第18話 日没(2)
太祖17年(1222年)、ジョチはジャンド市の北方に広がる草原を自身の遊牧地とした。夏はシベリアとの境界付近まで北上し、冬になるとジャンド市近辺で越冬するのである。越冬するために必要なヒト・モノ・カネをジャンド市に蓄えておくことになった。
スグナク、ジャンド、ヤンギケントといった隊商都市を支配することで、キプチャク草原の遊牧民はジョチの支配に服するようになり、また、より北方のシベリアの森の民もジョチに貢納するようになった。北極圏のツンドラの民とも、直接交流するようになっていった。
太祖18年(1223年)、チンギス・カン率いる本隊は中央アジアのオアシス地帯からモンゴル高原への帰途についた。西方の軍権はジョチが握り、オアシス地帯の統治は耶律阿海が担った。
ジョチの任務は、残党狩りを含む戦後処理だが、もう一つ、キプチャク草原西部で作戦展開中のジェベとスベエテイ・バートル率いる別働隊を迎え入れなければならなかった。
ムハンマドがホラズムシャー朝の首都サマルカンドから逃走した後、ジェベとスベエテイの別働隊が追尾したが、ムハンマド自身は太祖15年(1220年)末、カスピ海に浮かぶ小島でひっそりとなくなった。
追撃対象がなくなった別働隊は、イラン、アゼルバイジャン、ジョージア方面を劫略し、鉄門(デルベント)を経てキプチャク草原西部に侵入、クリミア半島を襲った後、キプチャク・ルーシ連合軍を撃破したのだった。前代未聞の長征だった。
ウルゲンチやヤンギケントから北西に伸びる商業路の先では、バシコルト族が遊牧し、もっと奥のヴォルガ河中流域にはブルガル族がいた。キプチャク・ルーシ連合軍を撃破した別働隊が、安全に東へ移動するためには、バシコルト族とブルガル族を懐柔しなければならない。ジョチは、さかんに商人の形で使者を送り、モンゴルとの同盟締結を促した。モンゴルと親和する氏族もいれば、懐疑的な氏族もいて、部族としてまとまっておらず、外交交渉は難航を極めたが、結果的に、別働隊は無事、ヴォルガ河を渡ることができた。
ジョチは、ジェベとスベエテイ・バートルに質問した。
「キプチャクの兵力はどのくらいか」
ジェベは少し咳き込みながら答えた。
「キプチャクとルーシ合わせて8万いましたが、撃破しました」
とはいえ、あなどれないと思いますと、スベエテイは付け加えた。
ジョチは微笑しながら言った。
「宴席を用意してある。息子をはじめ皆に色々教えてほしい」
西方拓疆はジョチの任務である。キプチャク草原西部を平定するのに必要な兵馬の数は膨大だが、豊かな草原が広がっていることから、まぐさ輸送は気にしなくてよいことが分かり、ジョチは少し安堵した。
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