天使の肢体を無視したい③~こうして天使は自死を選ぶ~

「ちょっとぐらい驚いてくださいよ。貴方の驚く顔を楽しみにしていたのに……」

「驚きませんよ。貴女も私も神ではありませんから」


天使は何度も殺されながらも綺麗な体のまま、落ち着いた態度で言った。

恵果はそれに舌打ちをする。


「ただ、物分かりが悪いだけでしたか。最初に言いましたよね?」


恵果がため息をつくのを合図に雲一つなかったはずの空から豪雨が降り注ぐ音が聞こえた。


「神とは、なんでもできる存在。つまり、多くの異能力を1人で持つ存在。あなたの不死も、私の力も元の能力を持っていた存在がいて、分けてもらったわけです」


踏み込むと、二人を世界から隠すように地面が突起する


「そういう意味では私は元の神ではありません。ですが、」


再び手を挙げると、辺りが炎に包まれた。


「見てわかるでしょう。私、今、あなたよりも多く神の力を持った、神に近い存在ではあるはずです」


それでも天使の表情はあまり変わらない。


「きっと、あなたが元の神、私達の力の持ち主なんですね。人間なんかに力を与えた愚かな神……その残り滓が貴方なのではないのですか?」


恵果は天使に馬乗りをして首をしめた。


「私が代わってあげます。その力を私にください。そうすれば貴方を死よりつらい目に合わせなくて済みます。穏便にすませましょうよ!」


恵果のいつもの丁寧な調子と、力を持つ者のとしての調子が入り混じる。


「…なんで、笑ってるんです…?」


それでも天使は微笑んでいた。

怖いぐらいに美しく微笑んで、恵果の手を両手で包んだ。


「私も貴女も神様ではありませんから!おかしくって」

「まだそんな根拠のない事言ってるんです?!私が神です!!」


恵果の必死な叫びを聞いて天使はクスクスと笑う。


「違いますよ。だって、貴女は私を愛していないでしょう?」

「嫌いです!怖いです!キモイです!!」

「うふふ、やはり貴女は神様ではない。普通の女の子ですよ」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!私は神だ!だって!!!貴方を滅多刺しにできる!!燃やせる!!つぶせる!!バラバラにできる!!!!なんだってできるんです!!!!」


天使は跡形も無いほど粉々になって燃えた。


この空間には南雲恵果の荒い吐息だけが響き渡る。

しかし、次の瞬間には「いてて…」とまるで転んだだけのように腰をさする天使の姿があった。


「……灰にしても、毒を盛っても、バラバラにして遠くに持っていても、時を止めて首を吊らせても、貴女に他殺は効かないのですね」

「はい。神に愛されていますから」


恵果はため息をついた。


「では自殺ならどうですか、それらしいことは試しましたが結局私が仕掛けたから他殺扱いですよね」

「試したことがありません。せっかく頂いた命を自ら断つことは神に不誠実です。嫌われてしまうかもしれませんから」


馬鹿正直に答えた天使の言葉を聴いて恵果はニヤリと笑った。

きっと、天使は唯一、自殺からだけは生き返れないのではないか。という推理をしたのだろう。

すると、物陰から様子を伺っていたはずの、傍観者でいたはずの私が、


「え……?」


気づいたら天使の目の前に出現していた。


「水姫さん!?」


天使はさすがに動揺して目を白黒とさせる。

そう、気づいたら、私は首筋にナイフを当てられている人質の状態になっていたのだ。


「なんのつもりですか恵果さん。私を人質に天使を自殺させるとでも?」


私は首にナイフを触れさせてきた恵果に問う。


「天使さんと違って貴女は話が早くて良いですね」


「正解」という事実を証明するように私の首にナイフを食い込ませた。血がタラリと流れる。


「離してください。水姫さんは日常を生きる普通の人間です。」

「貴女と関わっておいて、宵華様にあんなに懐かれて、普通の日常を生きられるわけないでしょう」


恵果の言うことは最もだ。


天使とここまで関わってしまった時点で、私は普通の日常を捨てなければならなかった。

ここまで世話を焼いておいて、巻き込まれないわけがない。


わかっていた。わかっていた。

わかっていたのだ。


わかっていても、天使の死体を無視することが、一度だって私はできなかったのだ。


「屋上で、フェンスのネジを外して水姫さんを突き落とした時、貴女も一緒に飛び降りる姿を見てわかったのです。貴女はこの女のためなら命を捨てられると」


あぁ、それは違う。さっきからこの女は推理を外してばかりだ。


この女は、きっとそれが誰でも飛び降りる。犯人のお前が飛び降りてもきっと天使は追いかけただろう。そういうやつなんだよ。腹立たしいことに。


自殺を強要されれば天使は簡単に命を捨ててしまうだろう。その顔を見ればわかる。

私は一度深呼吸してから口を開いた。


「天使に、本当の神かもしれない人に自分が神だと伝えてよかったのですか?」


「は?」と震えた声が耳元で鳴った。


「貴女が神だと知らなければ、私達はいない犯人を捜し続けていました。天使だってうやむやにしてくれたでしょう。もう貴方が神だと知ってしまったからには、私達はそれを宵華に伝えますよ」


