13/Sub:"引っ越し"

 購入手続きはとんとん拍子で進み、手続きはすぐに完了、引っ越しはすぐに始まった。名義としてはユーリや姉妹の両親が保証人となった形だった。


「それにしても」


 見学の1週間後、購入した屋敷の玄関前。ユーリは、身体アシスト機械骨格エグゾスケルトンを装着した引っ越し業者により軽々と運び込まれていく荷物を眺める。見慣れたユーリや姉妹らの家具のほかに、見たこともない家具が梱包材に包まれて家の中に続々と運び込まれていた。今は外で、残りの荷物などの確認をしている。彼の荷物は少なく、運び込まれるのは一番最後の方だ。

 だが、しかし。


「なんか変なの多くない?」

「お父様の趣味ですわ」


 ユーリの横にいたアンジェリカが、片手を額に当てながら苦々し気に言う。車から板状の、厳重に梱包された何かが持ち出され、屋敷内に運び入れられた。


「材料や工学系の研究でなにやら気になるのがあると、すぐにポンと出資してしまって」


 トラックの荷台から梱包された三角柱状の何かが降ろされる。どう見ても家具や家電など、普通の物ではなかった。一体あれは何なんだ。


「それで完成した試験品がしばしばお礼に、って流れですわ」

「そういえばそうだったね……」


 三角柱型の何かは屋敷に運び込まれていく。屋敷の中の怨念は、あらかじめアンジェリカが吹き散らかしておいた。おかげでまた血を吸われ、ユーリは貧血気味だ。鉄分の多いものが食べたいな、とユーリは思う。今夜はレバニラにでもするかな。

 そこまで聞いて、ふとユーリは気になったことを思い出し、アンジェリカに尋ねた。


「じゃあまだあれ、残ってるの?」

「残ってますわ……」


 例のあれ。新松本空港のビジネスジェット用格納庫ハンガーにひっそりと眠る、ユーリの母親の実家も絡んでいたりする、訳ありの一


「維持費用も馬鹿にならないのですけれど、手放すのもそれはそれで……」


 AIやロボットによる自己含めた診断に、昔に比べてかなり安くなったビジネスジェット用の空港費用。それでいても、維持費は少なくとも安いとは言えなかった。だからといってはいそうですかと言って手放せるほど、あれは簡単な物ではなかった。


「使う機会があれば、何だけどねぇ」

「お母様がチャーター機としてしばしばレンタルしてるようですわ。あまり頻度は高くないらしいのですけれど。雀の涙ほどは維持費に充てられてるようですわ」

「パイロットは?」

「セルフサービス、だそうですわ。小型機にあたるので副操縦士コパイはAIが出来るようにはなってますけれど」


 なるほど、それなら需要はありそうだとユーリは納得した。

 話しながらアンジェリカとユーリは屋敷内に足を運ぶ。屋敷の中は彼女の霊力がいまだに薄く漂っていて、あのどす黒い怨念はそれによっていまだに抑えられている様だった。引越し業者の作業員の邪魔にならないようにエントランスホールに入ると、ふと目に着く何かがあった。


「釘?」


 アンジェリカが怪訝そうに言う。例の、間取りでは何かがあるはずなのに隠された部屋を隠す壁に、太い釘の様な物が撃ち込まれていた。明らかに異常な物だが、なにやら危険な雰囲気は感じない。

 すると、その釘を同じように見たユーリが思い出したように言った。


「父さんが処置をしといたって」


 ユーリのその言葉を聞いてアンジェリカはなるほどと合点がいく。確かに、よく注意して霊力を感じて見れば確かにユーリの父親の霊力だ。まるで内側から出ようとする何かに絡みつき、根を張る様に術式を伸ばしている様子がありありとわかる。最小限の術式でそれだけの事をしてのける彼の技量に思わず息をのむ。


「ひとまずは大丈夫、ってとこかしら?」

「一時的だそうだけどね。プローブでもあるって言ってたよ」


 プローブ。つまり何かの探査針ということらしい。餅は餅屋と言うように、彼の父親は専門家なのでこの場は任せた方がよさそうだ。

 二人は2階に上がる。作業員の通路をふさがないように、各所が養生された階段を心なし急いで登ると、目の前には問題の部屋の真上の部屋。そのドアには雑に達筆で『立入禁止』と書かれた張り紙がしてあった。昨日アンジェリカが書いて張ったものだ。墨汁に彼女の血を垂らして書いたためか、文字が強い霊力を帯びているのがわかる。ユーリの目には、『立入禁止』の文字から紅い霊力がにじみ出しているように見えた。

 廊下を歩いて最も手前の部屋に入る。そこが、アンジェリカの部屋になる予定だった。

 部屋に入ったアンジェリカが言う。壁の真ん中に置かれた天蓋付きのベッドはすでに組み立て直され、シーツを張ればすぐにでも使えるようだった。

 ふと、違和感をユーリは覚える。枕が二つ?

