17/Sub:"ドレスアップ"
会議はそんなところで終わり、しばしの情報交換や作戦立案を経てアンジェリカはログアウト。視界が夢を見ているようなおぼろげな空間から、実体を伴ったディスプレイへと戻ってくる。頭の後ろに感じる、枕の感触。彼女はそっとVRグラスをはずし、枕元のテーブルに置いた。
上体を起こすと、ベッドで隣に眠るユーリが目に入る。そっと前髪に指を絡ませてすくうと、額に汗が浮かんでいた。
「……ごめんなさい、ですわ」
無理を言ってこの屋敷に引っ越したのはアンジェリカだった。ユーリはそんな彼女に対して背中を押すと言ってくれた。自分が苦手だということを我慢して。今でこそ実害は出ていないが、着実にこの屋敷の障りは彼の精神をむしばんでいる。
もし自分がこの話を進めなかったら。そんな考えが、どうしても浮かんできてしまう。アンジェリカは小さくかぶりを振るうと、そっとユーリの頬に触れた。汗で湿っている彼の頬は、まるでドライアイスのように冷たかった。無意識の霊力の放出。彼の霊力を吸血と言う形で日々飲んでいる彼女の身体を傷つけることはないが、冷たさは感覚となって伝わってくる。
ふと、ベッドの脇に気配を感じた。なんてことはない。この屋敷の怨念が位相を重ねて実体化した存在。怨霊とでも呼ぶべきか。
一体何人食ったのだろうか。反吐が出るような気味の悪い霊力が形を成していく。
しかし。
「本当に――目障りですわ」
術式展開。位相接点、正常駆動。演算式、臨界制御開始。
瞬間。紅い閃光が怨霊を貫く。そろっていた位相がかき乱され、自己相殺を誘発され、掻き消えていく。ノーモーションで怨霊を貫いたアンジェリカの手に赤い閃光が収束していく。
術式正常展開。モード領域、基底。霊槍『ブラッドボーン』、展開。
現れたのは、深紅の大身槍。二・五メートルほどの槍は怨霊の心臓があるべき場所を寸分たがわず貫いていた。緋色に薄くグラデーションがかかったような、銀色に鈍く光る穂は、長さが八〇センチはあり、槍の穂にはまるで
器用に怨霊から槍を引き抜くと、怨霊はボロボロと泥人形が崩れるように消えていく。アンジェリカはベッドから降りると、開いた左手でおもむろにベビードールを脱ぎ捨てた。彼女の芸術品の様な裸体の、なめらかな曲線が窓から入る月光に照らされる。
彼女の白磁の様な肌から赤い霊力が、まるで血がにじみ出すかのように立ち上り出した。まるで靄のようなそれは、急激に濃さを増して彼女の肌の上で実体を成していく。深紅のコルセットにショーツが。赤みがかった黒のガーターストッキング、刺繍のほどこされた、サテン生地のような質感の艶やか黒の長手袋。それらが次々に形を成していき、まるで舞踏会に出かける前の貴婦人が支度をするかの如く彼女を彩っていく。
ぶわりと霊力が強みを増した。そして現れたのは、黒から深紅へ、まるで夜が降りてきた黄昏時の空の様な、グラデーションの入ったドレス。ホルターネックの胸元はレース地で、蝶の刺繍がなされていた。裾はコックテールで、後ろの裾はふくらはぎ中ほど、前の裾は膝ほどまでと大きく傾いていた。
アンジェリカが一歩足を踏み出す。まるで見えない使用人が彼女の足に履物を付けたかのように、彼女の足に足首までベルトのあるパンプスが現れた。右足、左足と、彼女の両脚に靴が現れる。
彼女の頭に霊力がまとわりつく。そして現れたのは、月桂樹の葉をかたどった、黒いカチューシャ。
数秒だろうか。そこには、いつぞやのユーリを迎えに行った時の彼女の霊服姿がたたずんでいた。
コツコツと小さな音を立てながらアンジェリカは自分の机に歩いていき、机の上に充電されながら置いてある携帯端末を手に取った。表面を指でなぞり、『アリシア』と『アリアンナ』を呼び出した。
「お姉さま、アンナ」
接続の表示が出た瞬間に彼女は端末に向けて小さく声を出す。小さく、しかし、はっきりと。
