第8話 自分に何が出来るか

 次の日の正午近く、かつての義父である賢三さんの携帯番号に電話を入れた。

 

 遼の葬儀に出席できなかったお詫びの電話だったが、本当の目的は尚美がまだ姉にに襲われていないかの確認も兼ねていた。


 尚美は依然ショックから立ち直れず、部屋に籠もりっぱなしだという。 

 その後は互いの近況を交換して、ハイさよなら、というところで賢三さんがこう言ってきた。


「心配してくれてすまないな。ああ、そういえば明後日の土曜……いや日曜か、遺族の会の人たちと出かけると言っていた。あいつもそれで立ち直れればいいんだけど……」


 通話が切れるなり、賢三さんの言う“明後日の日付 カラス 遺族の会”というワードをスマホで検索にかける。

 目当ての項目はすぐ見つかった。

 

 ホームページを開くと、遺族の会の名前の下にトピックスがあった。

 そこには“カラス対策強化を訴える決起集会を県庁前の広場で行います”という見出しがあった。


 姉は間違いなくこのチャンスを逃さないだろう、そう思いながら時計を見ると正午を過ぎたところだった。


タクシーで病院に着いたのはそれから十五分後であった。


《ルピタさん》


 昨日と同じ場所で脳から声を出した。


《ここよ、悠》


 声の方へ顔を向けた。

 ルピタさんは昨日とは違う照明灯の上にいて、ここに来るのを予見していたかのようにじっと見ていた。


 私はルピタさんに全てを話した。


 両親の死、引き取られた先での辛い出来事、自殺へと突き進んだ自分と姉のことを。


「私にはお姉ちゃんを探すことも、それを止める手立てもないんです。だからお願いです。お姉ちゃんを、姉を止めてください!」


 頬からはいつの間にか涙が伝っていた。


 ルピタさんは身動きひとつせずこう答えた。


《無理よ、詳しくは言えないけど昨日話した浄化計画まで勝手なことは出来ないの》

 

 思わず頭に血が上る。

 卒業生が次の学年に託す言葉を聞かされる下級生よろしく聞きたくも無い想いを押し付けられたのに、こちらの願いは右から左なのか?


 そんな私の苛立ちを予想していたようにルピタさんがこう続けた。


《姉の名は何というの? この辺りのカラスは一日あれば調べ上げることはできるわよ》


 肩を落としながら、知らないよりはましかと思いながら姉の名を伝えた。



      ◆



「今度の日曜日、お店の人たちと出かけてくるからお昼にカレー用意しとく。夕方には戻ってくると思うけど、遅かったら残りのカレー食べてて」


 さばさばした調子が戻ってきた琴音さんが夕食のうどんをすすりながらそう言った。


「尚美叔母さんがカラスを根絶させる遺族の会の決起集会に行くって賢三叔父さんから教えられたけど、もしかしてそこへ行くの?」

 

 それに琴音さんの目がつかの間大きくなった。


「知ってたんだ。そう、それ。何だ、あのババアも来るんだ」


 眉間に皺を寄せると水の入ったコップを口を付けた。

 

 その表情を醜いと思った。


 同時に復讐を巡るどす黒く濁った感情が琴音さんにまで侵食しているのを感じて小さく身震いした。


 その後、ベッドに入った私は明後日のことをあれこれ考えた。


 姉はどこで尚美を襲うのか?

 集会場へ向かうべく家を出て賢三叔父さんの車に乗り込むところであろうか、それは無い。

 多分、集会場か市内を行進するときを狙うのだろう。

 

 次の瞬間、姉に襲われる尚美の姿が鮮明に浮かんだ。


“人類を脅かす黒い悪魔をこの世界から追放しよう!”という横断幕を手に持ち行進する人々、その中で尚美が右手を挙げて叫んでいる。


 街路樹の中から黒い塊が飛び出し、何度も右手を挙げる尚美の横顔へ音もなく突き進んで行く。


 誰かがそのカラスに気付き声を上げる、それに気付いた尚美が横を向いたそのとき、姉の口ばしが尚美の左目に深く突き刺さり……。


 自分の口から出た、いびきみたいな音に驚いて目を開けた。


 ベッド脇のカーテンを見る。

 陽が漏れてないことから、まだ朝は来てないようだ。

 スマホを手繰り寄せると午前4時5分。

 復讐カラスの澄んだ声とは違う、耳障りなカラスの鳴き声が遠くから聞こえてきた。



       ◆



 昨日のタクシー代が思いのほか痛い出費だった私は「病院に忘れ物を取りに行きたい」という嘘をついて琴音さんに病院まで送って貰うことにした。


 そして駐車場で待つという琴音さんに「仲良くなった看護士さんと話があるし、昼食も売店で買って食べるから一時間後に迎えに来て」と言うと少し訝しげな顔をされてしまった。


 琴音さんの車を見送ってからベンチに腰掛け、昨日と同じ照明灯の上を見るとルピタさんが何かをついばんでいるのが見えた。


《やあ、悠。食事中なんだけど構わないかな》


 ルピタさんがこちらに顔を向けてそう言ってきた。

 口ばしの先についている欠片から紅しょうが入りの海苔巻きかその類を食べていると思われた。


《姉の情報はどうでしたか?》


 ルピタさんが米粒の塊を飲み込んでからこう答えた。


《利害の一致した四羽のグループに居たわ。明日高速道路上でバスを襲撃するそうよ》

《それって決起集会の人たちが乗ったバスですか?》

《どうかしらね、ただそのバスには悠のお姉さんの他にグループ四羽それぞれ狙ってる獲物が乗っているの。だからそのバスごと襲うみたいよ》


 またも聞かなければよかったと思った。


《やっぱり、手を貸してくれないの?》


 それにルピタさんが食べ終わった口ばしを照明灯へ左右にこすりつけた。


《悠、お姉さんの事といいあなたは人に頼りすぎる。自分に何が出来るのか考えてみるべきじゃない?》


 絶句した。

 姉におんぶで抱っこな生活から自立を目指していたが、結局は琴音さんに頼っているだけの自分に。

 そう、姉を失っても何一つ変わっていない自分に。


《約束も果たしたし、もうここへは来ないわ。さようなら悠》


 ルピタさんが背を向けると、照明灯を蹴り上げるカシュンという爪の音を上げて飛び立った。


 ところが急に反転するとこちらの頭上に戻って来た。


《ひとつ言うのを忘れてた。昨日、血のりが渇いて焦げ茶色になったあなたのお姉さんとすれ違ったわ》

《ええ!》

《私が浄化組というのを知っていたのね。その手にはのらない、と言われたわ》


 言い終えたルピタさんが澄んだ鳴き声を何度も響かせると、そこから飛び去って行った。

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