第32話 イモの祝福

 魔法なしのジャガイモづくりは時間がかかる。しかも俺はプロの農家ではない。

 イモ畑の真ん中で俺は途方に暮れていた。

 目の前には薄緑の葉が数枚土から顔を出している。しかし、その葉先は変色していた。芽を出した半数のイモの葉は、茶色に枯れる病気にかかってしまったようだ。

 畑でしょんぼりしていたら、バジリアが来て王様にねだって『祝福』をもらえと言い出した。狭い平屋ながら自分の家を半月ほどで建てたバジリアは、この農場への引っ越しを済ませたところだ。

「イモをうまく育てられる『祝福』をもらうのよ。植物全般でお願いするよりイモを狙い撃ちするといいわ。代わりに捧げる代償やそれを与える王族の魔力次第ではあるけど、昔、緑の祝福をもらった人は範囲が広すぎて効力が薄まって弱かったらしいの。だからもらえるならイモ単独が手堅いわね」

「それって頼めば誰でももらえるものなのか?」

「まさか。魔力に恵まれたミル王国の王族だけが一生に一度与えられる貴重なものよ。内容も人よりちょっと運に恵まれるとかふんわりしている程度だけど、一生効果が続くんだからすごいわ。一般的にはその効果よりも王の寵愛の印の意味合いが強いみたいね。祝福はすごい魔法なのに、そのスゴさはいま一つ広まってないの。目に見えにくいものは伝わりづらいのよ」

「寵愛は無理だろ。それに一生に一度しかできない大切なものを、俺なんかがもらえるわけがないだろ」

「やる。何の祝福が欲しいのだ?」

「わわわ、また陛下! 瞬間移動しないで! 身体疲れるやつだって言ってたでしょ!」

 庭で優雅にお茶を飲んでいたはずの王様が、なぜかイモ畑の真ん中に忽然と現れる。

「ここに来て二十日ほど経ったからな。ひどい枯渇状態からは脱したようだ。毎晩お前に添い寝してもらったおかげだな」

「う、あ、……はい」

 不敵に笑う美女の前で俺は頬を赤らめる。

 ポテトサラダを作って以降、毎晩一緒に寝てるのは本当だ。何もしてないけど……何かはされている気がする。

 アイブラスはなぜか俺の腹のぜい肉を気に入って、添い寝している俺の腹を揉みながら眠りについているからだ。本当に好きなんだなぁと、腹の持ち主の俺が思うくらい熱心に手触りを堪能してらっしゃる。

「なんと喜ばしい! ミオ様が今後も一層陛下を癒して差し上げられるよう、このバジリア、ミオ様を全力でお支え致します!」

 バジリアが『よくやった』と目を輝かせる。喜ばれるのも微妙な気持ちだ。


「そろそろ私も城に戻らねばならない。戻る前にミオへなにか印を付けておきたいと思っていた」

「印って?」

 アイブラスの言葉に俺は首を傾げる。妃の農場だと看板でも立てるのだろうかと、自分なりに想像する。

「王の所有物だという証だ。いままでミオを侮った者たちに、思い知らせてもよいだろう。それに、たった六つしかなかった作物をバジリアの力を借りたとはいえ、貧民に分け与えるほど増やしたのは着目できる。食文化の壁はあるが、民すべての腹を満すためならば、王の祝福を与える資格は充分にある」

「先王様は酒好きでらっしゃいましたので、お気に入りのワインの醸造家に祝福を与えたと聞いております」

 バジリアへ陛下が頷く。

「その醸造家が関わったワイナリーで、高品質のワインが毎年大量に作られるようになったのは良いが、その影響でほかの国内ワイン生産者が軒並み廃業したのだ。祝福を与えられた醸造家は年老いて重い病にかかっているそうだが、なんとかまだ命をつないでいる。だが、次の代からは国内に流通するワインは十分の一以下になるだろうな。しかも祝福なしで質の良いワインを醸造する技術は廃れてしまった」

