第16話 酒場と少女
部屋を出たミズキは美味しい匂いが漂う宿の廊下を進み、食堂へと進む。宿泊客と思しき人たちが穏やかな食事を楽しんでいた。
夕食は事前に聞いていたとおり、宿のシェフが腕によりをかけた料理が提供される。
「……うまい」
本日提供されたのは、森鹿のもも肉のステーキだった。
比較的淡白な森鹿の肉だが、この肉からはうま味があふれ、肉汁も滴っている。
「うまい、美味い!」
一口目を食べたミズキの手は止まらずに次々にステーキをカットして口に運んでいく。
アークにはサービスでミルクが提供されたが、こちらも特別なもので、くるみ牛と呼ばれる牛からとったものであり、栄養があり味も濃いためアークも止まらずぴちゃぴちゃと飲んでいた。
そんな二人の夕食はあっという間に終了し、デザートまで残すことなく平らげていた。
「ふう、満足だ」
「ピー」
満足げにほおを緩めたミズキが軽く腹を撫でると、アークも似たような動きで羽で腹のあたりを撫でていた。
「ふふっ、気に入っていただけたようでよかったです」
そう声をかけてきたのは、トレイを胸に抱いた宿の女将だった。この時間は給仕の仕事も担当しているようだ。
「宿の雰囲気もいいし、飯も美味い。この宿を選んで正解だったよ。声をかけてくれたティナにも礼を言わないとだ」
言いながらティナの姿を探すため、キョロキョロと周囲を見回すが、降りてきてから一度も彼女の姿を見てなかった。
「あぁ、この時間のティナはお部屋で勉強をしているんですよ。うちを継ぐためには色々知っておかないとって今から頑張ってくれてるんです」
女将は嬉しいような、少し頑張りすぎの娘を心配しているような複雑な表情を見せる。
「彼女の頑張りを認めることと、家を継ぐことを否定しないこと。それから、何か他に楽しみを見つけた時には全力で応援してあげることじゃないかな」
母親の表情をしている女将を見たミズキは、自分の家である宿のことを楽しそうに話すティナの笑顔を思い出してふっと優しく笑う。
頑張っている自分を認めてもらえないのは、彼女が家を継ぐことに反対しているととられてしまう。
そして、新しい楽しみを見つけた時に家に縛らないほうがいい。
そんな思いを込めてミズキはおせっかいとわかっていて、つい口を出してしまった。
「なるほど……確かにそうしてあげるのがいいように思えます……。ミズキさんはすごいですね! 失礼な言い方になりますが、子どもとは思えません!」
彼の言葉に胸を打たれた女将はミズキの意見が的確だったため、笑顔で驚いている。
「いや、まあ、実家が特殊だったものでな。それより、美味かったとシェフに伝えておいてくれ。俺はちょっと出かけてくる」
そう言ってミズキは立ち上がる。
もともと出かける予定だったのもあるが、余計なことを言ってしまった照れくささもあってすぐに外に向かうことにした。
「えっ、この時間からですか? もうすっかり暗くなっていますが……」
女将が言うようにすっかり外は夜のとばりが降りている。
「少し夜風に当たりたいのと、この時間のこの街がどんな顔を見せてくれるのかを見たくてな」
照れを隠すために、更に恥ずかしい言葉を口にしてしまったと思いつつ、誤魔化すようにミズキは女将に背を向ける。
「ふふっ、わかりました。それでは、お気をつけて行って来て下さい」
彼の羞恥心が伝わったのか、ふわりとほほ笑んだ女将はミズキを見送った。
夜の街といえども、この街はそれなりに大きいためか、まだ多くの店が開いており、人々が通りを行きかっている。
魔道具によって街は淡くともされ、夜とはいっても問題なく過ごせる環境が整っていた。
「この感じは、都会っぽいよなあ……」
眠らない街とまでは言えないが、それでもこの時間にたくさんの人がいるのを見ると、前世で東京に遊びに行った時の感覚を思い出す。
ふらふらと散策していくと、時折機嫌のよい足取りの酔っ払いとすれ違う。
