第14話 雷鳴轟く
図書館は電車で一駅だったが散歩がてら、ゆったり歩いていくことにした。
しばらく歩くと役所や図書館の一群が見えた。その敷地に続く広めの公園で、小さな子供たちが母親に見守られながら楽しげに遊ぶ光景に、美弥は我知らず微笑した。
図書館は思っていたよりもずっと大きく立派だった。
中に入ると、平日の昼さがりなのに結構な人がいた。
紙の匂いとページをめくる音が静かに響くなか、書棚の海を歩いていると、それだけで少しうれしくなった。
皆、思い思いに本や新聞を読んでいる――。
その中の一人、中学生ぐらいの少女に目がとまった。熱心に何かの本を読みふけっている。聡明そうで綺麗な顔立ちをしていた。
ただ、どこか年頃に似つかわしくない翳りがある。ちょうど14歳の頃の美弥のように――。
少女を見つめ、何かの事情で不登校なのかな……、と美弥は思った。
不登校の生徒の増加が社会問題となって久しいが、その大きな要因であるいじめ問題への学校の対応は一向に進展しない。進展どころか、いまだに旧態然とした隠蔽が図られすらする。
美弥にとっては学校はある意味では逃げ場だった。同級生たちを見て、自分はもうこの子たちとは違って汚れた……という想いに苛まれたが、少なくとも学校には母の男はいなかった――。
だが、いじめに遭っている子たちに学校は、紛うことなき地獄だ――ー、学校に行けばその地獄が待っている。加害側が手ぐすね引いて待っている。教師たちが守ってくれるわけでもない。それが分かっていて毎朝そこに行けというのは、あまりにも酷だ――。
まったく見当違いなのかもしれないけど、もしも何かの事情で心が壊れてしまうほどに辛いなら、命が削られるような想いをするなら、学校なんて行かなくていい――、いい本、たくさん読みなね――。
美弥は少女に心の中で、そっと声をかけた。
本の背表紙を見ながら歩く。読みたい本が無数にある。少女の頃に難しくてわからないや……と読まないままに返却した文豪のたちの本が目につき手にとってみた。今なら多少なりともわかるかもしれない――、そう思って借りることにした。
受けつけで利用証をつくり、借りた本を手提げバッグに入れているときに後ろから声をかけられた――。
「あれ、倉重さんの奥さん」
クリーニング屋の田所さんだった。週に一度倉重のスーツやらを出すため、すっかり顔なじみになった。
「あ……、こんにちは……」
結婚当初、倉重とスーパーに行った帰り道、店の前を掃除していた田所に出くわし、倉重が結婚したことを告げると「若いきれいな奥さんもらったね、うらやましいや」などと美弥が気恥ずかしくなるようなお世辞を言う……まあ気のいい初老のおじさんだ。たしか奥さんは亡くし男やもめのはずだ。
「難しそうな文豪ものばかり読むんですね」田所は美弥の手元の本を見て言う。
「ああ……いえ、人気のものなかなか借りられないので……」
「うんうん、そうですね。予約待ちでね。今の作家なら誰がお好きなんです?」
2,3人のミステリー作家の名を挙げた。
「ああ、そりゃ図書館じゃまず無理だ。でもその作家なら結構な数を持ってるから、よかった今度店に来てくれたときにでもお貸ししますよ」
いつもの美弥なら「いえ、そんな……」とやんわりと断ったはずだ。
しかし、その瞬間、美弥の脳裏に一つの考えが雷鳴のように轟いた―――。
美弥はうれしそうな顔をつくり、
「よろしいんですか?」と聞いた。
クリーニング屋は美弥よりもうれしそうに「全然かまいませんよ。いつでも来てください」と言った――。
―――数日後、いつものように倉重のスーツを持ってクリーニング屋に向った。
「仕上げは水曜日ですね、ああ、でも奥さん。よかったらうち休みが木曜日なんだけど、その日に来てもらって、この間言ってた作家の本、ゆっくり選んでくれてもいいですよ」
「お邪魔して、いいんですか……」
美弥は慣れない上目づかいをつくり、言った――。
田所の目が一瞬、わずかばかり見開かれ、「ぜひぜひ、お待ちしてますよ」
木曜日、昼過ぎにクリーニング屋に行った。店のシャッターは閉まっている。
伝えられていたように裏口に回って呼び鈴を押した――。
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