07/Sub:"ランウェイ15"

「え? ほんとにこれ行くの?」


 ユーリがアンジェリカのベッドから上半身だけ起こして言う。瞳には困惑と恐怖が浮かんでいた。


「当たり前ですわ。土地含めて200万。こんな良物件、ほかにはありませんわ」

「当たり前でしょ!? むしろどんな惨劇があったらこんな激安になるの!?」


 ユーリは電子ペーパーを指さしながら言う。


 表示された物件は補修ありで築20年。土地は100坪、家は英国式のマナーハウスの様な建築様式で2階建て。ドーマー屋根付き天窓が付いているところを見ると屋根裏部屋も使えるのかもしれない。

 具体的に相場がいくらになるのかなぞわからなかった。しかし、とてもじゃないが、200万でたたき売りされていいような物件ではないことはユーリにも分かった。


「確かに一家心中に行方不明の2件だけじゃが足りないねぇ。こりゃもう2、3件はあるかな?」


 アリアンナがにんまりと笑いながら言う。ユーリの肩がピクリと小さくはねた。


「そうなったら『あれ』の出番ですわね!」

「ボクの『あれ』も出番かな?」


 アンジェリカとアリアンナが笑い合っているのを、椅子に移動していたアリシアが面倒くさそうな表情で、机に肘を立て、手で頬をつきながら見ている。とてもじゃないが淑女がしてはいけない顔だった。

 どんどん進む話。アンジェリカとアリアンナ、二人は立ち上がって電子ペーパー片手に興奮気味に部屋から出ていく。アリシアとユーリが部屋に残された。

 静かになる部屋の中。アリシアがさっきからピクリとも動かないで、うなだれたまま硬直しているユーリに気付く。おかしいと思って近づいて下からのぞき込むと、目の焦点が若干合ってなかった。

 もしや。彼女はある可能性に気付く。


「……ねぇユーリ、ひょっとしてまだお化け怖いの?」


 アリシアが言うと、ユーリはしばし固まって、そして静かに頷く。アリシアが小さくあっちゃーとつぶやいた。


「事故物件なんて死地じゃないの……」


 アリシアは思わず頭を抱えた。よく見るとユーリは小刻みに震えていた。


「ねぇ、二人に言ってあげようか? さすがにアンタも本気で嫌がってるなら、あの二人だって考えるわよ」


 そういうと、ユーリはしばし固まって、それからすこし、首を横に振ったのだった。

 アリシアはため息をつく。


「しょーがないわね、ユーリ。私がついてるから。だからあんま、無理すんじゃないわよ」


 アリシアがユーリの隣に腰掛け、彼の頭を撫でる。彼の方が背が高く、手を上にあげて頭を撫でる、少々不格好な形に。

 思えばこいつずっとお化け苦手だったわね。アリシアが思い返すのは彼が幼少の頃の事、お化けが苦手な彼を、アンジェリカがお化けの恰好をしてからかっていたのを思い出す。やりすぎてお漏らしまでがテンプレだったが、このことは本人の前では言わないようにしてあげようと苦笑する。

 思えばアンジェリカは彼をよくからかっていたものだった。構図は完全にガキ大将といじめられっ子のそれであった。

 それがこうなるとはね……。

 ユーリとアンジェリカの婚約話を聞いた時のことを思い出す。アンジェリカの喜びようはそれはそれは、見ているこちらがすら忘れて、砂糖を吐きそうなほどであった。


「あんたも、大きくなったわね」


 アリシアがどこかまぶしそうに言った。


「……姉さんは、小さいままだね――って痛い痛い!」




 話はとんとん拍子で進み、明日はいよいよ視察。ユーリの一家はアンジェリカの一家と共にゲルラホフスカ邸でディナーを楽しみ、歓談のうちにその日は終わった。

 そうしてユーリが彼の両親についていこうとして彼が言われたのは、『荷物、もうこっちに移してあるから』の無慈悲な一言だった。慌てて彼が、父親が言った、アンジェリカの部屋に駆け付けると、そこには彼の着替えや荷物一式が、小さくまとめられて積まれていたのだった。

 逃げ場はない。彼は悟った。

 結局ゲルラホフスカ邸で風呂を借り、寝間着に着替えてお泊り会をあきらめて受け入れる。

 彼はアンジェリカの部屋に荷物を取りに行く。端末や充電器は枕元に置いておきたかった。部屋をノックして声をかけると、アンジェリカの声が返ってくる。彼は失礼するよと言ってドアを開ける。


