第24話 お隣さんこんにちは

 午前中はソミアを手伝い、荷ほどきや持ってきた家具の設置に励んだが、午後は自分のやり方で進めたいからと、丁重な言葉でお役御免になった。

 屋敷を整えるので忙しいソミアに、散歩してくると声を掛け、外に出る。

 農場をぐるりと一周する。境界には互いに白い柵が立てられているから、それを確認してまわった。

 農場の真ん中は幅が二メートルほどの川が流れ、両脇に並んだ木々の葉影が水面に落ちている。そこへ、丸太を半分に切った木材を並べた橋がいくつか掛かっていた。

 トイレ用なのか、すき間を開けた橋もあった。

 視線を逸らせば、川藻の緑が目に鮮やかだ。風景は間違いなく美しい。

「こんな綺麗な川をトイレにするなんて、もったいないなぁ」

 葉擦れの音に似た、水が水面を打つ音が響いている。ここは浅いが水流は早いようだ。流れる水は澄んでいる。

 だが、川岸には家畜の糞らしきものがある。そのせいか、どことなく臭い気がする。

 両親が移住した、長野の田舎で見た川を思い出す。

 大きな川は、生き物の生臭さをうっすらと感じたが、山から染み出た小さな流れや小川は、濡れた枯れ葉と苔の香りが気持ち良かった。

 そう思うと、やはり目の前の川を飲み水に使うのは厳しそうだ。煮沸すれば現代っ子の俺の腹でも耐えられるだろうか。

 とはいえ、煮沸するには薪がいる。

「薪拾いもしなきゃ。畑を耕す以外にも、やること多そうだな」 

 川岸の浅瀬に出来た水たまりには、メダカのような小さな魚の影が見えた。

 「魚がいるなら、なんとかできそうだけど……」

 未練を残しつつ、川を越えて先に進む。


 どうやら川の上流側のお隣さんは、牧場をしているらしい。放牧された牛たちと、厩舎らしき建物が見えた。

 牛を追って走る中型犬と、それについて歩く人影を見つける。

 昨日、一日中人目にさらされたおかげで、見知らぬ人から指をさされることに免疫が付いた気がする。しかも今朝はイモを絶賛されて上機嫌だ。その勢いで、深く考えることなく手を振る。

「こんにちはーー!!! 隣りに住むことになりました、ミオと申しますーーー!!!」

 引っ越しをしたら、近所の人にあいさつするものだ。

 前の世界で自治会費をきちんと払っていた俺としては、お祭りのときは地元の神社に現金をご祝儀で渡すとか、そういう地域の慣例は知っておきたいし、必要なら従いたい。

 その土地の性質に詳しい人と仲良くなっておけば、イモの栽培を成功させるのにも役立つかもしれない。農村には農業のプロが集まっているのだし、彼らに紹介してもらえれば相談に乗ってもらえるかもと、現実的な算段があとから思い浮かんだ。


 小さな人影は応えるように同じく手を上げる。枯草色の毛の長い犬たちとともにこちらへ歩いてくる。どうやら中年の女性のようだ。

 案の定、日焼けで浅黒い顔の口元が、驚きでポカンを開くのが見えた。

 俺の身体の大きさに目を丸くする。だよね、って感じの想定内のリアクションだ。

 慣れなのか、俺はそれを恥ずかしいというより、照れの気持ちで受け止める。

「いやぁ、びっくりしました?」

 俺が笑うと、相手もつられて笑ってくれる。悪くない反応だ。

「この珍しい体型のアンタは、もしかして噂の……」

「ええ、まぁ」

くそを城中にまき散らして追い出されたっていう、イカれたお妃さまかい?」

「それです、っていうか違います! お城の畑で馬糞と鶏糞と人糞でたい肥を作ったら追い出されたんです。畑に撒く前に追い出されたので、その噂は違います」

「そら追い出されるわ」

 くしゃっとした皺が目元に浮かぶ。顔を天に向けると、大きな口でアハハと笑った。気持ち良い笑い方をする人だ。

「そうみたいですね。良い肥料になるんですけど」

「見た目だけじゃなく、変わったお妃さんなんだね。ウチの牛糞も良ければあげようか?」

 冗談のつもりだったのか、一人でゲラゲラ笑う。

「ありがとうございます。牛糞が一番欲しかったんで助かります。定期的に伺っても良いですか?」

「本気かい?」

 裏返った声とともに、彼女は再び目を丸くする。表情の豊かな人らしい。

「本気でやったから、城を追い出されたんですよ」

「面白いね、気に入った。アタシの名前はターニャだ。よろしく。お妃さんが住むことになった屋敷の管理は、アタシがこれまでしてたんだ。雨水を貯める水槽も定期的に掃除してたし、先週は空気を入れ替えて、床も全部掃除したよ。綺麗だったろ?」

