第15話 急かす魔術師

 ソミアに配膳してもらった温かい夕飯を食べ、食後のお茶もそこそこにベッドに横になった。今日はたくさん働いたので、眠くてしょうがない。

 いつもは一人になったら必ずかきむしる股ずれも、眠気が勝って気にならない。

 心地良い疲れとともに、俺は深いに眠りに落ちた。


 まただ。

 眩しさで目が覚める。

 頭はバジリアが来たのだと分かっているのだが、身体は眠くてしょうがない。

 気づかないふりをして、このまま寝続けてしまおうかと迷っているとゆさゆさ揺すられる。仕方なく目を開けた。

 やっぱり。

 ランプを手にしたバジリアは、前回同様、胸元を強調するような服装だ。ピンクの髪と瞳には似合っているが、また風邪をひいても知らないぞと、オカンっぽいことを考える。オカンじゃないから言わないけど。

「進捗状況を報告なさい!」

「……むちゃくちゃ偉そうだね」

 怠い身体をベッドから起こす。眠くて不機嫌なのが自分でも分かる。正直なところ早く用を済ませて帰ってもらいたい。

「当たり前でしょ! 大魔術師なのよ私!」

「……」

 無言で仁王立ちするバジリアを見上げる。反抗的な態度に腹を立てた彼女は、呪文を唱え始める。

 胸のあたりにチリチリした感覚が起きる。シャツの首元をひっぱって覗き込むと、黒い線が肌に浮かび上がるの見えた。魔法陣だ。

 うぇ。やっぱり気色悪い。良くないモノって感じがする。

「契約を履行する気がないなら、死んでもらうしかないわね」

 そうだった。俺、この国を亡ぼさないと殺されるんだった。


 丸い背中をさらに丸め、重いため息をつく。バジリアの視線が痛い。

 刺々しい空気に嫌気がさした俺は話を変えてみることにした。

「今日は体調良いみたいだね。風邪が治って良かった」

「私、子どものころから風邪を引きやすいのよ」

 だったらなおさら厚着しろ……と頭の中で思うだけに留める。

「マフラーをした方が、えっと、かわいいんじゃないかな」

 言い方を工夫してみたところ、バジリアが笑顔になった。

「そういえば、マフラーのバリエーション増やしたの」

 パチンと指を鳴らすと、バジリアの首にスカーフが巻かれる。これから夏が来ることを考えれば妥当なセレクトだ。

「……さすがだね」

 我ながら棒読み感あったけど、「まあね」と言うバジリアの声は明るい。機嫌は直ったみたいだ。


「じゃあ、早くこの国を滅亡させてくれない? アルティパからどうなっているんだってせっつかれて、さすがの私も焦ってるのよ!」

 やっぱりその話になるかと肩を落とす。困った様子のバジリアにちょっとほだされ、真剣に考えてみることにする。

 さて、どうしたものか。

 悩んでいると、バジリアが一つだけ自分に案があると言い出した。あるなら早く言えと思ったが、もちろん胸に留めておく。

「救国の乙女を殺して、その罪を国内で王と敵対している宰相派になすり付けるのよ。そうすれば内乱が起きるでしょ? 私の方で両軍をかく乱させるから、疲弊しきるまで泥沼の戦いに――」

 つらつらと作戦を述べるバジリアへ手を上げて止める。

「さらっと口にしてたけど、俺を殺すって言った?」

「そうよ」

 語尾にかぶせるように答えられ、俺の頬が引き攣った。当たり前みたいに言ったよ、この人。

「俺が死んだ振りをするんだよね?」

「生き残ってても、利用価値ないでしょアンタ。魔力もないんだし。なんの能力もないのに、なんで手間を掛けて生き延びさせなきゃならないの?」

 どうやら、本気で俺を死に至らしめる気らしい。異世界の死のハードル低すぎないか。

 指先がすうっと冷えていく。これは本当にヤバい状況だぞと焦りだす。


「ちょっと待て!」

「あら、私の案よりいい考えがあるの? 是非聞きたいわね」

 挑発的な声音は俺を苛立たせるのに充分だ。平和主義の俺だが、出まかせでもなんでもやってやろうじゃないかと負けん気に火がつく。

「実は、俺は異世界からこの国を堕落させる悪のイモをもってきたんだ」

 ネーミングがダサいのは、この際どうでもいい。俺はまだ死にたくない!

