第9話/66話 重圧

 ユウヤ御一行が王国を出てから一ヶ月が経った。

 彼らはとある森の中にいた。


「ごめんね」

「大丈夫ですよっ。これが私の仕事ですから」


 謝るユウヤに対し、屈託のない笑顔を見せる銀髪の少女。

 切り株に座るユウヤの腕には、先の戦闘で受けた大きな切り傷がついていた。

 その傷に銀髪の少女の白い手が触れる。


「いって?!」

「少しだけ我慢してくださいね。治癒ヒール


 少女がそう唱えると、ユウヤの腕の傷は治っていく過程をまるで早送りで再生しているかのように、次第に塞がっていき、痕一つ残さず綺麗さっぱりなくなった。

 彼女の名はアリス。銀髪のショートカットで、種族はエルフで特徴的な尖った耳が彼女が動くたびにちらりと見える。ユウヤと同い年の彼女は、ファング国で治癒師ヒーラーという仕事をしていた。

 治癒師ヒーラー治癒ヒールというスキルを手に入れた者のみがなれる職業だ。

 治癒ヒールには魔力が必要がない。物資の補給が困難なこの世界での旅をする際は最低一人は連れて行くのが理想とされていた。

 この時は戦時中のため、治癒師ヒーラーはどの戦場からも引っ張りだこだった。

 そんな最中、勇者が少人数で旅をすることになり、王が同行する者を募った。

 たまたま治癒師としてまだ経験が浅く、国に残っていた彼女はそれに志願し、見事採用されたのだった。


「いつもありがとう。僕が不甲斐ないせいで……」

「ふふっ、いいんですよ。それにほらっ、ケガしてくれないと私の仕事がなくなっちゃいますしねっ!」


 今回の怪我はユウヤ自身の魔法の威力のせいで背後から来ていた魔物に気づけず、受けてしまった傷だった。

 彼は不注意で傷を受けただけじゃなく、彼女の仕事を増やしてしまったことに申し訳なさそうにしていた。

 そんなユウヤを少しでも励まそうと、彼女はガッツポーズをしてみせる。

 少しぎこちないが、逆にそれがまだまだ少女らしさが残る彼女を表していて、かわいらしい。

 彼女は知らないが王国には隠れファンがかなりの数いる。


「優しいんだね、アリスは」


「……ん? ちょっと待ちなさい! 今のはアレ? 誰かに比べてっていう意味?! アンタいつからそんな偉くなったのかしら? え?」

「えっ?! いいいいやちがいます。ごめんなさい!」


 悪魔のような表情でユウヤを睨むレヴィに対し、彼は土下座を敢行した。

 その光景にアリスはくすっと笑う。

 ユウヤは地面に座った状態で彼女のそんな笑い顔を眺めていた。


「どうかしました?」


 エリスがまるで小動物のように首をかしげる。

 森の中とあってか、見る者にリスを想像させた。


「あ、い、いや何でもないよ」

「?」


 ユウヤは赤くなりながら顔を背けた。

 その光景を見て、レヴィはにやけた。


「ははぁ~ん。なるほどねぇ」

「何ですか?ちょっと、肘やめてください」


 レヴィは「隅に置けないねぇ」などと小声で言いながらユウヤをつつく。

 その時、奥の茂みから女性が歩いてきた。


「終わったか?」


 その女性はアリスと瓜二つの顔をしていた。

 しかし、その顔は、アリスが物腰柔らかとするなら、逆に彼女からは鋭くとがったナイフのような印象を見る者に持たせる。

 黒い肌に、金色の髪だが、アリスと同じショートカット。そして彼女と同じようにとがった耳を持っている。


 彼女の名はクリス。アリスの双子の姉だ。

 彼女ら二人は若いころに両親を亡くしており、姉であるクリスはずっとアリスの面倒を見てきた。

 姉である彼女の職業は『弓兵アーチャー

 彼女は『魔法矢マジックアロー』という自分の魔力を矢にして使うことができるスキルを持っている。魔力さえあればいいため、矢を補充する必要がなく、その上魔力は使った後少し待てば勝手に回復するものなので、こういった長い旅に向いている。


