第2話 ゴミになるから

 リフトが到着したのは、がらんと広い空間だった。

 黄色く発光するライトが、暗い金属の床に、等間隔に敷かれている。

 するすると、丸頭のロボットが床を滑ってくる。

 到着した人々は、手首のカードをロボットに示した。ロボットはそれを読み取り、ピピピと耳元を点滅させた後、機械音声で「こちらへ」とだけ告げた。

 男が案内されたのは、他の人々とは違う方向だった。その理由を、男は知っている。

 足元がふわふわと浮くようなのが、リフトの体験のせいなのか、それとも緊張しているのかがわからない。

 いつかは来るのだと、わかってはいた。いつか、同じ年齢・同じ居住域のグループといっしょに。ただ、考えていたよりもずっと早かった。

 空間をいくつか通り抜けたが、どこも違うようでもあり、似たりよったりのようでもあった。どの空間もがらんと広く、壁も床も金属でできている。違うのは、ライトや床面の微妙な色合いと、響いてくる機械の唸りの大小と、出入り口の場所や大きさや扉の質だった。

 もっと、たくさん人がいる場所を想像していたので、男は落ち着かなかった。あるいは、通常とは異なる手続きをとったので、特別な通路でないといけないのかもしれない。

 ここが、都市の上空だとは、とても思えなかった。

 空気が苦くない。

 暑すぎも寒すぎも、湿りすぎてもいない。

 埃もない。どこにも錆も浮いていない。何か壊れたりもしていない。

 生き物の温度らしいものは、どこにもなかった。だから、こんなにも静かで、落ち着いて、清潔で、整頓されているのだと、男は思った。

 生き物がいると、片付かない――生きた人間がいると。

 生きているだけで、無駄ができるし、死ねばゴミになってしまう。

 男は、妻と息子がゴミになってしまった時のことを思い出していた。

 たくさんの人が、ゴミになった。たくさんの建造物や、その中に入っていた部屋、その中に入っていた家具、その他たくさんの物といっしょに。生き物だったゴミと、そうでないゴミの区別をつけるのは、大変だった。妻と息子のゴミも、一部しか帰ってこなかったのだ。

 生ぬるい日だった。

 いつまでも、ゴミと粉塵が散っていた。

 今でもまだ散っているのだろう、と思い出しながら、男は歩く。

 一際大きな自動ドアを抜けると、遠くにざわめきを感じた。

 巨大なトンネル状の空間があった。半円の真ん中を、ガラスの板が仕切っている。

 その向こう側に、人の列ができていた。巨大なトンネルとの遠近感もあいまって、まるで人形のように小さく見える。

 ガラスに空いた四角いゲートで、ロボットが一人一人をチェックしていく。

 誰もが、年老いていた。動きはのろのろとして、何をするにも、感情らしいものが見えない。列に並ぶうちの一人に、男がよく見知った姿があった。

 ゲートをこちら側へ進んだ人々は、トンネルのさらに奥の暗い廊下へ吸い込まれていく。その方向へ進みかけて、老人は正面に立つ男を見つけた。

「お父さん」

 男は呼んだ。

 老人は、よろよろと歩み寄った。

「タロウ」

「はい」

 お久しぶりです、と男は言った。

 父子は、初めて見るようにして、お互いを見た。

 息子は、父を小さくなった、と感じたが、父も息子を、なんだかしぼんだようだ、と思った。別れの朝に、リフト乗り場で、嫁と孫の肩を抱いていた息子は、たくましく見えていたのに。

 老人の胸を、予感が焼いた。

「お前」

「ハツコとトモハルが死にまして」

 老人は、急に胸元が冷たくなったように感じた。

「許可が下りました」

「だからってお前、来ることはあるまい。耐用年数は、まだまだ残っているじゃないか」

「点数が、もう規定値に足りなかったのです。昨年から、点数計算が自律ロボットも込みで計算されるようになったので、最低ラインが上がりまして」

 間違っている、と老人は思ったが、ロボットが近くにいたので、口には出さなかった。

 今こうしている間も、彼等の聴覚は働いている。批判の言葉を口にすれば、司法判断が下りるまで数か月にも及ぶ診断と尋問を受け、必要ならば矯正プログラムを受けることにもなるだろう。やっと天上まできたのに、それはない。

 老人は、無力さに棒立ちになった。

「今なら、まだお二人に間に合うと思ったのです」

 少し気まずそうではあるが、澱まずに、男は言った。

「大急ぎで、葬儀と後片付けをすませてきました。残った片付けは、トミオくんにまかせました」

「トミオが? 連絡がとれたのか」

「三区離れたところで、目医者をやっていました。おじさんが、医療免許のチケットを遺してくれていたそうです。がんばって勉強したそうですよ」

 ああ、と二人の背後から声が上がった。

 男にどこか似た雰囲気の、ボールのように丸々とした老女が、ちょこちょこと駆けてくる。

 老人は一歩引いて、母子の対面を見守った。

 男になんで、どうして、と訴える妻は、すっかり母親の顔に戻っている。リフトを上がってから、今日にいたるまでの空虚な生活のなかで、なんとなく母親でなく妻の顔になったな、と思っていたところだったのだが。

 それが悪いとは、老人には思えなかった。ここは天国で、親子三人がここにいる。嫁と孫は、死んだのだという。

 それでも、考えてしまう。

 何か、してやれることはないだろうか。してやれることは。

 だが、老人にはもう、文字通りに命しか持ち物がなかった。

 老女は夫を見た。これまでの生活で、何度もしてきたように。

 父と子は、お互いを見た。

 老人は、

「仕方がないね」

 とため息をついた。

「ご一緒させてください」

 息子が笑った。

 鼻をすすって、老いた母親が泣き出した。



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