 触れた方がいいのだろうか、それとも何も見なかったことにしてそっと隣の自分の部屋に行くべきか。

 数瞬の思考ののち、ユーリは後者を選んだ。アンジェリカが部屋の隅に立ってレイアウトなどを見ているのに気づかれないよう、足音を殺してドアへ反転した。

 ドアから廊下に出ようとした、その瞬間だった。


「おっと、すみません。どうぞ」


 ドアのところでエグゾスケルトンを身に着けた引っ越し業者と鉢合わせ、彼がユーリに道を譲る。どうやらアンジェリカの部屋に荷物を運び入れようとしたらしい。手には透明なプラケース。

 そのプラケースの中身に、ユーリは心当たりがあった。


「あ、すみません、そのケース、隣の部屋です」


 ユーリがそういうと、業者の作業員は不思議な表情を浮かべた。


「えっと、こちらの部屋に運び込むようにと指示を受けたのですが……」

「!?」


 ぎょっとして、そして嫌な予感が当たった気がしてユーリが振り向くと、そこにはいつの間にか、こちらに向き直っていたアンジェリカがいた。


「ユーリ、どいいて差し上げなさい。業者さま、その荷物はこちらで結構ですわ」

「あ、はい、どちらに置けば?」

「こちらに置いておいてくださいまし。開封はわたくしたちでやりますわ」


 ユーリが思わず道を開け、作業員が部屋にプラケースを置いて出ていく。


 中身はユーリのフライトスーツに電子航空免許一式など。先日ユーリが自分で梱包したものだった。


「え!? どうしてここに!?」


 するとアンジェリカは何を言っているんだと言わんばかりの疑問の表情を浮かべ、言った。


「それはそうですわ? ユーリの部屋はここ、わたくしと一緒ですわよ?」

「うそでしょ……」

「嘘じゃありませんわ。婚約者なのですから、同じ部屋、同じベッドが当然ですわ!」


 それはもう何段階か先の話じゃないかなぁ。ユーリは頭が痛くなりそうだった。よく見ると彼のほかの荷物もアンジェリカの部屋の片隅に積まれていた。


「それにしても、ユーリは私物が少ないですわね。衣服の数も少ないのは、少し減点ですわよ?」

「何から点数引かれたの僕……」


 そうしているうちに次々と荷物が運び込まれていく。ユーリの荷物の手前にアンジェリカの荷物が次々と置かれ、見る見るうちに彼の荷物は運びだせなくなった。


「さて、他の部屋も見て回りましょうか」

「うん……」


 意気揚々と部屋から出るアンジェリカについて行ってとぼとぼとユーリも歩き出す。廊下の奥に向かって歩き出し、廊下の4部屋のうち、手前から3番目の部屋。そこはアリシアの部屋だった。ドアが開きっぱなしになっていて、部屋の前までアンジェリカは歩いていく。中を覗き込んでも、ちょうど影になっているのか、アリシアの姿は見えない。


「お姉さま?」


 こんこん、と開いたドアをアンジェリカが左手でたたきながら部屋の中に呼びかける。すぐにアリシアの返事が返ってくる。


「今入ってもよろしくて?」

「いいわよー。ちょっと散らかってるけど踏まないように注意してねー!」


 思わずユーリとアンジェリカで顔を見合わせた。

 部屋の中にやや戦々恐々としながら入ると、なるほど、床には梱包から早速解いたのであろう、電子機器が散らかっていた。一人用の、変形してソファーやリクライニングチェアにもなるベッドは部屋の端に小さく置かれ、部屋のスペースを最大限利用できるようになっている。