「あっちには酒場でもあるのか? 俺が入れるかわからないが、入れたら情報が手に入るかも……」
ゲームや物語の中では、情報を集めるといえば酒場と相場が決まっている。
幼い少年の見た目をしているため、入店を断られる可能性はあるが、それでも行ってみたい気持ちが勝った。
数人の酔っ払いを辿って歩いていくと、一軒の大きな酒場へと到着する。
「――やめてくださああい!」
嫌がる悲鳴のような声は酒場から聞こえて来たが、およそその場に似つかわしくない少女の声である。
「この声は、確か昼間の……」
しかも、ミズキはその声に聞き覚えがあった。
「やっぱりそうか」
急いで駆け寄ったミズキが酒場を覗くと、そこには予想していた人物の姿がある。
宿の前でミズキに声をかけてきた聖堂教会の少女であり、彼女は倒れている聖堂教会の騎士を守るように立ちはだかっている。
その前には狼の獣人の男がおり、少女とその後ろにいる騎士を見下すような視線で見ている。
「嬢ちゃんはどいてろ。子どもに用はない」
「だ、ダメです。こ、この人たちは、私の仲間ですから!」
狼の獣人の目は鋭く、開いた口には牙が見える。
そんな彼と対峙した少女の足は震えている。
それでもそこから動くつもりはないようで、涙交じりに毅然とした表情で両手を大きく開いて立ち続けている。
「何をやってるんだ……」
恐怖心に押しつぶされないように必死になりながら騎士を守ろうとしている彼女を見て、ミズキは呆れている。
酔っ払い同士の喧嘩に口をはさんでも余計にもめるだけであり、当事者に任せるのがいいというのがミズキの判断である。
だが知っている顔を見過ごすほどミズキは非情にはなれなかった。
「ちっ……」
軽く舌打ちをしたミズキはツカツカと店の中に入っていく。
騒ぎになっている今だからこそ、酒場に子どもが入っていくのを見咎める者はおらず、邪魔されることなくその場へとたどり着くことができた。
「おい、なにやってるんだ?」
急に現れた子どもであるミズキは、その場の空気お構いなしに少女へと声をかける。
「あ、あなたは昼間の? なんで、こんな場所に?」
その空気に引っ張られたのか、彼女も悠長に首を傾げて質問をしている。
「質問しているのは俺のほうだ。大人同士のケンカにお前が割り込んでも仕方ないだろ。余計に煽るだけだからさっさと帰った方がいいぞ」
口は悪いが、ミズキは少女のことを心配して提言している。
「あ、あなたには関係ないじゃないですか! 私は仲間を守りたくて!」
もちろん素直に聞き入れることはなく、彼女はミズキに突っかかっていく。
「まあ、それはそうなんだがな……だが酔っ払いの争いなんて何を説いても無駄だろ。なあ?」
ミズキが話を振ったのは狼の獣人の男である。
「いや、まあ、そうとも言えるが……」
ここまで来ると酔いも覚めたのか、子どもに正論を言われ、冷や水を浴びせられたような感覚を覚えた男はハッキリしない物言いになっている。
実際にはこの場にいる者たちは本当に冷や水を浴びせられている。
盛り上がっている酒場全体に冷たい水を霧状にして張り巡らせることで温度を下げていた。
結果的に空気も入れ替えることになり、よほど泥酔でもしていない限り酔いはさめるほど涼しい空気だった。
「というわけで、どちらが悪いのかはわからんが、もういいだろ?」
ミズキは狼獣人の男だけでなく、周囲の酔っ払い全員に尋ねていた。
その問いかけに答えられる者はおらず、すっかり冷え切った場にしらけ始めていた。
「それじゃ、俺はもう行くぞ。お前はその倒れた騎士を連れてさっさと宿に戻るんだな。じゃあな」
その雰囲気を感じ取り、そう言い残したミズキは、踵を返して酒場を後にする。
「あっ……」
あっという間に事態の収拾を収められて呆気に取られていた少女が何か声をかけようとしたが、既にミズキは夜の街に消えていった。
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