「悪のイモ? 毒を国中の井戸に入れて国民を皆殺しにでもする気? さすが悪徳魔女サラマンディアの生まれ変わりね。悪逆非道すぎて私でさえ胸糞が悪いわ」

 バジリアがピンクの瞳を細め、口をへの字へ曲げる。

 彼女の発想のエグさに俺も気持ちが悪くなってしまった。戦争は良くないけど、非戦闘員を狙うのはもっと最低だ。

「毒じゃない。だけどある意味、毒に近い危険な食べ物ものなんだ」

「食べ物ですって? 嫌だわ。アンタ、イモを食べるって言ってるの? どんな貧民でも、根っこを食べる人間なんていなわよ」

 散々驚かれてきたから、それは知っている。だけど、ここで「そっか、じゃあ無理だ」って投げ出すわけにはいかない。

 魔力も特別な知識もない俺には、イモしかないのだ。


「このイモを油で揚げてポテチという料理に変える。これを一度口にした途端、美味さに理性を奪われ、みんな政治どころじゃなくなるんだ。間違いなく政治は混乱する!」

 俺は清にアヘンを持ち込んだイギリスを思い浮かべる。アヘン戦争のイモ版が現実的かどうかはさておき、そんなノリで攻めることにする。

「貴族や王に根っこを食わせるの? 特権階級が理性を忘れて口の周りを土で汚すなんて、魔女らしい下卑た作戦ね。考えただけでも汚らしくておぞけが走るわ!」

 解釈が生のイモになっているが、この際は細かいことはどうでもいい。なんとかしてこの勢いで押し切りたい。

「混乱した国の未来はどこも大差ないさ。すぐに国が亡びるに違いないね」

 手のひらにかいた汗を握り、意気込む。

「魔女の人格はこの世界に連れて来れなかったけれど、魔女の要素はあなたの中にもあるのかもしれないわね。異世界に飛ばされても、手ぶらで戻ってこないところは、さすが大悪徳魔女! しかも快楽によって人を支配するとは、なんて悪辣なの! 卑怯な戦い方はサラマンディアの生まれ変わりにふさわしいわ!」

 バジリアの熱弁に押されてしまう。ものすごく事がうまく運んでる。あと一押しだ。

「お、おう……そうかもな。このポテチを食べれば、どんな高い志も雲散霧消することは確実だ」

 ポテチがうまいことを知ってから、魔女が世界征服の目標を捨てたのだから嘘ではない。


「なんて危険な食べ物なのかしら。これを食べると、人々は理性を失って、争い合うということね?」

「いや、そういうのとは違……あー、その、おいしいから、他のことを考えなくなるっていうか」

 うっかり誠実に返答してしまい、慌てる。

「え? では争いは起きないってこと?」

 バジリアの眉根がぐっと寄る。ポテチの効果に少しでも疑念を抱かせるわけにはいかない。

「ポテチを食べまくると、理性を奪われるだけじゃなく、兵に食べさせれば兵力を削ぐこともできるんだ」

「どういうこと?」

「この身体をみてごらん」

 俺は己の腹を勢い良く叩く。ぼいんっ、と間抜けな音が立った。

 そんな音が人体から鳴るなんて初めて見たのだろう。バジリアが上体を引いて、一歩下がる。怖がらせてしまったようだ。

「アンタみたいな身体になるってこと? たしかに機敏な動きはできないだろうし、鎧を着るにも、面積が広がりすぎて、とんでもない重さになりそうね」

「デブって言葉はこの世界にはないんだっけ? ポテチを食べるとあまりのおいしさに食べるのが止まらなくなるんだ。ポテチの油分もあいまって、ここまで簡単に太ることが出来る。この状態を『肥満』という!」

「ヒ、ヒマン?! なんて危険な響きかしら! ヒマンは具体的にどんな災厄を人々にもたらすの?」

「肥満になった人は……長生きしない」

 出来るだけ重大そうに、重々しく告げる。嘘じゃないんだけど、ここまで簡単に話しに乗ってくるバジリアを見ていると、ちょっと後ろめたい。

「なんてこと! やっぱりイモに毒があるんじゃないの?」

「毒はないんだ。ひたすらにうまいだけ。ただ、絶品のうまさに健康を害するほど食べてしまう。すると健康の維持が難しくなって長生きできなくなる。この国の平均寿命は数十年短くなるだろうね!」

「早死にするということね! なんて恐ろしい! 食欲という快楽によって人々に死をもたらすとは!」

 バジリアが感嘆の声を上げる。よし、あとちょっとだ!

「この肥満の怖ろしいところは、長生きできないと分かっていても止められないことなんだ。ポテチのうまさの前では、理性は赤ん坊同然。食欲は暴走を続ける」

 これは俺の心からの言葉だ。その成果、これ以上なく深刻さが声に滲んだ。

「なんて非情な! 災厄のイモ!」

「そう! 災厄のイモ!」

 良く分からないフレーズを互いに叫び合ったが、バジリアは納得してくれる。

 本当は災厄のイモなんて変なあだ名じゃなくて、男爵イモだけどね。個人的に品種は正しく言いたい方なんだけど、悪事を実行していることにしないと俺の命が危ない。

 ポテチを食うにはまず生きていないと食えないしな!

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