第18話 ポテチ ファーストバイト
「何て順調なんだ! あとは塩さえあればできちゃうじゃないか」
キッチンの棚から小さな壺を取り出したソミアが「塩ならここに」と差し出す。やっぱり有能!
「いつも俺を支えてくれてありがとう! ようやくこの日を迎えられて俺は嬉しい!」
初めてポテチを口にした日から、こんなに長期間食べずに過ごしたことはない。感慨深く、つい大仰な口調になった。
「あのぅ、そのポテチというのは、ミオ様の好物なんですよね?」
「好物をはるかに超えた究極の食べ物だよ」
新ジャガはスポンジで擦ると表面の薄皮が剥ける。ソミアがキッチンでスポンジ代わりに使っていた麦わらを束ねたもので擦って、するすると剥いた。凹んだ部分はフォークの先でちょちょいとつつく程度に済ませる。
独り暮らしだったので料理は出来るが、スライサーなしでスライスできるほど達人ではない。太い指先をぷるぷる言わせながら、一枚一枚丁寧に切っていく。
「そんなすごい料理が油と塩だけで出来るんですか?」
「そうなんだ。究極すぎて、材料さえ究極だよな!」
浅くて口の広い鍋を選び、オリーブオイルをなみなみと注ぐ。
「そんなに使うんですか? ……高級ですね」
「揚げ物はこちらではしない? トン――じゃなくて、チキンカツとか、パン粉をまぶして揚げる料理は?」
「鶏のカツはありますけど、匂わない油は高価なんです。普通は揚げ物なんて贅沢しませんよ」
「非常識だったか……すまない」
ソミアが妃様なんだから気にする必要はないとフォローしてくれたものの、俺はしょんぼり肩を落としてしまった。ここの食糧事情を考慮すべきだったと反省する。いくらポテチのためとはいえ、過度な贅沢はすべきじゃない。
「残った油はランプの油に使い回せば、最小限の贅沢でポテチを楽しめるのではありませんか?」
俺の心理的苦痛を和らげようと提案してくれるソミアの心遣いが嬉しい。
「そうだね。次回は揚げ焼きか、油を塗って素焼きにするとか工夫するよ」
簡単に水気を取ったら、油が常温のうちに鍋の端から滑り入れる。
とろりとした油の下に沈む。白いイモの美しさに、ため息をついた。
「はー、すでに最高かよ」
アツアツのポテチにさっと塩を振りかけたら、いよいよファーストバイトだ。
パリ……パリパリパリパリパリパリリリリリリ――
しまった。あまりのうまさに食べながら気を失っていた。
気づけば手元の揚げたてポテチは半分以上姿を消している。
前の世界にいたときから、食べている間に記憶が無くなり、気付いた時には最後の一枚という悪癖は頻発していたのだが、こんなときに発症するとは最悪だ。
貴重なポテチを無意識の気絶状態で食ってしまうなんて!
平時ならもう一袋開封すればいいが、いまは百円ちょっとでポテチを気軽に買えるような恵まれた環境ではない。
この非常時に俺はなにをやっているんだ。くそ!
なんともったいないことをしてしまったのか‼
「ミオ様、泣くほどおいしいのですね」
「うっ……ぐずっ、う、うまい、けど食べ終わるのが悲しいんだ」
「そう、ですか……」
やってしまった。あの心優しいソミアがドン引きしている。
「ソミアも是非一枚どう?」
彼女の表情が小さな微笑みをたたえたままフリーズしている。
匂いだけでもと鼻先へ皿を持ち上げると、「薬と思うことにしましょう」と呟き、一枚だけ食べてくれた。
うまいかと聞くと、土の味がしなくて良かったと、美味しさとはかけ離れた感想をもらった。
せっかくなので、馬糞を分けてくれたお礼に厩舎のおじいさんに持っていこうとしたら、先に豚のチャッピーに見つかってしまった。
ふんふん俺の足首のあたりに息を吹きかけてくるのがくすぐったい。人懐こくて可愛い子だ。
撫でたり抱っこしたりしたいが、チャッピーのパパが怖すぎてとても手を出す勇気がない。
案の定、それを見たチャッピーのパパである厩舎番のおじいさんが、藁の山に突き刺していた巨大なフォークを手に殺気を発した。
「あの~、イモ……滋養強壮の薬を料理してきたんですが、一枚いかがですか? 先日の馬糞のお礼です」
「もしや馬糞を使ったイモか?
