第31話 Lv.2 ポテトサラダ

 残っていた最後の1個でポテトサラダを作った。

 蒸したイモをつぶして野菜やハムと混ぜ、マヨネーズと塩コショウで味付けするのだと厨房付きの料理人ザックさんに説明する。

「燻製肉を入れてもいいかもしれないが、イモが一つしかないから失敗してもやり直しが効かない。今回は確実な材料だけを混ぜるだけに留めた方がいいな」

「マヨネーズってありますか?」

「それって酢と卵で作るソースのことだろ? それなら作れるぞ」

「マヨネーズが味を決めますから! 多すぎず少なすぎない量にするのが大事です‼」

 俺の気迫にザックさんは「まかせろ!」と心強い。

 相談した結果、使う野菜は人参とパセリ、スライスした玉ねぎにした。ポテトサラダにはきゅうりを入れることが多いけど、イモの量が少ないから水っぽくなりそうでやめた。

 そしてザックさんがささっと手作りしてくれたマヨネーズはおいしかった!

 ポテトサラダ完成です! 


 夕食ではザックさんの素晴らしい料理より先に、陛下は俺のポテトサラダに先に手を付け、良い味だと褒めてくれた。

 嬉しくて、笑顔が止まらない。自分の大好きなものが認められるってこんなに幸せな気持ちになるんだな。

「今回はシンプルなタイプのポテトサラダだよ。イモの収穫ができたら、次は燻製肉の細かくしたものやピクルスも混ぜれば、もう少し高級感が出ると思う」

 陛下が俺が座る椅子を掴み、ものすごい力で引き寄せた。悪いが俺の体重はそんな細腕一本で動かせるようなシロモノではない。

 焦れた陛下は俺を立ち上がらせると、自分の椅子のすぐ隣まで引っ張り、ここへ座れと命じる。

 近すぎませんかと遠まわしに抗議したら、「近すぎない。毎回この距離にしろ」とあっさり却下された。

「ポテトサラダも色々あるのだな」

 しれっと話を元に戻される。

「はぁ。ええと、これと似たサラダで、カボチャとクリームチーズとナッツの組み合わせも美味しいんだ。カボチャサラダなら根を使ってないから、こっちの世界の人も抵抗なく作れるってザックさんも言ってた」

「ほう、ザックとたくさん話したようだな」

「話しが盛り上がってとても楽しかったよ」

「……楽しかったか」

「今日はザックさんにマヨネーズの作り方を教わったんだ! 塩と酢と卵だけなのに、俺が作ったのと全然味が違って、まろやかななのにびっくりしちゃった」

 今日はチキンステーキだ。添えられたゆで野菜には、マヨネーズがかかっている。俺が知っているマヨネースよりゆるいが、卵の風味があっておいしい。

「……本当に楽しかったようだな。私といるときより笑顔だぞ」

「俺、料理作るの好きみたいだ」

「……ほう、『好き』か? ザックを気に入ったのか?」

「うん、そうだね!」

 部屋の隅でデザートの仕上げをしていたザックさんがこちらを振り返り、目を瞠ってブンブン頭を振る。あいにく俺には何のサインか分からない。

 陛下がため息をつき、胸が苦しいと意味ありげに呟いた。

「体調がすぐれないの?」

 陛下は無言でモリタさんへ鋭い視線を飛ばす。モリタさんが手を振ると、給仕係の人とザックさんがすぐに食堂を出て行った。

 まだメインの皿を食べ終わっていなかったが、モリタさんはデザートの皿もテーブルへ並べてしまった。

「ミオ、お前の手で私に食べさせてくれないか?」

 陛下が俺へ身体を寄せ、上目遣いでアメジスト色の瞳を潤ませる。

「フォークを持つのも辛いの? 大丈夫? 横になった方が――」

「そこまでは悪くない」

「そう?」

 たしかに顔色は悪く見えないが、急に腕が痛いとか手にしびれが出たのかと、あれこれ心配してしまう。彼女の手を取ってさすると、ぎゅっと強く握り返された。

 ――やっぱり元気なんじゃ……?

「ミオのイモが食べたいのだ」

 鼻にかかった、子どものような高い声色に、お茶を注いでいたモリタさんがギョッとした。ちゃぽんとお茶の水面が揺れる。

 俺の視線に気付いた陛下がモリタさんを睨みつけると、慌ててモリタさんは出ていってしまった。


「ミオのイモが食べたいのだ」

 一言一句、口調まで同じ言葉が再度呟かれる。陛下が前方に抱える豊かな胸が俺の腕に押し付けられた。これは甘えられているというヤツだとようやく気付く。

「あーんってやつ?」

「そうだ。ソレだ。早くしろ」

 やっとわかったかと、少し拗ねた言い方もどこか甘い。

 スプーンでポテトサラダを差し出すと、小鳥のように口をぱかっと開ける。白い歯の下で控える、濡れてなまめかしい舌へそっと乗せると、王さまは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 ――なんかコレ、エロい気がするの俺だけ?