 紅いジャージを着たアリシアは、床の真ん中に敷かれた絨毯の上で、何やら説明書の様なものと格闘していた。


「いろいろ広げたね」


 ユーリは床に置かれた、立方体をした黒いものの前でしゃがみ込む。立方体の正方形は一辺5センチほどだった。立方体からはコードが伸びていて、反対側の面には何やらカメラの様なものがついている。そして同じようなものが4つ、同じように床に転がっていた。


「なにこれ」


 ユーリが思わず漏らす。


「モーションキャプチャーだって」


 アリシアが説明書をにらみながら答える。


「なんでも、撮ったものをVR出力できるカメラなんだとか……しかし、いまいち使い方がよくわからないわねこれ……」


 アンジェリカが呆れたようにため息をもらす。


「お姉さま、また変なものを購入されたのです?」

「いや、違うわよ、これもお父様のだってさ」

「そういうことですの……」


 同じようなものはすでに世の中に出回っているので、おおかた、それの試作品だろうか。だけど、完全 なVRモデルを作るモーションカメラなんて、よっぽどマニアなもんだなぁ、とユーリは呑気に思う。仮想空間でのオンライン会議でそれっぽい雰囲気を出すのに一部の企業が使うくらいだろう。

 それか、ヴァーチャルアイドルがライブで使うくらいだろうか。その方面の分野には、どうにもユーリは疎かった。

 アリシアの荷物はもう大方運び込まれているようで、部屋の隅には開けた段ボール箱が畳んで積み上げられている。


「お姉さま、ごみ処理だけはしっかりなさってくださいまし」


 アンジェリカは段ボールの山を少々苦々し気に見つつ、言った。


「わーってるわよ。心配しないで」


 アリシアがそういいながら作業に再び没頭するのを見て、二人は部屋を出る。部屋を出てすぐ左、屋根裏へ向かう階段。今は養生と同時に滑り止めのゴムマットも敷かれている。階段を上ると、ゴムが摩擦でシャキシャキと音を立てた。


「あ、ユーリにぃに、姉さん」屋根裏にいたアリアンナがこちらに気付く。「ようこそ、ボクの部屋へ!」


 自慢げに話す、シャツにジーンズというラフな格好のアリアンナ。殺風景だった屋根裏は、今や家具であふれて立派な生活空間となっていた。横に長い本棚にソファーやテーブルが並んでいる。天井からはランプ型の電燈が釣り下がり、部屋を落ち着いた、黄色がかった光で照らしている。床にはカーペットが引かれ、クッションが置かれている。


「あ、入口で靴は脱いでね」


 部屋の入り口の脇には靴箱が置かれており、そこにアリアンナのブーツや靴がきれいにそろえて入れられていた。


「わたくしたちの部屋にも靴箱を置かないとですわね」

「たち?」


 アリアンナが疑問符を浮かべる。


「ユーリとわたくしは同じ部屋ですわ」

「そうみたいだよ……」


 アンジェリカははきはきと、ユーリはややげんなりと言った。


「えぇー。いいなぁ! ねぇ、ユーリにぃ? ボクの部屋にお泊りに来たっていいんだからね?」


 アリアンナがグイっと顔をユーリに近づけながら言った。瞳がうっすらと、妖しく紅いている。下手すると一番危険なのは彼女の部屋かもしれない。ユーリは不用意にアリアンナの部屋に一人で入らないことを静かに、そして固く心に誓った。

 滑らかで温かいカーペットの上を歩きながら部屋の奥へ進むと、部屋の奥に背の低いタンスが置かれており、その頭上にまるでトロフィーのように『深緋こきあけ』に『銀朱ぎんしゅ』が壁に掛けられて飾ってある。玄関側のドーマーのところにベッド、そして反対側には、マホガニーのロッキングチェアが置かれていた。


「へぇ、こんなの持ってたんだ」


 ユーリがロッキングチェアの背もたれを少し押す。小さく揺れて、すぐに止まった。


「実家の倉庫に眠ってたのを引っ張り出したんだ」


 アリアンナがチェアに座り、ゆっくりと揺らして足を組む。


「こういうのって、ロマンじゃない?」

「ロマンかどうかはともかく、いいものですわね」


 アンジェリカがしげしげと椅子を眺める。


「もう少し、家の倉庫をひっくり返せばよかったかもしれないですわ」


 そういうアンジェリカに対して、アリアンナは苦笑いを返す。


「やめなよ、今以上に変なのが増えるかもよ?」


 それもそうだ、とユーリは笑い、アンジェリカはため息をついた。

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