「ありがとうございます! おかげで今日はすぐに荷物を広げることができました」

「お妃さまに礼を言われる日がくるとは思わなかったよ。アタシは高貴な方と口をきけるような作法も知らないし、無学だけど、お妃さんの大好きなクソならいくらでも差し上げられる。いつでも取りにおいで」

「やった! 俺のことはミオって呼んでください。妃だと、いろいろややこしいので」

「ああ、救国の乙女でもあるんだったね。そっちでも魔力がゼロでなんにもできなんだろ? それで、日当たりも水も不便なココに追放されたんだね」

「うーん、そうなんですかねぇ?」

 俺は男なので、妃や乙女と呼ばれてもしっくりこない。だから名前で呼んでほしかったのだが。

 この見た目だと、性別が分かりづらいのだろうか。それとも男だっていうのも噂ですでに広まっているのかも。どちらにせよ、ターニャさんの態度が変わるとは思えない。

「それより、ターニャさんに聞きたいんですが、この川って源流はどこになるんでしょう? そこからここまで、どれぐらいの人が住んでいるんでしょうか?」

「うちの家族のほかに、あと5家族ぐらいかな。家で食べる分の畑は作るけど、みんなウチと同じ牧場だよ。乳牛と羊ぐらいの差しかない。ここは掘ってもすぐに岩盤が出て、井戸を掘れないんだ。井戸の水を撒けないから、ソバを植えるか牧草地にするしかないんだよ」

「川の水があるのに」

 ここからが本題だ。ターニャさんの表情を注意深く観察する。

「動物の飲み水ならそれでいいけど、人間は雨水だよりだからね」

「提案なんですが、みんなで汚物を川に流さないルールを作りませんか? 源流から徹底すれば、川の水を飲み水に使えます!」

 俺が考えたことを実現するには、彼女の協力は欠かせない。そう考えたら、いつになく緊張し、胸がどきどきしてしまった。

「家畜の糞はどうするんだい? 土地が汚れるだろう?」

「その糞は俺が全てもらいます。6軒の農場分となると、俺一人ではできないので、協力してもらえる人を探さないとできませんけど」

「毒だよ? 現に厩舎の周りは家畜の小便で草も生えない。そんなものを本気で土にまぜる気かい?」

「どちらも肥料になります。ただ、草が生えないのは、そのままだと濃度が濃すぎるからです。薄めたり、藁や木くず、落ち葉、米ぬかと混ぜて発酵させれば――」

「あー、やめておくれ。アタシは学がないんだって言っただろ。全然ピンと来ないけど、やる気は伝わってきたよ。無理だとしても、話しぐらいなら聞いてあげる」

「ありがとうございます。解決方法が決まったら、また相談させてください」

「はいはい。聞いてるだけでハラハラしてくるお妃さまだ」

 ターニャさんは人の好い笑みをを浮かべる。

「宜しくお願い致します」

 頭を下げると、ため息をつかれた。

「ミオさま、アタシなんかに頭をさげちゃだめだよ。村の連中は商売上手なんだ。ほいほい頭を下げてたら、バカにされて損しちまう。まったく、ほっとけないお人だねぇ」

 言われた通り、今度は頭を下げずに手を振る。

「ありがとう、ターニャさん」

 満足気に頷いた彼女は俺へ一礼する。そうか、こういう感じで行けばいいのかと納得した。

 アイブラス王は国民人気の高い王さまだと聞いた。俺の振る舞いお城での王さまの立場を悪くしてしまったことは申し訳ないけれど、イモ関連はやはり引けない。

 しかし、救国の乙女としての手伝いもできないのだから、いまの俺が出来ることはちゃんとやろうと胸に刻む。

「簡単に頭を下げない、か。うん、がんばろう」

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