第4話 チョロくない異世界
「チョロいな……異世界」
走り疲れた将斗は、キメ顔でそう言った。
石畳の上に彼は座ると、あぐらの上に肘をついて遠くを見ていた。
「ここが例のファング王国だよな。その国の近くに送りますって言ってたし」
眺める先には、左右に広がる城壁。数キロはあるだろう。人の手で作られたのであれば、何時間かかったかは計り知れない。
その壁に囲まれるように、内側には中世ヨーロッパを想起させる家々が軒を連ねていた。
「赤レンガとか、マジでヨーロッパって感じだな。めっちゃ異世界っぽいな……」
異世界を実感し、嬉しさから笑みを零す。
今将斗は城壁の上でそれらの景色を堪能していた。
この城壁、人が乗ることを前提に建てられていないのか、手すりや、壁がつけられていない。その代わり見栄え重視なのか、等間隔で膝下くらいの高さの四角く切り出された岩が並んでいた。
肘掛けにはちょうどいいが、この上を立って歩くのはなかなか度胸がいる。30メートルくらいはあるのだ。もし落ちれば悲惨なことになる。
将斗は四角い岩の上へ両腕をつけその上に顎を置いた。
「あああ、めっちゃ探索してぇ……期限付きじゃなければ端から端まで見て回るってのに」
ここがゲームの舞台だったのならキャラを操作し、NPCと片っ端から会話し、端から端まで走り回って、フラグを建てて、アチーブメントを解放している頃だ。
ただしここは現実のため、人との会話が苦手な将斗には到底無理な話なのだが。
将斗がここに来たのは数分前。
何かを覆うようにぐるっと一周覆うこの城壁を見つけると、将斗は「とりあえず登ってみるか」と考えた。
入り口から入ってもよかったが、門番のような人間を見つけるや否や、そそくさと逃げた。話が通じるか不安だったからだ。
問題は登る方法、梯子もなければ、登るために掘られたくぼみはない。
だが、将斗には『超強化』があった。
登り方は簡単。つま先を、城壁のわずかな凹凸ににあてがい踏み抜く。それの繰り返し。
頂上付近のネズミ返しのような作りには指の力で対応した。
そうして30メートルはあるであろうこの壁を軽く登りきった。
『超強化』により平衡感覚やらその他何もかもが強化されており、自分の体ではないような心持ちだった。
「ククク……こんなスキルあるならもう余裕だろ。何が無限の魔力だよ。こっそり忍び込んで、後ろから近づいてスキル奪って、後はこの脚で逃げれば勝ちだろ? 負ける気がしねぇ」
真正面からではないところに自分の卑怯さを覚えつつも、神からのミッションには思っていたより容易く応えられそうだと再び笑う。
将斗は座っている場所とちょうど反対側にある建物を眺めた。某夢の国で見るような、かなり大きな城がそこに建っていた。
カッコつけて指を鳴らしその城を指さす。
「例の鈴木……いや、王様は上の方にいるだろうな。だから今の俺の身体能力で壁を蹴って上の方にあるあそこの窓から侵入。この握力で天井にでも張り付いて潜み、夜こっそり王様に近づけばオーケー……うん、やっぱ余裕だわ」
適当に作戦を確認すると伸びをして寝転がった。
ザラザラとした石畳の寝心地は最悪だが、今の将斗には些細なことだ。
その顔はとても自慢げで、
「俺、策士かもしれんな……あ、そうか。俺が選ばれたのはこういう策士的な部分があるからなのか。いやー神様見る目あるぅー!」
グーサインを空に向けて放った。
将斗自身気づいていないが、念願の異世界転生ができたおかげで、より一層ハイになっている。
独り言も止まらない。
「ま、早速サクッと終わらせちゃいますか……」そう言って上半身だけ起こすと、首をポキポキと鳴らす。
――その時、隣に何かの気配を感じた。
「ん?」
ふい顔をそちらに向けると――将斗と同じくらいの背格好をした青年が立っていた。
細身で、服装は草色のボロイ布を巻き付けている。その布のせいで、下に着ている物は見えない。
物乞い。ホームレス。そんなイメージがよぎるが、風で布が揺れ、その顔が見えた時、将斗は自然と身を引いた。
彼は整った綺麗な顔立ちをしていた。イケメンだ。
だが、それで身を引いたのではない。
「ぁ……」
将斗の喉から息が漏れた。人間は本当に困った時には声が出ないのは本当らしい。
――その男の髪は黒。そして瞳も黒色だった。
28番目の世界を説明しているときに、神様はこう言っていた。
