12/Sub:"背中"

 4人は屋敷を出る。まぶしい青空に、思わず姉妹は目が一瞬くらんだ。

 入口のところの案内人が待機していた。挨拶をして出る。


「もう大丈夫ですか?」

「ええ、十分見させていただきましたわ」


 アンジェリカがにこやかに言う。事故物件の中で数々の『ヤバい』ものを見たと、一切感じさせなないような対応。相変わらずこういう対人交渉みたいなの、ほんとアンジーは得意だよね。ユーリは心の中で感嘆した。


「それで、いかがでした?」


 案内人が聞いてくる。ユーリは、彼が何となく焦っているという感情を感じ取った。何となく雰囲気がそうなっていて、それはどうもユーリだけがわかっているようだった。


「いえいえ。すばらしい物件でしたわ。ぜひとも、購入を検討させていただきますわ」

「いやぁ! それは何より! ではこちらにですね…」


 素晴らしかったね。素晴らしく悲惨だったね。

 腹芸がうまいなぁ。ユーリはどこか呑気にそんなことを考えた。自分にこういう心の探り合いの様な真似は無理だな、と何となく思う。


「それにしても、ずいぶんときれいな物件ですのに、買う人がいないのは不思議ですわね?」

「……いえいえ、『昔何かあった』って言うのは、意外と根が残るものでして」


 案内人がなんとなく焦っている様子がユーリにはわかった。


「なるほど、それもそうですわね。本当に危ないものでしたら、行政に提出するのが『義務』ですものね?」


 わざと、若干強めに『義務』を強調してアンジェリカが言う。案内人の焦りが増すのをユーリは認識した。


「え、ええ。そうですね」

「この物件の権利者は今のところあなた方のようですし、そこはしっかり対応していただいていると信じておりますわ」

「え、ええ……そうですね……」


 そうして案内人を追い詰めていくアンジェリカ。もはやかわいそうと思えるほどだった。


「それでは、また後日うかがわせていただきますわ」

「い、いえいえ、では、お待ちしております」


 門のところで、そう言って別れる。案内人はようやく解放されたと思い、安堵の感情を浮かべていた。それもユーリははっきりととらえていた。

 4人で歩き出し、こちらにずっと頭を下げていた案内人が見えなくなってから、ようやく話し出した。


「で。ユーリ、どうでした?」


 アンジェリカの唐突な問いに、思わずユーリは疑問符を浮かべる。こういう駆け引きなら彼女が一番得意であるから、まさか尋ねられるようなものがあるとは思ってもいなかった。


「案内人の方、どんな感情でした?」


 どんなとは。ううむと唸って思い出す。屋敷についてからの案内人がどんな感じだったのか。


「なんというか……焦ってるような、それでいてアンジェリカや僕らじゃない、別の何か追い詰められてるようなベクトルの焦りだったような……」

「何に追い詰められてたか、わかりますの?」

「そこまではさすがに分からないよ」


 ユーリは小さく肩をすくめた。


「そうですの……」


 そこまで言ってアンジェリカは顎に手を当てて考えこむ。

 間違いなく不動産屋はこちらにあの物件を押し付ける気ではいる。聞いてもいないことをべらべら喋る、何かに焦りっぱなしの案内人。どう見ても濃い何らかの呪詛が残っているのに大丈夫と言い張り、通報義務の事は知らないわけではない。どう見ても怪しかった。

 果たして買うべきなのか。いくら吸血鬼とドラゴンだからと言っても、何らかの危険があるなら買うべきではないのではないのだろうか。自分や姉妹の為にも、何よりユーリの為にも。

 ここまで様々な要素がかみ合ってきて、どうしようもない不安のようなものがアンジェリカの中に渦巻き始める。

 そうして悩むアンジェリカの姿を、ユーリはじっと見つめ、そして何かを決心したのか、すぅ、と息をのみ、立ち止まった。急に立ち止まったユーリに、3姉妹は、アンジェリカは少し驚いたように、同じように立ち止まる。


