第17話 メガネっ娘の眼鏡
「バジリア様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
ソミアが願い出る。バジリアが頷くと、今年は魔術師の農村への派遣は行われるのかという質問だった。知り合いの農村から働きに来ている者が、今年の実施を心配しているらしい。
「予定通り行うけど、効果は例年より薄いかもしれないわね。異世界召喚で主だった魔術師は魔力を消耗してしまったもの。今年は土地へ掛ける術が足りなくなるかも」
「やはり、そうですか」
ふうっとソミアはため息をついた。
「天候に恵まれれば違うかもしれないけど、次の冬は飢饉が起こるかもしれないわね」
バジリアの口調は重い。
「モロ俺のせいじゃんそれ……」
「ミオ様のせいではありません。ですが、地方の農民からしたら、自分たちが欲しくても満足に施してもらえない育成の魔法をミオさまが個人的な畑に施してもらうのは、聞いていて気分の良いものではないかもしれません」
それ、バジリアが魔術を掛ける前に教えて欲しかったな!
「バジリア、じゃあもうこれ以上は頼まないから、来なくていいからね。バジリアの大事な魔力はほかの農家さんたちに使って!」
「……謙虚な方ですこと」
ニヤリとバジリアが悪い笑みを浮かべる。
彼女は良心でここにいるわけじゃないのを思い出す。この国の破滅を願うヤツが、災厄のイモを蔓延させるためにやっているだけだ。この国の農家さんが困ろうと知ったこっちゃないんだろう。
これで俺は、勝手に個人的な事情で天才魔術師の魔力を消費させたことになったんだろうな。なんて聞こえがわるいんだ。これまで以上に後ろ指をさされるに違いない。
イモなんかで本当に国が滅亡するわけがないだろうけど、俺がこのミル王国を実際に滅亡さろと言われているのは変わらない事実だ。
失敗したら俺が魔女の生まれ変わりだってバジリアはバラしそうだし、そうなったら後ろ指どころじゃない。バジリアのいう通り、俺ころされちゃうのかも……胃が痛いな……ポテチのこと考えよ……。
意図せず特別扱いを受けてしまい、後ろめたさいっぱいだが、目の前の畑には収穫を待つ俺のイモが待っている。
山の土だけでここまで育ってくれたのは、やっぱり魔法のおかげなかな。プロじゃないから、育った速さ以外はよく分からない。
ともあれ、掘ってみなくちゃね。
バジリアは、長居して必要以上に注目を浴びたくないからと、イモの収穫を見ずに帰った。
ソミアの方は興味津々で、俺が茎を引っこ抜くのを注目している。
「よっ、と。いいねぇ、いいイモだ~!」
語尾に♡が付く勢いで、俺はイモ畑でデレた声を上げる。
この巨体でしゃがむ行為はほぼ不可能だ。尻を地面にどっかと下ろし、素手で丁寧に掘っていく。またこうしてタネイモにすることを考えれば、一つたりとも無駄にするわけにはいかない。
実は小さいのもあれば、大きいのもある。数は一株に十個前後ずつできたから、素人にしては上々の成果だ。
数えていくと、チビイモも含めれば62個もあった。
こうなったら次は決まりだよね!
