10/Sub:"一閃"

 ユーリがゆらりと立ち上がる。彼の金色の瞳は妖しく輝いていた。

 のっぴきならない彼の様子に思わず3人はびくりと肩を震わせた。


「よし、吹き飛ばそう」


 いい笑顔でユーリが言った。同時に下に向けて出した右手のひらにドラゴンブレスが甲高い音と共に収束し始める。


「ユーリ! お待ちなさい!」


 慌ててアンジェリカがユーリにつかみかかった。ドラゴンブレスが収束した右手を上に押しあげる。慌てて残りの二人もユーリを抑える。


「やめろぉ! 離せぇ! 全部吹っ飛ばしてやらぁ!」

「落ち着きなさいユーリ! まだ購入してないから吹き飛ばしたら弁償ものですわ!」

「そういう問題じゃないでしょ!?」


 頓珍漢なことを言い出すアンジェリカに思わずアリシアが突っ込んだ。えんやえんやともめているうちにどんどんドラゴンブレスが収束し、形になっていく。その様はまるで弓が引き絞られているようであった。放たれたら、ただでは済まないが。


「ええい、しかたないっ!」


 アリアンナが強引にユーリの服の前のボタンを半ば引きちぎるようにはずした。白い首筋があらわになる。先程アンジェリカに吸われたその首筋、そことは逆の、跡の残ってない綺麗な首筋。


「かぷっ!」

「あっ……」


 頭に昇った血をひかせるように、勢いよく血を啜るアリアンナ。ユーリより背が高い彼女は、少しかがむようにして彼の首筋に顔をうずめている。こくりこくりと彼女の喉が鳴るたびに、ユーリの掌に収束していたドラゴンブレスが消散していった。


「んくっ……んくっ……」


 次第にユーリの顔が白くなっていく。押し上げられていた腕からも力が抜けていく。


「って、吸い過ぎ吸い過ぎ!」

「っと、いけない」


 アリアンナが傷口をぺろりとひとなめして口を外すと、ユーリがまるで徹夜明けの学生のように顔面蒼白でぐったりとしていた。押さえつけていたアンジェリカに、今度は支えられて立っている。

 アリアンナはぺろりと上唇をなめてごちそうさま、とつぶやいた。ユーリの血で彼女の唇が紅を差したように赤く染まる。ぞくりと興奮したように、ひとたび身を震わせた彼女の頬は紅潮し、艶やかに上気している。


「さて、ユーリ、頭は冷えまして?」

「おかげさまでね……」


 アンジェリカに支えられながらユーリが言った。貧血気味なのか、軽く頭を押さえる。


「こんなに頻繁に吸われたの久しぶりだよ……」

「おかげでアンナもるわね……」


 今やアリアンナの赤い瞳は妖しく輝いていた。まるで獲物を値定めするかのようにユーリを視線で舐め回す。思わずむっとなってアリシアがアリアンナとユーリの間に立ちふさがった。


「あぁん、もうこんなのすごいよぉ。今すぐにでもどうにかしないとユーリにぃ食べちゃいたいよぉ!」


 内股気味になりながらなまめかしく体をくねらせるが、今さっき干物にされかけたユーリとしては、これ以上ナニカサレたら本当に後戻りできないという確信に近い空気を感じ取り、戦慄して思わず後ずさる。


「落ち着きなさいアンナ、淑女としてはしたないですわよ」

「わかってるよぉ。でも……あぁもぉ! するぅ!」


 言いやがったわねこいつ。そんな表情をアリシアがする中、アンジェリカは困った表情を浮かべた。

「でもどうしましょう。このまま霊力がアンナにとってもあまりよくありませんわ」

「そうだよぉ。ボクのナカがユーリにぃのでいっぱいでボクおかしくなっちゃうよぉ!」


 思わせぶりな台詞は果たして演技か本物なのか。だが、彼女の『勝負服』が露出の多いセクシーな姿なことといい、後者だろうな、とユーリは貧血でぼんやりと霞む思考の中思った。


「いっそさっきみたいに屋敷中に霊力ぶちまける? こんだけありゃ多分屋敷が私たちの霊力でいっぱいになるわよ」

「それもありですけれど、表の案内人の方が今度こそ昏倒してしまいそうですわ……」


 とりあえず部屋を出ましょう。そう言ってアンジェリカがユーリを支えながら出口に向かって歩き出す。その前にアリアンナが躍り出、後ろにアリシアと続く。

 廊下に出たところでアンジェリカは違和感を覚えた。そして足元を見ると、怨念がまるで重い煙のように足元に流れていることに気付く。怨念の流れてくる元、そちらに全員で振り向く。