 彼女はアリスが勇者一行に加わり魔王討伐に行くと聞いた瞬間、王城に殴り込み、グレンに取り押さえられながらも王に直談判し勇者パーティに加えてもらった。

 その行いをアリスは知らされていない。クリスが口止めしていた。

 というのも―。


「近いぞ貴様」


 眼光だけで対象に風穴を開けられるんじゃないかという鋭さで、クリスがユウヤを睨む。


「す、すいません」

「年頃の男女がみだらに近づくな。特に……特に私のアリスに何かしたら貴様は」


 ユウヤに詰め寄るクリス。その二人の間にアリスが手を割って入れた。


「姉さん落ち着いて? 治療は触れなきゃできないんだからしょうがないでしょ?」

「そっそれはそうだが……もう治療は終わったんだろう? ならもう近づく必要はない」


 そう言ってアリスとユウヤの間に手をねじ込んで二人の距離を開けさせた。

 しょうもないという顔をするレヴィはクリスの方を向くと――


「クリスほんとアリスのこと好きだよね。」


 と言った。

 そしてたちまちクリスが慌てだした。


「ばっばばば馬鹿なことを言うな! 私たちは双子の姉妹だぞ! 結婚はまだ早い」

「そこまで言ってないんだけど」


 クリスはアリスのことが大好きだった。

 しかし、クリスからアリスへの『好き』は家族としてというより――


「確かにアリスは小さいころ大きくなったら私と結婚するって言ってくれたしこの前なんか料理もできるし良いお嫁さんになれるねって言ってくれたけどまだまだわたしに気があるんだよないや待てそうかアレは遠回しな告白? ならば答えるしかあるまいいや待て披露宴の準備式場の確保……」

「クリスー? ちょっとクリスさーん?」


 クリスはレヴィの呼びかけに全く応じない。

 完全に自分の世界に入ってしまったようだった。

 アリスはそれに慣れてるのか気にしていない。


 丁度その時、治療のために外していた装備をしっかり着けなおしたユウヤが「よし」と言って立ち上がった。


「さあ、行こうか。予想以上に時間がかかってる。急ごう。次の村が魔物の被害を受けて困ってるって言ってたし、勇者として見過ごせないからね」


 先頭を歩いていくユウヤ。


「はいっ!次の村まであと少しですし行きましょうっ!」


 とことことその後ろをついていくアリス。


「いつまでやってるんだクリス……置いてくよ」


 いつまでも自分の世界から戻ってこないクリスに呆れるレヴィ。


「うん。アリスがそこまで言うなら私も……ハッ?! いけない……また私はって待て! 何してる貴様! 近いといっただろうもう少し離れろ!」

「え? どわぁぁ! 弓! 弓を撃つのはやめてください!」



************************************



 ――魔法使い二人に弓兵、治癒師、こんな偏ったパーティながらも勇者の旅は順調に進んでいた。

 旅の途中、魔物に襲われた旅人たちや、呪いを受けて苦しむ村、街道に住み着いた竜によって動けなくなった商人など様々な出会いがあった。

 ユウヤはそのたび、そのすべてを見捨てず救いの手を差し伸べた。


 そんな中、旅をしていくにつれ、ユウヤの魔法に関してはレヴィがつきっきりで指導していたおかげか、初級魔法の中でも初歩中の初歩である『火球ファイア』、『水弾ウォーター』、『ウィンド』、『光球ライト』を覚えることに成功した。

 今のところこの魔法以外は教えていない。

 というのも本来『ウィンド』はそよ風。他3つはそれぞれの属性が付与された手のひらサイズの球体が現れる程度の魔法なのだが、『無限魔力インフィニティ』によって、そのサイズも威力も何倍にも底上げされてしまう。

 上級魔法を凌ぐほどのレベルにまで、だ。


 例えば数日前、街道に住み着いた竜は彼の『ウィンド』で起こした暴風で、人の何倍もある巨体を向こうの遠く見える山のその先へ軽く吹き飛ばされた。

 初級魔法でその威力な上、不器用なので魔法を覚えるのに時間がかかることからレヴィはもう十分だろと思って中級魔法の指導をやめたのだった。

 

