第32話 浮気した彼氏が開き直り舞子がブチ切れました
「ねえ真白、いい加減諦めて帰ろうよ……」
「そうですよ。私、もう疲れちゃいました……」
「もう少しだけ待って。そろそろ動きが出ると思うから」
疲弊しきっている僕と巫子を真白が宥める。
タクシーに乗った僕たちは、街から20分の距離にある展望台にきていた。
ここは山の中に作られた屋外型の展望台で、日が沈み暗くなっている今は高台から街の明かりによる綺麗な夜景を見ることができる。
さらに地元の人以外にはほとんど知られていない穴場で、周囲に全く人がおらず2人きりになるには絶好の場所だった。
「店長、綺麗だねえ……」
「お前の方が綺麗だよ」
「うわあ、店長そのセリフ臭過ぎるんだけど? でも嬉しい♪」
「……」
しかし僕たちがここにきた理由は舞子たちの追跡。
タクシーを降りてから30分以上、名前も知らないカップルがイチャつく様子とそれを無言で観察する舞子を観察するという苦行を行っていた。
本当、僕たちはいったい何をやっているんだろう……。
早く家に帰って、ベッドの上で巫子とイチャイチャしたい……。
「あっ!」
僕が虚しさを感じていると真白が声を上げる。
「ん? どうしたの? ……ああっ!」
「お姉ちゃん!?」
真白の視線の先を見ると、夜景を見たことでいい雰囲気になったのか店長とギャルがキスしようとしていて、そこに向かって舞子が走り出していた。
「そこまでよ!」
「なっ!? ま、舞子!?」
「えっ!? あんた誰!?」
突然現れた舞子を見て2人が面食らう。
「ど、どうしてここに!?」
「店長、あんた今朝急な仕事が入ったからって、あたしとのデートをキャンセルしたわよね? なのに街でその女と一緒に歩いてるのを見かけたから後をつけてきたのよ!」
店長の浮気に腹を立てている舞子は厳しい口調と目つきで追及する。
「おかしいと思ってたのよ。最近全然あたしと会おうとしないし、見られたら困るって分かるくらいスマホにロックをかけてトイレに入る時も持ち込んでたから。どういうことなのか説明してくれるわよね?」
「……ちっ、なら仕方ねえな。舞子、俺と別れてくれ」
「はあ!?」
すると店長は謝るどころか開き直って舞子に別れ話を切り出した。
「お前なあ、自己主張強過ぎなんだよ! デートやら生活態度やら何から何まで口出ししやがって、俺はお前の子分じゃないんだぞ!」
今までずっと我慢していたのか、店長がここぞとばかりに舞子への不満を口にする。
「いいじゃない! その方が楽しくて合理的だし善意で言ってるんだから! それに店長の方から告白して付き合ったんだから、あたしの意見を尊重するのは当然でしょ!」
舞子も負けじと反論し、ケンカの熱量が上がり緊迫した空気が流れ始めた。
「それに俺のことが信用できないからって、尾行して行動を監視しようとする束縛ストーカー女なんかと付き合えるか!」
「あのねえ! それは店長が嘘を言うような疑われることをするからでしょ! あたしだってこんなことしたくないわよ! そして実際に浮気してるじゃない! 自分のしたこと棚に上げて何言ってるのよ!」
2人はさらに罵り合い、2人の関係に入ったヒビが修復不可能だと思う程にまで大きくなる。
「こ、これ大丈夫でしょうか? 何だか2人とも感情的になってきてますけど……」
「ふふっ、浮気した者同士の醜い争い、滑稽としか言いようがないわね♪」
その様子を巫子はハラハラしながら、真白は愉快そうに眺めていた。
「とにかく、お前と付き合って分かったよ。俺は愛するよりも愛されたい人間らしい。だから俺はお前と別れてこいつと付き合う。こいつは俺の言うことを何でも聞くし尽くしてくれそうだからな」
「聞く聞くう! 私こう見えて料理得意で家庭的だしい? いくらでも尽くしてあげるう♪ それにあの人よりも若くてピチピチだよお♪」
店長は舞子に見せつけるようにギャルを抱き寄せ、ギャルは嬉しそうに店長に媚びる。
「舞子さんだっけ? 私い、店長があんたと付き合ってからの愚痴をずっと聞いてたけどお、店長マジでかわいそうだったっつうか? こんないい男にケチつけるとかヤバ過ぎでしょ? まあそのおかげで店長が私に振り向いてくれたんだけどお♪」
そしてギャルは怒り半分、感謝半分という感じで舞子を批判した。
「恋愛って本人の気持ちが一番大事じゃん? 既に店長の心は私に移ってるしい、諦めて理想の条件に合う男を探せばあ? まああんたみたいなワガママ女、誰も相手にしないと思うけど、ギャハハ!」
「わははははっ!」
「……」
2人が馬鹿にするように笑っていると、舞子が無言で店長に近づいていく。
「お? 何だ? 今さら別れたくないって擦り寄りにきたか? でももう遅――」
「喰らえええええっ!!」
パァーン!