「このイモには使ってませんから安心してください」
次のイモの植え付けには使うけどね。ポテチを入れた紙袋の中が見えるように差し出すと、おじいさんが眉間の皺をゆるめる。
「む、揚げてあるのか。贅沢な薬だな」
「それなりに高価になってしまいました。賞味期限っていうか、えっと、明日以降は味が落ちるので出来れば今日中に食べてください」
おじいさんは、恐る恐る一枚手に取り、透かして見たり、くんくん嗅いだりしている。
薬以外でイモを口にしないと聞いていたので、薬としてアプローチしてみたが、嫌な人にはやはり嫌かもしれない。
「どうしても気持ち悪いなら、食べないでいいですよ。あ、手にしたそれは捨てずに俺に返してください。もったいないので俺が食います」
「……食わんとは言ってない」
あまのじゃくなおじいさんは、食うなというと食べる気になるらしい。俺に返すことなく、端を一口パリッとかじる。
無言でそのまま一枚食べてくれた。
「おいしいでしょ?」
食べてくれたのが嬉しくて笑顔になる。
「薬にしてはうまいな」
むすりとしつつも答えてくれた。ソミアの感想より好感触かもしれない。
鶏小屋の兄弟にも持って行く。
滋養強壮の薬というと、味見もせずに袋ごと取り上げられた。
「こっちの世界じゃイモは普通食わないって聞いたけど、全部ちゃんと食えるのか?」
全部やるのは構わないが、口に合わないからと捨てられてはたまらない。
「滋養強壮の薬なんだろ。なら母ちゃんに食わせるから」
事情を聞くと、兄弟に父親はおらず、病弱な母親が一人でなんとか育ててくれたが、いまは床に臥せっている日が多いらしい。
「元気になるといいな」
「殻にヒビが入ったり、割れたりした卵は俺たちがもらっていいことになってるんだ。だから母ちゃんには出来るだけ卵を食べさせようとしてるんだけど、育ち盛りだからって自分の分を俺たちに渡してくるんだ。これは薬なんだろ? なら、俺たちに分けずにちゃんと食べてくれそうだし。それに俺たち貧民は食えるものなら、根だろうが気にしないよ」
「もしかして、イモ食べたことある?」
流通しているイモがあるのだろうかと期待を込めて聞くと首を振られた。
「薬は高いから買えないよ。食えるならなんだって食うってだけで、食える根っこやイモを知ってるわけじゃない」
「このイモは滋養強壮になるけど、生のイモを地面に植えれば十倍に増えるんだ。畑があるなら――」
少年は無知な俺を小馬鹿にしたように、鼻で笑う。
「土地持ちの貧民なんかいるかよ。いたらそりゃ農民だろ。貧民のほとんどは、誰もやりたがらない汚物まわりの仕事をしてる」
「汚物まわり?」
意味が分からず問うと、再び少年の冷たい視線が向けられる。
「分かんないんだ。教えてよ」
手を合わせて頼む。ため息をつかれたが、弟がいるせいか意外に面倒見がよいらしく、俺相手に分かりやすく教えてくれた。
「動物や人間の糞尿は貧民が全部集めて、川に流すんだ。街も城も、みんなそうやって貧民が回収して廃棄する。農民は自分たちで川に流したり、直接川の上に
「うちの母ちゃんも、元気なときは汚れた壺を川の水で洗う仕事をしてたよ。病気で働けなくなったから、俺たち子どもでも出来るこの仕事を紹介してもらったんだ。非力な子どもは、重い壺を運べないし、割ったりしたら大変だもん」
弟くんが補足してくれる。
城から街を見下ろしたときの眺めを思い出す。街の中央を大きな川が流れる大きな都市だった。
「街中の全人口の糞尿を全部川に流したら、川が汚れるだろ? 飲み水はどうしてるんだ?」