「ポテチをつくるぞ!」
収穫した大事なイモのうち一番大きなイモを手に、井戸へ行って丁寧に泥を落とした。
ついでに身体も洗って、服も着替える。身も心もきれいにしてポテチへ臨みたい。
屋敷に付いている小さなキッチンは湯を沸かす程度にしか使っていないが、鍋もフライパンもある。
まな板と包丁はすぐに見つけた。形は俺の世界のものとはちょっと違うだけで、使い勝手に問題はなさそうだ。
俺が水浴びをしている間に、ソミアは城の方で何か仕事をしてきたらしい。本当に働き者だ。
喜んで付けていたはずの眼鏡を外しているのが気になって声をかけると、「汚されてしまったんです」という力ない答えが返ってくる。
彼女の手を見ると、油のような黒い何かでギトギトに汚された眼鏡が握られている。鋳造したての五円玉みたいに眩しかった輝きが台無しだ。
カッと頭に血が上った。
「ひどすぎるだろ! メガネっ娘の眼鏡をなんだと思ってるんだ!」
「めが・ネッコ???」
「俺のせいなんだろ⁉ 俺を気に入らないヤツらが、ソミアに嫌がらせを――」
悔しくて目頭が熱くなる。
ソミアが泣いていないのに、俺が泣くわけにはいかないと思ったけど、血が上ってぐらぐら熱くなった頭では我慢がきかなかった。
「ミオ様が泣くことはありません。嫉妬する者が悪いんです。心の汚れた者たちのために涙を流してはなりません」
そう言ってソミアは慰めてくれたが、情けないことに涙はなかなか止まらなかった。
そういえば、泣くなんていつぶりだろう。たまにはポテチ以外のものも食べるよう母に口を酸っぱくして注意され、仕方なくチャーハンを作ったら、タマネギで涙が出たことがある。それ以来かもしれない。
「ごめん。久しぶりに泣いたせいか、なかなか止まらないや」
「汚されたのは腹が立ちますが、いづれ報復の機会はめぐってきますからご心配なく」
「え? 報復、するの?」
「ミオ様が陛下の寵愛を公然と受けるようになれば、侍女の私の勝手もきくようになるんですよ。こんな古い別邸にいては実感が湧かないかもしれませんが、ここは後宮です。侍女には侍女の戦い方があるんですよ。うふふふふふ」
復讐の日が待ち遠しいと微笑むソミアを見ていたら、スンッと涙が止まった。昂っていた気持ちも、思い切りリセットされる。
父親が失脚した元貴族であるソミアなら、報復リストはとんでもない長さになっていそうだ。
「じゃ、じゃあ俺が石鹸で洗うよ。何かの油みたいだから取れるんじゃない?」
手を差し伸べると、自分でやるからいいと断られてしまった。あまりの汚れっぷりに、石鹸だけで落ちるのか心配だ。
彼女がメガネを洗う様子を覗き込むと、やはり表面に油分が残っていた。
「そういえば今朝の朝ごはんに、オレンジが出てたよね? あの皮、もう捨てちゃった?」
「植物系のゴミはたい肥にしたいとミオ様がおっしゃっていたので、山際に穴を掘って捨てました」
「良かった! 俺、取ってくるね」
ひとっ走りに裏庭から回って、ソミアが掘った穴へ向かう。痩せたソミアが掘った穴はそんなに深くなかったおかげで、膝をついて手を伸ばすだけでオレンジの皮が拾えた。
両ひざを土で汚して帰ってきた俺を、ソミアはお着替えなさったばかりなのにと悲しんだ。自分の眼鏡の方を後回しにして俺の服の汚れを嘆く様子になぜだがホッとする。
「洗濯物増やしちゃってごめんね。あとで自分で洗うから」
「いえ、そんなことなさらないでください。それに、私のために身体を汚してゴミをお拾いになるなんて……! ミオ様お優しい!」
皮を拾ってきたのをそんなに喜んでもらえるなんて、ちょっと照れてしまう。
「服を汚したのを怒ってるんじゃなくてよかった。オレンジの皮で油が落ちるか試させてね」
オレンジの皮を表も裏もぎゅっと押し付けて擦りまくると、残っていたヌルヌルが落ちてくれた。
ポテチばかり食べる俺の身体を心配していた母親が「野菜は諦めるからせめて果物を」ってんで、俺によくミカンを食べさせてくれてたんだけど、そのときの皮をよく掃除に使っていたんだよね。
母さん! 主婦の知恵が異世界で役立ってるよー!
「ミオ様、ありがとうございます。これで煤で汚れたランプの油が綺麗スッキリ取れました!」
「このランプの油って何の油?」
「庶民は安い魚油を使いますが、貴族や豪商などお金に不自由ならさない方々は植物の種を絞った油を使います。匂いませんからね。ミオ様がいまお使いのランプの油はオリーブという南方地域の特産品なんですよ」
「オリーブなの⁉ もしかしなくても食用にも使うやつだよね?」
「そういえば厨房でも使ってますね」
夜に使っていたランプの油はオリーブオイルだったのか! 食用油とは考えなかったよ!
「それ! それください‼」
ソミアがランプ用のオイルの瓶を指さす。チルチルミチル、青い鳥。欲しいものはすぐそばにあったっていうオチか。
じゃじゃじゃーーん! おれは油を手に入れた!!
恥ずかしいノリなのは、テンションが上がったせいです。
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