19/Sub:"異界"
アンジェリカはつかつかと玄関の方に向かって歩いていく。アリシアとアリアンナはそれぞれ周囲を警戒し、お互いの死角をカバーしながら移動する。
アンジェリカが玄関の扉をけ破った。霊力を纏ったドアが蝶番から外れて、赤い霊力の残光を淡く引きながらホールの奥へ吹き飛んでいく。玄関のドアをけ破った先にまたあるのは、同じような玄関ホール。先程とは違い、吸血鬼の眼力を作動させるのも忘れない。流れるように向こう側の玄関ホールに入り、穂先と彼女の輝く瞳がホールを見渡す。反応なし。
「クリア」
アンジェリカが言う。
「時間がかかりそうですわね」
彼女が小さくため息をついた。
「フムン」アリアンナが部屋を見渡しながら言う。「鏡みたいに反転してるわけではないみたいだね」
「とりあえずは、さっきの怨霊みたいなのが来た方向に向かうしかなさそうね」
アリシアがライフルを構えたまま言う。
どう見てもあの『開かずの間』が怪しいのだが、け破った結果は先程の通りである。同じことを繰り返していてもらちがあかないだろう。
それにしても。アンジェリカは考える。
これだけの霊障。人の怨念程度ではどうあがいても実現不可能だ。数百の規模で集まってやっとであるが、高々屋敷一つにそこまでの呪いが伝播しているものだろうか? 考えられる可能性は二つ。この屋敷が、何らかのいわくつきの土地に建てられているか、それとも。
「霊地、の可能性もありますわね」
アンジェリカが言う。アリシアが小さく息をのんだ。
アンジェリカがユーリの父から習ったことを思い出す。
霊力はさざ波のように世界に広がり、やがて拡散していくが、同じ霊力で増幅したり、相殺されたり、時には高伝導性物質――それこそ、川なんか――によって屈折したりしながら、時に集中する点を作り出す。
丁度、大洋のとある一点で、様々な方向から押し寄せた波が急に重なって、突然、『
だが、少なくともこの屋敷が神社跡だったという話は聞いたことがない。この屋敷が『蓋』だった? どこかに固定するための、何らかの形での『柱』か『楔』がある? アンジェリカの頭の中で思考がぐるぐると渦を巻き、まとまらない。
「これは……なかなか厄介ですわね……」
彼女は再びため息をついた。アリシア、アリアンナも苦笑いを浮かべる。
「でもまぁ」
瞬間、アンジェリカの姿がぶれる。空気がつぶれる音。霊体が実体化した瞬間に掌底を霊体の腹に撃ち込んだ。霊力の爆発。紅い閃光が迸る。霊体は打撃点を中心に真っ二つに折れ裂けていた。地面に落ちる霊体の上半身を、くるりと回した槍で地面に縫い付けるように突く。小さな苦悶の声と共に、霊体は消滅した。
「一体ずつ仕留めていけば、数は減らせそうですわね」
槍を引き抜くと、そこには朽ちた人骨が転がっていた。
この空間では、どうやら怨霊の元となっている存在に対して直接干渉できるようだ。文字通り怪物の腹の中でもありそうだが。
しかし、ずいぶんと汚染されてはいるが、何だかんだ言っても出現してきている怨霊は今のところ一般的なそれでしかない。対処は十分可能だろう。
そんなことを、アンジェリカが考えていた時だった。
「
アリシアがライフルの銃口を向けながら叫ぶ。とっさにアリアンナが柄にかかっていた手を動かそうとすると、彼女の視線の先で怨念が収束を始めた。実体化していない。斬りかかっても意味がない! 振り向きたい気持ちを理性で無理やり押さえつけて、背中をアリアンナとアリシアに任せて背後を警戒するアンジェリカが小さく息をのむ音が聞こえた。
収束した霊力が位相をそろえて現実に具現化する。重い金属音。黒い怨念の靄の中から、それはゆっくりと姿を現して――。
「えぇ……」
アリアンナがつぶやいた。
靄の中から姿を現したのは、色褪せた、あちこちが崩れかけた鎧。意趣としては安土桃山後期ほどの物だろうか? 着ている者の顔は般若の面に覆われていてわからない。
落ち武者が出てきた。そんな言葉がぴったりだった。一体どんなものが来るだろうか。構えていたアリアンナの気が行き先を失ったように緩む。
落ち武者が刀を抜いた。八相の構えでボロボロにさび付いた刀を構えて斬りかかってくる。だが、アリアンナはすでに反応している。
踏み込み。抜刀。彼女の紅い瞳が残光を引いた。斬りかかる目的ではない。『深緋』自体を、質量をもった鉄塊として居合の勢いで加速し、柄でもって刀を振りかぶった落ち武者の肘を強打する。攻撃しようと身体をこわばらせていた落ち武者の姿勢が、強く、鋭い衝撃を間接に食らって大きく崩れた。よろけるように半歩下がる落ち武者。しかし目の前ではアリアンナが地面と水平に、抜刀された『深緋』を構えていた。
一閃。
胴体を両断するように放たれたアリアンナの一閃を、落ち武者は防ぐことも避けることも受け流すこともできずに食らった。上半身が下半身からずり落ち、地面に転がった。アリアンナは『深緋』に霊力を流し、刀に突いた霊力を振って払い、納刀。残心。
「想像以上のものが出てきたわね」
アリシアがボロボロと崩れて消えていく怨霊に銃口を向けながら言う。崩れて消えた地面には、同じように人骨が残っていた。
