第41話 巫子が自爆したショックにより家出してしまいました

「文人ー」

 その日の定時直前、体調不良から快復した僕がプロット作成の続きをしていると真白が声をかけてきた。


「ん? 何?」

「この書類に印鑑を押してくれない? 急ぎの書類だからできれば今すぐほしいんだけど」


「いいよ。でも今手元に印鑑がないから僕の部屋まできてくれる?」

「分かった」

 僕は執筆の手を止めて立ち上がり、真白を連れて僕の部屋に向かう。


 ガチャッ


「んあ、うにゅう……」

「ん? 何だ?」

 ドアを開け玄関で靴を脱いでいると、中からくぐもった声が聞こえてきた。


 ちなみに普段のこの時間は僕たちよりも先に仕事を切り上げ、買い物に行き帰ってきた巫子が晩御飯の準備をしている。


 しかし台所に巫子はおらず、不審に思った僕は忍び足でそーっと中の様子を伺った。


「くんくん、くんくん、はふう、文人さんの匂いがするう……」

「っ!?」


「あらあら♪」

 僕はそこで目にした衝撃の光景に思わず声をあげそうになり、隣で真白がニヤリといつものいやらしい笑みを浮かべる。


 巫子がベッドの上にうつ伏せで寝転び、僕の枕を抱き鼻を押し当てて幸せそうに匂いを嗅いでいたのだ。


 ベッドの頭が部屋の奥を向くように設置されていて、さらに匂いを嗅ぐのに夢中になっているからか、巫子は僕たちが部屋に入ってきていることに気づいていない。


 そして僕は部屋の中央付近に買い物袋が置かれていることに気づく。


 どうやら買い物から帰ってきて、少し休憩しようとベッドにダイブして今に至るようだ。


「文人さん。どうしてそんなに優しいんですか? どれだけ私が迷惑をかけても、わがままを言っても怒らずに許してくれる。もしかして文人さんは神様や仏様の生まれ変わりなんでしょうか?」


 巫子は胸がいっぱいで、言葉にせずにはいられないように独り言を言い始めた。


「優しいだけじゃない。一緒にいるととても頼りになるし、ベッドの上では凄く男らしい。そんなの反則ですよ。ギャップでキュンキュンしちゃうじゃないですかあ……」


 その時のことを思い出したのか、巫子は蕩けたような声を出す。


「ああん、もう! 文人さん! 私をこんなに惚れさせてどうするつもりなんですか! おかげで寝ても覚めても文人さんのことばかり考えてしまいます! どうしてくれるんですか!」


 すると巫子は気持ちが昂ったのか、感情を爆発させるように叫んだ。


「文人さん! 大好きです! 今すぐここにきて私を抱いてください! 傍にいるのに見ていることしかできないなんて辛過ぎますううううっ!!」


「うわあ……」

「ぷっ、くくくっ……見事なまでの壊れっぷりね♪」

 巫子が枕を抱いて右へ左へゴロゴロと寝返りを打ち悶える姿を見て、僕は唖然とし真白は面白くて仕方ないと言うように必死で笑いを堪える。


 僕たちは完全に見てはいけないものを見てしまっていた。


「はあ……はあ……」

 叫んだことで少し楽になったのか、巫子は寝返りを止めて呼吸を整える。


「ふう、それにしても欲求不満だったとはいえ私ったら何てはしたないことを、こんなところ文人さんに見られたら恥ずかしくて死んじゃいますね……」


「残念ながらバッチリと見られてるわよ♪」


「えっ!!? ……きゃああああっ!?」

 真白が「ここだ!」と巫子に声をかけ、ビクッと驚いた巫子が体を起こすと僕たちの存在に気づき悲鳴を上げた。


「な、なななななな何で文人さんと真白さんがここに!?」


「いやその……印鑑を取りにきたんだけど、僕たちが入ってきたことに巫子が気づなかったみたいで。ごめんね。覗くつもりはなかったんだ」


 僕は気まずく思いながら巫子に謝る。


「ち、ちなみにどこから見てました?」

「巫子が舞台女優のように文人への想いを語り始めた辺りから♪」


「ほとんど全部見られてますううううっ!?」

 ここで「今きたばかり」と言ったらフォローできたのかもしれないけど、真白がそれを阻むように追い打ちをかけた。


「あ、あああ……」

「み、巫子落ち着いて! さっきのことを見たからって別に嫌いになったりしないから!」

 羞恥で顔を真っ赤にし、口をパクパクさせながら動揺する巫子を僕は慌てて宥める。


「も、もう私お嫁に行けませええええええんっ!」

「あっ!? 巫子!? 巫子ーっ!?」

 しかしその甲斐なく巫子は手で顔を覆い逃げるように部屋を出て行った。


「あちゃあ、巫子に悪いことしちゃったなあ……」

「まあ原因は巫子の自爆だし仕方ないわね♪」

 しまったと頭を掻く僕の隣で真白が愉快そうに笑う。


 ピロン♪


「ん?」

 すると僕のスマートフォンに入っているメッセージアプリの着信音が鳴り、誰かからメッセージが届いた。


「巫子からだ。……ええっ!?」

 アプリを開いてメッセージを読むと僕は愕然とした。


【さっきは見苦しいところを見せてしまってごめんなさい】


【見ての通り、最近の私は自分自身を制御できなくなっています】


【なので一度頭を冷やすため、禁欲が明けるまで家に帰らないことにしました】


【仕事も私の家からオンラインですると真白さんに伝えてください】


「あのー、まだ禁欲生活が始まって3日目なんだけど……」

 文面通りなら、これから4日間巫子はこの部屋に帰ってこないことになる。


「巫子が買ってきた食材、どうしたらいいんだよ……」

 僕は巫子と付き合う前、食事の多くをコンビニや外食で済ませていたことから最低限の料理スキルしか持っていない。


 料理したことがない食材がたくさん入った買い物袋を見て、僕は途方に暮れたのだった。

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