次の瞬間、乾いた音が辺りに響いた。
「ぐはあああっ!?」
舞子が右手を大きく振りかぶり、勝ち誇った顔をする店長の左頬に強烈なビンタをお見舞いしたのだ。
「きゃっ!?」
「うわあ、舞子の奴やりやがった……」
「ひゅう、やるじゃない♪」
それを見て僕たち3人は息を呑む。
ドサッ
「ひゃあっ!? て、店長!? 大丈夫っ!?」
店長が地面に倒れると、ギャルが心配そうに駆け寄った。
ギロッ
「ひっ!?」
すると舞子が「次はあんたよ!」と言うようにギャルを睨み、ギャルは身の危険を感じて小さく悲鳴を上げる。
ピタッ
舞子はまた振りかぶりビンタする体勢に入ったが、今度は当てることなく頬スレスレで止めた。
「あ……う……」
それでも恐怖を与えるには十分だったらしく、ギャルは腰が抜けたようにその場にへたり込む。
「いいわよ。別れてあげる。あたしが働いている会社には、あんたよりも将来有望な男がたくさんいるから、あんたたちに言われた通りその中から新しい相手を見つけることにするわ。さよなら」
舞子は別れ話をされたのにまるで自分からフッたかのように、店長に向かって捨て台詞を吐くと背を向けて歩き出した。
「うわっ!? ヤバいこっちにくる!?」
それに焦ったのは、隠れて一連の出来事を覗いていた僕たちだ。
街で会った時、僕は舞子に「今から帰る」と言ってしまっている。
もし舞子に見つかったら「何でここにいるのよ!」と追及され、尾行していたことがバレて舞子の怒りを買い無事では済まない事態になるだろう。
「巫子! 真白! 逃げるよ!」
僕たちは舞子に姿を見られないように全速力で山を駆け下りた。
◆◆◆
「はあっ、はあっ、ここまでくれば大丈夫かな?」
「も、もう走れません……」
展望台の入口まで降りてきた僕たちはホッとしながら肩で息をする。
ここから数分歩いたところに、街へ向かうバス停と私鉄の駅がある。
そこに向かって歩きながら時刻表を調べ、先に出発する方に乗れば舞子に追いつかれることはないだろう。
「それにしても予想していたとはいえ、なかなかの修羅場を見ちゃったなあ……」
「本当ですよ。はあ……私、次にお姉ちゃんに会った時どんな顔をすればいいのか分かりません……」
後味の悪さを感じる僕の隣で、巫子が困った顔をしながらため息を吐いた。
義理とはいえ、姉が恋人と破局した瞬間を目の当たりにしたのだから無理もない。
しかし僕は後味の悪さと巫子への同情の他に、どこか嬉しい気持ちを抱いていた。
良い意味で大人になりきれない子供のような、人に媚びることを嫌い自信満々で自分の気持ちに正直に行動する姿。
大学時代に僕が憧れた舞子の面影を見たような気がしたのだ。
多分だけど、あの時の舞子はまだ完全には死んでいない。
まあだからと言って、僕の巫子に対する気持ちが揺らぐことはないけどね。
「真白、興味本位で首を突っ込むのは勝手だけど、強引に僕たちを巻き込むのはもう止め……って、あれ?」
僕が文句を言おうとすると、真白がいないことに気づく。
おかしいな?
さっきの場所からここまではほぼ一本道。
道幅も広く、迷ったり足を滑らせて落ちたりすることはないはずだけど……。
「ねえ巫子、真白がどこに行ったか知らない?」
「さあ? 私も逃げるのに必死でしたから……」
僕の問いかけに巫子は首を横に振った。
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