「鈴木雄矢は貴方と同じ日本人なので、見つけるのは容易いですよ。国民は皆金髪だったり、茶髪だったりするんですけど、鈴木雄矢はごく一般的な日本人なので――」
「黒色の髪と、瞳をしている――っ」思い出すように呟く。
今、目の前にいるのはあの鈴木雄矢本人ということだ。
「……やばい」小声で呟く。
「やあ」男が足を出した。そのブーツが小石を潰し砕く音が耳に届いた瞬間、将斗は全身に鳥肌がたつ感覚を覚えた。
腕を伸ばし、肘をついていた岩の淵に手をかけた。
「ちょっと話をしたいんだけど。いいかな」
黒髪の男――雄矢は笑い、近づいてきた。
「し……っ」
「し?」
雄矢は何かと、首を傾げた。
「失礼しましたっ!!!」
その瞬間、将斗は掴んでいた岩を後方へ振りぬいた。
ただし吹き飛んだのは岩ではなく、将斗の体の方。
スリングショットのように体は城壁の内部へ吹き飛び、落下を始めた。
選択は逃走だった。
鈴木雄矢が無限の魔力で何をしてくるのかは知らない。何ができるのかも知らない。魔法が何かもいまだに分かっていない。
だが、『王と王女の殺害』をした男だ。まともな人間じゃない。
将斗とは根本的に考え方が違う。
そんな人間と準備もなしに相対するべきではないと本能が訴えていた。
体が落下していく。さっきまで見ていた赤煉瓦が迫ってくる。
落ちたら死ぬ高さ。速度だって加速している。
体が思うように動かせない。
死の恐怖に、強張っていた。
将斗は『超強化』のある自分がそんなことでは死なない、と必死に言い聞かせて無理やり体を動かし着地の体勢を取る。
足は下に。目は着地点を見据える。
たなびくシャツが邪魔で、手で押さえた。
そして――そのまま赤煉瓦の上に着地する。
「ブッ飛べ!!」刹那、つま先で赤煉瓦の地面を踏み抜いた。
下斜め方向の運動は、前方向への運動へ変換され、将斗の体は真っ直ぐ飛んだ。その速度を維持したまま、赤い大地を走り抜ける。
痛みは感じられない。着地に問題はないようだった。
――走れ走れ走れ!! 何されるかわからねぇ!!
将斗は『超強化』された身体で必死に走った。
その速度は、先程草原を走り抜けた時の比ではない。
風そのものになったかのように将斗は駆け抜ける。
――やばいやばいやばい! 転生して数秒でゲームオーバーはマジで終わってる! 一回立て直そう! てか立て直すしかねぇ!
走る速度は天井しらずに速くなっていく。
ゆっくり見たかったはずの、街並みも、商店街の野菜売りや古本屋も、噴水も小川で遊ぶ少年たちも全てが一瞬で過ぎ去っていく。
残念に思う暇などない。
将斗は前だけを見て進むしかない。
――どこだよここ! ってか、どこに行く! 流石にいつまでも走ってられねぇ!
草原を走っていた時も、城壁を登った時にも感じられなかった『疲れ』が生まれていた。
将斗は焦る、長く走るためには速度を落とすべきだ。
だが、背中がピリピリと痛み出す。
痒みのような不快な感覚だ。
その原因は、鈴木雄矢。
彼が無限の魔力を持ち、魔法を使ってくることは話で聞いている。
その威力が生半可な威力ではないことも。
その魔法で打たれることは必至だ。
だが、同じ日本で暮らしてきた人間が、そんな人殺しのような真似をするのか。
――するよな。
彼はする。そんな予感が将斗にはあった。
クーデターを起こすような男が、何もしないなんて虫のいい話だ。
背中に銃口を突き付けられているような恐怖の中、将斗はさっきの場所から距離を離していく。
「いつまでっ……走りゃいいんだよっ!」
「――いい速さだ、悪くないね」
「……は」隣から声が聞こえた。
目を疑った。
隣を、雄矢が同じ速度で走っていた。
目を見開く将斗。その表情さえなければ、超人が屋根の上を並走するシュールな光景だ。
緩みかけていた足の回転が、再び速度を上げる。
「っぁあ!」
「ねぇ! 落ち着いて少し話さないかい?!」
少し後ろで雄矢が大声で語りかけてくる。
どうしてそんな涼しい顔をしていられる。
焦る将斗は歯を食いしばり、どうにか引き剥がそうと全力を振り絞る。
これは将斗にとって最悪の状況だった。
自分の中ではチートスキルであったはずの『超強化』が実はそうでもなかったからだ。
――無理だヤバい! もうこれ以上は速度を上がらねぇ。どうすんだよ。
――屋根から降りて道を走るか?!