「その、えっと」


 ユーリは口の中で出かかった言葉を、もう一度口の中でかみしめて、はっきりと言った。


「なにがあっても、僕がアンジーを、皆を守るから。その背中を支えるから、だから」


 いつも、どこかであこがれていたアンジーに向けて、声を投げる。


「だから、アンジーは、君の選択を信じて」


 そう言い切ると、頬が熱くなるような感覚を覚えた。

 やっちゃったかなぁ。悩んでるアンジーをなんとかしてあげたくて、似合わない言葉言ったけどまずったなぁ。

 ユーリの頬がどんどん赤くなっていくのをポカンとした表情で眺めていた三姉妹は、少ししてくすくすと、そしてすぐにお腹を押さえて笑い出した。


「わ、笑うことないだろ!」

「だ、だってユーリ、『皆を守るから』だって……! 似合ってませんわ……!」

「やっぱりかぁ……」


 顔がカーっとさらに熱くなる感覚。彼は思わずうつむく。すると、アンジェリカがユーリに近づき、うつむいた彼の顔を両手で包んで、前を向かせた。


「でも、おかげで決心がつきましたわ」


 アンジェリカはにこりと、そして自信ありげにほほ笑んだ。

 そうだ、自分は一人で進むんじゃない。いつも、ついてきてくれる、そして彼なりのやり方で背中を支えてくれる、大事な大事なユーリがいる。

 アンジェリカはいまだに頬を赤くしながらこちらを困惑したように見るユーリの、竜の瞳を見つめる。黄玉トパーズのような金色に輝く瞳は、まるで夜空に浮かぶ月か、はたまた太陽のようで。だが不安げに揺れる瞳の奥には、しっかりと強い意志が宿っていて。

 そうだ、だからわたくしは、ユーリと添い遂げたいと思ったのですわ。

 ちゅっ。


「!?」


 ユーリの瞳を見つめていたアンジェリカが、顔を近づけ、そのまま唇に、軽く触れるようなキスをする。唐突な彼女のキスに、目を白黒させているユーリから手を放し、アンジェリカはずんずんと歩き出す。


「さ、帰って引っ越しの準備ですわ!」


 アリシアとアリアンナも続き、しばし呆然としていたユーリ。そっと唇に触れると、アンジェリカの唇の柔らかさと熱が、まだそこに残っているようで、かーっと顔が熱くなるのを感じる。さっきずいぶんアリアンナに吸われたが、それを感じさせない勢いだった。


「ユーリ! 置いていきますわよー!」

「ま、待ってよ!」


 彼女の声にはっとし、彼女らの後を追って彼は早歩きで歩き出した。




 彼女等が歩いていった方向の反対側。そこに止まる一台の軽自動車に、案内人が早歩きで近づく。まるで息をするのをこらえるかのように口を固く閉じた彼は、軽自動車の助手席側のドアを開けて乗り込んだ。ドアを勢いよく閉める。

 車の中はきついニコチンの臭いが染み付いていて、案内人はそれでわずかに顔をしかめた。


「よ、おかえり」


 運転席には中年の男が座っていた。どこかくたびれたスーツを着て、胸元には不動産屋の店員であることを示す名札を下げている。


「どうだ、売れそうか?」

「どうですかね……珍しい客だったもので」


 すると中年の男は、不機嫌に舌打ちを鳴らす。


「なんだよ。どうせ金持ちのボンボンのガキどもだろ? 適当言って押し付けちまえ」


 中年の男がたばこを背広の内ポケットから取り出して火をつける。車内にきつい臭いが満ちて思わず案内人はせき込んだが、バックミラーから見える屋敷に、どうしても窓を開ける気にはならなかった。


「まぁ、前向きに検討してましたよ」

「そりゃぁいい」


 中年の男が、吸い殻であふれていた灰皿にたばこの灰を落とした。


「そうすれば、このから晴れて俺たちは自由ってことだ」


 そう嗤う男の目元には、深い隈が浮かんでいた。頬も不健康そうに、やせこけている。

 男が車のスイッチを入れる。電気モーターの立ち上がる静かな振動が車内に満ちた。車が静かに走り出し、もう屋敷も見えなくなってきたころに案内人は窓を開けた。車内に新鮮な空気が流れ込んでくる。


「……もう、子供たちの時代なのかもしれないですね」

「あん? なにか言ったか?」

「いいえ、別に」


 もう見えなくなった、そこの呪いを明らかに認識していたのに、決して怖いもの見たさや酔狂ではなく、そこに未来を見出してまじめにあの物件を買おうとしていた彼等。

 案内人は、もう見えなくなった屋敷の方向をバックミラーで見て、小さく息をついた。


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