87.迷宮の主と世界の主
「なかなかに、鋭い答えだ。少年」
突如としてテントの外に湧いた気配に、武器を掴んで外に飛び出す。テントという閉鎖された空間では、外部からの攻撃を避けようがない。
飛び出した先、まだわずかに火の灯っている焚き火の向こう側に、一人の男が座っている。
黒い外套を纏い、髪を短く整えた男。歳は30代前半といったところか。精悍な顔つきにわずかに無精ひげの生えた口元には微かな笑みが浮かんでいる。
およそ、街から遥か離れたエリアを探索するのに似つかわしくないその容姿に、そして何よりプレイヤーとは異なるその気配に、身構えながら尋ねる。
「何者だ」
「何者、か。《血染めの悪魔》と言っても…通じていないか」
そうだな、と一瞬考え込んだ男は、軽く頷いた後俺の方を向き直して答える。
「とあるダンジョンの深層で、冒険者を待つもの、といえば伝わるか?」
その答えに、常識や理性をふっとばして論理が答える。
「ダンジョンボスか?」
「冒険者の言うところのそういう存在だ。と言っても、そのへんの虚像どもと一緒にしてほしくは無いけどな」
人間と、プレイヤーと同じ姿をした男から感じるのは、明らかにプレイヤーとも大地人とも異なる気配。その気配がむしろ、男がダンジョンボスだと名乗ったことをすんなりと理解させてくれた。
「聞きたいことは色々とあるが、とりあえず。ダンジョンボスが俺に何の用だ」
相手から俺に話しかけた以上俺に何かしらの用事か興味があって話しかけたことは想像に難くない。とはいえ、話は順序よく進める必要がある。
「単なる興味だ。この世界を一人行く冒険者とは、どんな輩なのか。願わくば語らいたいと思ってやってきたのだが?」
座らないのか?その目線が焚き火のこちらがわ、俺が夕方腰掛けていた丸太を指しながらそう語りかけてくる。
今の所いきなり襲ってくる気配はなく、なによりいきなり襲うなら俺がテントの中にいるうちに殺しているだろう。そう判断して俺も焚き火の側に座り、弱くなっている火に薪をくべる。
「血塗れの悪魔殿は、俺の持っていない情報を持っていそうだから喜んで語らわせてもらおう」
「イセペスと呼んでくれ。それとその呼び方は忘れてくれ。俺に取っては黒歴史なのでな」
あだ名で呼んだ俺に対して、イセペスとなのった男は嫌そうな顔で答える。黒歴史か。それなら触れるのは野暮というものだろう。
「俺はムウ。見ての通り冒険者だ。俺の何に興味を持ってくれたかはわからないが、俺の知らないことについて語らえるというなら話してみたい。だが、その前に」
弓を手にして再び立ち上がり、左手の森の中をにらみつける。
「そこにいるのは誰だ。モンスターでは無いだろう」
返答が無いまま、風が木を揺らすかすかな音と薪の爆ぜる音ばかりが響く。
しばらく森の中を睨みつけていると、根負けしたのか、森の中から一人の女性が出てきた。耳が長いその姿はエルフだろうか。短い銀の短髪で目を閉じており、なぜかこちらもこの場所に似つかわしくないメイド服を来ている。
この女性の気配も、イセペスと話していると突如として出現した。尋常の存在ではないだろう。
「お初にお目にかかります、ムウ様。私はウネと申します。ゲームマスターの命により、ムウ様とそこなる者の会話を記録しに参りました。敵意は一切ございません。私はただ、記録するためだけにおりますので、無視してお話をすすめてください」
ゲームマスター。あの、この世界での冒険を見せてくれと言った男だろう。あの男が、一プレイヤーでしか無い俺の行動に干渉してくる。それはつまり、イセペスが、以前ゲームマスターの言っていた、『神との契約に関わる者』だと。
「ゲームマスターが干渉してくるということは、そういうことだと思って良いんだな?」
「私からは、ムウ様とそこなる者の会話はゲームマスターの干渉を受けるものである、という事実確認でしか行なえません。それ以上の情報は、直接ゲームマスター本人にお問い合わせください」
「どうやってあいつと連絡を取れば良いんだ?」
「方法は状況次第で開示されるようになっています。今はお応えできません」
いずれ何かしらこのゲームに進展があれば、あの男に連絡をとる必要が出てくるということか。どんな状況でゲームマスターに連絡を取らないと進行ができなくなるというの甚だ疑問だが、今はウネの言葉を信じるしか無い。
「納得いかんな。こちら側では俺達の行動には、冒険者に危害を及ぼさない限り制限をかけない話じゃなかったか?」
俺が納得したところで、今度は対面に座っているイセペスがウネに文句をつける。
