天使の死体を無視したい~天使は今日も死んでいる~
――綺麗だ
腹立たしいことに、天使の死体を見て一番最初に浮かんだ感想はこの言葉だった。
人工的な程に整った顔は間違いなく血が通っていない色をしているし、細い腕は温度が無く、まるで人形のようだ。
心臓の部分、たった一点にのみ咲いた、限りなく黒に近い血は白い体に入った彼岸花入れ墨のようだった。
そこ以外に傷は無い。不自然な程にたった一点のみ的確に狙われた傷だ。
私はため息をつきながら、天使の死体を足で小突いて言った。
「起きろ、天使」
風が吹き、雑草の葉が微かに揺れるのと同時に、人形が命を灯したかのように、彼女の頬がほんのりと赤くなった。
そこからみるみると雪のようだった肌に生命の色が巡っていく。
大きな瞳がゆっくりと開いて、瞳がこちらへ動く。焦点の定まっていない目に月の光を吸収したように光が入った。
まるで砂漠に芽がでたような神秘的で感動的な光景。しかし、彼女は私を見るなり、眉を下げて笑った。
「死んでしまいました!」
自分の死を、まるで、「転んで膝を擦りむいてしまっただけ」とでも言うように彼女は笑った。
「おはようございます水姫さん!やはり、私は今日も神に愛されているのですね!」
――天使富慈美は死なないのだ。
腹を刺されようが、屋上から飛び降りようが、炎に燃やされようが、バラバラにされようが、必ず笑顔で生き返る。いつもの調子で生き返る。
「…朝から同級生の死体見て爽やかなわけないでしょう」
「うふふ、そう言いながら毎回起こしてくれるなんて、水姫さんはクールに見えてお優しいですね!」
「…同室者を朝起こすのはこの学校の義務なのですよ」
「そうでしたね。ありがとうございます!」
ニコニコと笑みを浮かべるその姿は、先程まで冷たく無機質な死体だったとはとても思えない。
「他殺ですか?」
「ええ、そうみたいですね。刺殺です!」
天使は、先ほどまで赤い花が咲いていた左肩を撫でながら、表情を微笑み…というより、ニヤケに変えていった。
「ふふ…うふふ…」
こらえきれなかったらしく笑い声があがり、さらに頬が赤らんでいく。
コイツが本性を表す瞬間だ。
毎度のことだが、相変わらず気持ち悪いな。
「あぁ、そんな顔をしないでください!水姫さん」
不快な感情が思わず顔に出てしまったのだろうか。私の顔を見てから天使は恥ずかしがりながら口元を手で隠した。
「ふふ、うふふ、今日も神は私を愛してくださっているとわかると嬉しくて…!」
今の私は、カマキリの卵を誤って口に含んだ人間のような顔をしているのだろう。
「……その”神に愛されてる”っていうの、なんなんです」
「ふふっ神様に愛されてるだなんて荒唐無稽だと笑いますか?」
あぁ。最高に笑える冗談だ。
安らかに死ぬことも許されないその体で神に愛されているだと?
死後の世界に行けずこの世界に縛られ続けるこの状況が愛されてるとでも?
