第27話 デートでステップアップ

 雨は結局、三日続いた。

 静養で王さまが来てから四日目、久しぶりの晴天に恵まれた。

 日に日に王さまの体調は快方に向かい、あたたかな日差しに喜んだ陛下のご希望で、起き上がって散歩をすることになった。

 着ている服はネグリジェではないが、身体を締め付けないふんわりとしたワンピースだ。

 心配したモリタさんから分厚い靴下と長くつ、肩掛けにマフラー、帽子とありったけの装備をさせられた陛下は、丸っこい愛らしいシルエットになった。

「ここは休耕地だったのだろう? ほとんど耕し終えているじゃないか。まだ何も植えていないのか?」

 ここ何日か昼間は添い寝という腹温め係をさせていただいたおかげか、顔色の良くなったアイブラス王は農道を歩きつつ、広がる畑を眺める。雨上がりの山の空気は冷たいが、澄んでいて心地が良い。

「俺が自力でやったのはほんの少しだけで。貧民の方で農作業に慣れている方に手伝ってもらいながらなんで、勉強中というか訓練中なんですけど。ここはまだ土づくりの途中で、黒くてふわふわの土を目指してたい肥を混ぜ込んでるとこです。みんな良く働いてくれるので、休耕地はほぼ全て耕し終えてくれました。俺と一緒に働いてくれるだけでもありがたいのに、みんな土で汚れるのもいとわず、良くやってくれてます」

 自分の手柄のように話すのは気が引ける。

 しつこい言い方になってしまったかもしれないが、あくまで一緒に動いてくれる人がいるからできたことだと協調しておく。

「ミオ、ここは楽しいか?」

「もちろんです! 早くここに全部イモを植えたくてウズウズしてます!」

 にっこり笑みを浮かべる俺を、アメジストみたいな紫の瞳がじっと見つめる。

「宰相らに城を追い出された格好になったからな。少しくらいは拗ねているかと思ったが、ミオは相変わらずだな」

 彼女が視線を落とすと、美しい瞳が長いまつげに隠れた。

 無言で数歩進んだ王さまは、道端で咲く名の知れぬ花に目をとめ、かすかに笑う。

 可憐さをにじませた美貌に、俺はひそかに息を呑む。

 バリキャリ美女だった王さまが、乙女というか美少女に変身したみたいで、どきどきした。

「えっと、あの……この農地の中央に小川があって、水やりがとても楽になりそうなのも気に入ってます。この屋敷を選んでくださった方に感謝したいほどですよ」

「そうか。ミオにとって川の水は、農業用水になるのだったな。我らは川を排水にしか使わぬゆえ、井戸のないここは、農業に適さない不便な土地なのだ。いっとき北の領主が、荒れ地でも栽培できる作物を探そうと農場試験場にしていたらしい」

 荒れ地の言葉に俺は首を傾げる。

 井戸こそ掘れないかもしれないが、山には木々が茂り、草が青々を茂っているここを荒れ地と呼ぶのはふさわしくない気がした。

 小川の水を使わないという縛りがあるのは人間だけだ。

 植物にも動物にも、ここは荒れ地どころか豊かな地なのではないかと思う。

――バールさんたちに頼んでおいて、ちょうど良かったな。

 俺なりの理想郷をここに実現したいのだと王さまに伝えるには絶好の機会になりそうだ。


「領主さまが使っていたから、お屋敷が大きいかったんですね。小屋も多いし、使い勝手が良くて助かってます。そこの茂みが小川が流れている場所なんですが、見てもらえませんか?」

