第5話 二人

――マジ終わった。 


 将斗は必死に逃げようとするがどれだけ身体能力が上がっていようとも、体の自由が効かないのでは全く意味をなさない。

 そんな逃げられないという絶望的状況で将斗は、部屋の内部を見て息を呑んだ。


 暗い部屋の奥の机に乱雑に積み上げられた本。

 壁から壁につなげられた紐に洗濯バサミのようなもので止められている謎の言語や記号が描かれている古ぼけた紙たち。

 試験管やフラスコの様な実験器具めいたものと、今も熱され続け、気泡を産み続けている謎の色の液体。

 小さな蝋燭の明かりで照らされたそれらは奇怪だ。

 怪しげな実験室といえばわかりやすい。

 

――まさか……なんかの実験台とかにされたりしねぇよな……もしかして拷問とか……? ってバカ考えるなよ! あああ怖い無理無理無理

 

 叫んで逃げ出したくなるが、何もできない。

 将斗はこの状況であまりにも無力だった。

 すると目の前でレヴィが立ち止まった。

 彼女は振り返ると、再び値踏みするようにその黄色い目を怪しく光らせた。


「さてお兄さん。ステータス見せてもらえる?」


 すると将斗の指が勝手に動き空中で二回円を描いた。

 当然のように薄紫の板――『ステータスウィンドウ』が現れる。


――ああもうこれ完全に乗っ取られてるわ


 将斗になす術はない。

 次に腕がそのウィンドウを回すようにはらう。

 ステータスウィンドウはそれに合わせてひっくり返り、レヴィの方へ向いた。

「ふむ……」彼女は前かがみになってそれを覗き始めた。

 すると隣に立っていた雄矢もその女性と一緒にウィンドウを見始めた。

 手の内を覗かれている。そんな危険な状況。

 慣れた手つきで、スキルの画面に切り替えられている。

 スキルを奪うスキルを持っていることが知られてしまう。

 しかし将斗は別のことに気を取られていた。

 

 ――胸でっか……

 

 胸だった。

 女性が今身に着けている紫のロングドレス。その胸の中央部分が大胆にも露出している。

 それが今、前かがみになっていることでさらにそのボリューム感を強調している。

 将斗は目の前に現れた官能的なによって、恐怖に支配されていた思考がはじけ飛んでいた。


 ――いや、マジで、でっか。大きすぎて重力に負けそう……と、思わせて負けないというそのハリ。うん、百点です……じゃねぇ! バカか。何考えてんだ?! そうか……思考まで操ってんだな? クソッ! じゃあ仕方ねぇな! 視線がそこに集中するのは操られてるせいだから仕方ねぇな! 見ます!


 将斗は恥も外聞も捨てて目線をそこに集中させていた。

 そんな彼の視線に気づいてないのか、女性はステータスウィンドウを見続ける。


「ワタリマサトか。珍しい名前。スキルは……『回収コレクト』? 知らないな……あぁ『超強化』ね……珍しくもない。んでもってこっちは、あれ? これ『交換チェンジ』じゃない! ねぇホラ見てこれ! これ魔王軍幹部の……なんだっけ、ナントカって奴が使ってたやつじゃない! なっつかし〜……んまぁ、弱かったけど」


 レヴィがはしゃぎだした。雄矢はというと、彼女が鬱陶しいという風に無視して画面を見続けている。

 やがて雄矢はほのかに笑みを浮かべ、「うん」とうなずくとレヴィの方を向いた。「問題なさそうだね。レヴィ、次だ」

「わーってるわよ。お兄さんちょっといい?」

「えっ? ……はっはい?! あれ? 喋れる……」


 喋れるだけではない、体の自由も効く。

 緊張の糸が解けるように自由になった体に安心感を覚える。

 しかし、動けるにしても位置が悪い。この二人組との距離が1メートルもないこの位置関係では逃げ切れる方法は見つからない。無謀に飛び出す勇気も持ち合わせていなかった。

 そんなことを知りもしないレヴィは人差し指を立てて将斗の方を差してきた。


「じゃあお兄さん、この国に来た目的を教えてもらえるかな?」

「いや……その……」将斗は言葉を濁らせた。


 喋ることはできるが、言えるわけがなかった。

 この世界に来た目的は『鈴木雄矢からスキルを奪うこと』。

 暗殺しに来ただとか、倒しに来たなんて言えば処刑は免れないだろう。それらに比べればまだ、将斗の目的は易しいものだ。

 しかし「あなたのものを奪いに来ました」なんていう存在、本人が許してくれるはずがない。

 雄矢のスキル『無限魔力インフィニティ』は最強の能力。彼一人のクーデターを成功させ、王の座を奪い、他国への侵略を可能にした力。

 将斗自身、逆の立場だったら「奪いに来ました」なんていう輩は即刻追い返すだろう。


 ――ここは喋らないのが吉だな。


 そう思って固く口を閉ざす将斗に対し、レヴィは差し向けていた指を上下に振った。


「鈴木雄矢のもつ『無限魔力インフィニティ』のスキルを回収しに来ました」


 将斗の目的を言う者がいた。

 聞き覚えのある声だった。それはすごく近くで喋っていた。


「え……?」将斗は咄嗟に口を押さえた。


 聞き覚えがあるのは当然だった。他でもなく将斗本人が言っていたからだ。


――勝手に?!