「なんだそんなことか」と恵果は笑った。


「ここでなんとしてでも殺すので関係ないんです」

「それでは私も天使も両方殺すしかありませんね。私に人質としての価値はないんじゃないですか?」

「水姫さん……」


恵果が自分の計画の初歩的な穴を自覚し、悔しさで歯を食いしばる音が聞こえた。


「貴女は、今の日常を壊されたくなかった。このまま何も考えず宵華に仕えるだけの人生でいたかった。そうでしょう?」

「……」

「本物の神様が現れてしまったら宵華は普通の少女になってしまう。したら貴女は宵華に仕える以外の人生を歩まなくてはいけない。それが不安で、いっそ自分が神になり宵華にそれを明かさないことで宵華を神の座につかせ続けようとした」


天使が「なるほど」と呟いた


「だから、神様になろうとしているのに、宵華さんから力を奪うようなことはしなかったのですね」


そう。この女はただ、不安だったのだろう。幸せな日常の些細な変化が。


「……そんなくだらない理由で私が多くの人間を殺したと思うのですか?」

「はい。全国の神子や神子の疑いがある人間の血を吸って、証拠隠滅に殺して、を繰り返していたのでしょう。そこにイレギュラーがあらわれてしまった」


首筋のナイフが肌に少しだけ食い込んだ。


「天使という事件の大きな手掛かりをする目撃者。今まで見た誰よりも神に近い、神子、いや、もしかしたら本当に神様なのかもしれない。それなのに殺すことが出来ない。そんな女、一秒でも早く殺したいに決まっていますよね。だからあんなハイペースな殺人を行ったのですね」


ペラペラ話す私にナイフがさらに食い込む。


「水姫さん!!!!!!」


天使が駆け寄ろうとするが、ボッと天使の前身が燃えた。

天使はすぐに生き返るが、その前に一本のナイフが置かれた。


「水姫さんに人質の価値がないのはわかりました。それでもあえて言いましょう。あなたがそのナイフで喉を貫いて死んでくれたら水姫さんは見逃します」


気づいたか。気づいてしまったか。


天使は人を信じずにはいられない。


確かに私も天使も殺すなら私は人質としての価値がない。

天使が死んでも死ななくても、恵果は目撃者である私を殺さなくてはならない。天使が死んだあとに無力な私を殺す可能性が高いため取引が成立しないのだ。


それでも天使は信じてしまう。

恵果の言葉を、性善説を。そういう女なのだ。

天使は迷わずナイフを取った。


「あ、待ってください。天使さん」


恵果が天使の行動を止める。完全に天使より上位に立ったことの照明であるかのような言葉でもあった。


「死ぬ前に教えてくださいよ。どうして犯人が私だとわかったのかを」


天使は戸惑うことなく「はい」と落ち着いた返事をした。


「最初におかしいと思ったのです。殺人に炎を使わなくなった…コーヒーに毒をいれた時に。私はなぜか死ぬ直前頬が切れていたのです」


そういえば、天使が倒れる直前、顔から血が流れているのが見えた。衆人環視の中であったし、すぐに生き返ったから確認できなかったけれど。


「だから、犯人は血を吸うことが目的なのだろうと思いました。つまり血を吸えば能力を移すことができる神子の人物。そしてその事を知っている冠堂会の人物だと。」


「……」


「そして、貴女は、私の顔を見て言いました。傷一つ無く復元できるなんて羨ましい、と。恐らく、どの程度私が復元されるかを確かめたかったのでしょうが、私はあの時毒で死んだのです。なので、変だなぁと最初は思ってました」


そんなに前から気づいていたのか。早く言えよ。

そうすればこんなことにならなかったのに。

いや、コイツはそれができなかった。犯人が恵果でない照明をさがしていたのかもしれない。


「それから瞬間移動を使えるわりに、あまり使わないことに違和感を覚えました。浦子さん曰く、貴女は面倒くさがりのはずなのに。女の子なので太らないようにとか考えているのかと思っていたのですが、それにしても頻度が少ないことが気になったのです。面倒くさがりならきっと乱用してしまいますから。だから、もしかして、時を止めて移動しているのではないかと思いました。実際に歩かなくてはならないので普通に歩くのと疲労は変わりません。もしかしたら力を使っている分そっちの方が疲れているのかと」


恵果は眠っている浦子を恨めしそうに睨んだ。


「だから何で信頼しているはずの冠堂会に嘘をついているのだろう。知られたくないことがあるのかな?とずっと心配していたのです!あ、あとそれから……」

「もういいです」


恵果は驚くほどに冷たく呟いた。天使の推理はある意味恵果の失敗を指摘するものである。我慢ならなかったのだろう。


「もういいので死んでください。」


天使は「わかりました」と微笑んだ。

異常だった。

ここまで死が日常的になるとこうもあっさり返事できるものなのか。もう色んなものが麻痺しているのだろうな。


「あぁ、神よ、すいません。貴女から頂いた命を私は自ら捨てます。」


天に向かって天使は言う。


「恵果さん。もし、水姫さんを逃がさないのならきっと神より罰が下ります。気を付けてださいね」


天使は満面の笑みでナイフを首にあてた。

その姿はメッセージ性の高い芸術作品のようだった。


「きっと神は自ら命を絶つものを許しはしないでしょうが、友のために命を投げ出す私を嫌いにはなれないと思います」


天使は私に向かって言っていた。「だから気に病まないで」とでも言うように。


そして、躊躇なく喉にナイフを突き刺した。

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