 ザックさんでもモリタさんでも誰でもいいから聞きたいところだが、あいにく二人きりだ。

「美味じゃ。もう一口」

「もっ、もう一口ね」

 無邪気なほどに大きく開いた唇の向こうへスプーンを差し入れる。歯に当てないよう慎重にすればするほど、赤く濡れた口腔を見つめることになり。心拍が急上昇してしまった。

 ごくりとなぜだか俺は唾をのみこむ。身体が緊張して、喉の奥が苦しいような気がした。

「んッ、んー……ミオのイモはうまいの」

 ペロリと唇を舐めるその舌の動きに視線が引き寄せられる。それを察したアイブラス陛下が小さく笑った。

 凝視してしまったことに気付き、俺は慌てて謝る。食べている姿をちょっと間近で見ただけなのに、なぜだか身体が熱い。

「ごめん、み、見すぎだったよね……」

「ミオ、お前にも性欲があろう?」

 俺がよこしまな目で見ていたことをとっくに気づいていたアイブラスは、何か含んだ眼差しをよこす。

「い、いえ、俺は――ただ、その……」

 何を言いたいのか、もしくは言えばいいのかさっぱり分からず、しどろもどになってしまう。

「ミオ、そなた私と交わりたいか? そなたが――」

 そのものスバリの話に動揺し、俺は慌てふためく。

「ごッ、ご心配なく! シなくても生きていけるから! 俺がいた世界では少子化問題が深刻でゴザイまして、バイトのスーパーのおばちゃんたちいわく、個人差はあるものの四十代に入ればナニをどうしても立たなくなるし、使わないでいると三十代で使えなくなる、機能しなくなるってすごく残念そうに話してて。っていうことは俺もあと十年くらいしたら煩悩から卒業できるんだなー、思ったより早いんだなーとか思っちゃったくらいで。とにかく十年も放っておけば下半身に煩わされることもないっていう情報だけお伝えできれば俺としては満足というか!」

 息継ぎなしでしゃべったせいか、頭がくらくらしてきた。

「……いいのか?」

 白い肌にうっすらと掃かれた桃色の頬が小さくふくれる。

 ――気位の高そうな高貴な美女が、ぷくって頬を膨らませて拗ねるって、どこのエロゲ……やばいやばい、そんな下半身的妄想を恩義のある陛下にしちゃ絶対だめ!

「そりゃもう、これ以上迷惑をかけるつもりはないよ! 与えてもらったこの境遇に充分もなにもはるかに越えて感謝してるんだから!」

 眉根を寄せ、眇めた目で俺を見る陛下は、ちょっと不機嫌そうだ。

 おもむろに大きく息を吐きだした陛下はムウッと口を尖らす。

「……いらんのか」

 俺に寄り掛かっていた身体が離れ、いつものぴんと背筋の伸びた姿勢に戻る。

「お気遣いなく!」

 尖らせた陛下の小さな口がさらに前に突き出される。タコちゅう的な唇は、キリリとした普段の陛下のお姿からは想像できないほど愛らしく、つい小さく吹き出してしまった。

「ふふっ、かわい――ええと、ごめん。普段あまりに凛々しい美しさだから、見慣れない表情につい……」

「私は美しくないか?」

 片眉をひょいと上げたアイブラスが、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

 ――なんだ、冗談だったのか。はー、冗談キツイよ王さま、マジで言い寄られてるのかと思った!

「お美しいですよ、もちろん。どんな花よりアイブラスは美しい」

 安堵した俺は、満面の笑みで褒めたたえる。

「……かわいいか?」

 ツンと顎を上げ、ちらりと盗み見るようにこちらへ視線を一瞬向ける。愛嬌のあるしぐさに、ぐっと胸を掴まれるような苦しさを覚える。

「ええと、それは……あの、かわいいって言っても怒らない?」

「怒らない」

 今度は一切こっちを見ずに答える。やっぱりかわいいと、見られていないのをいいことに顔がだらしなく緩んでしまった。デレるってやつだろうか。

「では、可愛いです。さっきの唇の形がとくに可愛らしかったな」

「『では』とはなんだ? 私の機嫌を損ねないために無理やり言ってみただけか?」

「本気でかわいいって思ってますって!」

「ふん! ……困った顔のミオもかわいいぞ」

 アイブラスの耳が赤い。俺が言った『かわいい』を信じなかったのはもしや……照れたから?

「アイブラスの方がもっともっとかわいいと思うけど」

「ミオ、何か欲しいものはあるか?」

「それって昨日も言ってなかったっけ?」

「毎日聞いて何が悪い? ミオは素直に欲しいものを私にねだればよかろう!」

 上機嫌で拗ねた振りをするアイブラスとの食事は最後まで楽しく、別れがたいほどだった。

 特定の誰かと二人きりでこんなに満たされた気持ちになるなんて、記憶にある限りでは初めてだ。

 同時に、自分の人生を幸せだと感じた初めての夜でもあった。

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