 俺は辺りを見回し、農地を囲むように警備の兵士が等間隔に立っているのを、遠目に確認する。

 普通なら汚物を流す川を王さまに見せるなんてとんでもないことだろうが、俺と二人きりで歩きたがってくれた王さまのおかげで、ふたりきりだ。

「そういえば、匂わないな」

「ここから川上の家は牧場をしている民家5軒だけなんです。いま彼らに俺のたい肥づくりを試してもらってます」

 俺は用意していた言葉を、早口になりすぎないよう、分かりやすく丁寧に口にした。


 もともと川上の五軒には、ソミアとバールさんの協力の元、俺が買い取る前提でたい肥作りを打診し、準備をしていた。

 そこへ、王さまの滞在が決まったことで一気に話が進んだ。

 決定と同時にお城から、陛下滞在のための細かな注意と命令が近隣住民に速やかに通達される。

 そこには警備の兵が使用する宿泊所や食事を有償で提供しろなんて要請にまじって、散策に出た陛下が汚物を目にしないよう、上流の住民は小川に汚物を流すななんて命令が出たのも助けになった。

 滞在中は家畜の糞を捨てられないのかと戸惑う家々に、隣のターニャさんがこれを機にたい肥を作れば副業になると説得してくれた。

 俺と一緒に川上の家を巡ってくれたターニャさんには感謝しかない。

 屋敷を整えるのに忙しいソミアが、『本日までにご契約の方には家庭用屋外トイレの設置サービス付き!』という文言を加えるよう案を出してくれたのも大きかった気がする。

 そして昨日までしとしとと降り続いた雨も俺たちの背中を押した。

 バールさんの指揮で、農場から糞を集める仕事がなくなった人たちに小川掃除をしてもらったのだ。

 雨で水量が多くてやりやすかったからと、川岸の汚れた土を取り除いたり、川の両岸や川原の石に付着した汚れをこすり落としたりと、人が素足で立ち入っても困らないほど綺麗にしてもらえた。

 俺も昨日の午前中は、早朝から川岸の草刈りをして手伝った。

 恥ずかしいことに、弟のトーヤよりも俺は手際が悪かった。

 雨なら身体が洗えるからと、冷えた川にじゃぶじゃぶ入って作業してくれた人たちから、子どもの手伝いレベル以下だと笑われたけれど、それは嘲笑というより、仲間に対する気さくさの表れに感じられ、一緒に働けて気持ち良かった。

 俺が突然言い出したことに、彼らは何の否定もなく、手際よく作業をこなしてくれた。まったく頭が上がらない。

「川は汚いものだろう? それを掃除してどうする気だ?」

 そう言って、貧民がなにをする気だと訝しい視線を送っていた住民たちは、小川の変わりようを見て、とても驚いていた。

 便所に戻すのはもったいないと言って、小川の上に作っていたトイレの台を取り外してくれたらしい。

 汚いと思っていたものが畑の養分になる説明をかねてからしていたのもあり、洗濯といった家事による排水も、全て畑に流すことに同意してくれたので、排水も小川に入りこむことはない。


「この小川はいまもこれからも綺麗なんです! むちゃくちゃ素晴らしくないですか?!」

 思わずテンションが上がった俺を前に、王さまは冷静だった。

「つまり、取水専用にするということか?」

 治政者らしい固い言い回しに、頬が緩む。

「おっしゃる通りです。雨水だけでは足りない水を、この小川から汲んで使おうと思います。畑や洗濯の水から使ってもらって、水質に納得してもらえたらお風呂にも使用してもらえるかと。そうすれば、この流域に住む人たちの生活は楽になると思うんです」

「使える水が増えれば収穫量があがるであろうし、農民たちの収入も増えるだろうな。水浴びが毎日できれば、清潔な生活を送れる。そうすれば病になる者も減る」

「病気、そうか。病気の予防になるんですね」

 俺がぼんやり考えていたことを端的に表現され、嬉しくなる。

 それに、清潔な生活が病を減らすって指摘は俺には無かった考えだ。

 シューヤたち兄弟の病弱な母親、マーマさんを思い浮かべる。

 ここへ引っ越してから、マーマさんの体調は良くなり、屋敷の家政婦としてよく働いてくれるようになった。

 貧民街は川の近くだ。井戸水はそのままでは飲めないと言っていたから、水がマーマさんの体調不良の原因だったのかもしれない。


 さすが王さまだと感心していると、彼女はスタスタを俺の先を行き、小川を覗き込む。

「川に足を浸したい。そこの草むらの上に腰を下ろそう」

 白い指先がクローバーが密集する箇所へ向けられる。

「いいんですか? 清掃作業が終わったのは昨日なので、あまり時間が経ってません。水も昨日の雨のせいでまだ濁ってますし……もちろん、濁っているのは泥が混じっているだけで、汚物ではありませんが」

