01/Sub:"婿殿が逃げたぞ、追え!"

有理ユーリ、今日は大事な事を話します。これは貴方の人生にとってとても重要な事です。ちゃんとよく聞くのですよ?」

「はい、母さん」


 古さを感じさせるが手入れの行き届いた日本家屋の一室。日本家屋に似つかわしくない銀色が二人、机の向かいにそれぞれ座っていた。ユーリと呼ばれたまだ幼さの残る顔つきをした少年が彼の母親の問いかけに対して慎重に頷く。向かいに座った彼の母親はそんな彼の態度に対して「よろしいです」と一言呟く。なぜか戸を厳重に閉めながら。


「ユーリ、わたしは人に借りを作りっぱなしでいる事があまり好きではないのはご存じですね?」

「はい」

「それを踏まえてなのですが――」

 彼の母は一息、小さなため息をついて言った。

「――ユーリ、と思います」

「え?」


 ユーリは固まった。尊敬できる両親に育てられてきたとは若干一五歳ながらに何となく自覚はしていたし、そんな両親の事を尊敬していた。だからこそ、彼の母親が言ったその一言が理解できなかった。


「母さん、話が理解できないよ」

「貴方を婚約者として迎えさせると言う事ですか? 要するに婿入り、と言う事になりますね。ユーリ、貴方ももうすぐ高校生です。婚約者を選んでも良い年頃ですよ?」

「いつの時代の話!? 今は二〇七〇年だよ!? 中世じゃないんだよ!?」

「大丈夫ですよ、いい人を我ながら選びましたから」


 そう言って自慢げに言う母に、ユーリは違う、そうじゃないという思考で頭の中が一杯になる。


「母さん、話を整理させてください」

「よいですよ」


 ええと、まずはとユーリは右手を胸の高さ辺りまで上げて人差し指を立てた。


「母さんは借りを作るのが嫌い」

「借りを作るのと言うより、受けた恩を受けたままでいる事、と言った方がよいでしょうか。人間とは助け合って生きる者。決して一人で生きて行く事はできないのですよ」

「うん、知っているよ。うちの家訓……というよりは母さんの哲学だよね」


 そう言って彼は人差し指に続いて中指を立てた。


「そして母さんは僕を婿に出そうとしている」

「ええ、その通りです」

「どうしよう、やっぱり分からないや」


 立てた2本の指が「へにゃり」と折れると同時にがっくりと彼はうなだれた。


「そうですね……まずはそこを説明しないといけない様ですね」


 彼の母はため息をつくと、事の次第を話し出した。


「まずユーリ、駅前に新しい牛丼屋が出来たのは知っていますか?」

「えっ? ……あぁ、うん、知っているよ。美味しいよねあそこの牛丼」

「私も話は聞いていました。あそこの牛丼屋の出す牛丼は本当に美味しいと。私も世間一般的に見れば料理が上手な方ではあるとは思うのですが、貴方の父の出す料理は規格外です。そうは思いませんか?」

「うん、父さんの作るご飯美味しいよね」

「そこで、私は何かヒントを得られないかと思ってその牛丼屋に行ってみたのですが、想像以上の美味しさに思わず特盛牛丼を三杯も完食してしまったのです」

「噂になっていると思ったら母さんだったのか。駅前の牛丼屋で、開店四日目の時に銀髪の高貴な雰囲気の女性が特盛牛丼食べて行ったって。どうしよう僕あそこでバイトしようかなって思っていたのにもう行けないや」

「そこで私は気付いたのです。お財布を忘れてしまったと」

「愉快だね」

「家に電話して財布を届けてもらおうと思っていたのですがその矢先にとあるご婦人が私に声をかけて下さり、事情を説明したところお金を貸して頂いたのです」

「茶番ってやつかな?」

「そのご婦人がいなければ、私はお財布を持ってきてもらうまでの間、店内で何とも言えない雰囲気の中過ごすことになる所でした。そうなれば我が家の評判に傷が付くというもの」

「『幽霊屋敷に住んでいる最終兵器一家』の二つ名のどこがどう傷つくのか知りたいや」

「そこで私はそのお礼にそのご婦人の娘さんの婿として、ユーリ、貴方を紹介したのです。そうしたらご婦人も大層喜んで頂いていました」

「何!? 僕二八〇〇円で売られたの!?」

「言葉を慎みなさい、ユーリ。それにお金は返しました」

「そういう問題じゃないよね……」


 なにやら話が出来過ぎている気がする。そうユーリは思い始める。駅前の牛丼屋で偶然会った人の娘に息子を婿に出すなんてどう考えてもおかしい。そうなるとこの話は元から決まっていて、これは何らかの茶番である可能性が高い。

 そこまで考えたユーリは、母が肝心な情報を明かしていない事に気付く。


「母さん、一つ質問いいかな?」

「なんです?」

「その婚約者、一体誰なんだい?」

「幼馴染のアンジェリカちゃんよ」


 次の瞬間、ユーリは屋根を突き破って跳躍した。空中で姿勢を制御して屋根に着地する。

 が婚約者だって!? 冗談じゃない、あの唯我独尊という言葉が質量を得たような幼馴染と結婚なんてしたら一生胃潰瘍に苦しめられる事になる! 今だって胃薬が手放せないのに! しかももれなく姉のと妹のも付いて来るじゃないか、胃が取れるわ!