古代ローマの水道橋を頭に思い浮かべ、上流から川を分岐させているのだろうかと考えると、弟くんが兄を真似して俺を鼻で笑った。
「川の水を飲むと病気になるから飲んだらダメなんだぞ。お前、知らないのか?」
「それって上流でもそうなの?」
「そうだよ。ね、兄ちゃん?」
「動物の飲み水に使うぐらいだな。下流になれば、臭すぎて動物でも飲まない。ここらへんは城でも街でも、飲料用の水は井戸の水だけだ。井戸の水はたくさん汲めないから、水はどこでも貴重なんだ」
また意図せず贅沢をしてしまっていたようだ。ギクっとしつつ、少年に確かめずにはいられない。
「貴重? じゃあ水浴びなんてしたら……」
「俺たちは雨が降ったときしかできないけど、井戸持ちの家は毎日水浴びしてる。使った水は庭に撒いたり、掃除に使ったりもできるし」
丁寧な水の使い方に姿勢を自然と正す。知らなかったとはいえ、俺のこれまでの行いを真摯に受け止め、告白した。
「ごめん、ジャージャー使ってた……」
少年の怪訝な眼差しが痛い。
「それは贅沢だな」
「そんな見た目でも、妃だもんなお前」
ストレートな弟くんの言葉に胸を抉られる。胸布っていうブラジャーもしてるから、なおさら紛らわしいよね。
「こんど、水持ってきます」
「じゃあこれ、はい」
ちゃっかりしている弟くんが、俺に水用らしい革袋を二つ持たせる。先にコルク栓がついている、それぞれ1.5リットルのペットボトルぐらいのサイズだ。
「水が貴重ってことはさ、畑に撒く水って……もちろん――」
「畑に水なんか撒くかよ、もったいない。井戸がない土地の貧農は雨に頼るしかないんだ。井戸付きの良い土地を持ってる農民は、天候に関係なく水を撒けるけどな」
「なるほど。そこらへんも相まって、土の付いた根を食う習慣もないってことなのかな」
「知らなーい」
「知らねぇ」
あっけらかんと弟くんが、お兄ちゃんはばっさりと言い切る。言葉は乱暴だが弟くんは満面の笑顔だし、お兄ちゃんは言葉の割に機嫌が良さそうだ。
俺と話すのを楽しいと感じてくれているなら、それはそれで嬉しい。
「トーヤ、糞を欲しがるような奴とあんまり親しくするな」
お兄ちゃんヒドイ。
「俺はシューヤ、水は城の井戸から分けてもらってるからいい。俺たちは貧民だし、お前はそんなんでも妃なんだから、あんまり俺たちに構うな。その水袋は返してくれ」
皮の水筒をぱっと取り返されてしまった。
「え、あ……」
「お前、城でかなり噂になってるぞ。救国の乙女が
「心配してくれんの? ありがと。あ、あと俺の名前はミオ。よろしくな」
握手しようと手を差し出すと、プイとそっぽを向かれた。
「よろしくじゃねぇよ。俺たちに構うなっていっただろ」
「ミオ、やっぱりバカなのか? 妃様は貧民とともだちになったりしないんだぞ?」
「トーヤ、誰が聞いてるか分かんねぇんだから、様をつけろ」
「はーい」
バカのところは訂正してくれないまま、兄弟は俺に背を向け、自分たちの仕事をせっせと再開してしまった。
「うーん、噂になってるのか……」
あまりしつこくして、兄弟の仕事を邪魔してもいけない。それに人目があると迷惑になるのかもと考え、ちょっと落ち込んだ。
とはいえ、彼らと話したおかげで色々なことが分かった。王さまやソミア相手では得られなかったかもしれない。
それと、今度来るときは人目が付かないように気を付けなきゃと心に留めた。
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