第18話 男たち
田所は熟練の技で、シャツにアイロンをあてていた。
ジュウッという音とともに皺が綺麗に伸びていく。今までにアイロンをあてたシャツの数は何十万枚にもなる。それでも飽きることなく、この皺が伸びる瞬間が田所は好きだった。
アイロンがけの時は、たいてい忘我のような状態になるが、最近は美弥のことがどうしても頭に浮かぶ―――。
―――まさかこの歳になって、風俗以外であんな若い人妻を抱けるなんて思わんかった……。
女房が死んで10年。しがないクリーニング屋で、本を読むことぐらいしか楽しみがねえんだ……。
かあちゃんも許してくれるってもんだ。なんせ結婚してから浮気なんてしたことないまま生きてきたからな。まあ浮気しなかったのは、ワシがモテんからだけどな。
奇妙といえば奇妙な奥さんだ……。
あんなにおっとりした顔してるのにな。色気を発散してるわけでもない。というか、色気なんてまるでないかもしれん。それがどういうわけか吸い込まれるように欲情しちまった……。ワシァどうも女の扱いは下手だし、あんな思い切った真似するつもりはなかったのに……。
でも随分とおかしなこと頼むもんだなあ………。
若い人に流行ってるのかな……きょうびの人が考えること、ワシみたいなのに分かるわけないわな。
まあいい、言うとおりにしてりゃ。
そうすりゃ、またあのプルプルした肌に触れられる――。
―――田所がアイロンがけをしながら、そんなことを思っている頃、美弥は平日昼間のラブホテルから一人出た―――。
少し時間を置いてホテルから出てきたのは、倉重が結婚当初に美弥を連れて回った先の一つの洋食屋の主人だった。
男は周囲を確認し、見知った顔がないことに安堵して、歩きながら美弥とのここ最近のことを思い返した―――。
――今まで散々女遊びはしてきたけど、あの手のタイプは初めてだ。意外なもんだ。虫も殺さないような顔して、不思議に男を誘いこむ。たしか結婚した当初旦那がうれしそうに連れてきてたけど正直いって、えらい地味な女だなと思っただけだった。倉重の旦那は俺とだいたい同年代だから、若い女をつかまえたなとは思ったけどさ。俺の食指が動くようなタイプじゃなかった……。
急にここ最近ランチにひとりで来るようになったから、なんだろ……と思ってたら、ウチの嫁の目を盗むようにして
「あの……おいしい天ぷら屋さん、ご存知ないですか?主人は知らないみたいで……」ときたもんだ。
ピンときたよ、これは誘いだって……。
案の定、天ぷら屋を出て、ホテルに誘ってみたらなんの逡巡もみせずに受け入れやがった――。
たまにはこんなおいしい展開でもないとな……。なんせ店の中じゃ、俺が客に色目つかってないか嫁が四六時中目を光らせてやがる。俺のタイプを完全に把握してやがるし、やりにくいったらない……。
色気があって胸が大きい俺のタイプの客が来たら、すぐに要注意リストに入っちまう……。とてもじゃねえが、誘いなんてかけられねえし、連絡先も交換できん。女と連絡とってる証拠を見つけられたら、えらいことだ。すぐにフライパンを振り回しやがるし………、あのフルスイング喰らったら、俺は死ぬだろな……。
でも、倉重の奥さんは、ウチの嫁の要注意リストからハナから完全に外れたし、まさか向こうから誘うなんて想定外だったんだろう。一貫してノーチェックだ、ノーチェック。
まあでも念には念で、一応嫁の目を盗みながら
『○○駅付近にあります 火曜日でよかったら案内します』って書いたメモを渡したら、会計時に、伝票と重ねて
『次の火曜日、お願いしてもいいですか?』って渡したメモに裏書きしたのを、寄越しやがった。
で、つり銭渡す俺の「駅出口、正午に」って早口に、さりげなくうなずきながら「ごちそうさまでした」だもんな。
いや、見事だったよ……慣れてるのか、なんなのか……。
あの時、女房はレジの方に目すら向けてなかった。
完全犯罪成功だ。うん、ラッキーだった。
ただ、あの女はどっか普通じゃないな……。ベッドの上でもそうだ。ありゃ完全に演技だ。それとテクニックも全開にはしてない。隠してやがる感じだ。
おまけに変なことを頼むよなあ……。そういう趣味なんかね、よくわからんが………。
まあいい、嫁にもバレず、金もかけず遊べたんだ。よしとしよう。
しっかし、あの倉重の旦那もバカだねえ……。
自分の嫁さんが俺に媚態をさらしてるなんて全く知らないんだろうよ。
ま、それが人妻と遊ぶ醍醐味だ―――。
美弥は、ホテルを出て電車に乗り、少し買い物をしてから家に帰った。
そして倉重の年賀状ホルダーをさぐった―――。
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