第29話 バジリア参上

 ピンクの髪も、ショートパンツから大胆にさらした太ももも、すべてが俺を憂鬱にする。

 大きく開いた胸元に見える谷間は、みっちりと息苦しそうだ。

 学生時代、俺の制服はいつもあんなふうにピチピチで息苦しかったのを思い出す。

 新入生のときはジャストサイズだったのが、半年後には毎朝息を止めて腹を引っ込ませ、ギリギリでズボンのホックを留めていた。

 とんでもない腹圧に耐えていた俺のズボンの縫製技術は大したものだ。

 素晴らしい耐久力のおかげで俺の脂肪たっぷりの腹はきつく締められ、赤い跡がくっきりとついた。さらに汗をかくと、そこがかゆくてしょうがなかった。

 帰宅後はその赤くなった腹を思う存分ぼりぼりと掻いたものだ。

 高校卒業後は、ゴム入りズボンで暮らすことが出来、とても嬉しかった。

 異世界に来るときも履いていたあのゴムウエストのジーンズは、最近少し緩くなった。

 ゴムが伸びたのか、それとも俺が痩せたのか?

 ここでは鏡は高級品らしく、俺は持っていないので良く分からない。


「陛下のご許可を頂けますなら、妃様のイモの生育のお手伝いをさせていただけますでしょうか」

 バジリアの声に、逸れた思考を戻す。

 彼女の姿に俺は「やらなきゃいけないこと」を思い出す。そうだった。俺、この国を滅ぼさなきゃいけないんだった。

 俺のズボンのゴムよりも、いまは彼女に契約させられている、この国を亡ぼす約束をどうすべきか考えなければ。

 彼女が呪文を唱えれば、魔法陣が俺の胸に浮かび上がるのがその証だ。

 死にたくなければこの国を亡ぼせとせっつかれ、俺は苦し紛れに『災厄のイモ』で人々を『ヒマン』に陥れる、そのためにイモの栽培を急ぐのだと、そんな感じでしのいでいる。


 いま王さまの前で深く首を垂れ、ご機嫌伺いとともにバジリアが申し出た願いは、俺の滅亡プランの進捗確認と監視が目的だろう。

 国中の井戸と田畑へ水の祝福と生育促進の魔法をかけて回る『巡幸』が終了し、バジリアもいままで休暇にはいっていたらしい。

 復職後は俺のそばで畑の手伝いをしたいという願いは、アイブラスが快く許してしまった。


「ミオには私の名を呼ぶことを許している」

「なんと!」

 良くやった!と言わんばかりの視線を向けられ、褒められ慣れていない俺は照れてしまった。

 狙ってやったことではないが、自分の行いが人に喜んでもらえるなんていままでの俺の人生にはなかったことで、単純に嬉しい。

「私の大事なミオのそばにいたいと願うのは、どういう意味か分かっているのだろうな?」

 アイブラスの声音が一段低くなる。――っていうか、何か意味があるものなのそれ? 宮廷あるあるなのか、語らぬ何かを察する知識を俺は持ち合わせていない。 

「……必ずお役に立ちます」

 首を捻るのは俺だけで、二人の間では合意に至っているらしい。

 そんな俺をちらりと見遣ったアイブラスが、軽いため息とともに、俺に聞かせるように解説感のある言葉を呟いてくれる。

「私以外、後ろ盾がない身だ。お前がそばに侍るなら、宰相派から余計な手出しをされることもないだろう。国随一の魔術師を敵に回す者はおるまい」

 護衛的な意味らしい。それも物理的な攻撃だけではなく、政治的な牽制もありそうだ。俺なんかのために、想像以上の配慮を王さまは考えてくれているらしい。

「もったいないお言葉でございます。私の魔力など、貴きお血筋の陛下には遠く及びません」

「ただし、その軽薄な装いは改めよ。私のミオの品性を疑われかねない」

 平坦だが腹に響く声音にたしなめられ、バジリアが身を震わせた。

「はい! 速やかに!」


 そんなわけで『かわいいからいいのだ』と俺がなんと忠告しても譲らなかった服装は、数分の後に胸も足も出ていない服装へと変わった。

 ぴったりしているもののズボンはくるぶしまでしっかり布で覆われているし、色も黒だ。胸元も開いていない白シャツとシンプルなものになった。

 ズボンにもシャツにもあちこちにフリルが付いているところに、まだ彼女らしさが残っているのが微笑ましい。

 バジリアに農場を案内するという名目で二人でその場を辞した俺たちは、たい肥置き場に来ていた。

「臭いわ。ツンとくる上に、なんか目が沁みる」

 秒で不機嫌になったバジリアを俺はまぁまぁとなだめた。

「激臭だから人がめったに来ないんだよ。密談にはもってこいだろう?」

 仕方ないわね、とバジリアは肩をすくめ、本題に入った。


「巡幸が終わってから、アルティパ王に呼ばれて顔を出したけど、災厄のイモを早く蔓延させろってとにかくアイツがうるさくって」

「アイツって、一応王さまっていうか、君の上司だろう?」

 内容が内容なので声を潜める。

「自分じゃなんにも動かないくせに態度だけデカいわ、無能なくせにキャンキャン無理ばっかり言うわ。すぐに私の家族を盾に脅してきて散々なんだもの。いつかアイツぶっ飛ばしてやる!」

