09/Sub:"事故物件"

 怨念が吹き散らかされてクリアになった視界。そこにはエントランスが広がっていた。広い、白黒のタイルのエントランスの先の右手には階段があり、途中で左に折れ曲がって2階へと続いている。

入口のすぐわきの左右には両開きのドアがそれぞれあった。


「えー、こちら、食堂になってますね」


 入って右側の扉を開きながら案内人が言う。ユーリ達が入ると、長いテーブルが目に入った。左右7席ずつ、丁寧に彫刻が彫られた椅子が並んでいる。カーテンで窓が閉じられているの部屋はわずかに入ってくる日光のみで薄暗い。案内人がドア横のスイッチを入れると、天井から下げられたランプ型のアンティークの、黄色がかったLEDライトが点灯して室内を照らした。


「ずいぶん広いですわね」

「ここを建てた者が、どうもいろいろな交流を持っていた方だったようで、会食の機会も多かったのだとか」

「なるほど……なのかな?」


 食堂の奥には暖炉が見える。赤いレンガ造りの暖炉は、上に向かって煙突が伸びている。近づいてみてみると、ガスや電気のヒーターを埋め込んだ『張りぼて』ではなく、しっかり薪などの燃料を入れて火を焚き、暖を取るタイプのようだ。何度も使ったのだろうか、暖炉の奥は耐火煉瓦が黒く変色していた。

 ユーリが食堂の奥の扉に気付く。ドアを開けて入ってみると、そこはキッチンだった。

クリーニングされてのだろうか、清潔感あふれる調理台、その端のところまできて、そこで思わず目を見張った。


「ガスだこれ……!」


 銀色のステンレスと思わしき調理台のくぼんだ、コンロが位置する場所には、鈍く光る黒のガスコンロが鎮座していた。


「どうしましたの?」


 ユーリの声を聞きつけたのか、アンジェリカがキッチンに入ってきた。そこでユーリが見て固まっているものを見て絶句する。


「骨董品ですわ……!」


 ユーリはアンジェリカに焦って言う。


「どうするの。ガス毎回買ってたらお金持たないよ……!?」

「買い替えるしかありませんわね……」


 今出回っているガスなんてレジャーか燃料用の高圧バイオメタンガスくらいである。それをわざわざ調理用にと買っていたらとてもじゃないけど家計が回らない。


「台所改修用の費用が追加ですわ……」


 アンジェリカは頭痛がするような気分だった。思わず額を抑える。冷蔵庫の置いてあったと思われるスペースも広くとってあるところも見ると、前までに住んでいた住人はよほど食に対するこだわりがあったようだ。


「そうですわ」アンジェリカがユーリの方を向きながら言う。「ユーリ」

「なに?」

「ああ、はい、わかったよ」


 ユーリは彼女に近づくと、着ているシャツのボタンを上から3つほど外し、首元をはだける。アンジェリカはユーリの背中に手を回し、首元に顔をうずめ、鋭い牙でかみついた。小さな痛みと、噛まれたところからじんわりと広がる、どこか心地よい熱。

