第22話 からっぽ新居へ

 俺って、こんなに歩けたんだな……。

 汗をぬぐいつつ振り返る。すき間風のはいる別邸のあった城は、山に隠れてもう見えない。

 城を出た俺たちは貧民街から北の城壁を抜け、さらに進んで農村へ入った。

 農村では民家は平地に集まり、酒場もあるほどにぎわいがあったが、離れると人気ひとけがない道が続く。俺の新居はそこから西の山間地に入った場所にある屋敷だ。

 休憩を挟みながら四時間歩き、到着したのは、ほぼ農場と言っていい場所だった。集落一つ分入ってしまいそうな広さだ。

 畑を作れるくらいの裏庭があったらいいなと思っていたので嬉しいが、こんなに広くなくても良かったのにと思うぐらい、敷地を示す柵が延々と続いている。

 正面に見える大きな屋敷のほかにも、小振りの家があちこちに建てられていた。小屋なのか、使用人用なのかよくわからない。農場だとしたら、雇用されている人たちの住まいだったのかもしれない。

 あちこちに畑っぽいのが見えるが、いまは誰も耕していないらしく、どこも雑草が茂っていた。


 シューヤにたい肥をどこに置けばいいか聞かれ、屋敷の前を指さした。

「いいのか? ここたぶん庭だぞ。花壇で使ってた場所で、畑じゃないと思うけど」

「ここの土が一番柔らかそうだし、生えてる雑草も少ないから、ここを最初の畑にするよ」

「家の目の前にたい肥を山積みにしたがるなんて、噂通りの変わりモンだねぇ」

 そう言って、人夫たちの頭領、バールが笑顔で作業してくれる。一緒に歩くうちに、気安く言葉を交わすようになった。

 ヒイヒイ息を切らして巨体で歩く俺を励ましたり、後ろから腰を押して補助してくれたりと、ほかの人夫たちも親切にしてくれた。

 見慣れないであろう身体のぜい肉がぶるんと揺れる様を見ても、ヒーともキャーとも言わず、躊躇なく触れてくれて、ちょっとびっくりした。アイブラス王とソミア以外のお城の人たちなら、絶対しない。

――階級のせいだけとは思えないけど、とにかく考えも感じ方も違う人がたくさんいるってことか。城を出るのは不安だったけど、俺には過ごしやすいのかも。 

 王さまの言うように、この引っ越しは俺のためになるのかもしれない。身体はつらかったが、笑顔で歩いて来れたのは、間違いなく彼らのおかげだ。

 そんな彼らは俺と違って息切れもせず、休まずにてきぱきと仕事をこなしていく。


 屋敷へ荷物の運び入れを指示していたソミアが俺を見つけ、駆け寄ってきてくれる。

「ミオ様、全てお歩きになってきたのですか? まぁ、それはお疲れでしょう。すぐにお食事を用意しますね」

「ありがとうソミア。手伝ってくれた人たちの分もある?」

「お屋敷の食堂でですか? ここの生活水は雨水を溜めたものを使うので、皆さんの手足を洗うだけの水がないかもしれません」

 彼女が頭を傾げると、赤毛の三つ編みが揺れた。

「井戸がないの?」

「だから空き家だったんですよ。ここは水の勝手も悪ければ、日当たりも悪い山際ですから」

「あそこに見えるの川だよね? あの水は?」

「この川上にも集落がありますから。そこの家畜と人の汚れものが流れています。小さな集落ですから流れてくる量も少ないでしょうし、家畜に水を飲ませるぐらいなら使えるでしょうが、人はお腹を壊します」

 水浴びもダメですからねと、念を押される。

「そっか。もったいないなぁ」

 俺が嘆くと、ソミアは頬を緩ませ、くすりと笑う。

「それがここの常識ですから。もったいないなんて思うのはミオ様くらいですよ。それより、水が足りないのが気になります。手を洗うだけなら間に合うでしょうから、屋敷の外に椅子とテーブルをお持ちした方がいいかもしれません」

