてきた。

 

――バリアに火球がぶつかる


 そして消えた。

 何かが散っているのだけが見えた。

 オレンジ色をしているものの、火の粉とは違った。それは、魔力だった。

 

 続くように次々と火球が迫ってくるが、そのすべてがバリアに当たるなり霧散していった。


 ユウヤが奥で首を傾げた。


「ああ? なんで押されてねぇ。防御魔法じゃ俺の魔法の勢いまでは殺せねぇはずだろ?」

「あんたのバカげた火力のために作ってあげた新しい魔法よ。魔法専用の防御魔法。『魔法障壁』」

「魔法障壁だぁ?」

「そう。魔法を構成する魔力に直接作用して、その魔力をかき乱してその構成をめちゃくちゃする。魔法は形が崩れてそのまま消える。勢いも消えるわ。魔力操作が得意な私にしかできない代物よ」


 少々自慢が入っているが、要は魔法を完全に無効化するバリアだ。

 一度破られた防御方法を超える新たな防御方法を彼女は開発したのだ。

 伊達に王国最強を名乗っていない。


「くだらねぇ、だったら消せねぇくらいのをぶち込んでやるよ」


 そう言うと王はより強く、より多くの火球を放ってくる。

 将斗の予想に反して、連射速度を落とさずとも火球の大きさを変えられるらしい。


「グレン、多すぎる、ちょっと手伝って」

「ああ」


 グレンは呼びかけ応えると腰に下げていた剣を引き抜いた。

 細かい線の入った、真っ黒い剣だった。

 ひび割れているようにも見えた。


「はっ!」


 グレンがユウヤの火球に突っ込んでいき、斬った。

 その瞬間、火球が消え去った。


「あ? どうなってやがる。俺の魔法が剣程度に消されるわけがねぇ」

「その剣も私特製のシロモノ。『黒剣ゼロ』。あえて魔力を通しやすい素材を何層にも複雑に重ね合わせて、剣を伝って魔法から魔力が抜けていくようになってる。魔法障壁と同じ原理よ」


 効果はその通りのようで、グレンは次から次へと火球を切り消し去っていく。

 斬り損ねたものはレヴィの魔法障壁が防ぐ。


「どう?! あんたの魔法は通じないわよ!」


 二年間彼を倒すためにと牙を研いだ彼らの守りは完壁だった。

 

 

 守りだけ。だ。

 ユウヤは笑い出した。


「……ハハハハ、あのなぁ! 守りだけ固めても俺には勝てねぇんだぜ? ほらほらほらほらぁ! お前らの魔力と体力がいつまでもつか楽しみだ!」


 ユウヤは雨のように火球を次々に放つ。

 彼の言う通り、二人は守りに徹している。

 攻めることができない。

 火球の量が多すぎるからだ。


「おいおいどうしたァ! 攻めてこねぇな?! お前ら二人だけじゃ俺には勝てねぇってことだよなァ!」


 あいつはそう叫び笑っている。

 二人なら確かに勝てなかった。

 

――だが今は将斗がいる。

 ユウヤは完全にレヴィとグレンだけに集中している。

 将斗はその間に『交換チェンジ』で入れ替わる先を探す。


「あれ……だな」


 そして見つけた。両サイドに置かれていた二対の銅像だ。高いところにあった。

 その銅像は将斗と同じくらいのサイズだった。

 

――見えるってことは視界の範囲内。スキルの条件は満たせてるはず。行くぞ。その片方、ユウヤに近い方へ。


交換チェンジ!」



 瞬間、視界に移ったのは壁

 ならばユウヤは、将斗の左後ろにいる。

 練習通りに即座に体を捻り体制を整え、真正面にユウヤを捉えた。

 そして練習通り浮遊フロートを使って一気に加速した。


「あぁ? 今なんか……?」


 ユウヤが何かに気づいている。

 しかし、まさか将斗が後ろにいるとは思っていないだろう。

 前方を探すだけで、後ろは向いてこない。

 将斗は浮遊フロートの力でどんどん近づいていく、

 距離はあと三メートル……二メートル


――今だ。


 ユウヤに触れようと手を伸ばす。


「なっ!?」


 ユウヤが振り向く。流石に気付くか。

 将斗の脳内に魔法を打たれるビジョンがよぎった。

 だが関係ない。この速度なら、彼の魔法は間に合わない。


回収コレクト!」


 手を伸ばして、大きく言い放つ。

 しかし――


「!?」


 将斗がそう言ったその瞬間、ユウヤとの間の空間に誰かが滑り込んできた。

 青髪の少女だった。

 驚愕する将斗。

 しかしの手は止まらず、飛び込んできたその子の肩に当たる。

 それで勢いは弱まらず、そのままユウヤの座る玉座にぶつかり、三人で玉座の前の空間に吹き飛んだ。


「ぐあっ」

「っ……!」

「ちっ! 誰だてめぇ! どっから出てきた?!」


 ユウヤの怒号が聞こえる。

 将斗は転がりながらまず頭の中で状況を整理する。


――失敗した?! 誰だよ今の! いや大丈夫だ、回収コレクトはまだあと一回使え


「死ね」

「ぁ……」


 顔を上げたとき目の前にユウヤがいた。

 いや、ユウヤの手があった。

 将斗は目を見開いて


――死ぬ


 そう思った。

 