 そんな大スケールの魔法や、救いの手を差し伸べる姿を見た人々が彼らの存在を伝えていき彼の偉業は世界中にすぐに広まった。それを聞きつけた魔王軍からの奇襲もあったが、それも初級魔法だけで退けてみせた。


 勇者の旅は続き、王国を出発してから半年が経った。


 そんなある日の夜のことだった。



「ユウヤ、今回は仕方ない。そう気を落とすな」

「だけどっ! ……俺が……俺がもっと……もっと……!」


 泣き続けるユウヤをレヴィがなだめていた。

 彼ら一行は珍しく、暗い雰囲気が漂っていた。


************************************



 その日、彼らは魔物に襲撃された村を救った。

 彼らが最初村に着いた時には既に村の大半が壊滅していた。

 家屋には火を付けられ、地面や家屋の壁に血がこびりついている。

 いたるところで人々が逃げまどい、叫びをあげていた。

 まさに地獄絵図だった。


 今残っている生存者だけでも助け出そうと、彼らは手分けして行動することにした。

 アリスが先導して人々を避難させ、他3人が魔物を殲滅していく。


 その途中、ユウヤは一人の少女を見つけた。彼は戦いに巻き込まれないようにと、物陰に隠れさせた。

 その時、村の中央広場から叫び声が聞こえたユウヤは走ってそちらに向かった。

 人々が紫色の魔物の大群に追いやられ一点に集まっていた。

 ユウヤは持ち前の魔法で応戦し、周辺の魔物を退けた。

 村じゅうの魔物の殲滅が終わり、ユウヤはさっき保護した子を迎えに行った。

 隠れていた近くに来ると、一匹のゴブリンという人型の魔物が、少女を引きずって歩いていた。

 泣き叫び助けを求める少女。ユウヤが咄嗟に走ってゴブリンに近づいた。

 ゴブリンはユウヤの接近に気づくと持っている錆びついた刃物を少女の首に突き立てた。

 まるで人質を取っているかのように。

 ユウヤは立ち止まり、説得を試みるが、ゴブリンには言葉は通じない。

 ユウヤは焦る。とりあえず必死に動かないようにするが、なぜかゴブリンはどんどん興奮していく。

 なぜなら、ゴブリンからしてみれば、同族を軽く薙ぎ払っていくユウヤの方が化け物に見えているからであった。

 ユウヤはゴブリンがもっと距離を取れというように言っているんだと考え、足を引いて後ろに下がった。

 だがそれは最悪の選択だった。

 ゴブリンはその動きに驚き、そして怒り、躊躇することなく少女の首を掻き切った。

 刃物が突き立てられた場所から、勢いよく噴き出す鮮血にユウヤは目を見開いた。

 最初少女は口を必死に動かし、何かを訴えかけるようなそぶりを見せたが、次第にその瞳から光が失われていき動かなくなった。

 その光景を見たユウヤは膝をついた。

 彼は今まで、目の前の人を救えないことはなかった。

 だからこそ、その積み上げてきたものが、目の前にいた少女を救えなかったことで一気に彼の心を崩した。

 少女を無造作に放り投げ、ユウヤに向かってくるゴブリン。

 ユウヤは呆然とし、動かずにいた。

 ナイフがユウヤに突き立てられそうになった瞬間、駆け付けたクリスの魔法の矢によってゴブリンは撃ち抜かれ、事なきを得た。


 その後、様子のおかしいユウヤに気づいたクリスが必死に呼びかけたが、彼は膝をついたまま微動だにしなかった。


 そうして今に至っている。

 雲で少し隠れた月と燃え続ける家屋の火で彼らは照らされている。

 悩むレヴィに代わってクリスがユウヤに話しかけていた。


「俺がもっと、しっかりやれていたら!もっと、もっと魔法が使えていたらっ!」

「お前が広場の魔物を殲滅してくれたおかげで、広場で固まっていた村人たちは全員救えたじゃないか。お前はよくやっ……」

「やれてない! 俺はあの子を救えなかった! 俺は勇者だからみんな救わないとダメなんだ! なのに……なのにっ…………………………さい」

「え?」


ユウヤが小声で何かを言うが、クリスは聞き取れなかった。


「ごめんなさい……」

「ユウヤ、落ち着――」

