第10話 建国(2)

 泰和6年(1206年)正月、テムジンは金朝との国境、すなわち界濠において、皇帝・章宗の勅使を出迎え、規定通りの儀式と貢納を行い、反対に莫大な絹や銀などを受け取った。正使は皇族で現皇帝の叔父・衛王、副使は完顔福興、通訳官として耶律阿海が付いてきた。

 阿海はテムジンに説明した。

「金朝は侵攻してきた南宋軍を撃破しました。主がタタル、メルキト、ナイマンなど西遼派を壊滅させて北方に追いやったことで、漠南の騎兵を河南に転じることができたと、中都では喜んでおります」

テムジンは無表情に言った。

「このたび王に任じられた」

阿海は、オンカンと同じく正式なものではありませんが、使い道のある称号ではありますと答えた。

 テムジンは阿海に少し早口で言った。

「軍を整え、ナイマンとメルキトが逃げ込んだキルギスに向かう」

阿海は破顔して付け加えた。

「キルギスを得れば、鉄が確保できましょう」

その次はウイグルだ、とテムジンは呟いた。キルギス、すなわち現在のミヌシンスク盆地と、天山ウイグル王国の支配するオアシス都市は鉄の産地であった。こうした地域を手に入れることができれば、鉄資源を金朝に依存しなくていいことになる。

 泰和6年(・太祖元年1206年)秋、テムジンは自身の配下にある全遊牧勢力の首長を集め、クリルタイ(国会)を開いた。ここにおいて、大モンゴル国の成立を宣言し、95個の千人隊、88人の千人長を置き、全軍を右翼と左翼に分け、また全軍から一万人の若者を集めて中軍(ケシクテン)を作った。コンギラト部族の長には、ボルテの弟である国舅アルチ・ノヤンが任じられた。

 コンギラト部族の中でも弱小氏族にすぎなかったボルテの実家は、モンゴル第一の名家となった。ジョチに嫁いだ国舅の娘は、後にオキ・フジンと呼ばれる。オキはモンゴル語で妻、フジンは夫人で妻の称号の一つである。

 国会開催中に、盛大な結婚式が開かれた。チンギス・カンは次のように言った。

「ジョチに4個の千人隊を与える。アルタイ山脈以西は切り取り次第。森の民の半分も与える」

チャガタイは、酔った勢いも手伝って、大声で叫んだ。

「なぜ父はジョチばかり優遇するのか。こやつに国の半分を与えるとは何事か」

次男のチャガタイにとって、2歳しか違わない長男ジョチは越えられない壁だった。両親の愛をジョチは独り占めしているという僻みを抱えたまま、チャガタイは成人してしまった。

 チンギス・カンはその言を無視して、西方はジョチが支配せよと言明した。テムジンはオンカンでもグルカンでもなく、チンギス・カンという新しい称号を作り出した。金朝から離反する時が近づいていた。

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