 その瞬間、爆炎が全てを吹き飛ばした。



************************************



 炎が晴れ、焼け焦げた床が露わになる。


「クソカス野郎が。俺のものに触りやがって!」


 ユウヤは声を荒げ怒鳴る。


「将斗!」


 レヴィが叫んだ。

 雄矢の目の前の空間には何も残っていない。

 何一つとして。


「嘘……」

「こいつは俺のものだ! 誰も触れちゃならねぇ! 触れるなら殺す! 殺す!」

「グレンどうす…………グレン? グレン!!」


 グレンは呆然と立ち尽くしていた。

 見開かれた目が捉えるのは青髪の少女。


「ルナ、生きていたのか……? なんで、どうして……?」


 殺されたはずの青髪の少女――ルナ。

 あの顔。佇まい。間違うはずもない。

 

 名前を呼ばれた少女はグレンのほうを見た。

 改めてグレンはルナだと確信して、すぐさま駆け寄ろうとした。

 しかし二人の間にユウヤが割り込む。


「何俺の嫁を気安く呼んでんだてめぇは」

「どけ! ルナは僕の――」

「こいつは俺の婚約者だ!……なあルナ?」


 そう聞かれたルナは、こくんと頷く。

 グレンは全身の毛が逆立つ。


「……っ貴様! ルナに何を!」


 さっきまでの冷静さがなく声を荒げるグレン。


「何もしてないさ、ルナは自分の意志で僕の婚約者となったんだ」

「そんなわけがない! そうか、洗脳魔法を使ったんだな! レヴィ! そうだろ!」


 レヴィは首を横にふる。


「いや……洗脳魔法は使われてない、洗脳魔法がかかってるときの魔力の流れのクセがない……」

「何……?」

「かわいそうになぁグレン『元』王子。愛する人に捨てられちゃったなぁ?」


 そう言いユウヤはルナを抱き寄せる。

 少女は無表情のままだった。

 その姿にグレンは眉を吊り上げ、歯を噛みしめた。


「貴様あああああああ!!!!」


 激昂したグレンが切りかかる。

 漆黒の剣が振り下ろされる瞬間、ユウヤは躊躇なくルナを盾にした。

 グレンが一瞬躊躇した。

 ユウヤはその隙を見逃さない。


熱光線ヒート・レイ

「かふっ……」


 ユウヤは、ルナを巻き込んで火炎の光線を放った。

 回転し直進する火炎の柱がルナの薄い胸を貫き、グレンに直撃する。

 少女の口から小さく息が漏れる瞬間を目撃し、一瞬硬直したグレンだったが、光線が当たる直前に剣を盾にし防御した。


「ぐぁっ!!!」

「グレン!」


 辛うじて剣で防いではいたが、光線に吹き飛ばされ壁に激突する。

 壁から崩れ落ちたグレンは全く動かない。

 レヴィが駆け寄ろうとするが、そこにユウヤが間髪入れずに火球を放ってきた。


「くっ」


 レヴィは障壁の範囲をグレンのいるところまで広げた。

 動かないグレンを心配し、彼女は何度も彼が倒れている方を見る。


「ああ~なるほど、それ使ってる間はあんた、動けねぇんだな」

「くそっ……」


 レヴィはそう吐き捨てる。

 障壁を使用している間、魔力操作に全神経を集中させなければならず動くことができない。それを気づかれた。

 

 ユウヤは追い詰めるように、火球を連発してくる。

 レヴィはそれを防ぎ続けた。

 グレンは打ちどころが悪かったのか動かない。


「あんた……あの子ごと……!」

「喋る気力はまだあるんだな」

「悪魔がっ……! あの子まで殺すなんて……!」

「ルナを殺した? なんの話だ?」

「今さっきあんたが……え?!」


 目を疑った。

 ゆらりと少女が立ち上がっていた。

 光線で胸を貫かれたはずの少女が、だ。

 しかし今その胸には何の傷もない。

 服に大きな穴が開いているだけだった。


「生き返った……? 何よそれ……」

「生き返ってなんかいない。ルナは死なないのさ!」

「死なない……?」


 魔法を打ちながらユウヤが話し続ける。


「ルナにはな、『ダメージを受けると魔力が回復する』スキルと『魔力がある場合、傷が回復し続ける』スキルがあるのさ。つまり、どんなに痛めつけても死なない! 全部治っちまう。俺がどんなことをしてもな!」