「霊地の可能性が高くなってきましたわね」アンジェリカが言う。彼女の持つ槍の穂先が鈍く輝いた。「ずいぶん古い霊体のようでしたし」
「わかんないよ? 案外コスプレマニアかも」
アリアンナが長手袋に覆われた左の掌を握ったり開いたりしながら言う。
「そんなわけないでしょ……」
完全に消滅したのを確認してからアリシアは銃口をはずした。トリガーに指はかかったままだった。
「で、どうするの? 次は旧日本軍の怨霊? 何が出てきてももう驚かないわよ」
「お姉様、そういうのは『ふらぐ』、と言うものですわ」
アンジェリカが言う。彼女達の周囲ではすでに怨念が再び渦巻き始めていた。どうやらこちらが手ごわいとみて、戦力の一斉投入に踏み切ったようだ。
「言わんこっちゃないね!」
アリアンナがどこか楽しそうに叫ぶ。彼女らは再び、お互いの背中をカバーするように集まり、周囲を睨み据える。
「ええい、もうこうなったらやることは一つ!」
アンジェリカが叫ぶ。霊槍『ブラッドボーン』に赤い霊力が迸った。彼女の言葉ににやりと残りの二人が嗤う。
「「「
一斉に、彼女たちの周りに怨霊が出現して、彼女たちは駆け出す。そして――
――蹂躙が、始まった。
乱れ飛ぶ斬撃、霊力の爆発、音を置き去りにする刺突。
怨霊がまるで、爆破実験で使われた衝突実験用ダミー人形のように無残に砕けながら宙を舞う。地面に接することも許されずに、爆炎の様に吹きすさぶ、血のように赤い霊力に焼かれていく。巻き添えを食らって、異界化した玄関ホールの周囲が掘削されていく。
アンジェリカがハンマーに変形させた『ブラッドボーン』を、まるで木の棒でも振り回しているかのように軽々と振り回す。まるで空間をえぐっているかのように軽々と怨霊を薙ぎ払っていく。一体をハンマーの先端にとらえ、地面に叩きつけて潰した。振りかぶって地面にめり込んだ状態の戦槌を構えるアンジェリカに、一斉に怨霊が襲い掛かる。
術式閉鎖。一五番から一九番までを強制ループ。メインバス、接続。準安定モード、強制解除。
彼女の霊力が収束して実体を成した、戦槌の先端が術式の自己ループに突き落とされて暴走する。内側から荒ぶる霊力が表面を食い破りながら周囲に踊り出る。地面にめり込んだ戦槌の槌の部分は、そのまま巨大な霊力の爆弾と化した。血の様に赤い霊力の大爆発。おぼろげな残留思念を、霊力でもって補強して無理やり位相をそろえて実体化させていた怨霊は強烈な、吸血鬼の霊力の奔流の前に掻き消えた。
爆心地から離れたところにいた怨霊の一体が、身体の前面を焼かれながらもアンジェリカに襲い掛かろうとした。しかし、それの目に飛び込んできたのは、変形を解除し、赤く、残酷に輝く、下段に構えられた霊槍『ブラッドボーン』の姿だった。
音を置いていく速度の刺突を食らって、あっけなく怨霊は消滅した。
「
「わーってるわよ! 私もともとこういうの得意じゃないってのわかってよ!」
ころころと逃げ回りながら、それでも力任せの蹴りや体術で怨霊の群れをあしらっていたアリシアが叫ぶ。今やわらわらと彼女の周りに怨霊が集まっている様子は、まるでゾンビ映画のようだった。
「あーもう、しつこいっ!」
アリシアの構えた、奇妙な形のライフル。その銃身に刻まれた溝が赤く発光し出す。同時に鳴り出す、まるで何かがきしむような音。その音はだんだん大きくなっていき、それに比例するかのように発光は強くなっていく。
アリシアがくるくる空中で回転しながら二階に踊り出る。転がりながら着地すると、通路の先までずっと続く、怨霊の群れ。
彼女が座射の体勢に流れるように移行し、ライフルを構えた。片膝を立ててしゃがむような姿勢で、銃床に頬を付ける。左ひじを立てた左膝の上に載せ、左手で、グリップ握る右腕の二の腕を掴む。
赤い光はまるで内側からはちきれんばかりに輝いている。クロスヘアが真っすぐ、廊下の奥の見えない先を貫く。
Ready to fire。
銃身内の加速空洞で光速の三分の一まで加速されたアリシアの霊力は、まるで一本の紅いレーザーのように周囲の霊的な現実を引きずりながら突き進む。閃光。遅れてくる、霊力の衝撃波。一瞬ふくらみ、その後引きずられるようにして射線に吸い込まれていく。まるで射線に沿ってえぐられるように怨霊がくりぬかれていった。
地面に霊力の残滓の赤い線が光る中、アリシアが素早くコッキングレバーを引き、再び彼女の掌の中に現れたフレシェットを再装填した。
彼女の霊力を、高純度で安定化させ、高伝導物質性の加速空洞の中で発射する、対霊体用特殊弾頭式。魔弾『イリスロサイト』。通常の、人や確実な自己認識実体を伴っている――それこそアンジェリカやユーリのような――にはただのまぶしい光でしかない。
しかし。
「久々に撃ったけど、勘が鈍って無くて助かったわ……」
彼女の目の前には、まるで消しゴムで消したようにきれいにえぐり取られている怨霊の群れ。やがて、ボロボロと崩れていった。
強い、純粋な彼女の霊力は、残留思念を無理矢理実体化させたような――いわゆる怨霊の様な――には、致命的である。
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