「オペレーションを開始しますわ。各員は準備を整え次第正面玄関ホールに集結」
え、いきなり? 端末の向こうからそんな声が聞こえてくる。
「
そこまで言うと、彼女はベッドで小さく寝息を立てるユーリをちらりと見やる。
「わたくしたちのために、苦しんでいる紳士を見て何もしないほど、わたくしは淑女を捨てていませんわ」
返事はなかった。代わりにあったのは、二人からの簡潔なメッセ―ジ。
『
彼女はそれだけ見ると端末を机の上にに再び戻す。そして足音をできるだけ立てないようにしながら、槍をまるで杖のようにつきながらユーリの脇まで歩いていく。
ベッドで小さく寝息を立てるユーリ。小さく魘されてもいるようだったが、彼女が『勝負服』に着替えて霊力を放出したからだろうか、先程よりも心なし穏やかな表情になっていた。
行ってきますわね。アンジェリカはかがんでユーリの頬に小さく口づけをする。そして足音を殺して彼を起こさないようにして、部屋を出た。
夜の廊下は静かだ。廊下には薄く怨念が漂っている。アンジェリカはその廊下を、右手に持った槍を杖のようにつき、足音を立てながら歩く。暗い廊下の中で、彼女の『勝負服』がまるで赤く輝いているかのようにはっきりと存在感を示していた。彼女が歩くたびに、漂っていた怨念が吹き散らかされるように消えていった。
階段に差し掛かる。手すりを撫でながら階段を下りていく。玄関ホールに出ると足音が木のそれからタイルのそれへと硬質なものに変わる。アンジェリカは玄関ホールの真ん中に立ち、真正面に『例の壁』を睨み据え、槍を真っすぐ立て、仁王立ちに。
数分だろうか。小さく空気の動く音。わずかに玄関ホールの空気を揺らして、アリアンナがアンジェリカの左後ろに音もなく膝を曲げて着地した。彼女もいつぞやの勝負服を着ている。腰には、鞘に納められた『
「遅いですわ」
「姉さんが早すぎるんだよ」アリアンナが苦笑いをする。「術式から勝負服を成型できるのなんて、アンジー姉さんだけだよ」
ボクたちは一回一回着なきゃいけないんだから。そう言うと、階段からドタドタと音が鳴る。アリアンナがそちらを見ると、深紅のゴシックロリィタ服を着、明るい赤色の短いマントを胸元のブローチで留めた『勝負服』のアリシアが階段を慌てて降りてきていた。左腕には、銀色の腕輪がはめられている。慌てて準備してきたのか、息が上がっていた。
「ほんと、この妹、決断したら早いんだから……」
上がっていた息を整えると、彼女は前に垂れていたツインテールをはらう。
「ごめん、お待たせ」
「よくってよ」
さて、と。アンジェリカがそう小さくつぶやいて霊槍『ブラッドボーン』を真正面に構えた。アリシアとアリアンナ。二人も目の前のそれを見据える。
謎のスペースのある壁。壁の中央に刺さった、ユーリの父親が刺したプローブの周辺から滲み出すように怨念が漏れている。漏れ出す勢いからして、限界が近いのは目に見えていた。
「あ、ストップストップ!」
アリシアが叫ぶと、怪訝な表情でアリアンナとアンジェリカが彼女を見た。
「なんですの?」
「コールサインよ、コールサイン! 実名で呼び合うわけにはいかないでしょ」
それもそうか、とアンジェリカは考え直した。怨念の源に触れるなら、できるだけ怨念を自らの情報で汚染しない方がいい。下手に変質されると対処が難しくなる。
「ならばお姉さまは『アークトゥルス』、アンナは『アルデバラン』、わたくしは『アルタイル』と呼称。ユーリは『デネブ』を割り当てますわ」
「異議なし、アークトゥルス、了解よ」
「アルデバラン、了解」
二人が返事をする。それにアンジェリカは頷いた。
「では――作戦、開始」
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