第12話 復讐の誓い
倉重に一度、言ったことがある。
「そんなに私が疎ましいのなら、離婚しませんか?」
「離婚はしない絶対にしない!二度と口にするなっ」と倉重は激昂した。
二度の離婚というのは、倉重が何より大事にする己の体裁を大きく損なってしまうからだろう。
結婚して違う世界へ―――そんな愚かな夢など見るんじゃなかったと、昼間ひとりのリビングで思う。
倉重は美弥に決して手はあげない。美弥が女だからではない。最近では夫婦喧嘩や親子喧嘩で頬を張った、押した、蹴った、そんなことでも逮捕される。どこまでも自分自身を狂信的に愛し慈しむ倉重は、そんなリスクは犯さない。法的に安全圏に身を置きながら、言葉と態度で徹底的に美弥をいたぶる。
美弥を外では働かせないのも体裁のためだ。会社などで「嫁には専業主婦で楽をさせてやっている」と言っているのが、目に浮かぶ。
考えようによっては、心を遮断して家事さえしていれば身の置き所は保障される。それは独身の時にはないことだ。
しかし、自分の精神的均衡をはかるためだけに美弥のすべてを否定する男と暮らしの身の置き所など何になる?
それは生きているといえるのか?こうして年をとっていくのか? それとも生きるとはそれほど難しく考えるようなことでもないのか?
今までも生きながらにして死んだような日々をずっと送ってきた。ただ、一人で人生に絶望を感じているのと、日々を共に過ごす人間に自分の全てを否定され、悪意をぶつけ続けられる人生とでは、絶望の質がちがった。
そこに茫漠の変容が起こった―――。
一体私が何をした?――美弥は思う。
確かに人生に絶望していた。いつ自ら命を絶ってもおかしくなかった。でも誰かに頼ろうとはしなかった。頼れる人なんていなかったから。感情を遮断して一人で茫漠の中に漂ってきた。
それが自分を守る術だったから―――。
そこに土足で踏み込んできたのは倉重だ――。
狂った自己愛のために一人の人間を蹂躙しつくす。そこにためらいも疑問も罪悪感もない。それはどこか強姦に似ている―――。
感情を遮断することに慣れている美弥ですら制御しきれない怒りが、胸にとぐろを巻き、蠢いているのがわかる。
倉重がああまで美弥を邪険にするのは、美弥に逃げ場所がないと思っているからだ。
確かに逃げ場所はない。仕事も住む場所も頼る人も、ない。わずかばかりの貯金が尽きるまでネットカフェで暮らせるぐらいだろう。
だが、最後の逃げ場所なら一つだけある、この人生を終わらせ死地へ赴くという逃げ場所が―――。
しかし―――、美弥は思う。
その選択をするのは、私が生きてくるために構築した茫漠の世界すら変容させ、なおも蹂躙しつづける倉重に一矢報いてからだ―――。
あの男の人生をめちゃくちゃに破壊してやりたい。あの男が私にそうしたように――。
それにはどうすればいい?
目を閉じて考える――。
あの男が一番大切にしてるもの――私の人生を無慈悲に破壊して作り上げようとしている体裁――それを完膚無きまでに破壊してやればいい―――。
今までの人生で、表に出すことを拒んできた怒りの感情が堰を切って這い出ようとしている。
倉重に復讐する――その考えに浸っているだけで、胸の奥にじわりと仄暗い悦びが湧いた。
焦らなくてもいい――時間はたっぷりある――。
目を開けると、リビングのつけていないテレビの黒い画面に、静かに怒りを湛え、復讐を誓った女の顔が映っていた―――。
(第4章へ続く)
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