「ごめんなさい……ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ああっ!ああああああああああ!!」

「っ?! ユウヤ落ち着きなさい!」


 頭を掻きむしり、目に見えない何かに向かって謝罪し続けるユウヤ。

 まるで壊れてしまったかのように。

 得体の知れない危険を感じレヴィは咄嗟に、彼の肩を揺さぶった。

 しかし、止まらない。

 半狂乱になったユウヤと、二人のもとに、人々の治療を終えたアリスが駆けつけてきた。

 ユウヤの変わり果てた姿を見て、アリスがゆっくりとユウヤに近づいていく。


「ユウヤさん」

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

「ユウヤさんこっち見てっ!」


 アリスがユウヤの両頬に手を当て、顔を自分の方に向けさせた。


「しっかりしてくださいっ!」

「…………あ、俺………」


 ユウヤの目の焦点が合うが、未だ心ここに非ずといった具合だった。

 次第にユウヤが自虐めいた笑みを浮かべだした。


「は……はは。アリス、俺駄目だった。俺駄目だったよ」

「そんなこと言わないでください。あなたは今まで」

「やめてくれよ」


 励まそうとするアリスを冷たく、ユウヤが突き放した。


「俺は何にもなれない。こっちでも変わらねぇ。知ってたんだ。俺には向いてなかったんだ」

「なにが……ですか?」


 クリスに支えられたアリスは、立ち上がって聞いた。


「勇者だよ。俺はずっと目指してたんだ。頑張って、努力して。良いことして。お伽話のあいつになれるようにって。ずっと。ずっと……」


 沈黙が訪れた。

 レヴィもクリスも話し出せずにいた。

 最初に口を開いたのはアリスだった。


「……旅を始めたときからあなたはずっと勇者を目指していましたよね。勇者ならこうする、勇者ならできるって。……どうしてそんなに」

「どうして? みんなが俺のことを勇者っていうから、俺が勇者であることを望んでるからだよ。やるしかないだろ? やるしかなかったんだよ!」


 ユウヤは土か砂を握り締めて地面にたたきつけた。

 これ以上刺激するのは良くないとレヴィは思った。

 だがアリスはそれでも続けた。


「じゃあ、あなたのいう勇者ってなんですか?」

「……みんなを引っ張るリーダーで、強くて、かっこよくて、正義感にあふれていて、弱い人を困ってる人を一人残らず救うそんな」

「そんな人間いませんっ!」


 アリスが怒っていた。

 その目には涙が浮かんでいた。

 そんなアリスが怒っているところを、クリスでさえ彼女のその見たことがない表情に驚いた。

 そんなアリスに対しユウヤは――


「いただろ。昔話で……だからこうやって伝わって、それで俺が召喚されたんだぞ。それなのにこの体たらくだ……勇者なら一人残らず救えたはずだろ!」

「戦場で一人残らず救うのはいくら伝説の勇者でも無理です」

「無理じゃない!」

「無理です!」


 まるで、子供のような言い合いだった。

 

「どうしてそこまで自分を過小評価するんですか? あなたは十分なくらい働いたじゃないですか!」

「俺が一体何を――」

「私もアリスに同意だよ。ユウヤ」


 レヴィがいつもと違い優しく話し出した。


「レヴィ……」

「あの広場には紫の魔物いたでしょ。お前が一掃した奴らよ」

「それが……なんだよ」

「あの魔物たちの中には半分くらいは魔法しか効かない奴がいたの。」

「え……」

「あれだけの数を一気に相手するとなるとさすがの私も苦戦する。だけどお前はお得意のバカげた一瞬で殲滅して見せた。それはユウヤにしかできない芸当よ。」


 嘘偽りなくこれは本当だった。

 マジックスライム。スライム状の紫の魔物で、剣による攻撃では全くダメージが通らない。その上魔法は吸収されてしまう。吸収された魔力を使って魔法で攻撃してくることもあるため、倒すにはスライムの許容量を超える魔法を一発ぶつけるしかない。

