第11話 建国(3)
太祖2年(1207年)、オキ・フジンは妊娠し、お産のため実家に戻った。ベクトトミシュの馬群は首都に残し、サルタク・ハトンの馬群と、ゲニゲス部族長クナンの千人隊1個、シジウト部族のモンケウルの1個、フウシン部族のケテ指揮下の2個、合わせて4個の千人隊を率いて、ジョチはオイラトの下に向かった。道案内役には、森の民ウリヤンハイ部族出身のブカが任じられた。
クドカ・ベキの後継者で次男トレルチにはチンギス・カンの次女チチェゲンを与えることとなった。クドカ・ベキとトレルチは本隊を率いてシシギド河でチンギス・カン右翼本隊に加わることになっていた。
一方、ジョチは北西には進まず、いったん北上してダダル方面に抜け、クドカ・ベキの長男イナルチ率いる別働隊と合流した。ジョチの娘コルイ・エチゲはまだ数え2歳だったが、イナルチはコルイの婿となった。これ以降、イナルチはジョチ軍の一翼を担うことになる。
ジョチはイナルチ附馬に聞いた。
「キルギスへの侵入経路を確認したい」
イナルチ附馬は、年下の義父に、準備してきた作戦を披露した。
「敵であるメルキトとナイマンの残存勢力はケム河(エニセイ河)の東岸にいます。シシギト河より北進してケムケムジュートを抜け、アバカン方面に入るのは常識にすぎます。ここよりバイカル湖南岸を経て東のトファ河、カン河方面より入れば意表を突くことができます」
独特な方言で話すので、少しわかりづらかったが、ジョチは間髪を入れず問うた。
「トファ河やカン河の部族をすでに懐柔済みということか」
トレルチは深くうなずき、すでに舟も準備してあると述べた。夏のシベリアは舟で、冬は凍った河の上を移動するのは、今も昔も変わらない。
バイカル湖南岸に着くと、バルグト族とブリヤト族の大部隊が集結していた。バルグトの首長たちは、ジョチと、コンギラト宗家のサルタク・ハトンに恭しく挨拶をした。バルグト族もまたコンギラトの一部で、宗家の姫君であるサルタク・ハトンの顔を知っている者も多かった。サルタク・ハトンの娘がオイラトに嫁いだと聞いて、バルグトの首長たちは、これで北も安定すると喜んだ。
チンギス・カン本隊がケムケムジュート方面からやってくることが分かり、メルキトとナイマンの連合軍は索敵を南に集中させていた。
しかしながら、すでにキルギス、トファス、カンガスといった周辺部族はジョチに寝返っており、突然北側、すなわち背後にジョチ軍が現れたため、メルキトとナイマンは混乱し、一方的な追撃戦が展開された。
チンギス・カンはジョチを褒め称えた。初めて一軍の将となったにもかかわらず、ほとんど自軍の損害がないだけでなく、多数の森の民を降伏させたと言った。
ジョチがいかに優秀であるかを強調することは、無敵のモンゴル軍というイメージを内外に広める作戦の一環だった。とはいえ、実際、ジョチの将才は抜きんでていた。
ジョチ軍は、メルキトとナイマンの敗残兵を追う形でイルティシュ河上流域の草原地帯を占拠し、そこにいたナイマンの部民も吸収した。この時点でジョチの戦力は、ゲニゲス、シジウト、フウシンの計4個の千人隊に加え、ケレイト、コンギラト、オイラトといった姻族の付人、そして先住のナイマン、森の民からの供出軍を合わせた9千人となっていた。
ここにジョチ・ウルス(国)ができたのである。
ジョチの軍司令官はゲニゲス部族長クナンであり、チンギス・カンはクナンを「ジョチの下での万人長」と呼んだ。モンゴル全体で万人長とされたのは、右翼万人長ボオルチュ、左翼万人長ムカリ国王、「森の民」万人長コルチ老人、そしてクナンの4人だけだった。
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