「祝福の影響力の大きさゆえですね」

「私の行う祝福は、祝福を受けた者がこの世を去ったのちも、全ての民が恩恵を受けられるものにしたい」

 そう聞いたら、寵愛の証なんて言い方をされるのは似合わないものに思えてくる。祝福は王の意思を示す、志の高いものだ。脇を見ればバジリアは膝をついて手を合わせ、感激した表情で陛下を崇めている。

「民を思う陛下の御心のなんと美しいことか……!」

「王の立場にあれば、誰であれ思うことだろう」

「いえ、王位にある全ての者がそのような美しき心であったならば、戦は起こりません! この国の平和は陛下のお心の美しいありようそのままの――」

「あー、もうよい。私をそう持ち上げずともミオに祝福はやる」

 止めないとウザいくらい長々としゃべりそうな熱烈さに、アイブラスは手を挙げ止めさせる。

「よいかミオ、祝福を受けるには『代償』が必要だ。一生を通して誓える何かを考えろ。誓うものが難しいものほど効力は高くなる。過去には禁酒を代償に捧げた者もいたが、私の魔力は弱くないゆえ案ずるな。無理せずともできる範囲のもので良い」

 バジリアがすかさず、過去の例を教えてくれる。

「前回祝福を受けたくだんの醸造家は、毎日千歩以上歩くという誓いを『代償』にしたそうです。だからいまでも、両脇を抱えられたまま毎日千歩お歩きになっているとか。代償として捧げた誓いを破ってしまったら、その翌日から祝福の力は無くなりますからね」

 自国の王に脅されてこの国の滅亡を命じられている魔術師は、比べようもないほど王らしい王であるアイブラスに心酔したようだ。言い終えるとまた陛下を潤んだ瞳で見上げ、うっとりしている。

「その者と同じ代償で良い。ちょうど詠唱する呪文も憶えている。モリタに見つかったら、あれこれうるさく口を出してくるかもしれない。いまここでさっさと終わらせるぞ。ミオ、いますぐ私の前に跪け」

 精神を集中するため、陛下が目を閉じる。呪文らしきものを呟くと、彼女の手がぼんやりと薄青い光に包まれた。

「アイブラス、手が光ってるよ⁈」

「この目で祝福の御業を拝見することができるとは、なんという僥倖でしょう‼ ミオ様早く早く、ほら膝をついて! 急いで!」

 慌てて畑に膝をつき、アイブラスを見上げる。彼女の長いまつげがゆっくり持ち上がると、紫色の瞳がうっすらと光りを灯していた。

「無理せず守れるもの……うん、わかった。アイブラス、祝福を受けるよ俺」

 呪文が再開される。聞き取れないぐらい小さな声だが、歌うように高い声もあれば唸りに近い低いものもあった。

 光に包まれた手が俺の額にかざされる。

「ミル王国王家第十五代王、アイブラスが命じる。ミオ、そなたにわれの祝福を与えよう。願いたい祝福はなにか?」

「イモをうまく育てられるようにお願いします!」

「認めよう。そなたにイモの祝福を与える。次に、代償として捧げるものを答えよ」

「俺の貞操を捧げます!」

「「……‼」」

 彼女たちの目が見開かれる。なにか失敗したのだろうか? 

 巫女になれるぐらい清い身体だってソミアに褒められたし、陛下に添い寝しているが腹しか触られていない。

 添い寝の時点ですでに俺は童の貞とやらを脱している、なんて解釈がこの世界であると聞いていないが……え? だめなの?

 不安で二人の表情をそれぞれ見遣る。

 隣りから向けられる視線は信じられないアホかという攻撃的なもので、俺を見下ろす視線は苦笑に近かった。とりあえず陛下は怒っていないようだ。

「認めよう。祝福は成立した」

 陛下の手のひらから青白い光が移動し、俺の額へ吸い込まれていく。光りが収まると、「終わった」と告げられた。

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