 それを何体も相手するなんてことは、無限の魔力を持つユウヤにしかできないことだった。

 アリスはそれを聞き再度ユウヤの説得を試みる。


「ユウヤさんにしかできないことがあったじゃないですかっ!」

「でも……」

「でもじゃないっ! あなたじゃなきゃ救えない人がいた! あなたがいたから救えた! ほかでもないあなただったから救えたんですっ!」

「でもこんなの勇者じゃない……!」


 唇を噛み、泣くユウヤ。

 アリスは少し考えた後言った。


「……じゃああなたが勇者になればいい」

「え?」


 アリスはユウヤのことをより一層、まっすぐ見つめる。

 ユウヤは目をそらそうとするがアリスは逃がさない。


「何言って・・・」

「あなたが自身が勇者になるんです。伝説の勇者じゃない。伝説の勇者の真似事じゃない。あなた自身が勇者になるんですっ。二人目の勇者スズキユウヤに。」

「……」

「わかりませんか? 勇者だったらこうするじゃない、あなただったらどうするかで行動するんですっ!」


 アリスは訴え続ける。


「あなたの英雄譚を作りましょうよ。伝説の勇者の模倣なんかじゃなく、あなた自身が作り上げる英雄譚を紡いでいきましょう? あなたがこれから主人公になるんです!」

「っ……そんなこと……できないよ。勇者だからって。そう言って行動してたんだ。今まで。それをやめたら俺は」

「できますよっ! これまでできていたんですから。きっとこれからもきっとできます。私はそう信じています!」


 怒ることを止め、笑いかけるアリス。


「……でも、みんな俺が勇者だから着いてきてたんじゃないのか?」

「バカなことを」


 そう言ったのはクリスだった。


「私はアリスに着いてきただけだ、お前がこれからどうだろうと関係ない。アリスがお前に着いていくなら私も着いていくだけだ。レヴィ? お前は?」

「私? こいつは一応弟子だからね。最後まで面倒見るに決まってるでしょ」

「二人とも……」

 

 ユウヤは顔を上げた。

 さらにアリスが彼に語り掛ける。


「あなたが勇者になることをやめたって私はどこまでもついていきますよ。だって私はどんな時でも正義の心を持っているあなたに惹かれたんですから………………それに……あなたは」

「いいのか……? もう勇者になろうとしなくて……」


 アリスが何かを言い切る前に、ユウヤがそう呟いた。

 彼女はその呟きに優しく、首を縦に振る。


「ええ、よく頑張りました。今まで。」


 アリスはユウヤの頭を優しく撫でてあげた。

 あやすように。守るように。


「これからは好きにしていきましょう? なりたいものを目指して、やりたいようにやってやりましょう? それがあなたという、もう一人の勇者の物語に、きっとなりますから」

「うっ………俺はっ…………俺はぁ…………!!!」


 そうしてアリスは優しくユウヤを抱きしめた。

 ユウヤもまた彼女を抱きしめ、そして泣き続けた。



*************************************



 勇者として召喚され。

 勇者としての資格を見せるために努力し。

 勇者として旅に出て。

 勇者として行動した。

 周囲からの重圧、伝説の勇者の再来を望む声に応えようと、今まで彼は必死に伝説の勇者を演じつづけていた。

 呪いに苦しむ人がいれば解呪に奔走し。

 魔物の被害にあうならば魔物を討伐し。

 小さな少年や少女、老人から若人まで、さまざまな人間と交わした約束も、その大きさなど関係なく必ず果たしてきた。

 必死に。

 ただ必死に。


 前の世界でそうしていたように。


 それがこの世界での彼の存在意義であると思って。

 だからこそ今回の失敗は彼の心に深く突き刺さるものだった。

 勇者らしくない自分自身を、彼はひどく責めた。

 自分で自分を追い詰めていき、次第に壊れ始める。

 そんな彼に手を差し伸べたのは彼の仲間だった。

 彼らしくあっていいと、そのままの姿でいいと。

 彼にのしかかっていた重しを外してあげたのだった。

 壊れてしまう前に。



 ――だが彼は最初から壊れていた。

 重しは開いてはならない箱を閉じるためのものにすぎない。

 その箱はパンドラの箱。

 開けてはいけない災厄の箱。

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