06/Sub:"インシデント"

 方位と速度を合わせ、目標と進路を合わせる。今度はこの前みたいなことにはならない。速度と高度を同時に殺していく。降下と同時に上がる速度を抵抗によって打ち消す。高度300フィート。

 200。ゆっくり上体を起こしていく。身体をその瞬間に合わせてバランスをとっていく。

 100。翼で受ける空気をさらに増し、降下率を落とす。速度が落ち、空気が翼から離れていこうとするのにしがみつきながら進路をコントロールしていく。

 50、40、30、20、10――今だ。

 一気に上体を起こす。翼が一気に空気を受け止め、失速。地面まではもう数フィートしかない。急激に増した抗力と揚力でユーリは空中に一瞬静止した。そして始まる落下。数フィートの高さだけ、ふわりと落下し、着地の衝撃を、膝を曲げて着地することで和らげる。小さくバランスを取りながら静止。タッチダウン。

 うん、我ながら上手くできたな。75点。

 軽く翼を、具合を確かめるように伸ばしたり縮めたりしながら玄関に向かう。翼から霊力の白い光が薄れていく。

 玄関を開けて階段を上り、アンジェリカの部屋に入るとそこには3姉妹全員がそろっていた。アリアンナは机に突っ伏しながら寝ていて、アンジェリカは紅茶を飲みながら本を読み、アリシアはアンジェリカのベッドの上でゲームにふけっていた。光学メタマテリアル製のVRゴーグルの表面が黒くなっている。


「ただいま」

「おかえりなさい」ユーリがそう言うと、アンジェリカが本から目線を上げて言った。「オゾンの匂いがしますわ」


 ユーリは何となく手首を鼻に近づける。臭いは感じられなかった。


「嗅覚が麻痺してるのですわ。はやく着替えた方がよろしくてよ?」


 そういって立ち上がったアンジェリカが、ベッドの上に丁寧にたたまれていた着替えを渡してくる。いつの間にか着替えは先程の作務衣から、シャツにズボンに変わっていた。どうやら入れ替えられたらしい。


「で、ここで着替えればいいの?」

「当然ですわ」


 複雑な表情をしたユーリは、せめてと部屋の隅の、座ったアンジェリカから見えないような位置で人形態に戻り、服を着替えた。洗濯したばかりなのだろうか。柔軟剤の匂いのする服を着る。

 脱いだフライトスーツをどうしようかと一瞬悩んだが、さすがにいつも通り干すわけにもいかずに一旦コンテナの中に入れた。

 着替え終わったユーリが先程まで座っていた席に座る。


「思いのほか、早かったですわね」


 アンジェリカが紅茶の入ったティーカップをテーブルに置きながら言う。減っているのを見てユーリは自然にテーブルの上のティーポットから彼女のカップに紅茶を注いだ。


「別に。ただ上昇して、目標高度まで行って、それで降りてきただけだし」


 すると、彼女は少し驚いたような表情を浮かべた。


「珍しいですわね。大抵リードを離された犬みたいに飛び回っていますのに」


 視線にじっとりとした何かを感じた彼は目をそらすように自分のカップに紅茶を注ぐ。淹れ直したのか、温かった。カップに注ぐと湯気が立ち上り、水面に産毛が舞う。


「今日は本当に頭を冷やすだけのつもりだったし、あんま長居はする気じゃなかったよ」

「そう言って前に3時間ほど飛び回ってたのはどこの誰かしら?」


 そう言われたユーリはうぐぅとうめき声をあげた。

 アリアンナは相変わらず寝ており、静かに寝息を立てている。ベッドの上に胡坐をかいてゲームをしているアリシアはゲーム内でなにかあったのか、左右をぐるぐると見まわしていた。


「え、ちょっと、え!? 何これ!?」


 どうやらホラー系の物をしているようで、声の焦り具合から大体どんな状態なのかが伝わってくる。ユーリは思わずアリシアを凝視していると、隣のアンジェリカも同じように彼女を凝視していた。口に運ぶカップの動きが思わず重なった。


「嘘、あ。お願い! お姉さん許して! ほんとだから! 嘘――って、あああああああっ!」


 唐突にその時は訪れた。悲痛な絶叫と共にアリシアの動きが止まる。

 しばしその姿勢で固まっていたが、数秒もすると、乱暴にVRゴーグルを脱ぎ捨てる。その瞳はだいぶゲームに熱中していたからだろうか、充血していた。

 最も、元から紅いので違いなど判らなかったが。


「二度とやるかこんなクソゲーッ!」


 ぜぇぜぇと肩で息をしながらアリシアが叫ぶ。アリアンナは寝息が深くなり、相変わらず熟睡していた。起きる気配はない。


「ずいぶん荒れたね、アリシア姉さん」


 ユーリは立ち上がり、アリシアが半分投げ捨てるように外したVRゴーグルをひろう。気になって覗いてみると、VRの画面に廃墟と思われる画面と、安っぽい『GAME OVER』の大きな文字、そして『CONITUE』、『TITLE』のボタンが並んでいた。見て分かる低予算感に、普段からあまりゲームなどをしない彼でも、何となくどういったゲームなのかは察することができた。


「どこで拾ったのこんなゲーム」


 ユーリはゲームのスイッチを切る。


「ネットで話題だったからやってみたかったのよ」アリシアがツインテールを乱暴にかきあげる。「なんとなくクオリティ低いのは覚悟してけど、まさかここまでとは」


 彼女は足を投げ出し、ベッドに身体を投げ出す。アンジェリカが抗議の声を上げたが無視した。


「で、どういうゲームだったの?」


 ゲーム機を片付けながらユーリが言う。


「なんか事故物件を散策するゲームだったわ。なんかシンプルでわかりやすい設定だったのにゲームの目標がわからないし敵の挙動がおかしいし……」


 アリシアがバタバタと足を動かす。アンジェリカは頭が痛くなりそうだった。

 しばらくバタついたあと、アリシアは足をすぅ、と持ち上げると一気に反動で跳び上がる。ピンと足を延ばしたままくるりと前転すると、床に音もなく降り立つ。小さくため息をつくと、元の席に戻る。ユーリも元の席に戻った。


「で、結局案は浮かんだわけ?」


 アリシアが言うと、沈黙が部屋を包んだ。皆がそれぞれの方法でリフレッシュしたものの、相変わらず状況を打開する案は浮かばない。アリアンナはまだ熟睡している。

 ユーリは手元のVRゴーグルを眺める。最新機種と思われるそれは、とても軽く、顔にフィットするようにできている。表面のモニターは光学メタマテリアルでできていて、VRモードとARモードを切り替えられる高性能品だった。

 今のところ、もっぱら減らす努力ができそうなのは家賃。これをどうにかするかが目下の課題である。彼は状況を再認識する。いっそのこと4畳半に4人で押し住むか? そんなアイデアが浮かぶ。


「いっそのこと4人で4畳半あたりの部屋に住むというのも手ですわね」


 考える前にアンジェリカが言っていた。思考がかぶったことに若干げんなりする。

 そしてふと考える。4人での狭い部屋での生活、向こうはこちらの事なんてもはや自分の一部とでも言わんばかりのふるまい。当然風呂や就寝も。

 数秒考えて、ユーリはやっぱ無理と結論付ける。彼も男であった。

 ため息とともに天井を見上げる。天井は電子ペーパーの壁紙で、シックな木目の天井を表示していた。きっと夜には星空になるのだろう。まるで天井がなさそうでなんだか落ち着かないな、まるで事故物件みたいで――ん?

 ふと思い立ったアイデア。いや、だけど。え? これ言う?

 ユーリが周囲を見回す。アリシア、アンジェリカ。二人とも熟考してこちらのことに気づいていない。そっと彼はアイデアを心の奥にしまおうとする。

 そこで、目があった。


「……」


 アリアンナだった。いつの間にか起きていた。彼女の視線がユーリの視線をじっと離さない。


「……ねぇユーリにぃ。なんか思いついたんでしょ」アリアンナが上体を起こす「それも、かなり決定的ななにかを」


 びくりとユーリの肩が跳ねる。同時にアリシア、アンジェリカの視線と注意が一斉にユーリに向いた。

 ユーリは言葉を濁す。視線を泳がせて逃れようとするも、立ち上がったアリシアに腕を掴まれた。音もなく立ち上がって距離を詰めたアリアンナに反対側の腕も掴まれる。

 絶大な威圧感を持ってアンジェリカが音もなく立ち上がる。同時にユーリも二人の姉妹に掴まれて強制的に椅子から立たされた。

 アンジェリカがユーリの目の前に歩いてくる。食卓に並ぶステーキの気分だった。


素敵なアイデア、ぜひとも教えてくださらないかしら?」


 アンジェリカが飢えた捕食者の様な目で言ってくる。ユーリが言い渋っていると、彼女は彼の両頬を両手でホールドしてユーリにぐいと顔を近づけてくる。


「い、言わないって言ったらどうするの……?」


 結果は何となくわかっていた。それでも、彼は聞かずにはいられなかった。

 ユーリのその言葉を聞くと、アンジェリカはユーリの両頬をホールドしたまま彼を後ろに押し、そしてそのままベッドに押し倒す。相変わらず彼の両腕はアリアンナとアリシアに掴まれており、体の自由はない。

 アリアンナの方が柔らかく、アリシアは硬くて痛かったが、命が惜しかったので黙っていた。


「そうですわね……もしユーリが言わないというのなら……」


 そういうとアンジェリカは、ユーリの鼻にそっと口づけをする。小さく吸われる柔らかい感触に、彼の身体がびくりとはねる。


「ユーリをめちゃくちゃにしますわ……!」

「め、めちゃくちゃ……!?」


 彼は戦慄する。


「そう、具体的にはもうわたくし以外のところにお婿に行けないくらいに……!」

「……!」

「しかもお姉さまとアンナの3人で……!」

「3人……だと……!?」


 ユーリの心拍数が上がる。言うべきか、言わざるべきか。よくよく考えたら同棲なんてしたらにされるのは時間の問題であるとも思ったが、アンジェリカの放つ『凄み』は、そんな合理的な考えを吹き飛ばす何かを持っていた。

 彼の判断は早かった。震える唇が脊髄で物を語り出す。


「事故物件だ……!」


 彼の両側のアリシアとアリアンナが思わず目を見合わせた。


「事故物件なら、きっと家賃は大幅に安いんじゃないかなって、そう思ったんだ……!」


 アンジェリカの瞳が一瞬開かれ、すぐに細まる。


「アンナ」

「なぁに? 姉さん」


 アリアンナがユーリの腕の拘束を外す。


「この近辺の事故物件、探しなさい。条件は近年10年以内、それも重大なものが起きたものに絞って」

「合点承知の助!」


 アリアンナが机に飛びつくように動き、端末を素早く起動。サポートAIに情報を入力。ブラウジングサポートAIは与えられた情報を素早く探知。数件の結果を出力する。


「でたよ、姉さん、これは――」


 アリアンナが電子ペーパーを持ってアンジェリカのもとに歩いてくる。その表示を彼女に見せるようにひっくり返す。ユーリは青い顔をして検索結果の羅列を見ていた。


「できれば事件の詳細がぼかされているものに絞るのですわ。ディーラーもあまり触れたくないような、そんな条件の物を」

「だとすると、これだね」


 アリアンナが端末をスクロールして一つの検索結果を示す。


「会社倒産の末の一家心中、そののち入った入居者は行方不明。いわくつきのがさ」


 表示されているのは、2階建ての、ゲルラホフスカ邸ほどではないが立派な造りの洋風建築。壁の白いペンキは、不気味なほど真新しい。

 吸血鬼と竜の棲み処には、うってつけだった。

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