第37話 真白に不安を煽られて禁欲したら巫子がダメな子になりました

「巫子ってさ、本当に文人のことが好きよね」

 事の発端は僕の部屋で夕食を食べ終えた直後、巫子が僕にベタベタとくっついて甘えているのを見た真白が言った何気ない一言だった。


「そりゃあそうですよ。今、私が幸せなのは文人さんのおかげですから。文人さんのためなら何でもやっちゃいます♪」


 巫子が言葉だけじゃないと言うように僕にスリスリする。


 何でもというのは決して言い過ぎではなく、同棲を始めたばかりの頃に分担していた家事は現在巫子が全部してるし、エッチなことについてもNGなし。


 僕は夜な夜なこの前巫子が買ったエロ本を開き巫子と共に性の悦びを謳歌し、おかげで心身共に充実した日々を過ごしていた。


「ふうん、何でもねえ」

 すると真白が巫子の言葉を聞いてニヤリとする。

 な、何だか嫌な予感がするぞ。


「じゃあさ巫子、文人のために禁欲してみてよ」

「禁欲? 禁欲って何ですか?」

 エロ本に載っていなかったこともあり、知らない巫子が首を傾げた。


「簡単に言うと男女の営みの頻度を減らし性欲を溜めることで、1回の質と満足感を高めることよ。ほら、巫子たちってほぼ毎日してるじゃない?」


「そうですね。できる日は必ず文人さんにお願いしてます」

「ちょっと待って。何で真白が僕たちの性事情を把握してるんだよ?」

 さらっとおかしなことを言う真白の発言を、僕は見逃さず話に割って入る。


 また僕たちの目を盗んで、どこかに盗聴器を仕掛けてるんじゃないだろうな?

 後でチェックしておかないと。


「まあまあそれは今置いといて、とにかく毎日のように求めてると文人が疲れちゃうし、女の武器である体をそんなに安売りすると飽きられて他の女に浮気しちゃうわよ?」


「そ、それは困ります! わ、分かりました。やります! 私、文人さんのために禁欲します!」


 はっきり言って余計なお世話なんだけど、真白に不安を煽られ慌てた巫子は言われるまま禁欲を決意した。


「ちなみに禁欲ってどれくらいの期間するものなんですか?」

「さあ? 特に決まりはないと思うけど、とりあえず1週間くらいしてみたらどう?」


「え、ええっ!? い、いっしゅうかん……」

「いや巫子、1週間に1度は社会人のカップルとしてむしろ普通だから」

 まるでこの世の終わりを迎えたような、絶望の表情を浮かべる巫子を見て真白が呆れる。


 まあ巫子は僕と付き合う前、週に5回自分で発散していたくらい性欲が強いし、性欲は人間の3大欲求のうちの1つだから切実な問題なんだろうな。


「巫子だって性欲解消のために文人と暮らしてる訳じゃないんだし、1週間くらい我慢しなさい。それに解禁した時は凄く気持ちいいらしいから。それじゃあご馳走様。また明日ね」


 真白は巫子を諭すと立ち上がって自分の部屋へ帰って行き、巫子にとって長くて辛い禁欲週間が始まったのだった。


◆◆◆


「文人さん、本当にこれから1週間なしなんですか?」

 風呂から上がった後、パジャマ姿の巫子が寂しそうな顔で僕に尋ねる。


「うん。というか巫子が自分で決めたんだよね?」

「そうですけど……」


 真白が帰った後の巫子は明らかに元気がなく、禁欲することを思いっきり後悔している様子だった。


「文人さんは辛くないんですか?」

「辛くない訳じゃないけど、1週間くらいなら大丈夫かな?」


 僕としては真白の言う通り、付き合ってから毎日のように巫子と体を重ね消耗気味だったから、休む時間が貰えて丁度いいと思っていた。


「まあ仕事してたら1週間なんてすぐに経つし、何事も経験だから頑張ろうよ」

「そ、そうですね。分かりました。でも、おやすみのキスだけしてくれませんか?」


「いいよ」

「ん……」

 巫子におねだりされて僕は巫子と唇を重ねる。


「じゃあ巫子。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

 数秒後、唇を離すとベッドに入って目を閉じた。


 しかしこの禁欲生活が巫子のリズムを大きく狂わせることになるとは、この時の僕は微塵も予想していなかった。


◆◆◆


 ピリリリリリリッ♪


「んん……」

 翌朝、僕はスマートフォンの着信音で目を覚ました。


 ピリリリリリリッ♪


「誰だよ? こんな朝早くから……」

 僕は眠い目を擦り電話をかけてきた相手に文句を言いながら、枕元に置いてあるスマートフォンを手に取る。


 ピリリリリリリッ♪


「……真白?」

 ディスプレイを見ると、そこには真白の名前が表示されていた。


 ピッ


「おはよう真白。どうしたの?」

「どうしたのって……出勤時間の9時になってもこないから、何かあったのかと思って電話したんだけど?」


「……え? ええっ!? く、9時!?」

 電話に出ると真白の呆れた声から驚きの事実を告げられ、眠気が一気に吹き飛んだ僕は慌てて部屋の壁に掛けられている時計を見る。


「ほ、本当だ……」

 時計の針が示している今の時刻は9時過ぎ。


 窓の外は既に日が高く昇っていて、部屋の中は電気を点けなくても大丈夫なくらい明るかった。


「ごめん! 完全に寝坊した! すぐに準備してそっちに行くから待ってて!」


 ピッ


「うゆ……文人さん、どうしたんですか? そんなに慌てて……」

 僕が真白に謝りながら電話を切ると、僕の切羽詰まった声を聞いた巫子が目を覚ました。


「巫子! 早く起きて! 遅刻だ!!」

「ええっ!? ち、遅刻!?」

 僕の遅刻という言葉で寝ぼけていた巫子は飛び起き、僕たちは大急ぎで身支度を整えて真白の部屋に向かったのだった。


◆◆◆


「はあ……」

 その日の夜、ベッドの上で巫子はガックリと肩を落としながらため息を吐く。


「今日は文人さんと真白さんにいっぱい迷惑をかけてしまいました……」

 今朝の寝坊を始め、今日の巫子の仕事振りは散々の一言だった。


「まあまあそんなに落ち込まないで、誰だって調子が悪い日はあるよ」

 僕は巫子を慰めるが、原因は既に分かっている。


 昨夜に僕との夜の営みがなかったせいで悶々としてなかなか寝付けず、睡眠不足になり目覚ましのアラームが鳴っても起きられなかったらしい。


 仕事中も常にボーッとしていて、午前に行った小説紹介の動画の撮影では紹介する小説のタイトルを間違え、喋りも噛むわ変な間が空くわと明らかに精彩を欠いていた。


 さらに午後の事務の仕事では作成した書類に誤字脱字、数字や計算の間違いが数多く見つかり、僕が小説執筆の手を止め確認作業を手伝わなければいけない始末だった。


「今日1日過ごして改めて分かりました。やっぱり私は文人さんがいないとダメですね……」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、実感した理由が欲求不満なのは複雑だなあ……」

 巫子が自身の煩悩による苦悩を美しい話のように語る。


 まあ心の状態が体に与える影響は大きいし、間接的に心の支えになっていると言えなくもないかな?


「僕と付き合う前は普通に仕事できてたんでしょ? 明日になったら気分も変わるだろうし、きっといつもの調子に戻ってるよ。だから今日はもう寝よう?」


「そうですね。お休みなさい……」

 僕は巫子の頭をポンポンして励ますと、おやすみのキスをして眠りにつく。


 しかし巫子のダメっぷりは明日以降さらに加速していくのだった。

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