 そうするか、と話しをまとめようとしたところで、俺たちの話を聞いていたバールが口を挟む。

「俺たちは地べたに座るから椅子もテーブルもいらないぞ。手を洗う水も少しでいい。アンタたちみたいに、真っ白い手じゃなきゃメシが食えないほどヤワじゃないからな」

「それは心強いですね。ではお言葉に甘えて、食事だけ用意しよう。ソミア、俺も手伝うよ」

「ではそれで用意しましょう」


 城の俺の別邸から荷物を運んできてくれた荷馬車の人たちにも、軽食を用意すると声を掛けたが、貧民と一緒は嫌だと、さっさと帰ってしまった。

「いやなら離れて座ればいいのに。キャンプファイヤーみたいに一つの輪になるとでも思ってたのかな」

 不思議がると、バールが「お妃さまは常識がないが、痛快なお方だ」と機嫌よく笑ってくれる。

 ソミアも余計なパンを消費せずにすんで良かったと喜んでいたので、結果的には悪くなかったようだ。

 溜めた雨水で手だけ洗い、パンとチーズ、お茶で簡単な食事を摂った。

 バールたちが貧民は朝と夜しか食事をしないというので、俺も昼ごはん抜きだった。腹ペコな分、バターのない冷たいパンでもむちゃくちゃ美味しい。 

 トーヤとシューヤは食事を手に、ロバたちに水を飲ませるからと川へ行った。

 兄弟たちの背中を見ながら、明日からはあの兄弟に会えないのかと思うと、寂しさを感じた。

 しんみりしていると、ソミアが元気づけるように、俺に声を掛けてくれた。

「ここから見える土地は全てミオ様の敷地です。たくさんイモを植えられますね」

「本当に広い畑だね。俺、こんなに好待遇で追放されていいのかな?」

 ソミアとバールがそろって呆れた顔をする。

「ご安心を。充分冷遇されてらいっしゃいます。荒れた畑のあちこちにソバの花が咲いているが見えますから、前の住人は、ソバぐらいしか作れなかったようです。ソバは連作すると土地が痩せるそうですから、それでこの土地を離れたのかもしれません」

 この世界にもソバがあるらしい。是非今度食べてみたい。ソミアに頼めば用意してくれるだろうか。

 ぼんやり美味しそうだなと考えていると、彼女の言葉にバールが続ける。

「ソバは買取単価が安いから、どんなに働いてももうけにはならないんだよ。俺たちもソバだんごならよく食う。妃に貧民と同じもんを食わせるなんて、宰相は手加減なく、あなた様を冷遇してますよ」

「三食ソバだんごで我慢すれば生きていけるでしょうが、それで生活は精いっぱいでしょうね。間違いなく冷遇です」

 自信たっぷりに二人に説明され、納得した。

「なら良かった」

 王さまが俺のために条件のいい場所を選んでくれたのなら、国のお金であの妃に贅沢させるなんてと悪く言われるのではないかと心配だったのだ。

 俺の発言をバールは勘違いしたようで、「どこまでお人好しなんだか」とまたもや呆れていた。


 赤味がかった空の下、シューヤたちを送り出す。

 城から拝借したロバの荷馬車とリヤカーはシューヤとトーヤに返却を任せ、荷台に乗るバールたちにも手を振って送り出す。

 そこで気が抜けたのか、どっと身体が重くなった。ソミアも俺もクタクタだ。

 だが、荷物を運び入れた男たちは、荷ほどきするほどヒマではなかったようで、ソミアが開けたパンとチーズの箱以外は、なにもかも箱に詰められたまま並んでいる。

 ソミアが真剣な顔で俺を見る。

「こちらのお屋敷、ホールを中心に書斎、客間、大広間、さらに書斎その2に朝食用のお部屋とディナー用のお部屋、その他にも炊事場、洗濯場、召使い部屋その1からその3までと多くの部屋が一階に、二階は主寝室のほかに来客用の寝室やらなにやら、とにかくたくさん部屋がありました。事前に掃除が入っているようですが、どれも寝台以外の家具は入っておらず、自力になります。寝台もマットはありません。台だけです」

「台だけ……ソミアの部屋は1階で、俺の部屋は2階になるのか。前ならちょっと声をかければすぐ気づいてもらえたけど、ここはバカみたいに広いから、届かないんだな……」

 2人で暮らすには、この屋敷は広すぎるようだ。

 どうしようか考えているうちに陽は沈み、ソミアがランプに火を灯す。

「別邸にあったランプは全部持ってきましたが、5つしかありません。この屋敷で過ごすには少なすぎますね。まさかこんなに広い屋敷だとは思いませんでした。ソバしか作れなかった割に、屋敷にはお金をつぎ込んだようですね」

「ここは前の場所より暗いね。吹く風も強い気がする」

 正直言って心細い。お城の人たちは苦手だったけれど、いなければいないでこんな気持ちになるとは思わなかった。

「ここはキツネとかケモノも出そうですね。クマやオオカミがいないといいんですが」

「……戸締りしよっか」

「全てしっかりしましょう!」

 二人で一緒に施錠して回る。ついでに同じタイミングでトイレもすませた。

「ビビりすぎかな? お化け屋敷じゃないのにね」

 俺が苦笑すると、ソミアも同じく情けなさそうに笑った。

「慣れれば、平気ですよ。きっと」

 一周して戻ると、暗さのせいか眠くてたまらない。

「あとは明日にしよう。今日は疲れたし、無理だよ」

「ランプの油も節約したいですしね」

「日が沈んだら寝て、朝日が出たら起きよう」

 疲労と眠気で、なんだか当たり前のことを大きな決定みたいに話してしまう。

 寝室で一人だけ眠る勇気が持てなかったため、濡れた布で身体を拭いたら、だだっ広い部屋の真ん中にとりあえず布を何枚か敷いて、寝床にした。

 ソミアは同じ部屋だが、少し離れた場所にあとで寝床を作るそうだ。

 夏とはいえ、こんな固い床の上で眠れるだろうか。そう不安に思った直後に寝オチしてしまうほど、ヘトヘトな一日だった。

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