 よっぽど腹立たしかったのか、彼女は声を荒げた。

「君、自分ですごい魔術師だって言ってたし、ホントにぶっ飛ばせそうだね」

「アイツは自軍の魔術師に反乱起こされるかもって不安がってるから、魔術攻撃に備えて、防御魔法をかけてあげてるのよ、私が。だから……ん? 私がかけてるんだから、私ならいつでも解除できるわね……」

 バジリアはあごに手を当て思案する。

「アルティパ国内のご家族がまた人質に取られたら、バジリアは逆らえないもんなぁ」

「……家族をこっちに脱出させられれば……って、ちょっとおかしなこと私に吹き込まないでよ!」

「え? 何も言ってないけど?」

「とにかく、さっさと災厄のイモの進捗をしなさいな!」

 ぴしりと指さされ、頭を書きながら俺はイモの報告をした。

「ええと、ジャガイモは植え付けから収穫まで大体百日かかるって言われてるから、あと二か月半したら収穫できると思う。そのイモは今年中にこの広い畑に種イモとして植えて、もう一度収穫したい。そこまでしないと、今年はイモは配れないと思うよ」

 バジリアが指を折って考える。

「八月に収穫して、次は……この土地では無理かもしれないわね。二期作目は私が生育促進の魔法をかけてひと月で収穫できるようにしてあげる。面積が広いから、何度かに分けないと私の魔力が続かないわ。特にいまは巡幸で使い果たして、体内の魔力もスッカラカンだし」

「次の植え付けまでに、このたい肥を発酵させて土づくりも済ませたいんだけど」

「ハイハイ、時間経過の魔術もすればいいのね。あなたも人使いが荒いわね」

「はぁ? それぐらいやってくださいよ!」


「楽しそうだな」

 突然背後から聞こえた声に、二人で「ひぃーーッ!!」と声にならぬ叫びを上げた。血の気が引くとのまさにこのことかと、青白い顔で実感する。

「ヘヘヘ、陛下ッ!」

 直立不動で敬礼するバジリアが白目をむきそうになっている。

「アイブラス、いつからソコに⁉」

 俺の命よサヨウナラ、なのか⁉

「人使いが荒いと私のミオがそしられたところからだ」

 アイブラスの言葉に、思わずそろって安堵の息を吐く。

 やばい、息が合い過ぎてるのがすでに怪しい。どうすればいいか分からずとりあえず息を止めてみたが、それも違うと思い直し秒で断念した。

「あれは陛下、親しみの表現といいますか」

 俺をそしったと指摘されたバジリアが、冷や汗を浮かべながら弁解する。

「貴様、私のミオと親しいのか?」

 リアル貴様初めて聞いたな俺。めちゃ怖いんだけど。腹の底で雷でも飼ってるのかなってくらいの迫力ある響きだ。

「めっそうもございません! 妃様にそんな、そんなワケないじゃないですかぁっ」

 アイブラスの迫力にバジリアがべそをかき始めてしまった。

 泣かすなよ~! っていうか、この国を滅亡させろとか言うくせに、メンタル弱すぎるぞアイブラス…。

「わきまえているならいい。それと、私が空間移動の魔術を使えることは他言するなよ」

 いきなり現れたのは魔法だったらしい。っていうか口止めするぐらいなら使わないでほしい。これ以上秘密を抱えられる自信がない。

「はい陛下! 命を懸けて誓います!」

 しつけられた犬のように、バジリアは絶対服従に近い勢いで誓っていた。

 

「いきなり現れたと思ったら、空間移動ができたんですか? ファンタジーだなぁ……」

「ミオ、お前は私の妃だ。私以外の者と交わったことが分かったら、お前の命はないと思え」

 突然の話題に俺は目を白黒させる。

「は⁉ ま、まじわ、る? ちょ、ちょっと何を突然おっしゃってるんですか!?」

 赤面した俺を、アイブラスは満足そうに眺める。なんだか機嫌が良くなったみたいだ。なんでか知らないけど。

「小川の水で風呂を沸かせているところだ。風呂に入ったら、私の寝室に来い」

「え、あ……ハイ」

 暑くなってしたし、そろそろ俺の汗の匂いがきつくなってきたのだろうか? 最近は何かと王さまに呼ばれることも多くなってきた。お風呂とまで贅沢しなくとも、水浴びは毎日した方がよさそうだ。


 アイブラスの姿が目の前からふっと消える。

「さすが高い魔力を持つというミル王国の王族。お使いになる魔術も格が違う。あぁ、この目で空間移動術を目にできるとは! この国に来てよかった‼」

 バジリアは心酔した様子でキラキラと目を輝かしている。

 そもそも彼女は大悪徳魔女サラマンディアにこの国を亡ぼさせるつもりでこの国に来たんだよなぁと思ったけれど、口にしないほうが賢明なのは俺でも分かった。

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