 口が勝手に動き、喋っていたのだ。

 それはレヴィの指が動いた後。

 指を動かすと共に、将斗の体が操られていた。それが彼女のなんらかの能力によるものくらいは将斗にもわかってはいた。

 しかし、まさか今の勝手な発言すら彼女の能力によるものであるとするならば、隠し事など不可能だ。

 将斗は再度終わりを確信した。

 汗が背中を伝っている。

 既に目的はバレた。さらに追求されれば、神のことも、転生者であることも話すことになる。それを聞かれた時、雄矢はどんな行動に出るのか。

――人を殺すような男は今、自分に対する脅威に何を思っているのか。

 バレないように、雄矢の様子を伺う。

 「……」彼は黙っていた。

 将斗の発言の後から、彼のさっきまでの笑みは消えていた。

 眼を細くし、睨むように将斗を見ていた。


「なぜ回収する? 理由は? 誰の差し金なんだ?」おもむろに雄矢が切り出した。

 それ以上は言えない。しかし、将斗が口を閉じるのと同時にレヴィが指を振る。「あっ――」

「この世界を管理してる神様の命令です。『無限魔力インフィニティ』は他の神様からの借り物であり、三日後までに返さないといけないから回収しに来ました」


 将斗は悔しさから顔を歪めた。止められなかった。

 どう黙ろうにも、口が勝手に動いてしまう。

 やがて――、


――これ魔法かな、すげぇなぁ。さすが異世界


 現状を見つめるのをやめて、自分に起きている不可思議な現象に感心する事にした。現実逃避だ。

 

「へぇ……神……」女性がそう呟き、顎に手を当て何かを考え始めていた。

 雄矢も黙ったままだった。

 束の間の沈黙が訪れた。

 ポチャン。

 机の上で蒸留された液体が、フラスコに溜まっていく。

 「うん」数秒後、何かを決めたように頷きレヴィが口を開いた。


「私の魔法の前じゃ嘘つけないし……グレン、大丈夫なんじゃない? いいよこの人。本当ならすごく良いと思う」

「……だな。レヴィ」

「よしきた」


 レヴィが指を振る。将斗は身構えたが、身体的に変化はない。

 おそらくは自由に喋られるようにしてくれたようだ。


「手荒な真似をしたね。悪かった許してくれ」

「え、いや、はい……」急に頭を下げた雄矢に将斗は言葉を詰まらせた。


 いや、違う。

 雄矢ではないらしい。

 さっきレヴィはこの男を『グレン』と呼んでいたのだ。


「なぁ、もしかしてあんた……雄矢じゃないのか?」


 将斗は目の前の黒髪黒目の男に問いかける。

 頭を上げた彼は目を丸くしていた。「まさか」


「僕が? 違うよ僕は……あ、そうか、レヴィ、『変装』を解くのを忘れている」

「あそっか、ごめんごめん」レヴィが指を振る。


「はい、これで良いわね」


 途端に男の顔がぼやけていく。

 靄がかかったように視認性を失っていった。

 すると髪の端が徐々に赤みを帯びていく。同時に瞳の色も宝石のアメジストを彷彿とさせる綺麗な紫色に変化した。

 最初は黒みがかったその色たちも、靄が消えるころには鮮明な輝きを持っていた。

 色が変わっただけではあるが、とても日本人のようには見えない。


「カラ……コンじゃないもんな」

「驚いたかい? 『姿が、見る人にとって最も自然で違和感を感じない姿に見えるようになる』という魔法をかけてもらっていたんだ。認識をいじる魔法さ」

「魔法……」

「だけどそうか。君にとっての違和感のない姿が、あの男と勘違いさせてしまっていたわけか。だから逃げられていたんだな。すまなかった」

「あ、そそそんな謝らなくても」


 人から謝られのが久々すぎて将斗は焦った。

 しかし迷惑をかけられていたのだから謝られて当然なのだが。


「でも、そっか雄矢じゃねぇのかぁ。ビビったぁぁぁ」


 将斗は膝に手をつき、溜め込んだ恐怖や緊張を全てため息に変えて吐き出した。スッキリした。

 全身を流れていた汗も気持ち悪かったが、今となっては涼しさを与えてくれて心地いい。

 そんな将斗の方へグレンは一歩前に出ると、手を差し伸べてきた。


「改めて自己紹介しよう。僕はグレン・ファング。自分で言うのもなんだけど、このファング王国の元王子だ」

「え……はい。よ、よろしく」将斗は左手で握手に応じた「元王子?!」 

「はいはーい。私はレヴィ。ただのレヴィね。よろしく。ちなみに私、この国最強の魔法使い……あ、私も『元』だったわ。てへ」

「最強の魔法使い?! よろしくお願いします」右手で握手に応じた。


 両手で握手に応じながら、将斗は元王子と元最強の魔法使いという二つ名に衝撃を受け、名乗るのを忘れていた事に気づく。

 