――ダメだ人邪魔!
――左右に曲がってどうにか撒くか?!
――無理だ! スピードが出過ぎてる!
脳内が滅茶苦茶だ。危険人物との高速の並走で混乱していた。
逃げるのも大事だが、屋根から落ちないことにも気を配らなければならない。
下手に転がれば簡単に追いつかれてしまう。
何を考えても埒が明かない。将斗は他の事柄をすべてかなぐり捨てて、ただ逃げ切ること一点に集中し策を練る。
――しかし、何も浮かばない。
当然だ。将斗は今までただの大学生だったのだ。走りながら打開策を見つけるなどというファンタジーめいた行いは難易度が高すぎた。
――どうする。真っ直ぐ走っててもいつか反対側の壁にぶつかる。円く走るしかないか?
足が重くなってくる。
これは疲れからなのか、それとも――。
先の見えない暗闇を走っている気分だった。
後ろで聞こえる足音が消えないのが、悔しく、苦しい。
――俺の異世界が、こんなとこで……
「追いつい――」雄矢は手を伸ばし、将斗の肩に手をかけようとした。
「――っ」
――終わっ……
将斗の視界にあるモノが映った。
町の端にある森だ。
樹齢数百年はあるだろうという太い木々が立ち並んでその森を形成していた。
将斗は妙にそこに惹かれた。
あそこならまだ何とかなるんじゃないかと思ったのだ。
安心するには不十分で、実行するには勇気のいる策だ。
だが走っているだけより、望みがある。
「――ぐっ!」足首の方向を強引に変え、踵に込めた力で無理矢理に進行方向を捻じ曲げた。
「あっ、おい」将斗の行動を予想していなかったのか、雄矢の手が空振りに終わる。
そのおかげか、距離が少し離れた。
将斗はそれを横目で確認し、走り抜ける。
――こんくらいで距離開くんなら、入り組んだ森の中でならもっと稼げるだろ! 行ける!
将斗の土壇場の行動は奇跡的に状況と噛み合っていた。
稼いだ距離は森に到着するまでには雄矢の接触を避けるには十分にあった。
走り続け1〜2分、森はもう目前に迫っていた。
だが、そろそろ森に侵入できるという直前。
「んなっ?!」
建物と森の間に、大きな川が現れた。
少なくとも25メートルプールよりは大きい。
森へと繋がっている橋は将斗の立っている位置からは見つからない。
――もう探してる時間なんか無ぇよ!
なぜなら将斗の目が川を捉えたのは、川の手間に位置する建物の一番端に足を置いた、まさにその瞬間だったからだ。
建物に隠れていた上、森に聳え立つ木々の方ばかり見ていたせいで、そこに至る迄に気づくことができなかった。
もうそこから先に足の踏み場は無い。
今踏み込んでいる足が最後の一歩だった。
このままでは落ちる。
速度を保っていても、向こう側には辿り着く前に川に沈む。
――跳べ
だが将斗の思考は一瞬で奇跡的に『跳ぶ』という選択肢を見つけ出す。既に離れようとしている最後の足。そのつま先に力を集中させ、爆発させる。
バギャッと屋根を砕き、彼の体は川の向こう目掛けてブッ飛んだ。
描かれるであろう放物線は将斗を森へ侵入させられる軌道をしていた。
「ギッッッリギリセーフだ! あいつは?」
空中で将斗が振り向く――雄矢は川の存在に気づいて急停止しているところだった。
一旦建物から降りて、川と建物の間の幅を利用し助走をつけて川を飛び越えようとしていた。
「まだ来るのかよ。だけど――」
この間も将斗の体は進んでいる。
数秒だが、さらに差をつけることができた。
そのまま飛んでいき森へ。
目の前に現れた1メートル以上はある木の幹を蹴り飛ばし、ゲームでいう壁キックの要領で森の中を進んだ。
――行ける! 逃げ切れる!