「綺麗になったとお前が言ったのだ。私はお前を信用している。お前は嘘をつかない」

 ニヤリと笑った王さまが俺を見る。

 不敵とも男前ともとれる彼女の目つきに、俺はしびれた。

 俺への信頼を、行動で表してくれたのだと分かり、胸が熱くなる。

「はい! ありがとうございます!」

 草の汁が付かないよう、俺が首元にまいていたタオルを敷き、その上に座ってもらった。

 ひざまずき、彼女の履く長くつと厚い長くつしたを脱がした。色白の素肌と柔らかな肌を持つ足を、そっと地面へ下ろす。

 昨日、薄い腹部に触れたときよりも、緊張した。

 川下側に少し離れて座り、俺も同じように素足を小川に浸す。

 水流が脚を押し、ふらふらと揺れるのが心地よい。

 彼女を見れば、ほっそりとした脚をゆっくりと小川に差し入れた彼女の表情は明るい。

 いたずらをしている子どものような、笑い声を押し殺す仕草がかわいらしい。

「はじめての感触だな。水に足を持って行かれそうだ。くすぐったくて、楽しい。それに本当に匂いが違うな。雨とも違う。草と水の香りだ」

 わずかに興奮した声で感想を一通り述べる。その声音すらかわいいと思ってしまった。

 王様相手にそんなことえお感じるのは不謹慎かもしれない。

 そんなうっすらとした罪悪感とともに深呼吸する姿に見惚れてしまう。

 満足そう息を吐いた彼女から少女らしさが突然消え、紫の瞳に聡い光りが宿った。 

「明日になればもっと水が澄むと思います。天気が良ければ、水面がキラキラして、良い風情に――」

「ミオ!」

 強い口調にはっとする。反射的に俺の背筋がピンと伸びた。

「はい陛下!」

「以後、私の名を呼ぶことを許す」

 軽くあごを上げ、尊大に俺を見上げる彼女の表情は楽し気だ。

「へ? それってどういう……?」

「手のかかる異世界人め。私のことはアイブラスと呼べ――この言い回しならどうだ?」

 俺を認めてくれた、そう考えていいのだろうか。

 もしくは彼女を笑顔にできたご褒美なのかもしれない。

「アイブラスさま?」

「様が邪魔だ」

 偉そうな物言いが、俺にはなぜか可愛らしく見えるのが不思議だ。

 嬉しさにくしゃりと顔をゆがめる。

「うん! アイブラス、そう呼ばせてもらうね」


 小川から立ち上がり、濡れた彼女の足をタオルで拭き、くつしたと長くつを履かせる。

 その間、ごく自然に俺の肩に手が乗せられた。

 掛けられる重みを愛しいと感じる日がくるなんて、俺は不思議な感動に満たされた。

 アイブラスはその後の散歩中、ずっと上機嫌だった。

 胸を張って先を歩き、時折振り返ってはフフンと意味深な笑みを浮かべる。

 農場の散歩ルートが終わるころ、いつにもまして、キリリとかっこいいアイブラスが、俺へ力のこもった視線を向けた。

「ミオ、戻ったらお前の大事なものをもらえるか?」

「それって……」

「先に部屋で待っている。モリタが風呂を作り終えている頃だろう。湯を使ってこい」

 お城生活で水浴びはしていたが、そういえば風呂は入っていなかった。

 これって異世界初風呂じゃないか?

「いいんですか⁉」

「どこもかしこもしっかり洗うがいい。待っているぞ」

 ふっと鼻で笑う仕草が色気ダダ洩れで、俺はクラクラしてしまった。

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