「制限はかけませんが、事後対応のために記録を取らせていただきます」
「嫌だと言ったら?」
「あなたと私が戦えば、ムウ様に被害が及ぶため推奨できません」
少しの間、イセプスとウネがにらみ合う。
先に視線を逸したのはイセプスの方だった。
「…勝手にしろ」
「そうさせていただきます」
目を閉じたままウネは焚き火の光が届かない木陰に立つ。
イセプスはめんどくさそうにそちらを睨むと、俺の方へと向き直ってきた。
「あいつとは見知った中でな。いつもいつも面倒くさいやつなんだ」
「面倒くさいは適当な表現ではないと私は考えます」
口を挟まないと言った矢先にイセプスの言葉に文句を言ったウネの方を、俺とイセプスは同時に睨む。二人の視線の先で、ウネは涼しい顔で黙っている。食えない人物だ。
「まずは何から話そうか」
話す内容を吟味するようにイセプスが拳を手のひらに打ち付けながら黙り込む。
「あなたが色々と詳しいのはわかったが、一つだけ言っておく。ネタバレはやめてくれ。俺が、これからこの世界を生きていって気づくことの出来る真実は、すべて自分で見つけ出す。探索するだけでは絶対に正解にたどり着けないようなことだけ聞いてみたい」
「お前が、そういう男だというのはわかっている。こちらもそれぐらいは考えているが、そうすると存外話せる内容がなくてな」
「なるほど。つまり大抵のことは、この世界を探索していてけばわかることだと」
「正解があるわけじゃないけどな。だが、そう、推測までは必ず辿り着ける…。まずは、先程お前が考えていたことに、少しだけ答えておこ」
「それは私に話させてくれないか?」
イセプスの言葉を遮るように、別の声が響く。低く、落ち着いた雰囲気があるイセプスの声とも、高く、それでいて落ち着いたウネの声とも違う、静かな、だがそれでいて楽しげな声。
声の主の気配はウネの近くに突如出現した。
白いローブを纏い、フードで顔を隠した男、フードの中の暗闇は、なぜか“梟の目”でも見通せない。
「あんたまで干渉してくるのは契約違反じゃないのか?」
牽制するようなイセペスの物言いに、涼しい声でフードの男は答える。
「もちろん、君が望まないならこれは契約違反だ。故に、彼に説明をする前に君を説得させてもらいたい」
「ああ?」
訝しむイセペスに、フードの男は一言告げる。
「君が話そうとしているのは、私がこだわった世界の有り様だ。だが、私はおいそれとそれを他人に語ってもらいたいとは思わない。とはいえ、彼にそれを伝えようとする君の意志と、それを聞きたいと願う彼の意志は尊重したい。そこで相談だ。君の代わりに、私の口から説明させてはくれまいか?」
わずかな逡巡の後、イセプスは頷き、フードの男が説明することを認める。
フードの男はそのまま焚き火に近づいてきて、俺とイセプス、そしてその男で焚き火を囲う形になる。
「はじめまして、と言うのは少し違うか。こんばんわ、ムウくん。もう気づいているかもしれないが、私はこのゲームのゲームマスター、以前街でこのゲームを作った理由を皆に伝えたものだ」
フードの男がどこかから取り出した椅子に座り、俺の方のへと体を向ける。
確かに、彼の言う通りゲームマスターなのだろうな、とは感じていた。だから驚きも少なく、冷静に返す事ができた。
「…あんたが、この世界を作った人か」
「ああ。色々と言いたいことはあるだろうが、今はそれは置いておいてもらいたい」
ログアウトを出来なくしたことなどを糾弾するのは別の機会にしてくれということだろう。俺もそれについて特に文句を言うつもりはない。
「俺がこのコリナ丘陵について感じている違和感について、説明してくれるのか?」
「そうだね。それ以上の会話はムウくんの嫌うところのネタバレにつながってしまうだろうから、私は、この世界の来歴という、創造者のみが知れることについて説明しよう。といっても、細かい話は聞いてもしょうがないだろうから省かせてもらうがね」
「構わない」
「ありがたい。それじゃあ簡単に説明させてもらおうかな」
そう前置きをして、男は説明を始めた。
「簡潔に説明してしまえば、あちらがわ、つまりボスエリアの向こう側、ルクシアのある世界は、ゲームとして私達が作り上げた楽しく冒険をしてもらうための世界。もちろんそこにはゲームだからレアアイテムだったりトレジャーハントの要素だったりと、楽しむための要素をふんだんに盛り込んである。ルクシア周辺は早く先に進んでもらうために少しばかりつまらなくしてあるけどね」
