第二話 これから

 本来ならば「残りものには福がある」ということで、放出日から数日経ってから行くのだが、今回ばかりは引き取りたい人物がいるため、混み合う奴隷商会へと足を運んだ。


 優先権があるため、もしかしたら初日に来るかもしれないとアリエスを探していた受付の人は、彼女の姿が目に入ったことでかすかに笑みを浮かべた。


 「いらっしゃいませ。先に見て回られますか?」

「いや、見て回るのは後でいいよ」

「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」


 放出日から数日経って来店するような彼女のことだから、恐らく見て回るのを後にするだろうとは思っていたが、それを決めるのは客である彼女自身なので、とりあえず聞いただけであった。


 キートの母親がいる部屋は、売却済みの奴隷が一時的に入れられる一人部屋だったので、互いを隔てる鉄格子などはない。

アリエスが買うかどうかも分からないということで、奴隷となった元帝国の犬に情報を与えるようなことは誰もしないため、キートの母親は息子が生きていることをまだ知らないままである。


 荒れた肌に濃いクマ、唇はカサついてることと何度も噛み締めたことで血が滲んでおり、身体はやせ細っていた。

そんな彼女は、壁に寄りかかるようにして座り、「坊やのところへ行きたい……。どうして、行かせてくれないの……?」と、うわ言のように繰り返していた。


 それを見て、おぅわぁ……という言葉しか出なかったアリーたん。

実は、さっさと会わせてやろうと思って、スクアーロが着ているローブの下にはキートがへばりついており、その二人を一緒に連れて来ていたのだ。


 ゾラではないのは、まだキートがそこまで懐いていないのと、母親の方は彼と面識があるからだった。


 何をどうしていいのか分からなくなったアリエスは、「そんなに息子に会いたいなら会わせてやろうか?」と、声をかけた。

先程まで何にも反応を見せなかった彼女は、仄暗い瞳をこちらへと向けるとぎこちない笑みを浮かべて、「本当……?会わせてくれるの?坊やに……、私が産んだ息子に……」と返事をした。


 それに対してアリエスは、「ああ、会わせてやるよ」と言ってスクアーロに目配せをした。

自身のローブの下でキートが鼻をすすっており、服がちょっと冷たくなっているが、スクアーロは気にせず彼をローブから出した。


 涙と鼻水でべっちょべちょになっているキートは、涙で歪んだ視界に母の姿が入ると声を張り上げて泣いた。

その泣き声と姿に焦点の合っていなかった母親は一気に正気に戻り、息子のそばへと這うようにして駆け寄り、その身体を二度と離すまいとかき抱いた。


 しばらくそっとしておいてやろうと、アリエスは備え付けられていた椅子に腰掛けて待っていた。


 息子を抱きしめたまま離さない母親は、何故ここに息子が居るのか、夢でも見ているのかと、定まらない思考を巡らせたのだが、腕の中にいる息子が、「これから、お母さんと一緒にいられるね」と笑ったことで、どうでも良くなってしまった。


 そこへ受付の人が声をかけた。

「そろそろ落ち着いたかな?あるじとなる方にご挨拶をしなさい」

あるじ……?」

「そうだよ、お母さん。アリエス様がお母さんを買って、僕と一緒にいられるようにしてくれたんだ」

「一緒に……いられるの?」

「そうだよ。だから、ご挨拶しないと」


 状況がやっと飲み込めた母親は、アリエスとスクアーロを交互に見て「えっと……、どちらなのかしら?」と、首を傾げた。


 「買ったのは私だ。何がどこで繋がっているのか分からないもんだな。あんたの息子を買ったのは偶然だったんだよ」

「え……、買った?」

「あんたの息子は奴隷として売られていたんだよ。それをたまたま私が買って、今回の騒動に貢献したあんたの息子は、奴隷解放の権利を得たってわけだ」

「では、息子は奴隷ではないのですね?」

「ああ、そういうことだ。ただ、あんたの場合は解放することは出来ない。それは理解できるな?」

「ええ、それは、もちろん。息子と共にいられるならば、それだけでもう十分です」


 アリエスに買われて名前が「キート」になったことや頑張っていることなど、母親にたくさん話したキートは、おぼろげではあったが、母親が優しかった記憶があったのだ。

今日、産みの母親に会って確信した。あの記憶の中の優しかった母は目の前の女性で、自身を捨てたあの女性ではなかったのだと。


 生まれてからしばらくは、授乳やオムツ交換が必要だったため母親が世話をしていたのだが、物心つく前には引き離すとマイラ(妹)から言われていた。


 しかし、少しでも息子と長くいたいと彼が3歳になるまで、ねばっていたのだが、抵抗虚しく連れて行かれてしまったのだ。


 記憶の中よりも大きくなり、楽しそうにこちらを見上げてお喋りをして笑う息子キートに母親は、この愛らしい子を授けてくれた男性と、その子を大事にしてくれていたアリエスと、そして神に心から感謝した。


 マイラ(妹)がゾラの飲んでいた酒に睡眠薬、幻覚剤、媚薬を混入し、前後不覚になっている彼を金で雇った者たちに安宿へと運ばせ、姉に妊娠薬を服用させて子供を作らせたのだ。

マイラ(妹)は貴族家へと入り込むために手当り次第に男に手を出していたが、マイラ(姉)は帝国で手ほどきをされただけで経験が浅かった。


 しかし、前後不覚になっていてもゾラは生来せいらいののほほんとした所は変わらなかったようで、優しく抱いてくれたのだ。

あれほど薬を盛られて、下手をすれば廃人になってもおかしくないようなのに、とても優しく、まるで大切な恋人を相手にしているかのように思えたほどだった。


 キートの母親が息子に執着したのは、自身が産んだ子だというのもあったのだが、薬を盛られていた行為とはいえ、ほんの少しの甘いひとときを過ごした相手の子供だからというのもあったのだ。


 しかも産まれた息子は彼にそっくりだった。

そのことにマイラ(妹)はとても不機嫌になったが、そんなことは知ったことではないと、息子を大事に大事に育てていたのだ。いずれ引き離される日が来ることを理解しつつも、この子に私が愛していたということが、ほんの少しでも残るようにと。


 息子キートの様子を見るに、その愛は確かに彼の中に残っていたようで、涙の滲む目を擦り、精一杯の笑顔を向けて話を聞くのだった。


 そんな彼女に忍び寄る魔の手に、誰も気づかな……というか、まあ、ゾラの手だ。

前後不覚だったときも恐らく一目惚れだったのだろう。正気の状態でもやはり一目惚れしたのだ。


 子供が先に出来てしまった二人の恋愛は、これからである。





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