11/Sub:"マナーハウス"

「というか、よく『深緋こきあけ』に『銀朱ぎんしゅ』、持ち出せたね」


 ユーリがアリアンナの日本刀について尋ねる。ユーリはそろそろ自分で立てるようになってきたとアンジェリカに言い、支えから離れるた。


「義母さんが持たせてくれたんだよ。なにかあるだろうから、って」

「なるほど」


 母さんのアドバイスだったのか。ユーリは一人で納得する。

 彼らは廊下を奥まで歩いていきながら、それぞれの部屋を見ていく。

 3番目の部屋と2番目の部屋の間にはやや急な階段があり、屋根裏に続いているようだ。先に部屋を見て回ることにして、全員で2階を回る。

 部屋はどれも同じレイアウトで、廊下の突き当りだけ若干廊下が広い。彼らは3番目の部屋に入る。

 それぞれの部屋は、広い室内と、入口のすぐ横にあるバスルームでできている。各部屋はそれぞれ十分に広く、ゲルラホフスカ邸のアンジェリカの部屋にあったような天蓋付きベッドとデスク、クローゼットを置けるような広さである。


「これなら、十分今の部屋の物を置けますわ!」


 アンジェリカが嬉しそうに部屋を歩き回る。レイアウトを考えているようだ。


「僕はあまり私物がないから、部屋の空間が余りそうだなぁ」

「何を言ってまして? ユーリはわたくしと同じ部屋ですわよ」

「……だと思ったよ」


 ユーリは最早あきらめ気味だった。

 部屋の入口のすぐ脇にはバスルームがあり、トイレ付きのヨーロッパスタイルのものだ。入口の所にあるスイッチはそれぞれ電灯と換気扇のそれのようで、上から順に押してみると照明がつき、それから換気扇の回る音がした。

 茶色い、よく磨かれた石の床で、入口から入って右奥にはガラス張りのシャワールーム、右手前には白いバスタブ、左奥にはトイレ、そして左手前には洗面台がある。


「結構バスルーム広いね」

「クリーニングもしっかりといきわたっているみたいですわ」


 アンジェリカが指先で洗面台を撫でながら言った。


「事故物件のわりに、ずいぶん手入れが行き届いてるみたいだけど」

「『放置していると障り』みたいな条件付けでもされてるのかしら」アリシアが便器の蓋を開け閉めしながら言う。「それか、できるだけ好条件に見させてとっとと引き渡したいのか」


 多分後者だろうな。ユーリは何となくそう思った。

 バスルームの電気を切り、部屋の外に再び出る。ほかの部屋の間取りも確認しながら、屋根裏の階段へと向かう。


「5部屋が使えるのかぁ。屋根裏とかも使えるのかな?」


 アリアンナが先頭を歩きながら言った。


「使うなら、あまり煩くしないでくださいまし」

「りょーかい。だけど見た感じ、天井も結構しっかりしてたし、よっぽど暴れない限り静かかもね」


 屋根裏部屋へと続く、やや急な階段を上る。アリアンナが真っ先に、急ぐようにして昇っていく。嬉しそうだが、彼女の手は腰の刀の柄に触れていた。

 屋根裏に続く蓋のようなドアを彼女が押し上げると、わずかに残っていた怨念が埃が舞うように漏れ、そしてすぐに消えた。上がっていったアリアンナに続いて、全員で屋根裏部屋に入る。階段を上った先にはドーマーがあり、ガラスの向こうに空が見える。

 階段を上ったてすぐに屋根裏は両側に分かれているようで、両側に扉がある。アリアンナは右側の扉を開けて中に入り、ユーリ達も続いた。

 屋根裏部屋は2階の部屋ほどちゃんとした高さは無いようだったが、それでも十分縦のスペースがあり、床もただの木張りではなく、生活スペースの床として使うことを意図しているようなきれいな木目の床であった。そんながらんとした部屋が、屋根裏には広がっていた。


「思ったより綺麗ですわね」


 アンジェリカが言う。

 それに、屋根裏部屋は二部屋分の床面積がある。使いようによっては十分どころか、立派な個室にできるだろう。ドーマーから日差しも十分入るようだ。


「決めた! ボクここに住む!」


 アリアンナが興奮したように言う。瞳がキラキラ輝いていた。


「こういう隠れ家みたいなの、ボク、あこがれてたんだぁ」


 アリアンナがドーマーの窓を開いて外に身を乗り出す。3月の涼し気な午前の風が、淀んでいた屋根裏の空気に流れ込む。


「そうなると、お風呂は誰かの部屋で借りるしかないわね」

「ほんとはドン! とバスタブ置いてみたりしたいんだけどねぇ」


 アリアンナが屋根裏部屋の一番奥の、壁を眺めながら言う。あちこちにコンセントは見られるが、水道は通じていないようだ。そのまま反対側の屋根裏部屋も見るが、レイアウトは最初の部屋と同じだった。

  廊下を歩いて再び階段へ戻る。階段を登り切った正面にも一部屋あり、ドアを開けると2階の4部屋と同じような構造の部屋が広がっていた。

 ふと、ユーリは部屋と屋敷の構造を思い返す。

 この部屋の下、何があった?

 階段の下、2階の部屋の下に当たる部分へ。


「……」


 目の前にあったのは壁だった。なんてことはない、木の壁がそこに広がっていた。動きそうな隙間も構造もない、まるでその先には何もないような壁が広がっている。


「ここの先に、何かありそうですわね」


 ユーリに続いて降りてきたアンジェリカが壁を撫でながら言った。


「でしょうね。しかも出入口のない部屋ときてる。絶対ヤバいものがあるわよ」


 アリシアがコンコンと壁を小突く。空洞がその先にあるような、くぐもった音がした。思わずユーリとアリシアが顔を見合わせる。


「試してみる必要がありますわね」


 アンジェリカの身体から再びジワリと紅い霊力が浮かぶ。彼女は紅い霊力を纏った手の人差し指で、ゆっくり壁を撫でる。撫でられたあとに彼女の霊力が、まるで曇りガラスを撫でた時のようにくっきりと残った。20センチほど動かしてから指を離すと、壁に霊力の線が一本浮かんでいた。

 全員が息をのんでその霊力の線を見つめる。

 壁に浮かんだ紅い霊力の線。それがじわじわと下から浮かんでくる、黒い怨念に侵食されていく。間違いなく、この先に何らかの怨念の供給元があるのは明らかだった。

 ユーリがため息をついた。


「どうするの、この先にあるやつ」


 アンジェリカも思わず腕を組んで眉間にしわを寄せる。


「少なくとも、この真上の部屋は使うわけにはいかないですわね」


 ユーリは足元から黒い怨念がじわじわ、まるで水没するかのように、彼が寝ている間に上昇してくる光景を思わず想像して、気分が悪くなった。


「じゃあ、とりあえずこの真上の部屋は閉鎖、ということでよろしいですわね?」

「異議なし」

「異議ないわ」

「異議ないよ」


 3人の声がそろう。


「まぁ、最終的にはこの真下のここも、どうにかしないといけないですわね」


 アンジェリカがやや苦々しい顔つきで壁を見つめる。


「どうにかって……どうするのさ」

「まぁ、手に負えないようでしたら、しかるべき人に相談して、しかるべきところへ通報ですわね」

「じゃあ、手に負えた場合は?」

「その時は……そうですわね」


 アンジェリカは、ユーリを見ながら、ほほ笑んだ。邪悪な微笑みだった。


「吹き飛ばすのも、ありかもしれませんわね」


 ユーリは冷や汗が出るのを覚える。


「そうならないように祈っておくよ――そうなりそうだけど」

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