「そんなことが……?!」

「だから何やってもいいのさ! 絶対に壊れねぇ! 理想の女だ!」


 雄矢は手を広げて笑った。


 その時だ。


「何が理想だクソ野郎!」


 ――刹那、将斗がルナと入れ替わるように、ユウヤの目の前に現れ出た。

 そのまま彼は手を伸ばすが


熱光線ヒート・レイ!」


 熱光線が将斗に向けて放たれた。

 ルナがユウヤと同じ方向を向いていた分、振り向く必要があり、回収コレクトの発動が遅くなった。その隙を突かれた。


 将斗は既に入れ替えて手に入れていた黒剣ゼロを横にして盾にするが、魔法のその勢いで吹き飛ばされる。

 黒剣ゼロでは魔法は消せても、その魔法の持っていた勢いは消せないらしい。


「ぐぅっ」


 押されて壁に追突しそうになる。

 だが何とか足を踏ん張り、その速度を落とす。

 

 数秒耐えていると魔法が止み、押しつぶされる心配がなくなった。

 ちょうどグレンの近くまで来たため、瓦礫の中から引っ張り出した。


 レヴィが死人でも見たような顔で驚いていた。


「あんた生きてたなら言いなさいよ! 一体どうやって」

「ぎりぎりで天井のアレと入れ替わってたんだ。そのあと……ちょっと動けなかった。ビビっちゃって。でも、もう大丈夫だ。悪い」

「はぁ……なら良し!」


 レヴィは気持ちを切り替えるようにそう言う。


 あの時、魔法が放たれる瞬間、将斗は死を確信した。

 その瞬間すべてがスローに見えた。

 そのスローの視界の中に天井のシャンデリアがあったことと、そのシャンデリアの大きさが将斗と同じくらいの大きさだったことは奇跡に近かった。

 本当に奇跡だった。だから、入れ替わった後、将斗はその奇跡が起こらなかった時のことを考えてしまい、全く動けなくなった。

 しかし躊躇なく少女を盾にし、彼女ごと魔法を放ったユウヤに将斗は怒りで体を奮い立たせ。何とか動くようにしてみせた。


 グレンの安否を確認するが息はある。将斗は安心した。


 気づくといつの間にか魔法が飛んできていなかった。

 ユウヤが不思議そうな顔をして将斗を見ていたからだ。


「お前……さっきから何度も、誰だ?!」

「あー、渡 将斗と申します。遠路はるばる日本からご登場した」


 少女を盾にした件が許せない将斗は煽るような態度で答えた。

 ふざけているようだが違う。これは命を奪われかねない状況をあえて受け入れないようにするための自衛手段でもある。軽めの現実逃避だ。


「日本だと? なんで……」

「なんでって、アレだよ。神様からちょっと頼まれてな。お前と同じ転生者って扱いだ」

「どういうことだ……? なんで、どうして……」


 雄矢は思った以上に取り乱していた。

 口に手を当て、ぶつぶつと何かを呟き続けている。

 やがて彼は何かを思いついたように顔を上げると、ルナの方を見た。


「ル、ルナ、さっき何をされた」

「……」


 ルナは答えなかった。


「答えろ!」


 ユウヤがルナを殴りつける。

 迷いなどなく行われたその光景に、将斗は怒りを覚えた。


 だが、それ以上に焦る。

 自分ののやろうとしていることがバレる、と。

 将斗はその前に駆けだした。


「スキルを……奪われました」


 ルナがステータスウィンドウを見ていた。


「なんだと……じゃあ、さっき狙ってたのは俺の……」


 ユウヤが頭を抱え震えだした。

 様子がおかしい。


「今しかない!」


 チャンスに見えた。

 将斗は様子のおかしい王に【超強化】で出せる全力の速さで駆け寄る。

 この狼狽えている今しかない。と。


「いやだ……いやだ……これは俺の、俺の、俺の……」


 ユウヤが手を向けてくる。

 だが将斗は止まらない。


――魔法が来るならこの剣でかき消す。準備はできてる。行ける!


「……俺の! ものだあああああああああああああああ!」

「おおおおおおおおお!」


 剣を振りかぶる。


 しかしその時、将斗は違和感を覚えた。

 人を切ることへの一瞬の躊躇がその違和感を気づかせてくれた。


――なんかが違う。なんだこの感じ……魔法じゃない……なんか、違う。


 視界がスローになっていく。

 その視界の奥でユウヤの手が光りだす。


――なんとなくわかる。これは……違う


 異変。

 この事態に、魔力の流れを見ることに長けたレヴィだけが、気付いていた。


「まさか?! マズい!」


 その瞬間、閃光が轟音とともに迸り、広間を覆った。

 将斗はなすすべなくそれに呑み込まれていく。


 やがて何も見えなくなった。

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