 廊下の先の奥、ドス黒い怨念の先に、それはいた。


「……!」


 茶色いボロボロのワンピースの様な、最早原型がわからない服、長く振り乱され、ところどころ焦げた髪、腐乱しているような病的な色の、ところどころ崩れた四肢、そして、折れていなければとれないほど不自然に折れた、まるで髑髏のように瞳と口があき切った、頭。

 怨念はそれの足元からぽたぽたと、まるで血が垂れるように漏れ出ている。

 普通の人間なら、ここで恐怖したかもしれない。叫び声をあげて、出口に向けて、走り出したかもしれない。

 だが、ここにいる人物は、いささか、特殊であった。

 廊下でじっと『それ』を見つめる4人は、まったく同じことを考えた。


 ――気晴らし先、わ。


 アリアンナが左手の銀色の腕輪を、半ばはたくようにして勢いよく触れる。雪の結晶の様な、はたまた過冷却水に晶出した氷の様な、銀色の霊力の輝きを含む血のように紅い霊力が腕輪の表面を覆うと、すぐに吸い込まれる。

 そして、腕輪が一瞬光ると、まるで空中に立体映像ホログラムを投影するように腕輪から光の線がいくつもあふれ、そして一つの形を成した。

 現れたのは、赤い、西洋風の装飾が施された鞘に収まる、二振りの刀。片方はやや長く、片方は短い。二本はベルトに固定されるように、空中に姿を現した。アリアンナはそちらを見もせずに左手で刀を掴むと、腰のところに持っていき、器用にベルトを締めた。

 流れるように腰を落とし、左手を鞘に、右手を柄に。弦が弾き絞られるように、前傾に腰を深く落としながら、切るべきものへと、その意識を貫いて――

 ――まるで、赤いレーザー光線が廊下を貫いたような錯覚に、ユーリは陥った。

 アリアンナの赤く光る瞳の残光だけが廊下に一筋の光を残した。一筋の残光の先では、『それ』の正中線に紅い、一筋の光が両断するように走っている。

 そして、『それ』はいつのまにか空中にあった。その足元では、アリアンナが、正面に鞘と刀を構えた、納刀の体勢に。ゆっくりと、まるで永遠とも思えるような時間にも感じたが、一瞬のうちに、刀は再び鞘に収まり、鯉口が小さな音を立てた。

 鈴を鳴らしたような軽い音。しかし、空中に打ち上げられた『それ』を中心に、まるでガラスが割れたかのように紅い閃光が蜘蛛の巣状に何本も走る。『それ』は、まるでその蜘蛛の巣によって空間に縫い付けられているかのようにピクリとも動かない。

 そして時が動き出す。

 『それ』がまるでようやく切られたことを認識したとでもいうように、正中線で真っ二つになる。空中で『それ』は1回、2回、3回と勢いを増しながら――


「――お見事、ですわ」


 アンジェリカのつぶやきと共に、『それ』は、空中で消散したのだった。

 廊下に静寂が戻ってくる。廊下を覆っていた怨念は、もうない。

 ゆっくりとアリアンナが残心を解き、立ち上がる。くるりとユーリ達の方を振り向いてつかつかと歩み寄ってくる。先程までの妖艶な雰囲気は、だいぶ収まっていた。


「で、気分はどうでして? アンナ」


 アンジェリカが尋ねる。

 すると、アリアンナはどこかニヒルにニッと笑って答えた。


「いやぁ、スッキリしたぁ」


 結局さっきの『それ』は何だったのか。スッキリして快調そうにアンジェリカと話すアリアンナをよそにアリシアは考える。

 否、考えるまでもないでしょあれ。どう考えてもここの怨念のキーの何かじゃん。

 だが肝心の『それ』はアリアンナのただ酔い覚ましを目的としたな、そして不似合いな神速の一閃にて微塵切りになった挙句に消滅した。きっともう戻らないだろう。

 彼女は『それ』が消える直前の、『うそでしょ!?』と言わんばかりの表情を思い出す。きっと恨んでいたのだろう、妬んでいたのだろう、刻みたかったのだろう、呪いたかったのだろう。だが理不尽な死を前に、『それ』は驚愕という人間的な感情をようやく取り戻せたのだ。

 うん、多分そうだ、きっとそうだ。じゃなきゃ酔い覚ましにぶった切られたなんて死んでも死にきれない。アリシアは強引に自分に言い聞かせるように考える。

 ほかの部屋を見よう。そう言って歩き出すユーリ、アンジェリカ、アリアンナ。その後ろで、アリシアは申し訳なさそうに、胸元で小さく十字を切った。

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