22/Sub:"セテルメント"
すべてをゼロに戻す光が、空間を軋ませて鈍く割れたような重力波の音を響かせながら『ナニカ』を飲み込み、後ろの祭壇ごとほとんど光速で貫く。とっさにアリアンナが反応、ユーリの右手を上に払いのける。しかしそれは結果として被害を広げることにしかならなかった。ドラゴンブレスは天井とその先にあるものを一瞬でポテンシャルの底に突き落とす。光は祭壇の残骸のBEC物質を巻き上げながら、天井とその先にある部屋を削りながら空へと伸びていった。周囲の物質から色が抜けるように白く染まっていく。
一瞬、残骸は重力を忘れたように空中に静止し、そして思い出したかの様に落下してくる。不思議な軌跡を描きながら雪崩のように落下してくる極低温の粉に、彼らは飲み込まれたのだった。
静寂が周囲を包む。動いている者はわずかに舞う粉のみ。しばしの静寂ののち、のそりと全身白い粉まみれになりながらユーリが起き上がった。
「ふ、ふふふ、やった、やったぞ」
ユーリの口から笑いが漏れる。どこか狂気を孕んだそれは、まるで長い悪夢から覚めた時の様な歓びの笑みであった。
「僕は、やり遂げたん――「がぷっ!」うわああああああっ――んぐっ!?」
こんもりと積もったBEC物質の白い山の中から三姉妹が飛び出した。ユーリに飛びつき、首筋にどこか乱暴に噛みついて、血を啜る。アリシアが右、アリアンナが左の首筋に噛みついた。アンジェリカはユーリの顔を両手でホールドすると、口に舌を乱暴にねじ込んで彼の舌を引きずり出す。そしてそのまま舌に鋭い牙で噛みつき、血を啜り出した。ユーリの身体ががくがくと痙攣し、金色の瞳が白目をむく。数十秒だろうか、たっぷり吸い取られた彼が解放されると、彼は白目をむいて白い粉の上にぼふりと音を立てて倒れこむ。青い燐光と共にBEC物質が舞う。
「ふん、しばらく反省することですわ!」
アンジェリカはそう吐き捨てると、口元を長手袋に包まれた腕で乱暴に拭った。血の跡が口から横に一本の線を引いた。
「いやあ、ずいぶんさっぱりしたねぇ」
アリアンナが倒れて白目をむくユーリの頬を突きながら言った。
実際ユーリのドラゴンブレスにより例の隠し部屋は完全に消滅。さらにその真上にあった部屋も余波を食らって消滅し、残っているのは二階の廊下に続く入口の付近の床がわずかに残っているのみである。
「アンナも無関係じゃないですわよ! 最後被害を大きくしたでしょう!?」
「てへっ」
アリアンナがウインクしながら舌を出す。アリシアはスカートが汚れるのも気にせず積もった粉末の上に腰を下ろした。じんわりと冷気が伝わってくる。
「で、これどうするのよ? アレは消滅したみたいだけど」
「どうしましょうかね……」
アンジェリカが霊槍『ブラッドボーン』を拾いながら小さくため息をついた。
崩壊した家、ユーリのドラゴンブレスが薙ぎ払った被害。次々に見つかる人骨。説明すべきことは山ほどある。さて、どこからどう行政に説明すべきか――。
「っ!
アリシアが叫んだ。アンジェリカがとっさに槍を構え直してそちらに穂先を向けると、白い粉末を踏みしめるようにして、再び形を成し、立ち上がろうとする『ナニカ』の姿があった。
アンジェリカの瞳が紅く輝き、再びホロウ・ニンバスが頭上に浮かぶ。『ナニ/カ』は彼女の霊力に押されたのか、ぐらりと身体を傾かせる。
「ちょうどいいですわ! 今度こそ粉みじんにしてやりますわ!」
全身に力が巡り、今まさに槍の穂先を貫こうとしたその瞬間――。
「――大丈夫ですか?」
こつこつ、と靴が固い地面を踏む音。思わずはっと声の方向を見ると、そこにいた存在にアンジェリカは息をのんだ。
「お義母さま……」
そこには、パンツスーツにヒールのついたパンプスをきっちりと着こなした、ユーリの母親の姿があった。流れる銀色の髪が月光に照らされて輝いている。そこまでみるとまるで仕事帰りのような恰好ではあるのだが、腰に巻いたベルトと、そこに挿してある、無機質な見慣れない形の鞘に二本まとめて収まっている刀と脇差が、どうしようもなく異様であった。
ユーリの母は、地面で白目をむいているユーリを見ると、小さくため息をついた。
「まったくこの子は……いったい誰に似たんだか」
アリシアは心の中で貴方ですと言いたくなったが、その言葉を飲み込んだ。
母親はコツコツとパンプスを鳴らしながら四人に近づいてくる。それで倒れていたユーリを軽く持ち上げると、その肩にまるで米俵でも担ぐようにして彼を担ぐ。
「さぁ、行きましょう。表で迎えが待ってますよ」
そう言って歩き出す母親、あっけにとられたアンジェリカだったが、まだ『ナ/ニ/カ』は健在だ。
「お、お義母さま! まだ、まだ敵が残っていますわ!」
