第29話 ヒュドラ


「――なっ!?」

 セグレスがミズキから目を離したのはほんの数秒の話である。

 思ってもみない距離間にセグレスは息をのんだ。


「”水拳”」

 しかし、冷たい表情をしたミズキはすぐ横にいて、拳に水魔法をまとわせて繰り出している。

 もう目の前にいるその拳はやけにスローに見えたとおもった次の瞬間にはその拳が連続してセグレスの右わき腹に命中した。


「ガキの拳などでダメージを受けるわけがないだろう!」

 だがセグレスは一度は驚くが、思っていたほどの痛みがないことで馬鹿にするように鼻で笑う。


 ミズキの魔力は確かに強力である。エリザベートより、そしてセグレスよりもはるかに強い魔力を持っている。


 しかし、その筋力は子どものものであるため、セグレスに致命的なダメージは与えられていない。


「腹がこそばゆい、少し濡れた程度だ!」

 濡れたことに対して不快感はあるものの、その程度であるだけで右を振り向いてからミズキを振り払おうと考える余裕もある。


「……だったら、これはどうだ?」

 笑っていたセグレスの背中に次の一撃が撃ち込まれる。


「がはあ! な、なんだそれは!」

 ミズキの拳が触れた部分に、先ほどよりもずっと強い激痛が走ったため、セグレスは慌てて振り返る。


 しかし、振り返った時、そこにミズキの姿はない。


「次! 次! 次!」

 ミズキは素早く動いて死角に移動して、次々に拳を繰り出している。


「ぎゃあああ、や、やめろ! 貴様、なにを、ぐああ!」

 先ほどまでノーダメージだったはずのミズキの拳は、いま確実にセグレスを苦しませている。


 何が起こっているのかわからないセグレスは混乱しながら、なんとかミズキをとらえようと躍起になってキョロキョロと周囲を見回していく。


 が、ミズキは移動を続けながら攻撃していくため、いつまでたっても姿をとらえられず、ダメージだけが蓄積していく。


「ひ、卑怯だぞ! 姿を見せろ!」

 何もできずにいるもどかしさからセグレスは多勢で二人を攻撃しようとしていたにもかかわらず、自分のことは棚にあげてそんなことを口にした。


「わかった。これは、こんなところにしておこうか」

 先ほどまで攻撃を連続で繰り出していたミズキはセグレスの言葉に頷いて、距離をとる。


「「えっ?」」

 ここでもエリザベートとセグレスの言葉が同時に口からでた。

 まさか言う通りにすぐに攻撃をやめるとは思ってもみなかったからだ。


「いやいや、なんでお前が驚く? そっちが姿を見せろって言ったんだろ? そのとおりにしたんだから、そんな奇妙な顔をされるいわれはないはずだが……」

 二人の反応にミズキは眉をひそめながら首を傾げている。


「いや、まあ、それはそうなんだが……本当に姿を見せて、しかも離れてくれるとは思わなかったからな……」

「そう、ですね。普通に考えたら、攻撃を続けるものではないかと……」

 困惑気味のエリザベートは自分も驚かされてしまったため、意見がセグレス寄りになってしまっている。


「ははっ、そう言われるとそういうものか。だが、別に離れたのは戦闘を中止するためじゃないぞ。むしろ──ここからが本気だ!」

 気合の入った言葉とともにミズキの魔力が更に高まりを見せる。

 彼の背後の景色がゆらゆらと揺らめいているように見えた。


「な、なんだと!」

 先ほどまでが本気だと思っていたセグレスは、更にその上があることに驚いていた。


「冥途の土産に教えてやる。俺が最初にお前を殴った時、拳に纏わせていたのは普通の水魔法だ」

 ミズキはしっかりとセグレスを睨みながら先ほどと同じように、水で拳を覆って見せる。


「「っ……」」

 エリザベートとセグレスは、先ほどの攻撃の正体を聞けるとあって、かたずをのんで次の言葉を待っていた。


「だが、お前が痛みを感じたのはただの水じゃなく熱湯だ。いくぞ!」

 ミズキは地面を蹴ってセグレスとの距離を詰める。


「ねっ、熱湯だと?」

 答えを聞いたセグレスは怪訝な表情になる。

 熱湯とはいえ、たかだかお湯で殴られた程度で自分がダメージを受けたのか? と疑問符が頭に浮かんでいた。


「信じられないという顔だな、だが受ければわかるはずだ!」

 一瞬のうちにミズキは距離を詰める。これは先ほども同じ方法で移動している。

 一歩を踏み出す際に足裏から水を噴射して距離と速度を稼いでいた。


「ぐっ!」

 驚いている間にミズキは間合いに入っており、セグレスも慌てて防御態勢をとろうとする。


「遅い」

 しかし、ミズキは更に横移動を加えて、がら空きになったセグレスの、今度は左わき腹に拳を繰り出しく。


「やああああ!」

 連続で合計六発の拳がセグレスに突き刺さる。


「ぐ、ぐあああああ!」

 これまた先ほどと同じようにセグレスがうめき声をあげた。


 斬りつけられる痛みとは違う。拳の殴打の痛みとも違う。

 だが、これが熱湯による熱さによるものかと言われると……。


「ち、違う! これは熱湯ではない!」

 痛みに顔をしかめながら、それに気づいたセグレスはハッとしたようにミズキを見る。


「ははっ、正解だ。これは、魔なる者を打ち倒す特別な水――聖神水だ!」

 答えと同時に、更にミズキは拳を繰り出していく。


「ぐはああああああああ! な、なぜ、貴様がそんな、古の、失われたものを!」

 再び襲い来る痛み。

 それ以上に、千年以上前に無くなったと言われている、魔族の弱点たる水を拳に纏わせているミズキに対して、セグレスは強い疑問を持った。

 

「サービスはここまでだ。これが効果的だということがわかれば十分。あとはとどめといくか?」

 ふっと笑った再びミズキは距離をとる。


 最初の攻撃と、今回の攻撃で込める魔力を変えていた。

 しかし、それではダメージ量は目に見えて変わることがないとわかった。


 それがわかったことが今回の最大の収穫であり、これ以上の戦闘に意味を持たないことを示す。


「き、貴様、一体何者なんだ!!」

 ダメージで身体が動かなくなってきているセグレスは、それでもと、自らの疑問をミズキに怒鳴りつけるようにぶつける。


「……ん? 俺はただの新米冒険者だ。そして、本物の水魔法の使い手だ」

 答えると、ミズキは右手をあげて前に出す。

 それの表情はこれまで自分を馬鹿にしてきたことへ反逆の狼煙を上げる決意を込めたものだった。


「”一つ、水の魔力、二つ、麻痺の魔力、三つ、毒の魔力、四つ、聖なる魔力、五つ、神なる魔力!”」

 詠唱とともに現れたのは最初に彼が家を出る時に使った竜の姿ではなく、地を這う巨大な竜。

 これまでに何度か使った水魔法の水竜を組み合わせたものであり、五つの属性が一つに集約された巨大な五つの首を持つ竜。


 その名を……。


「”五首の竜(ヒュドラ)”」

 魔法名と共に、大きく口を開いたヒュドラが鋭い牙をむき出しにしながらセグレスへと襲いかかる。


「くっ!」

 鈍くなった身体を何とか動かし、剣を振るおうとしたが、その瞬間には身体が魔法に飲み込まれて、これがセグレスのこの世での最期の言葉となった……。


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