 どうやら母親が出会ったのはアンジーの親御さんだったらしい。さっきの話はそうなると本当にただの茶番でしかなかったわけだった。


「くっ……! 何とかユーリを足止めしてその間にアンジジェリカちゃんにユーリを拉致してもらう作戦が……! 皆のもの! 婿殿が逃げました! 追いなさい!」


 よく響く声で彼の母親が叫ぶのを聞いた瞬間にユーリは駆けだしていた。一瞬空を飛んで逃げようかと思ったが、空に目を凝らすと迎撃術式の薄い起爆線が走っているのが見えた。父さんか。朝から見ないのはこの為か!

 空は潰された。家の中に入るのは自殺行為。出て行くためには屋根の上を走り抜けるしかない。おそらくそれは想定されたルートで、先には罠が張ってあるだろう。ならばとるべき行動は一つ。

 ユーリから霊力が迸った。服の背中に入ったスリットから翼が、腰の下から尾が、そして側頭部から角が、それぞれ光を纏いながら生えて行き、両手足が光に包まれる。やがて纏っていた光が払われると、そこには銀色の鱗が輝いていた。

 屋根を踏んで横に跳び、空中に躍り出る。畳まれて鋭く後退した翼が輝き、その翼から淡い術式の光が伸びて翼幕を包んで巨大な術式の翼を形作っていく。ユーリの金色の縦に鋭く細まった瞳孔は、彼の進路上に目標の物を見出した。掃除すると言ってあけ放たれた窓と戸。部屋の中では双子の弟と妹の理彦と理穂が「びっくり!」みたいな顔でこちらを見つめている。本当によく似た双子だなぁ、とユーリはどこかのんきにそう思った。

 翼に溜まった霊力を解放。甲高い音と共に一気に霊力が青白い光となって翼から細いストリーマーとなって噴き出、瞬間彼の躰は弾かれるように一五〇ノット近くまで加速した。柱と柱、弟と妹、窓枠と窓枠の間の、一五〇ノットと言う世界では蚤の目の様にほんの小さな隙間をまるで針の穴に糸を通すような精密さでユーリは飛びぬけた。掃除して片付いていた双子の部屋の中に、ユーリが飛びぬけた巻き起こした暴風が吹き荒れる。

 部屋を飛びぬけたユーリは一五〇度ロールし、頭上を確認する。迎撃術式の起爆式はもう途切れていた。どうやら中庭のみに張っていたらしい。

 わざとかそうではないのか、どちらにしろ好都合だ!

 再び一八〇度ロール。飛行術式をオーバーフローさせる勢いで霊力を流し込む。甲高い音が一気にさらに高くなり、蒼い霊力光の輝きが増す。強烈な加速。一気に体軸をピッチアップ。翼が白いベイパーを纏い、次の瞬間、まるで逆向きの流れ星のように爆発的な加速で彼は空へ駆けのぼっていく。


「待ちなさいっ!」

「!?」


 反応した瞬間、銀色の閃光がユーリ目掛けて突っ込んできた。捕まってなるものかと翼を全開にし、一気に空気を剥離させ失速する。無重量、自由落下。両足を後ろにバタフライキックの要領で蹴り、両脚の先端から小さく霊力を噴出させる。その反動で速度と進行方向を維持したまま垂直方向にくるりと独楽のように1回転し、背中目掛けて突っ込んできた母親を回避した。彼女はそれに驚きつつも急制動をかける。霊力の紫色の光が煌めいた。二人は推力でホバリングして相対する。


「ユーリ! クルビットなんてどこで覚えたのですか! 私は教えた覚えはありませんよ!」

「父さんに教えてもらったよ」

「帰ったらお話があります……」


 ごめんよ父さん。飛び火した。


「大人しく帰らないというのなら……」


 母が構えるのを見てユーリも構える。何かあったら極超音速ハイパーソニックまで加速する気ではいたが、母はきっと余裕で追いすがるだろう。空中戦では圧倒的に彼女に分がある。

 その時だった。


「……えっ!?」


 急に母が止まる。同時にユーリは微細な霊力を感知した。どうやら念話を誰かが送ってきているらしい。何にしろ貴重なチャンスだ。ユーリは飛行術式への霊力をカットオフ。空中を縦に回転しながら木の葉のように落ちていき、落ちていく中で姿勢を制御して体軸を水平に復帰させる。霊力を一気に放出して加速、その場から急速離脱した。あとには彼の母親が一人残される。ユーリの術式の音が遠雷のように静かに響いていた。


「……いいんですか? 行かせても」

『大丈夫さ。それに、これは子供たちの問題だ』


 彼の母親の念話の先。声の主は、何処か楽しそうに言う。


『なるようになるさ』


 そう笑って、念話が切れた。残されたユーリの母親は彼が飛び去った方角の空をひと睨みすると、家に向かって降下を始めた。


「あ、ユーリに戦闘機動コンバットマニューバを教えた件については後程く・わ・し・く、話していただきますよ?」

『アッハイ』

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