槍を構え直して彼女が叫ぶ。彼女の先では、『ナ/■/カ』がのろのろと、立ち上がろうとしている。しかしユーリの母はそれを気にせずずんずんと歩いていく。その様子にアリシアもアリアンナも困惑を浮かべた。
しかし、ユーリの母はふと立ち止まると、平然とした表情でつぶやいた。
「大丈夫ですよ。だって」
『■/■/カ』が、
「もう、斬ってますから」
その瞬間。
時間を、空間を、情報を超えて殺到した無数の斬撃が。世界がねじ切れるような轟音と共に――、
「 」
――『■/■/■』を、切り刻んだ。
「なっ……!」
アリアンナが驚愕する中、切り刻まれた『■/■』が、ボロボロと、まるでこの世につながっていた、よすがそのものを断ち切られたかのように崩れていく。『■』は、最期に腕をまるで何かを求めるかのように天に伸ばして、消滅した。
そこには、もう何も残っていない。『』があったことなど、初めからなかったかのように、そこには何もないが広がっていた。
「さて、行きましょうか」
そうにこやかに言うユーリの母親に、姉妹は素直に従った。
屋敷を大きく回るように玄関まで歩いてくると、なるほど。玄関前には回転灯を輝かせていくつもパトカーや、それに混じって装甲車が並んでいる。アンジェリカがその人物を探すと、その人物はまるで急にそこに現れたかのように、人ごみのなかからごく自然に出現した。
「無事で、何よりなようで」
そう言って人当たりのよさそうに、どこか息子であるユーリに似た笑みを浮かべるユーリの父親は、その言葉とは裏腹にまるで今からテロリストの邸宅を制圧するかのような重武装に身を包んでいた。
「勝手口は開いてますわ」
「そうか、協力に感謝する。アルファチームは二階、ブラボーは一階の霊品を回収。シエラは私が率いて霊体の駆除を行う。各員、移動開始」
彼が無線機に向かってそう話しかけると、装甲車からぞろぞろとアサルトライフルで武装した兵士が三組に分かれて屋敷に入っていった。ユーリの父親は姉妹に向かってラフに敬礼をすると、その兵士に混じって屋敷の中に消えていった。
「随分大騒ぎですのね」
アンジェリカが霊槍『ブラッドボーン』を消しながら義母に向かって話しかけた。たかが幽霊屋敷一つ、大げさではないか。門の前に詰めかけている警官隊もどこか表情が硬い。
「あの人の調査の結果、ですよ」義母は言った。「ここまで大騒ぎするほどの相手だと、我々がそう判断した、それだけのことです」
もっと早く対応してもよかったのですけれど、あの人は。そう義母はやや呆れたように言ってため息をついた。アリアンナはその言葉を聞いて、義母が対応していたらもっとひどいことになったかもしれないと思った。
「アリアンナ? 何か考えました?」
「い、いや、なんでもないよ」
勘の鋭い人だ。彼女は苦笑いを浮かべた。
ずんずんと人ごみをかき分けると、人ごみの先にあったのは救急車だった。ユーリの母親は器用に担架にユーリを静かに乗せた。額から角が生えていたり狐の耳と尾が生えていたりする救急隊員が固定を施して担架を救急車に運びこむ。三姉妹も、促されて救急車に乗り込んだ。
「では、またあとで会いましょう」
ドアが閉じられる向こうで、ユーリの母親がわずかな微笑みを浮かべながら言う。すぐに遮光ガラスがはめ込まれた救急車のドアが閉まって、見えなくなった。
救急車が静かに走り出す中、三姉妹はユーリを見つめる。貧血で失神した割には、その寝顔は安らかであった。
小さく息の音が濁る。何事かと思うと、ユーリはいびきをかき始めた。ぐごごというかわいらしいモノではなく、ドラゴンらしく重く響くいびき。それがなんだかおかしくて、彼女らはくすくす笑い出した。
「ほんと、あっという間だったね」
アリアンナが言った。帽子を脱いで、ユーリの顔にかぶせた。彼のいびきがくぐもる。
「ほんと、ついさっきまでさあ寝ようって思ってたとは思えないわね」
アリシアがけらけらと笑った。どこか眠そうだった。
「ええ。ですけれど、これでようやくスタートラインですわ」
アンジェリカが言う。二人は静かに頷いた。
「ですから、ここからは、わたくしたちの物語。そして、あそこが、わたくしたちの帰る家に、なったのですわ」
アンジェリカはふと、眠気を覚えた。救急車内の時計を見ると、時刻は丑三つ時。
うとうとし出して、ふと重みに気付く。見ると、両肩にアリシアとアリアンナの頭。二人はアンジェリカによりかかるように眠りに落ちていた。
アンジェリカは、小さく微笑むと、瞳を閉じる。車内の静かな振動が、彼女を眠りに誘っていった。
救急車は、夜の帳が降りた静かな町の中を、駆け抜けていった。
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