「……あ、俺は渡将斗って言います。えっと……転生者です」


 最後に転生者をつけたのは、二人の二つ名に対抗したかったわけではない。

 対抗したかったわけではない、決して。


「あの、正直どういう状況なのかわかってないんですけど」


 将斗は握手をしたまま二人に聞くと、グレンは柔和な笑顔を保ったまま


「敬語じゃなくてもいいよ。王子だとか今は関係ない」

「は、はぁ」

「私も私も。気楽に行こうよ」


 握手を解いた将斗はどうしていいかわからず指をポケットの縁でもぞもぞさせた。

 そんな将斗にグレンは顎に手を当てて、片目を閉じて微笑みかけてきた。

 イケメンにしかできないその仕草に、少し憧れた。


「将斗、君の目的はあの鈴木雄矢からスキルを奪うこと、だったよね?」

「は、はい……じゃなくて、そ、そう。そうだ、ぞ」

「急で悪いけど、僕たちと協力してくれないか?」

「えぇ……?」


 共闘の誘いだ。しかし、流れが良すぎる。確かに将斗からすれば協力者がいれば、右も左もわからないこの異世界ではかなり助かる。

 しかし、相手はさっきまでこちらを操って拷問じみたことをしてきた二人組だ。将斗の信用はまだ浅い。

 距離の詰め方の都合が良すぎる。

 普通の人であれば、不審に思うところだ。

 しかし、将斗は――


――普通の人ってこんな感じだっけ……


 と考えていた。

 人付き合いが少ない将斗は、この怪しさに気づいていなかった。

 さらに追い打ちをかけるようにレヴィも「お願い」と言ってきた。


「私たちあいつをぶっ倒そうと思ってるの。目的は一致してるしいいと思わない?」

「あ、あの俺たちさっき会ったばかりじゃなかったっけ……?」

「そんなもんじゃない? 互いに知らない同士の冒険者だって出会ってスグに旅に出たりするわよ?」

「そんなもん……か」


 妙に納得してしまった将斗は、「さっきまで好き勝手されてたけどな」という言葉は胸にしまうことにした。


「お願いだ、将斗」グレンが再び頭を下げた。


「彼に勝つためには使える手段はすべて使いたいんだ。味方なんて僕たち二人しかいないから頭数が増えるのもすごく助かる」

「『超強化』があるから戦力としてはギリギリ十分って感じだしね」

「いやあの、ちょっと待って話の展開が早すぎる。着いていけてないんだけど」

「さっきまでのことは謝る。困惑する気持ちもわからなくはない、だけどこの通りだ」


 グレンが勢いよく頭を下げた。深々と。

 その声に、この姿に、どこか将斗には彼が本気であると感じた。


「えぇ……そんな。頭上げてください……上げてくれ。そりゃ一人でやるよりはマシかなとは思うけど、でもなんていうか……ってあの、ちょっ頭あげてって、おおおち、力つよッ?!」


 礼だけでもやめてもらおうと肩を掴んで上げようとするが、グレンがびくともしない。『超強化』の力でも上がらないくらい強い。

 テコでも動きそうにないので、すぐに諦めた。

 

「やっぱ……急にそんなこと言われても困るっていうか」

「だよね。グレン、さすがの私でもわかるくらい色々すっ飛ばしてるわよ」


 そう言って彼女は「しょうがない」と言って指を振った。

 すると置いてあった近くの机が我々3人の間に滑り込んできて、さらに椅子が後ろに現れた。

 おそらく魔法だ。

 神様は無から出現させたが、こちらは既存の物が意思を持ったかのように勝手に移動してきた。

 彼女が座るように促してきたので遠慮なく座ると、グレンも同じく席に着いた。


「さて!」


 彼女はそう言って伸びをした。将斗は強調される彼女の一部分を今度は見ないように目を逸らす。

 「ふぅ」と言いつつ体勢を元に戻した後、彼女は話し始めた。


「鈴木雄矢についての話、知らないだろうから聞かせるわ。そしたら私たちのことが分かると思う。その流れで協力してくれたら嬉しいかな……なんて。時間大丈夫?」

「い、一応大丈夫です。3日もあるんで」

「手短にな、レヴィ。待たせたら悪い」

「ごめんごめん。じゃ、ちょっと長いけど覚悟して聞いてね。いい?」

「今僕の話を聞いてたのか?」

「あの日のことは今でも忘れられないわね――」


 将斗はこれ長いな、と椅子を引いて深く座った。

 3日もあるとは言ったが、それほど長くはない。

 しかし、雄矢についての情報を得るのは悪いことではないはずだ。

 もしかすれば今後有益な情報となる可能性もある。

 それに賭け、レヴィの話に耳を傾けた。


 机の上の蝋燭の火が揺らめいている。

 

 彼らの話は、この世界に生きていた人間だからこそ語ることのできる話で、神様からは語られなかった、転生者が巻き起こした事件の詳細もそこにあった。

 

「あれは3年前――」


 彼らの話の舞台は、3年前まで遡る。

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