「私は、恵まれた家庭に生まれました、周りの人間にも恵まれています。どうやら才にも容姿にも恵まれたようです。そして、この死なない体…これが神に愛されていると言わなくてなんと言うのでしょう!!神は私に生きていてほしいと願っておられるのです!」
「自分で言うな」というツッコミを挟む暇もなく天使は胡乱な恋バナを続ける。
「私には神様に愛されている!そして私もそんな神を感謝し愛しています!つまり両想い!!交際していると言っても過言ではありません!」
熱弁する天使に冷ややかな視線を送るが天使には全く効かないようだ。
この変態勘違い女を天使と称するなんてウチの学校の生徒はどうかしているな。
「ふふふ、つまり死んでから生き返るこの流れは神から愛されていることを確認しあうたの…」
天使はは赤らめた顔を両手で覆い、浮ついた声で告げた。
「性行為…とでも言いましょうか……!」
「つまり私はその後処理をさせられてるわけですか、最悪ですね」
誰にでも優しく文武両道な優等生が、こんなに頭がおかしいことを知ったら、この学園の教師は全員卒倒しそうだ。
「それでも毎日起こしに来てくださるなんて、水姫さんは本当にお優しいですね」
もっかい眠らせられたいのか?こんな事好きでやっているわけないだろ。ぶっ殺すぞ。
……とキレ散らかしたい所だが、私は一応物静かな大人っぽい生徒、
「殺されたいのですか」
あ、間違えた。
しかし、天使の目は言質を取ったとでもいうように目を輝かせて顔を近づけてきた。
「ぜひ!!貴方に殺されてみたいと常々思っていたのです!」
私はやたら近づいてきた天使の端麗な顔を、手で遠ざけて物理的に拒否を示す。
「水姫さんは、頭が良くて優しいのできっと私が苦しまずに神との情交する状況を作ってくださるのではないでしょうか!事情を知っている貴方ならむしろ毎日殺していただきたいぐらいなのですが」
この女、本当に狂っている。
さっきの話を踏まえたら自慰行為を手伝えと言っているのと同義だろうが。
「あぁ。そんなゴミを見るような目で見ないでください…私べつにマゾヒズムの趣味があるわけではないのです…」
マジで撲殺したいが、そんなのコイツが喜ぶだけだ。私は舌打ちをして、無言で歩き出した。
待ってくださ~い!と頭の悪そうな声が後ろから追いかけてきた。
「……貴女が同室者で無かったら、こんな事しなくて済むのですが…」
「うふふ、放っておいてもきっと私は生き返りますよ。」
「そんなこと言って、いつか神に見捨てられて本当に死んだらどうするのです」
「その時はその時ですね!」
天使はあっけからんと笑った。
本当に頭がイカレているとしか思えない。この女と会話していると頭がおかしくなりそうだ。
「その時はきっと同室者の私が一番に疑われるのでしょうね」
「水姫さんなら大丈夫ですよ。器用で頭が良いですから」
「……頭が良いとか貴女に言われると嫌味に感じます」
テストの成績もあらゆるものが一位だろうが。私がアイツに勝てたことは一度も無い
「……今回、貴女を殺した犯人はわかっているのでしょう。とっとと通報するなりしてとっ捕まえればいいのではないですか」
「いいえ、ホワイダニットですよ水姫さん」
微妙に勘に障るドヤ顔で天使は言った。
「私は誰がやったかではなく、何故やったかを知りたいのです!」
数秒前まで殺されていたにも関わらず、目が爛々と輝いていた
「そうすれば、きっと己の行動を反省してくださいますから!一人でも正しい道へ導くことが神から愛される秘訣です!」
この女が異常にまで他人に献身的で良い子ちゃんな理由は「神に愛されるため」の一点のみ。善人でも天使でもなんでもない。ただの変態だ。
この発言をポスターにしてこの学園に張りまくりたいよ。
「いいから、犯人を教えてください。殺人犯が近くにいるのに安心なんてできません。」
「今回の犯人は意外ですよ?誰だと思います?」
ぶっ殺してやろうかと思ってしまった。意味ないのでやらないけど。
私は先ほどの天使の死体を思い出す。
「………先ほどの貴方の死体を見たところ損傷が胸のたった一点なのが不可解でした。よっぽど殺し慣れている人でしょうか」
私の言葉は予想通りだったのか「ハズレです!」と明るく言われた。ぶっ殺したい。
「…ということは、貴方のように神のような特殊能力を持った人間ですか。」
天使は無情にも「そうなのです!」と肯定してきた。
この世界で、天使のような不自然で不公平な力を持つ者は1人ではない。普通の人間に隠れてはいるもののサイコキネシスに催眠術、飛行能力に予知能力。普通の人間にはありえない神のような人間がいるのだ。そしてどういうわけか天使が殺された場合、この特殊な能力をもった人間が行った犯行だという可能性が高い。
どういうわけか、3回中1回ぐらいはそういった人物の犯行だったりする。
「ただ、どういった能力なのかは全くわからないのです…犯人はわかっているのですが……」
天使は眉をハの字にして笑った。
それは仮に犯人がわかっても特殊能力によって逃げられるか、襲われる可能性があるということだ。能力を解明しないと犯人を捕まえることができない。
「いいから教えろ。犯人は誰なのですか。」
「はい!先日いじめから助けた小野寺早苗さんです!」
笑顔で言うな。そんなこと。
あぁ、本当に面倒くさいことになりそうだ。
こんな奴の死体なんて無視すればよかった。
心の底からそう思った。
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