いいスピードで進んでいる。
気を抜けば木と正面衝突だが、将斗はひとまず安心した。
もっと距離を離して追いつかれないようにするため、少し方向を変更しようとした。
乱雑に森を進むことで、雄矢の追跡を撹乱する作戦だ。
しかし――
「は……?」
将斗はまだ木の枝や幹を踏み抜いて進んでいる。
前に。
「おい」
体は前に進む。
木々を蹴って前に。
「なんで……」
前に進んでいた。
「曲がれない……なんで?!」
方向転換が効かない。
どれだけ体重を移動させても、体は一直線に森の奥へ向かっていく。
どうしようにも方向転換が効かない。
「くそっ!」
謎の現象に足を一旦止めようとするが――
――止まれない?!
その体が止まることはなかった。
足が勝手に動いていた。
「なんだよこれ、何がどうなって……うわっ!」
木が突然無くなり視界が開ける。
閉鎖的だった空間が一気に解放された。
そこは森の中にあるとしても自然にできたとは思えない円状の空間があった。
唯一、真ん中に木だけでできた建物――ログハウスが円の中心部に存在していた。
暗かった森の中で唯一その場所に陽の光が差し込んでいた。
「って着地できねえぇぇぇ――ぐふっ!」
体の自由は効かず、それでいて足場もなくなった彼の体はまっすぐに地面に向かっていき、顎から地面に着地した。
超強化のおかげか死にはしていない。
意識もはっきりしている。
しかし、必死に起き上がって逃げようとしても、体の自由が利かない。
逃げられない。
――ザッ
後ろから足音がした。
きっと雄矢のものだろう。一歩ずつ音が聞こえるたびに、将斗の恐怖が増していく。
自分の心臓の鼓動が聞こえるほどに強くなる。
「遅い! いつまで道草食ってるわけ?」
前から誰かの声がした。
女性だ。雄矢とは別の人間が近づいてきている。
――囲まれた
将斗はなんとか捕まる前に逃げようともがく。
だがその行動に意味はなく、何も成さない。
「客人にこの扱いはどうなんだい? レヴィ?」
「は? あんたがずっと追っかけっこしてて、埒が明かないから手を貸してあげたんでしょうが!」
レヴィと呼ばれた女性、雄矢とは仲が悪いのか早速口論を始めている。
何かと思っていると、その女の声の主が近づいてきて、将斗の近くでしゃがみこんだ。
「ごめんねーお兄さん。手荒な真似して」そう言うなり、レヴィは指を振った。
「うおっ」すると将斗の意識とは関係なく、体が勝手に動き、地面から起き上がった。
起き上がったおかげで、将斗は目の前の人物を観察することができるようになった。
雄矢と同じくらい、整った顔立ちをしている。
その目は黄色。紫のロングドレスを纏っていた。
「な、あ……」
「ふむ……ま、とりあえず中入ろうか?」
彼女は品定めでもするかのように将斗をまじまじと見つめてから、踵を返しログハウスへ向かう。
彼女がそのまま指を振ると、将斗の体は勝手に動き出し同じようにログハウスへ向かった。
自由を奪われた状態でのそれは恐怖でしかなく。
将斗は
――終わった
と思うのだった。
進み続ける体はもうどうしようもなく、彼はその状態で調子に乗っていた自分を思い出していた。
爆笑して草原を走り抜けていたあの頃を。
――もう調子乗るのやめよ。チョロくねぇわ……異世界
その反省は誰に届くこともなく、彼はログハウスの中へ連れ込まれた。
どうやって操られているのかさえ知ることもできないまま。
転生開始から1時間も経たずの出来事である。
神様のお願いについての進捗はゼロ。
収穫もゼロ。
ただ、学べたことはある。
『異世界はチョロくない』
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