「ふふ、待ちくたびれましたわ、ユーリ」


 そっとドアを閉めた。

 そうだ、僕は何も見てない。決してスケスケのレースの、ベビードールを着たアンジェリカなんて見なかったんだ。

 端末はあきらめて寝よう。そう思って踵を返すと、ドアが開いてまるで吸い込まれれるようにしてユーリの身体は彼女の部屋に引きずり込まれた。


「逃がすとお思いで?」


 まるで重力の方向が変わったかのような手際で彼を部屋に引きずり込んだ彼女は、少々呆れたように言う。一方ユーリは目のやり場に困って顔をそらす。


「アンジー、僕は端末を取りに来ただけなんだ。あとついでに僕の部屋を教えてくれると助かる」


 彼が早口でそう言い切ると、彼女はきょとんとした表情を浮かべて、それから少し怒ったように言った。


「何をおっしゃって? ユーリとわたくしは婚約したのですから、今日から同じベッドですわよ?」

「いや、それはおかし――」


 そう言ったユーリの視界に入ってきたのは、ご丁寧に枕が二つ並べられた天蓋付きの彼女のベッド。いつのまに。さすがに『YES』やらは書いていない、高級そうな質感の枕であったが、枕元のテーブルには銀の水差しとカップが置いてある。

 わぁいこれで喉が渇いても大丈夫だね。大丈夫じゃなかった。


「ひとつ言っておきますと、この部屋以外にユーリの寝るところはありませんわ」

「ないの!?」

「ええ、ソファーからなにまで、全部ありませんわ!」


 そうアンジェリカが言い放つと、彼は目の前が真っ暗になりそうだった。

 ユーリがまごついていると、彼の手をアンジェリカが掴む。はっとして目を向けると、その顔はすこしむくれていて、怒っているようだった。


「ユーリ、いい加減にしないと、わたくし――」

「――わかったよ。それ以上は言わせないよ。男として」


 観念したように、ユーリが先に言い放つ。それにやや不満げではあるものの、満足げに笑みを浮かべると、アンジェリカは彼の手を引いてベッドに向かう。

 ベッドに先にアンジェリカが横たわり、まるで誘うように掛布団を持ち上げる。ユーリは一瞬ためらうも、あきらめたように、そして覚悟を決めたようにどこかぎこちなくアンジェリカの隣にもぐりこんだ。目の前がほほ笑むアンジェリカの顔でいっぱいになり、ユーリは自分の鼓動が早くなるのを否応なしに意識した。


「昔を思い出しますわね」


 そうアンジェリカが言った。


「こうやって、わたくしの家で夜まで遊んで、いっつも『お泊り会』してましたわ」

「何回も君に泣かされたけどね」


 ユーリが苦笑いし、アンジェリカが小さく笑う。全く正反対の反応だったが、お互い、不思議と嫌な気分ではなかった。


「ユーリ」アンジェリカがそっと自分の手を彼の手に添え、胸元まで持ってきた。「この試練、なんとしてもわたくしは成功させたいと思ってますわ」

「……わかってるよ」


 彼女の表情がまじめな表情に変わる。紅玉ルビーの様な彼女の瞳が、ユーリの月の様な金色の瞳を真っすぐとらえる。夜の暗闇に包まれた部屋の中で、彼女の瞳はまるで自ら輝いているかのように、闇の中でその彩を放っていた。


「ユーリは、どう思っていますの?」

「……」


 ユーリは黙り込む。

 自分が将来どうしたいのかなんて、大人になった自分は何になりたいかなんて、そんな。

 未来のことなんて考えなかった。誰かと一緒になるなんて考えてもいなかった。


「わからない、ですの?」


 ユーリは小さくうなずいた。


「……そうですの」


 すこし残念そうに笑うと、アンジェリカは、まぁそんなことも何となくは思っていましたけど、とユーリの腰のやや上、竜人なら翼がいつも生えている場所に手を回し、彼の身体を抱き寄せる。ユーリは抵抗しなった。


「ですなら、わたくしも努力しますわ」

「努力?」

「ええ、いつどこへ飛んで行ってしまうかわからなそうなじゃじゃ馬のあなたが、帰ってくる場所。止まり木に、わたくしはなりますわ」


 そして、必要とあらば。そう言って彼女は腕の力を強めながら言った。


「鳥かごにでも、なって見せますわ」

「籠……だと……!?」


 食われる。そんな気配にユーリが思わず逃れようとするも、彼女の手ががっちりホールドして逃げられない。


「うふふ、絶対逃がしませんわ」


 剣呑に光る彼女の瞳に、ユーリは若干後悔をし始める。こいつ、子供のころから何も変わっちゃいねぇ……。


「さて、明日も早いことですし、早く寝ると致しましょう」


 そういってアンジェリカは、最後にユーリに小さく寄り添うと、その赤い瞳を閉じた。すぐに寝息がゆっくり、深いものに変わっていく。

 寝つきがいいのも昔から変わらないね。そうユーリは小さく思った。

 ユーリはアンジェリカの身体を引きはがそうと彼女の肩に手を置いて、止めた。しばし、そのまま固まって、ゆっくり、身体を撫でるように手を彼女の背中に回す。薄いレースの感触を通じて伝わるぬくもりが、彼の身体に伝わってくる。同時に思い出すのは、中間圏手前の、まるで身を切るような冷たさの大気。

 ふと頭によぎった想い。それを心の中に押し込んで、彼は強引に自分の目をつぶる。

 ――あの冷たさの中で、アンジーが隣にいてくれればいいな――

 ――そうすれば、きっとあの先へだって――

 そんな想いを飲み込んだまま、彼は眠りに落ちた。

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