第3話 初陣(3)

 テムジンは自分の天幕に戻ると、長男ジョチに言った。

「来年、初陣となるだろう」

テムジンは冗談が嫌いで、言葉は少なめだ。モンゴルは国民皆兵で、15歳から70歳までの成年男子はすべて騎兵となる。来年ジョチは数え15歳となるのである。

 ジョチは少し考えながら言った。

「タタル部族を攻めるのですか」

テムジンは一瞬笑みを見せるとすぐ真顔に戻り、トオリルの下に金帝の使者が来たとだけ答えた。ジョチは僚友のケテに、良馬を5頭用意するよう頼むため、天幕から東に走り出ていった。

 僚友はモンゴル語ではノコルといい、腹心を指す。ケテはフウシン部族出身の若者で、テムジンの家に代々使える家系のものだ。他にも隷臣(ボオル)や付人(インジュ)といった家臣がいる。

 戦闘には馬だけでなく、矢じりや合成弓、突撃用の槍、携帯食糧としての干し肉などが必要である。また、遊牧民は奥魯(アウルク)といって、戦場の近くまで家族や家畜を連れていくことが多い。家族は、後方での補給・連絡・捕虜の管理を行い、戦場の「清掃」、すなわち、略奪や遺体の処理なども担当する。戦闘員・非戦闘員の区別なく、戦の準備に半年かけ、来年春に備えるのである。

 明昌7年(1196年)春、完顔襄は臨潢府より出撃したが、軍を三手に分け、まず別働隊を北東方面に出発させてから、次に本隊を東西に分け、完顔襄自身は西軍を率いた。加えて、北西からケレイト軍が迫ることで、タタル部族は完全包囲されたことになる。

 戦術としては軍を分けるのは禁じ手だが、逃げられないようにするために包囲する必要があった。とはいえ、当然のことながら、タタル側は各個撃破を選択する。まず、タタル軍は金朝の東軍を攻め包囲したが、急きょ駆け付けた西軍に挟撃されタタル軍は敗走し、遅れて合流した別働隊が追撃、ウルジャ河畔でケレイト軍が接近中と知り、ポプラ塞(とりで)と松塞という2つの拠点に立てこもった。契丹・遼朝時代に築かれた、中国式の屯田が置かれた拠点は、上空から見ると「日」の形をしているが、攻城兵器なしで攻めるのは困難だった。

 テムジンは再び到来した耶律阿海と、弟の禿花に質問した。

「城攻めの方法は」

阿海は笑って答えた。

「食糧不足のため、タタル軍は撃って出ざるを得ないでしょう。完全に囲まず、北だけ開けておきましょう」

禿花はつづけて言った。

「窮鼠猫をかむと申します。逃げ場がないと敵の抵抗は激しくなり、こちらの損害も大きくなります」

タタル部族の騎兵の多くは逃走に成功したが、彼らの家族や家畜はケレイト軍に捕獲された。

 ジョチは、城を攻めるのは下策であることを、死地で学んだ。

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