第4話 卵焼き

 黒いカーテンのようなものを抜けて、次のトンネルに入ると、白銀の世界が広がっていた。

 映像には、夜が映っている。地面を真っ白い雪が埋めている。

 おお、と人々は声を上げた。

「なんでしょう」

「なんだろうねえ」

 それは消えたり、また現れたりした。裾の部分は、大地に今にも触れそうに思われたが、ゆらめく姿はどうやら光の幻のようだ。

 それは、光でできたカーテンだった。水色にも、薄い緑にも、紫のようにも見える。色もかたちも、またたきするごとに変わった。

 天国、と男は思った。

 ここでは、もう世界のどこでも見ることができなくなった光景と、再会できるのだ、と聞いている。

「こんなものが、一体どこに行けば見れたのかしらねえ」

「まあ、どこかにはあったんだろうさ」

「夢見たいですねえ」

 親子は、しみじみと言い合った。

 あたりは一面の雪景色で、ひどく寒そうではあった。老人と老女は、かろうじて本物の雪、というものを見たことがある。男には、天上から降る雪の記憶しかなかった。

 しばし見とれて、人々は前へとゆっくりと歩いて行った。誰もが、似たような、暗い色合いの服を着ていた。老人と同じくらいの年齢の人々ばかりだったが、中には男よりもっと若いような人物も混ざっている。怪我をしているのか、どこか悪いのか、足元がおぼつかない人もいた。

 一人だけで進む人が大半だ。あるいは、夫婦か、おそらく兄弟姉妹らしき二人づれ。支え合ったり、言葉もなかったり、距離感もさまざまだった。

「ハツコとトモハルは、最期はどうだったの」

 ぽつりと、老女が聞いた。

「地表の補助鉄骨の転落でしたから、死体も全部は見つからなくて」

「確認はできたの」

「服の柄で、一応は。私は運がよかったです。今回は、回収期間が短かったので、家族の安否がわからない人が、たくさんでましたから」

「辛い話ねえ」

「住宅街の真上でしたから」

 あきらめきれない人は、たくさんいた。今もどこかで生きていると信じて、雀の涙ほどの給付金で、一級下の集合住宅に移り、食うや食わずで事故現場の周囲を歩き回っている人々を、男は何人も目にしていた。

 あきらめた人々のほうが、ずっと多かった。そういう人々には、説得省からの仕事が割り当てられた。あきらめきれない人々を説得し、事故現場の解体という過酷な肉体労働に就かせる仕事だ。

 男も、事故の翌日には仕事を解雇になっており、これこれこういう部署で業務の説明を受けろ、という辞令だけが下りてきた。

 上司は憤慨して、男を追い出した。翌日には、会社から損害賠償の請求が届いた。

 男は、請求書を見つめながら、卵焼きを思い出していた。

 ハツコのへたくそな卵焼き。ダンボールの切れ端を、積み木の代わりにして遊んでいたトモハル。

 天上に行くことを、どこかの手続きで止められるかと恐れていたが、無事に申請は通った。

 下層民にも、その権利だけは、常に保障されている。人口向上センターから送り込まれる、新しい労働力のために、住宅も食料も無駄遣いするわけにはいかないからだ。

 これからを生きていく人たちのために、天上に行く権利だけはいつまでも保障されていてほしいと、男はひっそりと祈った。

「トモハルはいくつだったかしら」

「七つでしたね」

「そんな齢でなあ。かわいそうに」

「あまり、痛い思いをしなければよかったのですが」

「そうねえ」

 次のトンネルへの入口が、見えてきていた。

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