「それに対して、こちら側、コリナ丘陵やサスカー海岸を含んだ世界は、そもそも私達が作った世界ではない。別の人類文明が滅んだ後の世界をそのまま借りてきて、そこにダンジョンとかいくつか付け足しただけだ。だから、君の抱いていてる違和感はあながち間違いじゃない。あちら側は森や自然などリアルにしながらも、ゲームとして成り立たせているからね。それが普通だ。けどこちら側は、そもそも攻略なんてさせる気も、全てが明らかになったり都合の良いアイテムが手に入ったりすることも無いような世界を用意した。まあ理由はいくつかあるんだけど、それはプレイヤーである君は知らなくていい理由だ」
男が説明を終えた後、聞いた内容を反芻し、いくつか疑問点を自分の中で上げては色々な方向から答えを探し、最終的に残った疑問を男に投げかける。
「あんたの説明に対して俺が聞きたいのは一つだけだ。あんたの言っていたひとまずのクリアに、こちら側のエリアの探索は必要ないのか?」
「そういうわけではない。どういう風に必要かはいずれわかることだから言わないが、いずれ君以外のプレイヤーもこちら側に進出する必要がある。だから君が危惧しているように他のプレイヤーの拠点づくりを止めたりする必要はない」
「それならいい。俺はどちらにしろここの探索をやめるつもりはない。ゲームとしてのエリアを仲間と楽しく探索するのも良いだろうが、この大自然をひたすら一人行くのは心底ワクワクするからな」
俺がそう答えると、満足そうにフードの男は頷く。
「私の口から伝えれることはそれだけだ。私はこれで失礼するよ」
そう言って男が背を向ける。いつのまにか彼の座っていた椅子が消えている。その背中に、俺は立ち上がりながら声をかける。
「待ってくれ」
ゆらりとこちらを振り向いた男に、俺は感謝を伝える。
この世界を作り、俺を引きずり込んでくれたことに対する、心のそこからの感謝を。
「俺は、あんたに感謝している。俺もあんた同様に、こんな世界を歩いていくことを望んでいた。ゲームとしてではなく、現実として生きてみたかった。だから、ありがとう。感謝する」
「…」
答えを返さないままフードの男は再び背を向け、森の中に消えた。俺はその背中を静かに見送る。
やがてその気配も感知できなくなった。
「…ゲームというのは俺にはよくわからんが、お前もあの男も、お前たちの世界では相当に酔狂なのだろうな」
「違いない」
しばしの沈黙の後にポツリと呟いたイセプスに、俺はそう答える。きっと、俺も彼も、あの世界の普通からは大きく外れていて、俺はそれを甘んじて受け入れて少しでも理想に近づこうと物語を読みゲームに明け暮れた。一方あの男は、理想とは程遠い現実を良しとせず、理想を実現した。
言ってみれば、あの男は俺よりも先に行ったのだ。惜しむらくは、彼が自身は冒険に参加しないことを選択してしまったこと。だからこそ、俺が彼の代わりにこの世界の隅々まで見てやろう。
イセプスが動く気配がしたのでそちらを向くと、ずっと座ったままだったイセプスが立ち上がっていた。
「どうした?まだお前とは何も話してないと思うが」
「今日は、帰らしてもらう。軽い気持ちで、お前が何を考えて何を見てきたのかと聞きに来てみたが、お前やあの男に失礼というものだったな」
「そうか」
「あいつに相談して…っつってもお前はわからないだろうが、とりあえず、俺もお前と同じ冒険者になってみる。どうせ暇だしな」
「…話がよくわからないが、お前はダンジョンボスじゃなかったのか?」
「どうせしばらくは冒険者はたどり着かないだろうし、たどり着いたときに戻れるようにはしとくつもりだ。俺は今まで冒険なんてものをちゃんとしたことは無かったから、ちょっと興味が湧いてしまってな。お前から答えを知るのは面白くない」
「そう、か」
彼がどういう人物であるのか、ダンジョンボスであるということ以外はあまり良くわかっていないが、冒険をしてみたいというなら俺が無理に止めることはあるまい。
「ゲームマスターが許してくれると良いがな」
「あの男も、そこまで固いことは言わないと思うがな」
それじゃあ、とイセプスは焚き火の側から離れていく。フードの男と同様に森の暗闇の中へと消えていった。気がつけばウネもいつの間にか消えている。
あとに残されたのはわずかに燃える焚き火と、俺一人。
ダンジョンボスを名乗る人間が話しかけてきたりダンジョンマスターが急に出現したりと、夢ではないかと思うような一夜だった。色々と考えたいことはあるが、今日はもう寝よう。明日歩きながら考えればいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます