第6話 手に入れたのはハサミ

 両手で耳を覆った。


 これは姉ではない! こんな恐ろしいことをするはずがない! 笑いながら喋るはずがない!


 同時に冷静な自分が“このカラスはお姉ちゃんに違いない”言っていた。


 遼のマウンテンバイクには、大好きなイタリアのサッカークラブ、ACミランのステッカーが貼ってあり、私と姉は密かにACチャリと呼んでいたのだ。


《しばらく眺めていたけど遼のやつ、釣り上げた魚みたいに暴れてなかなか死なないの。しょうがないから右目を思い切り突いてやったわ。そうしたらどうなったと思う?》


 話の内容と裏腹に朗らかな姉の声、しかしそこには残酷な笑みも含まれていた。


《ゲロを吐く直前みたいな音出して静かになったの。んー、でも手足はびくんびくん震えてたっけ? 助かると最悪だな、って思ってたから左目に口ばしを突っ込んでとどめをさしたわ》


 そう言い終えた姉が喉を鳴らすような鳴き声を小刻みに発した。

 私にはそれが愉快でたまらないといった笑い声に聞こえた。


《私は精神状態がおかしいんだ。カラスが喋るなんて、お姉ちゃんの声で喋るなんてありえない。これは幻覚、幻聴》


 そこへ姉の大声が頭に響いてきた。


《次は尚美の番! 死んでやっとあいつらに仕返しできるなんて! こんな素晴らしいことはないわ、悠! あたしは絶対、絶対これをやりとげるわ!》


 姉が枝の上でくるりと背中を向けた。


《悠、あなただけは幸せになりなさい》


 姉が軽く下を向き、顔を斜めにした。


 それが生きていた時、姉が見せた照れ隠しの仕草と重なる。


「お姉ちゃん、待って!」


 思わず上げたその声で琴音さんがむくりと起き上がった。


「ん?…………あっ!」


 姉の姿を見た琴音さんが素早くカバンの中に手を突っ込むと、小さなスプレー缶を取り出した。


「悠、頭を守って屈んで!」


 立ち上がった琴音さんが握ったスプレー缶を姉に向ける。

 そこでスプレー缶の正体に気付いた。

 最近薬局なんかで売り始めたカラス撃退用スプレーだ。


「やめて、琴音さん」


 そう叫んだが琴音さんは身じろぎせず姉に狙いを定めたまま動かなかった。

 姉は背中越しに私達を一瞥すると、カラス特有の羽音を上げて飛び去っていった。


       ◆


 その日は診察の日だった。

 順調に回復している、という医師の太鼓判を押された私は松葉杖をついて広い駐車場に面したベンチに腰を下ろしていた。

 

 瞼を閉じて空を見上げる。

 正午の強い日差しは瞼越しにもわかった。


 葬式が終わり、こちらに迎えに来るまであと三十分くらいだろうか。

 ぼんやりと琴音さんが遼の死を伝える電話を受け取ったときのことを思い出した。


 電話をかけてきたのは賢三叔父さんなのは琴音さんの対応でわかったが、やりとりを聞いているうちに、遼を失った尚美の悲しみは尋常ではないということがわかってきた。


 姉の言ったとおりの死に様だとしたら当然と思えた。

 だが、あれほど憎かった遼や尚美に対し、いい気味だという感情は少しも湧いてこなかった。

 それどころか、憐憫の情さえあった。

 

 この後味の悪さは何だろう?


 そこへ誰かの会話が頭に響いてきた。


《今度こそ仕留めてやろうとしたらどこかに引っ越してやがった。まあ逃がしはしないがな》

《私なんかもう三回目。しかもこの病院で寝たきりになってしまったから難しいわよ》


 会話の方へ顔を向けると、駐輪場の屋根の上に二羽のカラスが見えた。

 会話を聞いているのにカラス達は気付いている様子は無く、お互いエールを送ると別々に飛び立っていった。


 カラスの言葉がわかったところで何の意味があるのだろう? それにお姉ちゃんのあんな言葉は聞きたくなかった。


 思わず溜息が漏れる。


《大変そうね》


 先ほどのカラスとは別の声が頭に響いてきたので辺りを見回す。

 すると駐車場の角にある照明灯の上にカラスが一羽止まっており、こちらを見ていた。


 姉以外のカラスに声をかけられたことに驚くが同時に警戒もした。


《聞こえるんでしょ? 譲ちゃんの声もはっきり聞こえたよ。お姉さんもカラスになってしまったのかい?》


 その声はどこか苛立っている姉や、先ほどのカラス達とも違う落ち着いたものだった。


《死に損なって身につけたその能力は嫌い?》


 復讐のみとは違う印象を持つカラスに興味を持った、だが警戒は少しも緩めなかった。


《何のためにあるのかわからない》

《ハサミを手に入れたと思えばいいわ。私の知っている能力を手に入れた者達は様々な使い方をしていた。カラスに標的の情報を教える代わりに盗ませた金品を手に入れたり、カラスと遺族との意思疎通を仲介して霊能者まがいのことをしたりとね。使い勝手は色々あるわよ》


 そう言ったカラスが、いかにも痒いという風に口を開けると、持ち上げた足で頭を掻いた。


《何で私に話しかけてきたの?》


 そう尋ねると、掻いたことで数本の毛が飛び出でた頭を傾けた。


《お譲ちゃんは死ぬ間際まで憎んだ相手を今も憎んでいるのかな?》


 それに首を左右に振る。


《うん、では教えてあげる。カラスになったらね、復讐を遂げるまで何度死んでもカラスに生まれ変わるの。つまり復讐する相手を殺さなければ永遠にカラスのままなのよ》


 駐輪場の屋根にいた二羽のカラスを思い出す。


 恐らく死を覚悟しての復讐を試みたが成し遂げられず、再び復讐しようとしていたのだろうか? 

 だが……これではまるで……復讐の奴隷ではないか。


 嗚咽のときに伴うしゃっくりに似た痙攣が喉元で起きる。


《だが復讐を諦めたカラスもいる、私のようにね》


 カラスが上空を通り過ぎていく数羽のカラスをチラリと見て、またこちらに視線を戻した。


 そしてこんな話を始めた。

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