 んく、んく、とアンジェリカの喉が小さく鳴る。1分ほどだろうか、彼女がゆっくり牙を引き抜いて傷口を舌で舐める。傷口は小さな跡を残してふさがった。

 彼女はポケットからハンカチを取り出すと、丁寧に口元をぬぐう。ユーリは服を正した。


「やっぱり直飲みに限りますわ」


 すこしうっとりしたような表情でアンジェリカが言う。


「アンジーは、あんま保存物の血は飲まないよね」

「当然ですわ。必要な分だけいただく。生命を分けてもらうこととしても当たり前ですし、そしてなにより」


 アンジェリカは、ユーリの首筋に人差し指を当ててほほ笑む。


「雰囲気は、大事でしてよ?」


 ユーリは、肩をすくめて、小さく笑った。


「それにしてもどうしたの?」

「さっき家の中のドロドロした霊力を掃ったらですわ。だいぶ長い間淀んでいたのか、さすがに少し重く感じましてよ」


 相当濃かったように感じたが、それでも『少し』で済むんだね。ユーリはそう思った。

 二人で台所探索に戻る。台所の奥にある扉を開けると、裏庭に出た。雑草がひざ丈ほどまで茂っている。ここも雑草を刈る必要がありそうだった。

 台所を出て食堂に戻ると、カーテンが開かれて明るくなった食堂の片隅で、アリアンナとアリシアが早速椅子に座っていた。しかし、どうも苦々しい顔をしている。


「どうしたの?」


 ユーリが座っている二人に話しかける。するとアリアンナは苦笑いしながら、アリシアは苦虫を踏み潰したような表情をして、そして唐突にユーリに軽く尻を突き出してきた。


「うわぁ……」


 アリアンナとアリシアの臀部、それが黒い怨念で真っ黒になっている。


「湿った椅子に座っちゃった気分だよぉ……」


 アリアンナの身体から紅い霊力が一瞬立ち上ると、怨念は一瞬で消し飛んだ。赤いデニム地のホットパンツがあらわになる。シックな赤いクラシカルロリィタの服に身を包んだアリシアも同じように怨念を消し飛ばし、彼女の赤いスカートが戻ってくる。


「こりゃ残ってる家具は全部コースかしら?」

 アリシアが肩を落としながら言った。椅子の彫刻が気に入っていたようだった。

「一個一個ユーリかわたくしの霊力で浄化してみて、それでできればいいですけれど、あまりにも染み付いているようでしたらお義母様おかあさまに頼んでお焚き上げですわね」

「そうだねー……」


 ユーリは自分の母のことを思う。以前『曰くつき』の品をドラゴンブレスで熱処理していた現場を見学したが、父親が張った至近距離のGRBガンマ線バーストにも耐えられるという触れ込みの防壁越しでも、焼けると錯覚するほどの熱量を伴う莫大な霊力を感じたのを思い出す。熱処理の後は岩石が蒸発してクレーターになっていた。きっとまだ処理場に残っているだろう。

 さらっとアンジェリカがユーリの母のことを『お義母さまおかあさま』呼ばわりしているのには気付いたが、触れずにいた。きっと両親公認だろう。

 食堂の入り口に戻ると、案内人が立って待っていた。


「もうよろしいですか?」

「ええ、結構ですわ」


 では次をご案内しますね。そう言って案内人は次の部屋に向かう。最後尾のユーリが電気を消して後ろ手にドアを閉めると、ドアの隙間から怨念が小さく漏れた。

 大丈夫かなこれ。ユーリはすでに若干嫌になっていた。

 エントランスの食堂の反対側のドアを開けると、そこは天井の高い、広いホールだった。1.5階分ほどだろうか、高い天井はかまぼこのように円筒を縦に切った形で、真ん中から鈍い色の金属製のシンプルな構造のシャンデリアが下がっている。床は暗い色の木の板張りだった。

入口と同じ東側には、背の高いガラス窓がはまった、縦に半分に割った円筒形で外に膨らんだ構造をしていて、カーテンで覆われている。カーテンを開けると午前のまだ東に傾いている日差しが入ってきた。思わず薄暗い室内に慣れていて一瞬目がくらむ。


「わぁ、ずいぶん広いホールだねぇ」


 アリアンナは広いホールに気分がよくなったのか、ホールの中央付近まで音もなくステップを踏みながら躍り出て、そこで片足を立てて一回転、そしてぴたりとバレエのアラベスクのポーズをとって止まった。

彼女のしなやかで引き締まった長い四肢が優雅というよりは凛々しいような感じで、ピンと伸ばされているのはどこか芸術的だった。彼女はバレエを習っていないのはユーリも知っていたが、自然とそのポーズをとることのできる彼女の運動神経に改めてユーリは感心する。


