第17話 偽りの安息




―――強姦されてからしばらくは、自分が汚れているという思いに、ひたすら苦しんだ。それだけだった。



 やがて高校生になった。中学生の時とはちがい、周りは恋愛とそれに付随するおっかなびっくりの性体験の話で花盛りとなる。

 会話には入らなくとも、聞こえてくる話が美弥をえぐる。

 美弥とて恋やセックスに興味がないわけではない。強姦される前までは、まだ見ぬ恋人との抱擁を夢想するごく普通の少女だったから。



 なのに自分は汚れているという想いが呪縛となり、美弥を普通の少女たちから遠ざける。

 本来は自分もいるはずのその岸辺にたどり着きたくて、精神の混沌の海をやみくもに泳ぐが沖へどんどん押しやられ、岸辺は哀しいほどに遠ざかる。



 もしも美弥がもっと小さな子供だったなら、あんな事をされたのは自分じゃない……、そう繰り返し自分に刷り込む事で別の人格を生み出したかもしれない。しかし、美弥はそれほど幼くはなかった。禍々しい記憶は消しがたく脳裏にある。



 

 その煩悶のなかで、次第に美弥は、我知らずセックスに対する認識を歪曲しはじめた。


 あんなこと大したことじゃない――。

 セックスなんて大したことじゃない――。

 だから私は汚れてなんかいない――


 そうであれば、私も普通の少女になれる……。


 


 いつしか美弥は、自分のその歪曲に気付いた。



 我に返ると、頭の中で同じフレーズを何度も唱えている。まるで何かの祈りのように。

 その祈りは美弥にわずかばかりの安息を与えた。ほんの束の間の長くは持たない安息だ。

 自分でもわかっていた。ほんとうはそんな風に思えないことを――。

 だが、14歳で無慈悲に強姦された少女が、一人で懸命に見出した安息だった。



 茫漠の世界に漂う中でも不意に忌まわしい過去がフラッシュバックする。自分は汚れているという正直な認識が追いかけてくる。


 そのたび、ひとり首をふり、祈りとともに安息の地へ向った――。




 幸か不幸か、高校時代、美弥に熱烈に言い寄ってくるような男子はいなかった。つまりモテなかった、それも全くといっていいほどに。




 しかし――東京に出ると美弥をとりまく事情は格段にちがった。



 街を歩いても、あるいは職場でも、時折声をかけられた。「食事でもどう?」「どっか遊びに行かない?」

 美弥は田舎にいた時と何も変わっていない。メイクもしてない、服装も変わっていない。

 急にモテたわけではなかった。都会の遊びなれた男たちが美弥に声をかけ求めているのは、恋愛ではなく、ほんの軽いナンパ、暇つぶし、その先にあるかもしれないお手軽なセックス―――。

 

 美弥は街で声をかけられるたび「ごめんなさい……」と言いながら足早に立ち去った。職場では「一応彼氏がいるので……」とウソをついた。



 

 

 孤独と困窮の生活の中で、煩悶と祈りは続く……。

 出口もなく際限なくループする想いが、美弥を支配する。

 その支配の中で、偽りの安息も、わずかばかりの場所とはいえ定着していった。



 上京してから1年ほど経ち、あいさつのように声をかける男たちの存在に慣れ始めた頃、学生風の男に例の如く声をかけられた。



 男はお茶や食事に誘うでもなく、あけっぴろげに「ねえ、エッチしよ」と連呼し、しまいには手を合わせて拝み出した。



 頭の中だけで際限なく繰り返される果て度ない自問自答に疲れていたのか、どうでもよかったのか、あるいは思考ではなく現実として確かめてみたかったのか――。



 男に手を引かれるままホテルに入った。



 強姦されて以来、はじめて男に体を触れられた――。



 自分自身が価値を認めていない体を、できるものなら捨て去ってしまいたいと思ってきた体を、男は嬉しそうにまさぐった。

 行われているものが、ごく普通のセックスといえるのかどうかはわからなかったが、少なくともあの濁流のような無慈悲な荒々しさはなかった――。

 それでもやはり体はこわばり、快楽などは露ほども感じなかった。好きでもない、さっき会ったばかりの男に裸体を晒し、セックスをしているという奇妙さを感じるだけだった。



 なのに―――その夜を皮切りに、美弥は、誰も好きにならないまま、流されるまま、そして感じないまま、時に男たちに体を開いた。



 それは、失恋したての女が、誰でもいいから男に抱かれて自分には価値があると確認したがる行為に似ていた。事の次元は違うが、薄汚れていると思っている自分も求められれば、その存在を認められたような気になる歪んだ存在証明だったのかもしれない。



 こんな汚れた私も求められるんだ―――それは奇妙な、本来の女の悦びからほど遠い、普通の恋もセックスも知らない美弥の哀しい安息だった。

 そして同時に、自らが歪曲して構築した――やっはりセックスなど大したことじゃない――という偽りの安息を是認していった―――。




  その是認は後に、美弥に一つの道を提示することになる―――。









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