第30話 風呂に入ってから来いとの呼び出し

 バジリアはこちらに引っ越すための準備があるからと、王城へ戻っていった。

 俺は王さまの言いつけ通り、小川の水で沸かした風呂を使わせてもらう。館の隣に目隠し用の壁と屋根が付いていて、半露天風呂って感じ。着替え用の小部屋があるのが嬉しい。

 やっぱり風呂は最高だ。

 隅々まで丁寧に身体を洗うようソミアが真剣な顔で何度も念押ししてくるので、石鹸でゴシゴシ耳の裏も足の指の間も全身しっかり洗った。

 はー。やっぱいいねぇ。 

 ホカホカピカピカな俺を見たソミアは満足気に頷き、布で髪を拭いてくれた。

 新品の服まで用意され、なんだか気合いの入り方が違う。

「こんなこともあろうかと用意していた一張羅の出番が来ましたね!」

 ソミアが普通の服に布を縫い足して作ってくれた服は、生地も上等そうだ。

「陛下に部屋に来いって呼ばれただけだよ?」

「聞きましたとも! 身を清めずに陛下と同衾なさったそうではありませんか」

 声を潜めるソミアを笑っていなす。

「腹部を温めただけだよ。気を遣われるようなことは何もないから」

「数日前は湯を使ってから来いとご指示頂いたとか」

 意味ありげな声音に首を傾げる。

「俺の大事なものが欲しいっていうから、じゃがバターを献上したよ。料理番のザックさんから聞いたよね?」

「このソミア、もちろんしっかり聞きました。元のご発言は風呂に入ったら大事なものをもらうぞという話だったのも聞きました」

「料理に気を取られて風呂は忘れちゃったんだよね。こんなに気持ちいいなら入れば良かった」

「ミオ様、陛下がおっしゃったミオ様の大事なものはイモではございません」

 ソミアの声が再び潜められる。

「イモだよ? 俺にイモ以外に大事なものなんかないもの」

「いいえ、お持ちでらっしゃいます。神殿にお仕えする巫女と同じく穢れのない、そのお身体ですよ!」

 小声で力強く叫ぶという器用さで熱弁する彼女へ、ブンブン頭を振って否定する。

「ナイって! それはナイナイ! なにいってんのソミアってば」

「なんておぼこい! ミオ様の美点を陛下はご理解くださっています。お心のままに身をゆだねてよろしいかと」

「俺がゆ、ゆだねる方がよ……」

 確かにスペックも経験値も皆無な自分に『抱く』側は出来る気がしないけど、本当にそういう意味なんだろうか。

 みるみるうちに頬へ熱が集まる。

 ニヤニヤしているに違いないソミアの顔を見ることができなかった。


 アイブラスの寝室をノックすると、内側からモリタさんが招き入れてくれた。

 王さまはベッドの上で横たわっている。銀髪を緩く束ねたうなじが色っぽい。

――も、もう?! 早すぎない?

 一瞬動揺してしまったが、よく見ると王さまはHEYカモン的やる気満々な表情ではなく、力なくぐったりとしている。

 モリタさんからベッドの脇の椅子を勧められ、そこへ腰を下ろす。

「お前に良いところを見せようとして無理をしてしまった。……無様な姿を見せてしまったな」

 苦笑する彼女の背中にモリタさんがクッションを足し、身体を起こしやすくする。モリタさんは二個三個と足しながら小言を呟く。

「巡幸での疲労を癒すための静養ですのに、瞬間移動だなんて力の必要な魔術を使うなんて何事かと思いました」

 キロリと咎める視線を向けられる。

 陛下が「心配させてしまったな」と短く返したが、それでは腹が収まらなかったらしく、今度は俺へ小言が向けられた。

「そんな無茶をなさるだなんて、妃様の行いが陛下を不安にさせたのではありませんか?」

 俺が陛下を不安にさせるようなことをしただって? モリタの言葉の意味をそのまま受け取っていいか戸惑う。

 だって、俺だよ? 俺の行動で不安になるって、それって――まさか。

 いや、思い過ごしかもしれないと思いながら、そうだとしてもアイブラスと話していたのがそれほど良くなかっただろうか。

「もしかして陛下、俺に……」

 嫉妬してくれていたなんて、思い上がりすぎだろうか。

「アイブラスと呼べと何度言えばわかるのだ」

 不機嫌そうにぷいとそっぽを向いた様子が照れ隠しにしか見えない。

 俺の目がおかしいのか分からないが、嫉妬した己を恥じるアイブラスはかわいい以外の何者でもなかった。

 でも格好良くありたいだろうアイブラスには、そのかわいいは嬉しくないかもしれない。

 なんだかムズムズして、足をそわそわと動かした。王さまの前じゃなかったら、いますぐ部屋を出てそこら辺をダッシュして回りたい気分だ。


「ミオ、なにか欲しいものはあるか?」

「いまは、特にないかな。ちょっと前まで牛糞が欲しかったんだけど、手に入るようになったから大丈夫」

 ここの生活に不満は一切ないと表情でも伝えたくてにっこり微笑む。

 モリタさんが陛下の後ろでため息をついたのが見えた。

 これは雰囲気を台無しにしたということだろうか。

 もちろんいまの俺とアイブラスが『イイ雰囲気』になっているという仮定が合っているならだが。

 我ながらまどろっこしいが、自分が嫉妬される対象になるなんて、そんな人生イベントが自分にあるなんて信じられない。

「ではバラを百本送ろう。愛しい者には贈り物で気持ちを表すものだ」

「バラを百本ですか……それだけあったら香油が作れるか――そうだ、油だ! バラよりも油カスもらえます?」

「花よりカスがいいのか?」

 片方の眉を上げたアイブラスが、口元をゆがめる。

 気分を害してしまったかとヒヤッっとしたが、「面白いなミオは」と続いた言葉に胸を撫で下した。

「植物油のしぼりカスは家畜のエサにするけど、魚油のしぼりカスは捨ててるって聞いたので、できればそれを」

 以前、米ぬかや豆殻などを集めてもらったときに、バールさんから魚油を絞ったあとのカスを畑に撒く地域があると教えてもらったのを思い出し、試しに頼んでみた。

 馬に乗れない俺には、ここから海まで買いに出るのは難しい。

「……魚のカス、か」

「すいません。自分で取りに行きますので、話しだけ通してもらえれば」

「いやいい。モリタ、そのカスを手配しろ」

 モリタさんは短く返事をすると、すぐに部屋を出て行った。

「ごめん。カスなんてアイブラスに頼むようなものじゃなかったよね」

 二人きりになった俺は、少しだけ砕けた口調にする。それを耳にしたアイブラスのまなざしが柔らかくなった。

 俺なりに彼女への信頼を乗せたつもりだ。距離感の確認というか。

 抜けるような白い肌に紫の瞳を持つ美女相手に親し気な態度を取って、しかもそれを相手に喜んでもらえるなんて、人生何があるか分からないものだ。

「無欲なミオらしい」

「呆れてたよねモリタさん。こんなんだから、お城も追い出されたの思い出したよ。俺がイモを作ることで王さまの面目を潰してるよね? ごめん」

「謝らせたいわけじゃない。そんな心配をしていたのか。ミオはかわいいな」

 男前な王さまの発言にしどろもどろになった俺の手を、アイブラスは緩く握った。

 疲れた様子の王さまに俺を呼んだ理由を聞くのは憚られ、そのまま辞することにする。

 もしソミアの予想通りだとしたら、もっとアイブラスを疲れさせることになりそうだし。

 いや、ソレがどれぐらい疲れるのか、はたまた疲れが吹っ飛ぶくらいのアレなのかも、俺は知らないんだけどね……。

「アイブラス、ゆっくり休んで。夕食のときにまたね」

 いつも夕食は同席させてもらえているから、また後でと声を掛けた。緩くつないでいた手にぎゅっと力がこもった。

「ミオのイモが食べたい。今日の夕食はミオのイモがいい」

 甘えた声のアイブラスに、ドッと胸が高鳴った。

「もち、ろん! 最後の一個だからちょっとしか作れないけどいいかな?」

「うん。楽しみだ」

 キュン。俺の胸が鳴った、気がする。コレってキュンってやつだよね?

 全力でイモ料理を作るよと、俺は彼女に固く誓った。

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