「これだけ広いとダンスパーティや演武、ちょっとした稽古なんかもできそうだね」


 アリアンナがスッとポーズを崩してユーリの方を向く。体軸はその間一切ぶれていなかった。


「そうね、立体映像装置なんかも、これだけ空間があれば設置できそう」


 遅れてホールに入ってきたアリシアがコツコツと足音を鳴らしながら歩き回る。部屋の奥には食堂と同じように暖炉が設置されている。薪を使ったものであるのも同じだった。

 彼女が部屋の中を歩き回ってどこに何が置けそうか考えていると、部屋の隅で何やら話し合っているアンジェリカとユーリを見つける。よく見ると、二人ともなにやら悩まし気な表情をして何かを小声で話し合っている。

 何を話し合っているのだろうか。アリシアは後で聞こうと思った。

 ホールの見学を終えると、次は2階に案内される。木製の階段は上るたびに小さくきしむ。踊り場のところには小さなラックがあり、何かを飾れるらしい。

 花瓶でも置いて何か生けようかな。そんなことをユーリが思っていると、2階についた。階段を昇ってすぐに1室、そして真っすぐ続く廊下の先に見る限り4部屋――


「あ、ダメだこれ」

「……」


 ユーリがボソッと漏らす。アンジェリカはため息をついた。アリアンナはその二人の様子に何となく事情を察し、アリシアは取り残される。


「失礼、すこしわたくしたちで部屋を見ても回ってもよろしくて?」

「いえいえ、結構です。では私は玄関でお待ちしております」

「お心遣い、感謝いたしますわ――さぁ、行きましょう!」


 アンジェリカが半ば強引に話すと、ユーリと彼女はアリアンナとアリシアの手をそれぞれ引いて急ぎ足で廊下へと向かう。廊下の手前から2番目の部屋のドアを開けると、そこには家具の一切置かれていない部屋が広がっていた。アリシアの手を離すと、アンジェリカはつかつかと窓に歩み寄り、カーテンを開け放って両開きの窓を開ける。窓の外に青空と景色が広がる。

 アリアンナの手を引いてアンジェリカが仁王立ちでたたずむ部屋の真ん中に来る。4人はややうつむき気味に頭を下げて輪になった。


「さて、ここまでで気づいていませんこと?」


 アンジェリカが小声ながらはっきり言う。


「なによ? 何かある訳?」


 アリシアが言う。それに対してぎょっとしてユーリとアンジェリカが、そしてアリアンナもアリシアの方を向いた。


「な、なによ」

「お姉さま、よく思い出してくださいまし。この屋敷の外観、そしてこのお屋敷がどれだけの広さの土地に建っているのか」

「そりゃとした感じの屋敷で、100坪の……あ……」


 そこまで言ってハッとアリシアは口を押えて顔を上げた。


「外観と内装が合わない……」


 びくりとユーリが肩を震わせる。彼はこういう話が大の苦手だった。


「正確にはこの感じ、異界化もしくはは認識阻害かもね」アリアンナが言う。「その両方かもしれないけど」

「やっぱり事故物件だったじゃないかぁ……」


 ユーリが頭を抱えてうずくまる。これからここに住むかもしれないというのが憂鬱で憂鬱で仕方なかった。異界化も認識阻害も、相当な残留思念のなせる業だ。それにあのヘドロの様な怨念の霊力。ユーリは今すぐにでもドラゴンブレスで屋敷をにして吹き飛ばしたい気分だった。


「まぁ」アンジェリカが言う。「この程度でしたら、もう何となく予想はしてましたわ」

「うそでしょ!?」

「ですけれど一つ気がかりなのは、これだけ『濃い』ものが、なぜ通報されずに残ってるのかですわ」


 このご時世、あまりにも酷い霊障が発生しているとそれなりの処置が行政により為される。それは公的福祉の一環であり、それゆえにここまで酷いのが放置されているというのも不可解な話であった。


「そうなると、ここの霊障は『外に出て行かない』のか、それとも」


 アリアンナが言う。ごくり、とアリシアが息をのむ音が響いた。


「この屋敷の怨念――いや、呪いとでもいった方がいいのかな。それは、誰かに移すことで続くものなのか。いうなればボクたちは、次の生贄ってとこかな?」


 冗談じゃないね。そう言うアリアンナの目は、言っている事とは逆に煌々と紅く、そしてどこか楽し気に輝いていた。

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